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1965年あたりの大晦日

レス43
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🙂
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大晦日に母は美容院に行っていました。 どうしてその日に行くのか不思議でした。 聞きそびれてもうお墓の中です、聞いてみたかった。 レコード大賞をみてから紅白をみてました。 歌手の方のテレビ局からテレビ局への移動の速さを兄が不思議なんだと言っていました。 大晦日は特別な日でした。 皆さんはどんな思い出がありますか?

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大晦日だけ門限なし

🙂
通りすがり
中学生からですが 大晦日だけは門限なしで友人たちだけで遊んでました。 朝帰りしたりして。 もちろん大晦日までの間は大掃除や料理の手伝いはしますよ。 でも大晦日の夜だけは 出かけてよいとされていたので クラスメートの家に行ったり神社のお参りのために並んだり いつも元旦はへとへとでしたね。 厳しい両親だったから 大晦日だけは許してくれたのかもね。 高校生時代は 電車に乗って初日の出を見に湘南の海まで友人たちと行きました。 知らないお兄さんたちが 火を焚いていて一緒に温まろうって言ってくれて ありがたかったな。すごく寒い日だったから。

トピ内ID:472eee50419bd71a

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61歳です

🙂
こべこ
懐かしいですね。 我が家でも母は毎年大晦日に美容院に行っていました。 「綺麗にしてお正月を迎える」からだと。 両親ともに91歳で健在。 今もしそのことを聞いても「そんなこと忘れたわ」と言いそうですが。 紅白歌合戦を観ることが恒例で、というより それしか番組が無いとさえ思っていました。 でも、ある年、「細腕繁盛記」の放送が大晦日にあり、 (1970年頃でしょうか) 紅白より優先して観たような記憶があります。 それで、他にも番組があったのだと知った次第です。

トピ内ID:b52eb2b2f67276a0

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懐かしい!

🙂
クリームティー
トピ主さんより、たぶん少し年下です。 向田邦子さんのドラマとかでは、お正月には一家全員が着物で改まっておめでとう、と言ったりしてましたよね。 いや、でも、あれは戦前を舞台にしていたような。 でも、1970年頃は、授業参観に来るお母さんたちが着物ということもありました。 1965年なら、お正月の特別感は今とは比べ物にならなかったでしょうね。 お母様は、晴れの元旦に備えて美容院に行かれていたのでは? レコード大賞から紅白への移動! 懐かしいですね。 今や、紅白の出場歌手の大半が 知らない人ですが、それでもお決まりとして、紅白はとりあえず見ますね。

トピ内ID:4bd3b8724e5a2715

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特別な日でした。

🙂
あらかん
実家は電気店。 店は紅白歌合戦をカラーで観たいお客さん、年内に支払いを終えたいお得意さんでひきもきらず食事を摂る暇もありませんでした。 元日にカラーテレビを買いに来たお客さんは久しぶりに帰省した孝行息子さんでした。

トピ内ID:6af7798cb8e7c429

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八幡さま

🙂
大河最終回楽しみ
1965年生まれです。 今日は仕事の帰りに、子供の頃の大晦日は母と八幡さままで歩いて行っていたなあと思い出していました。 紅白を見て、NHKでの除夜の鐘の音をテレビで聞き、それから母は寒いからとマスクをして、2人着込んで歩いて行きました。 今思えばすごい寒い夜によく行ったものだと思います。 他の家族は家で起きてました。 何でもない、ふつーの、でも何だか泣けてくる思い出です。

トピ内ID:1e636293b80b5ec2

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7歳の頃です

🙂
とも
家は農家。土間があって確か大晦日には臼で餅をついてました。隣に住む伯父がついていたのを覚えています。蒸し上がった餅米のもうもうとした湯気と匂い。硬めのその餅米を一口もらって食べるのが大好きでした。 女達が集まり餅をまるめ正月準備、男達は神棚をきれいにして煮しめと餅を供えます。 そしてなぜか囲炉裏を大晦日に仕舞い、座敷と呼ばれた掘り炬燵のある隣の部屋でお正月は過ごしました。 いつもと違う部屋で過ごすのは子供心にも特別で格別な年に一回の行事でした。 今はもう父も母も伯父もみんないなくなってしまいました。 昭和の田舎のお正月、幸せだったなぁ。今でももうもうとした湯気を見るとあの頃を強烈に思い出します。

トピ内ID:823b1dcc74459231

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どの店も閉まっていた

🙂
メロ
昔は通常でも夕方5時頃には商店は閉まっていたが、ましてや大晦日、どこの店も皆閉まっていて家の外はシーン、出歩く人も無い。 「昔はなせ紅白歌合戦の視聴率がそんなに高かったのか?」という疑問トピを過去に見たが、当時はその時間帯、開いている商業施設などひとつも無いし皆家に居るしかない、することもないからコタツみかんで紅白視聴となってたんだと思う。 年開けに着物で初詣に行こうと着付けや髪を結ってもらう人で大晦日の美容院は大忙しだったのでは。 >大晦日に母は美容院に行っていました。 昔は新年を迎えることは特別なことでその日に新しい下着に替えたりする人もいたと聞く。トピ主さんのお母さんが大晦日に美容院に行ったのもそれと同様に身ぎれいにして新たな気持ちで新年を迎えたいという気持ちだったのではと推測。でももしそうなら、子どもにもそうするようには言わなかったのがちょっと不思議だが。 昔は静寂の中に響く除夜の鐘、厳粛な雰囲気で新年を迎えたが、今はカウントダウンで派手に賑やかにハッピーニューイヤー!私は厳粛な昔の雰囲気の方が好きだけど。 うちは紅白見て除夜の鐘を聞いて年明けと同時に家族同士「あけましておめでとうございます」と言い合って床に就き、翌朝起きてから初詣に出掛けたが、学生時代、いろいろな出身地の友達と話をしたら「年明けと同時に夜中に初詣に行く」という人や、おせちは大晦日の夜に食べるとか、家庭によるのか地方によるのかいろいろ違うんだなあと思った。 歌手の移動についてはレコ大から紅白に間に合うようにパトカーが先導したりありとあらゆる手段が取られよく話題にもなっていたが、お兄さんは耳にしたことがなかったのかな?

トピ内ID:86c3c3711301cf37

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1953年生まれです

🙂
黄昏
我が家ではお昼前から父が3人の子供を連れてお正月映画のハシゴをする日でした。 母は朝からお節料理の用意やお正月の室礼の整えなどで忙しいので、父のせめてもの協力だったんでしょう。 滅多にない外食と映画館に私達は大喜びでした。夕方7時頃 帰宅する前に必ず父が花屋さんに寄って花や枝物を買い求めていました。 家に帰ると美味しい匂いがしていました。 母が手早く花を活けていたのも覚えています。 早めの年越し蕎麦を食べながら紅白歌合戦を見て、その頃には母は家族全員のお布団の襟かけを縫い 枕カバーを替えていました。 元旦に着る新しいお洋服もいつのまにか揃えてくれていましたね。 まだ30代だった母が本当に張り切って新しい一年を迎える心情に想いを馳せるとなんだか泣きたくなります。 母は4年前のクリスマスイヴに90才で亡くなりました。

トピ内ID:c5987281318ee350

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物凄い匂い

🙂
北国生まれ
1965年よりはちょっと後ですが。 大晦日は母親が鰊を巻いた昆布巻きを作っていたのですが、これを作っている間は凄い匂いで子供の私には苦手でした。 それがン10年後には自分が鰊を煮るようになるとは、ですわ。

トピ内ID:307cd26950d06c35

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懐かしいです

🙂
りんどう
嬉しいトピをありがとうございます。 大晦日には行きませんでしたが、正月前には理髪店さんで髪を切りに行きました。 大晦日には父は残った自宅の外回りや車の掃除をして、母は正月料理を煮炊きしながら、台所の掃除をしていたと思います。 私と姉はきっとコタツに入ってテレビを見ていた事でしょう。 夜になると家族で紅白歌合戦を見ながらお菓子やみかんを食べて過ごしました。 あの頃は懐かしく愛おしい時間です。 今は両親も亡くなり、ひとりで過ごす大晦日です。

トピ内ID:a008ac71211dd9c6

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大晦日の想い出

🎶
アイボリー
1960年代後半の大晦日イメージです。 商店街には買い物客で人がワンサカ溢れてました。 日本の景気は高度安定期ですから人々の活気がありました。 正月飾りの出店もちらほら。 当時の正月三が日は商店街のお店もスーパーも閉まってましたから 地域の人達は大晦日の買い出しに気合を入れてたのかも。 レコ大と紅白は我が家でも見てましたが、 除夜の鐘を聞く頃には、両親とも酔いつぶれて、寝てました。

トピ内ID:b96c31712f53eaf8

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昭和の話です。

🙂
 ガオガオ
大晦日でなくても年末に祖母も母も美容室に行っていました。 正月は綺麗にして迎えようと言うことだと思います。 年末は祖母と母がおせち料理を作っていました。 七輪があってそれで鯛を焼いていました。 とても美味しかったです。 祖母と母は台所で一生懸命料理していました。 私と姉は二階でテレビ三昧 子供ながらに流石にまずいと思って窓拭きをちょっとだけしました。 障子の張り替えで障子を剥がすのがすごく楽しかったです。 家族みんな着物に着替えてお隣に住む親戚のお家に行ってお年玉をもらうのが嬉しくて仕方なかったです。 お隣のおじさんが亡くなってからだんだん正月らしいことをやらなくなりました。 昭和の頃の話です。 それでもまだおせち料理を作るので実家に行き私も手伝います。 ただ疲れるだけです。 昔の女性はもっともっと大変だったんだろうなと思うのが大晦日です。

トピ内ID:8df99a6956372a36

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うちの母は行かなかったけど

041
ミンメイ
>大晦日に母は美容院に行っていました。 >どうしてその日に行くのか不思議でした。  私は1968生だから私の記憶は1970年代だけど。近隣のご婦人がたはかなりの割合で大晦日に行ってらっしゃいましたね。パーマとかセットに。すんごい遅くまで煌々と明かりがついていました各美容院。勿論年始の挨拶にビシッとするためですわ。着物着るならそれ用の髪が必要ですし。 うちの母は大晦日に美容院は行かなかったけどね。いやもう大晦日はおせち作りと大掃除仕上げの同時進行みたいになってバタバタだったから、母は 「どうして皆さん大晦日にセットに行けるのか不思議」 とよく言ってました。 まあ母はパーマなしショートでしたからセットの必要はなかったといえばなかったんですがね。 行かれる方は「行く」と決めて早くから予約取って行かざるを得なくしていらっしゃったんでしょうね。 私は 「え?でも大晦日に綺麗にしても寝たら髪グシャグシャにならない?え?どうすんの?寝ないの?」 ってそっちのが不思議でしたがね。 母「いや枕をうなじのとこに当てて動かず寝るのよ。 昔、髷を結ってた時代はそれ用の、ほら、時代劇で見るあの背の高い、木の脚がついた枕にうなじを乗せて髷を崩さないように寝てたんだから。毎日結い直したりしないわよ」 私「ええええ?ええええ?本当?私無理」 母「あーでも、確かに大晦日にセットしたらもう寝ずに新年を迎える、という手もあるわよねえ、そうなさってる方もいらっしゃるような」 私「そっちだねきっと!」 ってな会話をしたことがある。

トピ内ID:ac1673aa2c873b5d

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昭和は遠くになりにけり

😷
東京在住、1960年代後半の記憶です。 最初にレスした方が仰るように、中学生の時は友人と連れ立って、夜半から初詣に行くのが流行ってました。 JR…じゃなくて国鉄は31日~元旦は終日、走ってたような気がします。 レコード大賞は『喝采』で、ちあきなおみさんが受賞したのを憶えています。たぶん当時、NHK紅白歌合戦の視聴率は60%近くあったのでは? 年が開けると、三が日の商店は全て閉まっていたような、、仙台初売りのニュースが正月の風物詩でしたね。 男子は土手で凧揚げ、路地裏ではコマ回しや羽子板で遊ぶ子供。お年玉をゲットするのに燃えていました(笑) 多くの戸建ての玄関には、正月飾りが掲げられ日の丸も。車のフロントグリルには小さなしめ飾りが…今は滅多に見られません。 三が日、浅草六区でコーヒーを飲むと正月料金で千円なんて店も。 それにしても、除夜の鐘の音が聞こえない大晦日が来るとは。。。

トピ内ID:96d400711bbfb869

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「良いお年を」。

🙂
nene
商店は早めに店を閉める準備をし、水を撒き小気味よい音でブラシをかけていました。 おかみさんたちは髪を結い、少しよそ行きの顔つきです。 会う人ごとに「良いお年を」と挨拶をする習慣が当時はありましたね。

トピ内ID:642e9c70ff6fe37d

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1969年生まれ

🙂
よめやん
なので、記憶にある大晦日は1970年代ですが…。 大晦日に理容室、はなかったですが三が日は買い物できない!とお菓子をたんまり買い込むのが楽しみで仕方ありませんでした。 母はずっとお節の仕度。 石油ストーブには昆布巻きか黒豆がのっていたなあ。 程よく固くなったのし餅を切って箱に入れるのも大晦日でした。 建て直す前の実家は古く隙間風だらけだったのに、部屋はすごく暖かかった記憶しかありません。 夜はレコ大→紅白→ゆく年くる年。 ゆく年くる年、民法は一斉に同じ放送を流していたと記憶してます。 どのチャンネルを回しても(リアルにテレビはチャンネル式でした)同じ番組が流れていたのが面白く、カチャカチャチャンネルをいじっては親に怒られてましたね。 ああ、何だかとても懐かしい気持ちになりました。 トピ立てありがとうございます。

トピ内ID:7ffa425379a8b055

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お正月には着物を着たのです。

🙂
レモネード
普段はボサボサの髪を振り乱して働いている昭和の主婦も、お正月にはお年賀の御客様をお迎えするために、着物を着たものです。だから、大晦日には美容院に行って髪を結っておく必要があったのです。今のように一般の主婦は、頻繁に美容院になど行けなかったので、密かな楽しみでもあったようです。 レコード大賞の授賞式は、今と違って、大晦日の夕方にやっていました。新人賞、歌唱賞、大衆賞、童謡賞なんていう賞があって、レコード大賞の授賞式は紅白の始まる直前でした。 だから、それぞれの授賞式が終わると、歌手の皆さんは紅白の会場へ急いだのです。それぞれの歌手の皆さんの出番は綿密に計算され、何とか紅白で歌う時間に間に合わせていました。交通事情のアクシデントで到着が遅れると、司会側に必死に繋いでいたものです。 それもこれもテレビが茶の間の主役で、紅白が国民的イベントだったからです。確か視聴率は70%以上だったはすです。 レコード大賞の授賞式も紅白も、生放送だったんですよね。本当に、今は昔の大晦日ですよね。 因みに、紅白が終る11:45に初詣にでかけて、12:00丁度に境内で「おめでとう」と言い合うのも、私の地元では定番でした。浦安のテーマパークが出来る、遥か昔の話です。

トピ内ID:7e0ecf78e7538b8f

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とてもいいトピですね

🙂
まめこむ
皆さまのレスも含め 読んでいて懐かしさが込み上げてきました。 大晦日からお正月は特別感満載でワクワクして過ごした記憶があります。 その頃のお正月は初売りが始まるまでどこもお店は休みでした。なので家族で年内のうちに たくさんのご馳走の買い物に行って… お店の中も買物客でぎゅうぎゅう詰め、でも楽しかった。 50年前の懐かしい情景を思い出させてもらいありがとうございました。

トピ内ID:ce956bb428339aca

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1959年生まれです

🙂
アラカン
大晦日は毎年、母がブリ1尾を捌いて刺身や煮物を作っていました。 豆を大鍋で煮て、年明け4日頃半分以上捨てるのは恒例行事。「皆食べないから作るの止めて」と言うのに加減を知らない母にイライラ…。 レコ大と紅白を観てコタツで暖まっているのに、真夜中家族全員を引き連れて寒い寒い初詣に行く父にもイライラ…。 なんか嫌だった…年末年始はウンザリした思い出しかありませんね。

トピ内ID:6f4cf86319c377b7

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まだ産まれてないですけど

🙂
匿名
十数年後でも 三が日は親族が集まり、嫁たちは、ずっと裏方を着物に割烹着を着てこなしてましたから 年末には美容院に行く人は多かったとおもいます 集まるのは、正確にはもっと早くからで、通いの人・泊まりの人がいますけど、煤払い・餅つき・正月飾り・おせち作りなどを親族でして、我が家は通い組だったので仕事納めのあと自宅の障子の張替ほか大掃除、自宅の正月飾り・おせち作りも別にして 母は時間をつくって美容院に行っていたのではないかとおもいます(途中から美容院不要の髪型に私たち子供が学生中はしていました) 大晦日は一度自宅に帰って入浴し、小学生までは祖父母宅で年越しの御食事をいただいていたかとおもいます お座敷にお膳で、どんどんお燗や料理を運び 子どもたちはお運びの手伝いをすることもありますが、別室の炬燵で交代で夕食を頂き、紅白をみていました 正月は肌着も服も新品で、箸や歯ブラシも新しいものをおろしました 朝食は自宅で頂き、挨拶に伺い 誘い合わせて初詣に行き 親は大本家はじめ何軒か年始にまわり 夜は宴会 我が家は買い出しも近くにお店ができるまでは大変でしたが 祖父母宅はサザエさんのようにツケ帳で月末払いで届けてもらえたのも、印象的でした

トピ内ID:c800e56b4c3cbc01

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お正月には着物を着た

🙂
アンモナイト
私は幼稚園くらいでしたが、お正月には着物を着る人が多かったと思います。 そのために、大晦日には日本髪を結ったりしていましたよね。 今ではそんな人はいないので、美容院も大晦日はお休みだそうです…行きつけのお店で聞きました。 今は初詣の中継を見ても、着物の人はせいぜいその年に成人式を迎える人くらいですね。 レコ大って確か武道館でやってたと思います。 そこからNHKは、たいした距離ではないので車を飛ばせば間に合いますね。 そういうことは、大人になってから知りましたが。 年始には父の実家(徒歩圏内)に行きましたが、 母が三つ指をついて、祖父母に年始の挨拶をしていました。 ザ・嫁って感じでした。 私はそんなこと、産まれてから一度もやったことないですねー。(笑)

トピ内ID:6b8ec6710340600e

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カラーテレビ

🙂
ゆき
1970年くらいですね。 叔父の家で、商品であるカラーテレビに線を繋いでレコード大賞からの紅白歌合戦を見ました。 店で床にシートを敷いて座って見たので、寒かったのを覚えています。 数年後の話、夕食後も台所で忙しくしていた母が「美空ひばりさんになったら呼んで」と言ってました。 また、数年後の話、紅白歌合戦をテレビとラジカセを繋いで録音してました。(多分ラジオでもやってましたよね)

トピ内ID:de27770a3a6004d0

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たぶん新年だから

🙂
ん?
正月の客を迎えたりこっちが出かけたり初詣があったり そのころはデパートにいくのも余所行きのスーツをきたりだったようですね そのためではないでしょうか 生きてれば120歳くらいの祖母は毎日着物姿で、髪は普段は自分で結ってましたがイベント時は美容院でセットしてもらってました

トピ内ID:233b32d08fef46d9

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もう一世代前ですが

🙂
おーじん
1965年というと高校3年生受験真っ只中でした。大晦日は受験勉強をするからと言って下宿先にとどまり、実は友人宅の離れで悪友数人と騒いでいました。その時炭火で鍋をやっていたのですが、窓を締め切っていたのでとんでもないことになりました。幸い気づくのが早く、なんとか頑張って窓も玄関も開け放して空気を入れ替えたおかげで九死に一生を得ました。気づくのが遅れていたら新聞記事になっていたでしょう。「進学校受験生、宴会で一酸化炭素中毒死!」なんて社会面を飾っていたかもしれませんね。  それより前の中学生の頃までの大晦日は昼間は家業で使う道具の手入れを手伝ったあとは夜は紅白歌合戦、終わると下着からすべてを着替え始めて除夜の鐘が鳴り始めると同時に家族総出で徒歩20分くらいのところにある神社へ初詣に行きました。行きは喋ったらだめということで寒い中を黙々と歩いていったものです。  初詣を終わらせて自宅に帰るころには早いものでもう年賀状が届きます。父親あてには数百枚届いていたので、みんなでそれを見ながらお菓子を食べて徹夜をしたものです。  だからずっと初詣は年がかわるとともに行くものだと思っていました。懐かしい思い出です。

トピ内ID:4bc9bc724e51d95c

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小さい頃・・・・

🙂
ぷ~にゃんパン
50代ですが小さい頃、暮れに親戚が来て、親は自営のお店をしていたので仕事をしていて、叔母がおせち仕上げと夜皆で食べる食事を作ってくれてましたね。 母が近所の衣料品屋さんにて、下着類や服を買って来て、これをお正月に着なさいと用意してくれました。 夜、親達がお店を閉めて、親戚と一緒に宴会。 とは言ってもお酒を飲むのは叔父のみ。親戚は夜に帰る。 お正月はおニューの服におニューの下着ってのが定番でしたね。 うちではお正月に新しい服が買ってもらえるって習慣でしたね。 お正月の朝、枕元に用意された服を着て、皆でお雑煮とおせちを食べて テレビを見てコタツでゴロゴロするってのがうちの定番だったな。

トピ内ID:74a4e27108848f2c

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人生で初めての徹夜

🐶
柿本マシュマロ
小学校高学年の頃、1971年の大晦日でした。 家族はみんな「紅白歌合戦」を観ていたのですが、私は近所の 叔母の家に行って、「ゴールデン洋画劇場」の「エルダー兄弟」 を観ました。その後は自宅に戻り、家族が寝静まってからも 一人で起きていて、「暁の用心棒」という映画を観た記憶が あります(東海地方のローカル局)。 明け方に朝日を見るために学校の校庭に行ったりして、結局 初めての徹夜をしましたが、翌元日の夜はさすがに睡魔に勝てず にうとうとしてしまい、はっと気がついたら「8時だよ全員集合」 が始まって30分も過ぎてしまい、悔しい思いをしましたね。 とても懐かしい思い出です。

トピ内ID:39cd035ac9f41dd2

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60代半ばのおばさんです。

🙂
花杖
銀行に就職しまして。いまは、大晦日は お休みですが。当時は、大晦日まで仕事 でした。いまでも記憶に残っているのは。 仕事帰りに。乗換駅だったかで、歩いて いたら、レコード大賞の中継が放映されて いました。ジュディオングさんの"魅せられて”  ああ、今年の大賞は、この曲かと思いました。  だから、大晦日が日曜日だったら。ちょっと うれしかったかな?4連休になりますから。 御用始めの1月4日が日曜日・・・と言うのもね。 4連休になるから、うれしかったかな?  年の瀬になるとたまに思い出します。

トピ内ID:e4fe7956bcc89b4d

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元旦には着物を着るから

😀
昭和の子
元旦は年神様を迎えたり、初詣に行ったり、年始に訪れたお客様をおもてなしするため、どこの家庭でも着物(晴れ着)を着ていたので、それに合わせて髪もセットしてもらっていたのだと思います。 元旦はお店はお休みしてしまうし、60年代なら洗髪は数日に1度というのが当たり前(古い銭湯に行くと、昔の料金表が残っていて「洗髪料」が別途書いてある所もあります)だったので、大晦日にセットしてもらったら、そのまま崩れないように気をつけて、三賀日はそのまま過ごしていた。(寝る時には崩れないようネットで保護。そういう日のために箱枕が残っているお宅もありました) その年代だと、毎日髪をセットし直してもらっていたのは、お金持ちか水商売の方くらいだったと思いますよ。 母と伯母が、ちょうどその時代に美容院で働いていて、水商売のおねさんやママさん達も贔屓にしてくれてるお店だったため、毎年年末は大忙しで、クリスマスには差し入れだと言って、当時はまだ珍しかったクリスマスケーキを山のように頂いたり、お寿司を取ってくれたりしたそうです。(忙しくて食べるどころではなく、仕事の合間に乾いたお寿司を摘んで空腹を凌ぎ、仕事終わりにケーキの箱を両手に下げて帰るのが恒例だった) 大晦日には、一般のお客さんも加わって、徹夜で着付けとセットの仕事をしたそうです。

トピ内ID:eaa723759d736272

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子供の頃の思い出

🙂
昭和の子
連投失礼します。 80年代に子供時代を過ごしました。 当時住んでた家の近所に、小さな神社があって、町内会で管理してました。 大晦日には役員の人たちが甘酒を用意して、初詣に来た参拝客に振る舞うのが恒例でした。 私も12時になると親に連れられ、毎年参拝にゆき、顔馴染みのご近所さんと新年の挨拶をして、甘酒を飲むのが、我が家の年越しの恒例行事でした。 あと、普段はホットプレートで焼肉派だったのですが、「すき焼き鍋が錆びる」という理由で、毎年大晦日の夕飯には、鍋のメンテナンスのために、すき焼きを食べる習慣がありました(笑) そのすき焼き鍋も、引っ越しの時に処分してしまい、現在の我が家の年越しの恒例行事は、テレビでジルベスターコンサートを見て、新年のカウントダウン終了と同時にスパークリングワインを開けて乾杯する…というものです。 たまたまクリスマス前後に買ったかもらったかしたのが残っていて、やり始めたのが始まりですが、気づけば30年近く続いてます。

トピ内ID:eaa723759d736272

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美容室の息子。完全な愚痴。

🙂
解決ハリマオ
母が美容室を経営し、自宅兼美容室でした。 母一人子一人の家で、私にとって1年で一番嫌いな時期でしたね。 順番待ちのお客さんやロッド巻き終わって待機中のお客さんが炬燵に入って来て、一緒に紅白観なきゃいけない。 いろいろしゃべりかけられるが苦痛で苦痛で。 店がパニックになると呼ばれて、掃き掃除、ロッド巻きの補助、干してあるタオルを入れて畳んで補充する、買い物に行く。 その当時小学校低学年でしたが、ハッキリ言って地獄でした。 私の御飯は母が昼の分も夜の分も弁当箱に入れて炬燵で温めてるんですね。 おんなじメニュー。 大晦日は陽の出る前に開店して、閉店がだいたい深夜2~3時。 母の機嫌は疲れ果ててて最悪。 ホント地獄ですよ(涙) 元旦は母が一日中寝てて、2日は開店が早朝3~4時。 その日は髪をアップにして着付けが凄い数。 着付けは部屋にお客さんを上げるんですが、狭い家なんで私の居場所がない。 でも、流石に店閉めるのは早かったかな。 女手一つで育ててくれた母には感謝しかないですけど、小学生の時には何でこんな家に生まれて来たんだろうと思うばかりでした。 楽しいトピなのにこんなネタですみません。

トピ内ID:22347f15768c4710

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