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母が逝った冬

レス16
(トピ主 3
🙂
たまき
話題
一昨年の冬に母を亡くしました。 元気だった母が、突然倒れてあっけなく逝ってしまいました。 こんなに早くお別れが来るとは。  母に言いたかったこと、やってあげたかったこと、まだまだたくさんありました。 2年が経ち、哀しみも和らいできたように感じていました。 でも、この時期になると、やっぱり思い出してしまいます。 知らせを受けて、実家に帰った時の、母のいない家の静けさ。 外の景色や、風の冷たさが、あの時と同じになってくるとどうしても思い出してしまうのです。 病院から物言わぬ帰宅をした母を迎えた時は、深夜でした。  母が住み慣れた家で、3日ほど母を安置しました。たくさん話しかけました。  葬儀の前日に母は告別式場に運ばれました。近所の方も来てくれて、母を乗せた葬儀屋さんの車を見送りました。冷たい風が吹いていました。  今のこの時期が、とてもつらいです。  母とお別れしたあの時の悲しさ、寂しさが蘇ってくるようで。 これから、この時期が毎年自分にとってはつらい時期になるのでしょうか。 母に会いたいです。

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2年前に母をなくしました

🙂
けろちゃん
私も冬のはじまりは辛いです 2年前の12月の3日に母をなくしました 母は74歳でした さみしいですよね まだまだ元気でいて欲しかったですよね 私の母は、某大学に献体に出したので、まだ身体は大学にあります 母は生前から、何度も献体に出して欲しいと願っていたので、その通りにしてあげました まだ私の中で、母は生きています

トピ内ID:4dc886ef509465c6

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お辛いですね。

🙂
私も今年の2月に母を亡くしました。 病気はありましたが通院しながら元気いっぱいでお友達とランチやら旅行やら楽しんでいました。 急に食欲がないダルいと言って入院して3週間で亡くなりました。 まだまだ悲しいのですが、やるべき事が沢山ありまして、空き家になった実家を片付けています。 主様のお母さんは優しい方でしたか? 私の母は怖い人でした。 私は小さい頃から怒られてばかりでして相性が良くなかった。 でもいなくなれば悲しいものです。

トピ内ID:4154e0d8c7de49ab

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私もです

🙂
みんみん
2018年12月4日に母を亡くしました。 私の母もたまきさんのお母様と同じように突然倒れて即死でした。。 この時期、庭の皇帝ダリアが咲くと思い出してしまいます。 一緒に色んなところにも行きたかったし、話もちゃんと聞いて覚えておけば良かったと後悔ばかりです。 突然いなくなるなんて思ってなかったから話も聞き流してました。 ご自宅で安置されて少しでも一緒の時間を過ごせて良かったですね。 うちは葬儀屋さんに安置されていたので、最後に一緒に過ごす時間は短かったです。 いけないんだろうけど写真も撮りたかったし手も握りたかった。 突然の死だと亡くなった実感があまりなくないですか? どこか遠くへ旅行にでも行ってるような錯覚になる時があります。 でも、もう二度と話せないんだなぁ~と思うと現実に引き戻されて悲しくなるの繰り返しです。 私も母に会いたいです。

トピ内ID:be7369abb4b2082b

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お気持ちわかります。

😢
エリオ
私は大好きだった父を3年前の11月に亡くしました。 あの時、実家から悲しみいっぱいで着いた駅前は、賑やかにクリスマスのイルミネーションが輝いていました。 自分の中にはぽっかりと暗い大きな穴があいているのに、世の中は変わらず回るんだなと感じたのを、今もクリスマスイルミネーションを見ると思い出します。 あの時の空気感。 もう二度と声を聞くことはできないと思うと、たまらない気持ちになります。 父がくれた財布、いつも身に付けるものだから選んだよと言われ、今も大切に使っています。 つらいですよね。すごくわかります。 誰もが同じような気持ちで、いろいろな季節を迎えていると思います。

トピ内ID:56db40ef55d5b887

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泣いたら前に進む

🙂
お月様
たまきさん こんな言葉があります。 別れる事が人生ならばまた来る春はなんだろう。 私はもう、両親も姉ももういない。 海岸で拾ってきた飼い犬も17年飼っていたが、その犬ももういない。気がつくといつのまにか周りにいた人は、いなくなるんですね。 愛別離苦...人には誰もが避けられないつらい別れがあります。人生で1番つらいですね。 泣くだけ泣いて、泣きつかれるまで、泣いたら、少しずつ、前をみてまた歩きだしましょう。 残されたものは生きるしかないのですから、毎日泣いてたら涙で前がみえなくなるし。 立ち直るしか道はないです。 お母さんのご冥福をお祈り致します。

トピ内ID:fc4a8f04bf3abc98

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皆さんありがとうございます。 トピ主です

🙂
たまき トピ主
心温まるレスをいただきありがとうございます。 けろちゃんさま 同じころにお母様を亡くされたのですね。本当に、母にはまだまだ元気でいて欲しかったです。けんろちゃんさまも同じお気持ちでしょう。  大学でたくさんの未来ある学生さんたちのために、そしてけろちゃんさまの心の中に、お母様は今もこれからも生きていらっしゃいますね。 亀さま まだ一年も経っていらっしゃらないとのこと、まだまだたくさんやることがありますよね。厳しいお母様だったのですね。私と母は、特別仲良し親子ではありませんでしたが、つかず離れずといった感じで、喧嘩をしたこともありましたし、優しい時もありました。どんな思い出も不思議と時がたつと懐かしく感じられたりするものですね。  みんみんさま 突然、って心の準備もなく、残された方はただ心の中が空っぽになりますよね。母はよく、逝く時はポックリ行きたいなどと言っていたのですが、実際に突然いなくなられることがこんなに辛いものだと思いませんでした。母が着ていた服や乗っていた自転車、料理のメモ書き、冷蔵庫の作り置き、母が元気だった時のまま残されていたのが悲しかったです。母がふっと玄関から帰ってくるような、台所で料理をしていたりするような気がして、でも現実に引き戻されて悲しさが襲ってくる、そんなことの繰り返しでした。会いたいですよね。

トピ内ID:02336e78c70650c4

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ありがとうございます。 トピ主です。2

🙂
たまき トピ主
エリオさま この時期にお父様を亡くされたのですね。エリオ様にとってもつらい時期なのですね。自分の大切な人がいない、でも、世の中は何事もなかったかのように変わらず回っている、その何とも言えない空虚な気持ち、とてもよくわかります。お父様が下さったお財布、大切に身に着けて使われて、お父様も喜んでいらっしゃると思います。お父様が一緒にいてくださるような気がしませんか? お月様さま 素敵なお言葉、ありがとうございます。人生に別れはつきもの、でも、愛する人や、自分が生まれた時から当たり前にいてくれた人との別れは本当に辛いものですよね。年を重ねるごとに、身近な人が去っていくのを経験します。残されたものは生きるしかない、本当にそうですね。前を向いて生きるしかない。いつか、皆に会える時が来ることを願って。

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行政手続き 続く

🙂
ひよこぴよ
私(65・男)も、ことし4月に父が96歳で亡くなりました。 前年の健康診断の結果から「もう長くないだろう」とわかっていましたが、かかりつけ内科医の勧めで入院 (こちらでは かかりつけ医院と総合病院の間に 医療連携システムがとられています) しましたが、入院当日の朝でも「掃除」「洗濯」をしていましたし外見は全く病人には見えなかったです。 入院して2週間で亡くなりましたけれど、私は在職中の職場の同僚から同じ立場の人は大勢いましたから、 「君も将来 同じ立場になるんだから 最初の1年間は行政手続き、公共料金、生命保険・・・などの手続きで大変だから 悲しんでる暇はないぞ」 と助言されたものでして、今回、その立場になり、本当に手続き多し、父が亡くなった感じがしないんですよ。父が生前から、 「我家は 1956年竣工で老朽化しているから、屋根、玄関周辺の補修をしたいけれど もうお父さんは腰が痛くてできないから 君 (それは「私」) 頼むぞ」 と数年前から聞いていましたところ、たまたまご近所で「リホーム」されているご家庭に出入りしている建築業者の職人さんが、 「お宅の玄関、屋根 かなり老朽化していますけれど近所でリホームしていますから、この機会にどうですか」 と父の意思そのものだったんですよ。即日契約して施工していただきました。 その他、することは大量にあり、「父だったら どうするだろうな」と考えながら私も工夫しています。 時々父が夢に現れて「施工方法の案を教えてくれる」んですよ。ですから父が亡くなった感じがしないんですよ。 「姿は見えぬけれど 助言してくれる 気が付けさせてくれる」

トピ内ID:f6ad7a582e7d4cd4

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春だけど良いですか?

🙂
アラカン
去年父が亡くなりました、施設に入っていたので殆ど会えず…2月中旬にもう長くないからと言われて面会に行きました。ガラス越しに会った父は別人の様に小さくなっていました。 「お父さん、ご飯シッカリ食べて」と励まし「今は寒いから、桜が咲く迄死んだらダメよ」と言って帰りました。 3月の中旬、会えないと分かっていましたが桜の名所である施設を通ると未だ緑一色、それから4日後「危篤」と電話があり慌てて行くと、驚くほど桜が満開でした。 一面の桜を見ながら、父がもう居ない事を悟りました。言った事を守ってくれたんだと思いハラハラ泣けてきました。 91歳迄頑張ってくれたので天晴なのですが、桜の季節になると少し悲しい気持ちになります。

トピ内ID:b152336048ba0b0a

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私も思い出します

🙂
おばちゃんパート
8年間寝たきりで、桜が咲く前に父は旅立ちました。 色々確執がありましたが、8年間精いっぱいの事をしたと思っています。父の場合は余命2年と言われていたので、頑張って6年も長く生きてくれたんだと感謝しています。 旅立つときも一週間前に、そろそろお別れの時間が近ずいていると言われ、5日間毎日施設に面会に行き意識のない父に語り続けました。6日目も行こうとしていた朝に息を引き取ったと連絡がありました。 主さんと違って、覚悟はできていましたが、やはり桜の季節になると思い出します。もう一度大好きな桜を見せてあげたかったと。 父が旅立ってから4度目の冬です。見送った時は忙殺されて悲しみは感じなかったのですが、月日が経ってふいに涙があふれる時があります。 この文章を書いている今も、何だか涙が出てきます。 理由はわからないけど、悲しい気持ちって出てきます。忘れようとか意識しなくても、自然体で過ごしてください。 お母様と会えなくなって悲しいと思う気持ちより、これから嬉しいと思う事が増えると思います。決してお母様の事を忘れるわけではなく、一生懸命生きるってそういう事だと思います。

トピ内ID:fa6a46162ed14de4

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晩秋の訃報

🙂
ぎんねこ
母の訃報が舞い込んできたのは、八年前の晩秋でした。前日に、市民病院に胃部内視鏡の検査に一人で出かけて、帰宅した時、電話で話したのですが、背中が痛いといっていました。帰省しようかと夕方電話したのですが、母は私が働いていることを知っていて遠慮してしまいました、その晩、大動脈解離で帰らぬ人となりました。 翌日、早くに市役所に自立支援の申請に行って、大型商業施設のセール日だったので、食材を買い込んで帰ったところ、兄から電話があり、訃報を知りました。 その時財産の何百万のお金を失ったような喪失感がありました。私はかけがえのない母を失ったのです。 翌日お香典も喪服もすべて揃えて、始発で帰りました。あの時の大宮駅の構内、朝のひかりの白さを覚えています。この時は、グリーン車に乗って一時間半の道のりを帰りました。前日寝ていなかったのでグリーン車は必須でした。 母は、兄によって救急車で搬送されたのち、一応部屋で孤独死になるので、検死医の元に向かい葬儀社経由で戻ってきました。亡骸をお通夜まで、四日ぐらい安置しましたが、母と食べていた朝食の目玉焼きなど、作った料理をお供えしていましたが、母との帰省の朝を思い浮かべ、涙涙でした。 その当時の主治医や介護施設の方、ご近所の皆さん、いろいろな方がお焼香に見えましたが、皆さん私と号泣でした。亡くなっても惜しいぐらい美しく、尾州美人の面影がありました。 御葬式の日は、棺を持って行かないでくれ迄、私は泣いたと思います。住職が青くなっていました。 私の母との別れは晩い秋でした。ちょうど五十年母と一緒にいたと思います。 私にとって、母のもとに生まれてきたのは一番の幸せだったと思います。

トピ内ID:8b332aef739652a5

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父が亡くなったのは、父が70代後半の時でした

🙂
匿名
末期癌の看病を、母や姉妹でがんばりました。 だからやり切った感があって、父の死後に悔いはなかったです。 それに、何年か経ってから、一度だけ夢に出てきてくれました。 父の肉声付きでした。それも、とびっきりの笑顔でした。 だから、今でも悔いはありません。 トピ主さまも、いつか夢の中で、お母様に出会えるかもしれませんよ。

トピ内ID:8802770a611acaee

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悲しみは消えることはありません。

🙂
しまねっこ
トピ主さん、お気持ちお察しします。 12年前に母、2年前に父が他界しました。 旅立ちは、何の前触れもなく当然、煙のように居なくなります。 しかしながら、一緒には行けません、静かに見送るだけです。 ずっとその悲しみは、心から消えることはないと思います。 私は、遠方で暮らしているので死に目には会ってません。 静かに、眠るような姿でした。遠くから、「しっかり天命を全うしろ!」と言われてるようでした。 私は、両親に何もしてやれなかったなぁっと思うけど、後悔ばかりして二人の歩んできた年齢を重ねて いくより、妻と二人マイペースで年を重ねていこうと思ってます。 お母様はあなたが一人で生きていけるようたくさんの記憶と言葉を残して旅立たれたのです。 折に触れて、思い返し、前に進む糧とすべく! 冷たい言い方になりますが、死んだら母体に帰るとも聞きますので 例えあの世で再会できたとしても自分のことはわからないかもしれないと考え 毎日、手を合わせて暮らしてます。

トピ内ID:6efa9ac6e057bbd1

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66歳

🙂
50代専業主婦子なし
母が病に倒れたのは65歳。 余命宣告を受け、66歳で亡くなりました。 本人には病名を告げませんでした。 これで良かったのかと、今でも思います。 私もまだ30代で、心の準備が出来ていなかった。 病名に関しては、医師から説明がありました。 ・病名を告げると「どうせ治らない」と治療に消極的になる人 ・病名を告げると「やるだけやってみよう」と受け入れる人 母は間違いなく前者でした。 父も同じ意見でした。 治るからと治療しようと言うと、がんばると笑顔を見せました。 治らないなら何もしないでくれと言ったと思います。 でも死期が近づくと悟ったらしく「もうダメなのね」と弱気になりました。 もう入院したくないと自宅で過ごし、倒れるまで自宅で寝たり起きたりを繰り返しました。 嫁いで家を出ていた私は会いに行くことも簡単ではなく、危篤の一報に夫に早退してもらって車で駆けつけました。 (私は病気で電車移動できず、免許がありません) 父によると急に息苦しいと言い出し、救急車を呼んだそうです。 息を引き取る瞬間に立ち会えました。 「お母さん、ありがとう」 これだけ言えました。 父はショックで呆然として、私が事実上の喪主でした。 周囲に親を亡くした人がおらず、手探りでした。 夫は忙しさがピークで、私だけ実家に残りました。 数年前、夫の父が80代で亡くなりました。 「親を亡くすって、こんなに辛いんだね。 君のお母さんはまだ60代で若すぎたね」 ぽつんと言いました。 身近に、親を亡くした人が増えています。 80代だったり、90代だったり。 母にも、80歳を迎えて欲しかったです。

トピ内ID:5e51078360d8f0d8

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2018年12月24日 明け方

🙂
黄昏
時差の関係で私が母の死を知らされたのは12月23日でした。 90才でしたから大往生と言えますが、もう少し生きて欲しかった、もう一度会いたかったと今も思います。 母の命の灯火が消えそうなのは分かっていたのに、どうしてもキャンセルが出来ない仕事(コンサート)が11月末と1月半ばに入っていました。 それが終わったらすぐに帰国するからと母に毎日のように電話をしていました。 気丈な母は『私は大丈夫だからしっかり準備して良い演奏をしなさい」と65才になる娘を丸で中学生の頃のように...。 私が幼い頃は厳しい母でしたが、歳月を経て 誰よりも頼りになる同志のような母になりました。 私が晩婚で子供がいない事に対して ただの一度も不満も言わず、国際結婚でヨーロッパ永住となり頻繁に会えないことにも文句を言わず、全面的に自分の娘を信頼してくれた母。 自分の死期を悟っていたのか、10月末に 写真館に行って葬式用のポートレートを撮った母。 今年もクリスマスツリーを飾りながら 母に想いを馳せています。

トピ内ID:d36c6fcb025b39d3

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皆様、ありがとうございます

🙂
たまき トピ主
トピ主です。レスを下さった皆さま、本当にありがとうございます。まとめてのご返信となりますがどうぞご了承ください。  皆様おひとりおひとりのレス、大切に拝読いたしました。なかなかリアルな生活の場では話題にできないことなので、このように自分の胸の内を打ち明け、また、皆様からお話を聞かせていただく機会があること、とてもありがたく思います。 親を亡くすというのがこれほどまでにつらいものと、身をもって実感いたしました。皆さまそれぞれの思いを胸に、親御様を見送りされたのですね。  つらい経験にもかかわらず、お話を聞かせて下さりありがとうございます。 母が亡くなり、人の命の儚さを実感するとともに、命の重みとありがたさ、生きていくことの意味を幾度も考えました。きっとこの哀しみは一生胸に残るでしょう。 涙することもあるでしょう。でも、母が私にくれた命を大切に生きることが、なにより母の供養になるのではないかな、と思います。  どうぞ皆様も、体に気をつけてお過ごしください。本当に、ありがとうございました。

トピ内ID:02336e78c70650c4

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