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私わたしという私

レス26
(トピ主 1
🙂
話題
またしても 私わたしという私 八十路を越ゆる 齢となりても 街角の掲示板に書かれてた言葉です。 どなたか、意味を教えてくださいませんか。

トピ内ID:a17fd222439db0c6

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自己主張し過ぎ

🙂
匿名
幾つになっても 自己主張し過ぎの私 かな

トピ内ID:9ad617f4d00a797e

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皮肉かな

🙂
三十路
80歳を越えても、 『自分が一番』と思う私。 いい年なのに、幼いままの自分を皮肉めいて書いたのでは?

トピ内ID:44608f03f378fd94

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いくつになっても

🙂
ばんび
自我がなくならない、ということではないでしょうか。 私は五十路ですが、いつも反省してます。

トピ内ID:879463b1b5915ded

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過剰なる自己主張

🙂
ICHICO
ある意味、素晴らしいうたですな。 これは私の意見です。 世のなかに、いつでも「私はね」と私を主張する人はいるんです。 でも、正直見苦しい。 私の近くにも、いつでも何でも「わたしはね」とアピールしてくる人がいます。  ですから、最初に書いた通りに それに気づいて自己反省も兼ねている詩?唄?は素晴らしい 自覚があるからかける言葉です。 で、最終的に「そういう私を見て!」というSOSでもあるかもしれませんね。

トピ内ID:7040cb7a73d74169

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お寺にあったのでしょうか?

🙂
朝雄
お寺に貼ってあったのならお寺で聞いてみたら楽しいと思いますよ。 80過ぎても自我が強くていやんなっちゃう。

トピ内ID:48a5f4b44701efb0

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自省?

🙂
つきのした
詩や俳句は全然わからないのですが、なんとなく、自省のように感じました。 「また自分の考えを押しつけてしまった」や「自分のことばかりだった(気遣いが足りなかった)」などと、あとから気づいて悔やんでいる感じでしょうか。 「八十路を越ゆる齢となりても」やっちゃった、「八十路を越ゆる齢となりても」まだ自分中心の意識が捨てられない、という風に取りました。 でも、自分も年を重ねて思うのですが、年取ったからといって仙人や仏様みたいにはなれないですよね。 私も、この先ずっと「あーまたやっちゃった」と反省したりくよくよしたりしながら生きていくと思います。 なんて、解釈が当たっているかはわからないのですが(笑)

トピ内ID:85da74d5b9d58d15

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私はこう読みました。

🙂
nene
老齢に達すれば、私も少しは達観した人間になっているだろうと想像していましたが 八十歳を超えた今も、時折生来の我儘が顔を出し、 そんな自分にほとほとがっかりしてしまうのです。

トピ内ID:68425b809d8afbeb

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想像ですけど

🙂
そら
80歳にもなったのに、良くないと分かっているのに、ついつい「私は」「私が」「私の」と「世界は私を中心に回っていると思われるような発言」ばかりしてしまう、反省…では?

トピ内ID:b962043f3e232e34

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レスします

🙂
ミントいちご
「(他者の気持ちや立場を考えず、いつも)私が、わたしが、と主張する人。80歳を越える年齢になっても(幼子と同じレベルで少しも成長がない)」という意味だと思います。 私、わたしと自分のことばかりを主張するな。 周囲を良くみて周囲のことを良く考えて行動しなさい。 そうでないと80歳を過ぎても自分のことしか考えられないままであろう。 という教訓のような気がします。 真意は書いた人にしかわかりません。 もしかしたら、書いた人は年老いて80歳を越えた親のワガママに振り回されて心身が疲弊しているのかもしれません。

トピ内ID:6cfdeabcf3a566e4

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自己流の解釈ですけど

🙂
むにゅ
特別な勉強をしたわけでなし、素養があるわけでもないので、完全に自己流の解釈ですけども、次のように思いました。 わたしわたし、と私が出てくる、 自己中心的というか、出しゃばりな面のある、八十すぎのおばあさん(おじいさん?) あなた様が先に出てこなくて どの話も結局いつのまにか「わたし」の話になってしまう高齢者、いるでしょ? もう、話にせよ、順番にせよ、車にせよ、ハンドルは他の方におまかせして、自己を抑えて他人を盛り立てる側にまわるような、そんな気遣いができるだけの年輪を重ねたはずなのに、 ああそれなのに、わたしわたしという私 視野がせまくなってますね。 そういう、自己をいさめる言葉だと思いました。 いかがですか、と聞かれて 私は大丈夫 と答える。 そりゃ、大丈夫なのはよかったですけど、and you?が出てこない。 あるいはご家族いかがですかの意味もあっただろう場面でも、わたしのことだけ。 それじゃ、ものを知らない若輩者と同じになっちゃう。80なんだからさ・・・ ということかな、と思ったのですけれど、いかがでしょう。 他のお方の解釈を伺いたいです。よろしくお願いします。

トピ内ID:4678ab230cf9ea4a

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いくつになっても煩悩は抜けない

🙂
メロ
「そんなこと、書いた人に聞かないと、知らんがな」という感じですが、 無理矢理想像してみたら、「年を取れば悟りを開けるか」と思いきや、いや、まだまだ、そんな高齢になっても自我の強さが抜けきれない、「私、私」と自分を押し出してしまう、「私私、私を見て、私を優先してちょうだい」と煩悩を振り払い切れないって意味なのか? よく寺の塀の掲示板に、住職の書いた意味ありげな文章が貼ってあるのを見掛けることがあるが、そういう類のものですか?

トピ内ID:4452c68088d2e99d

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いい歳して自己ちゅーな私

041
フ号
もう八十歳過ぎたというのに、年甲斐もなく、 私がわたしがと人を押し退け、我を通す私、 気をつけているつもりだったのに、またやってしまった。

トピ内ID:47911684f89f8220

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こんな感じかな?

🙂
私も50代
煩悩にまみれる 利己的に生きてしまう 80を過ぎてもなお… という事でしょうかね。

トピ内ID:f7879eaea32a1389

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ただ、感じるだけですが・・・。

🙂
散歩
若い頃には、私中心に生きてきました。 「私は、こう思う」「私に、文句は言わないで」 「私に干渉しないで」「私が正しい」「私はきれい」 「私の物よ」「私の方が上よ」・・・など。 「私、わたし」と私を主張しながら、生きてきました。 年取れば、私だって成熟し、他人に対して、おおらかに 気遣いができると、思っていましたよ。 ところが、80過ぎた年になっても、「私、わたしと 相変わらず、主張しながら生きているよね。私ってバカね」 と、軽く反省している言葉?でしょうね。

トピ内ID:727cee2cb0e0166c

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えっ

🙂
りーず
そのまんまの意味ですよ。 外国の方だったらごめんなさい。

トピ内ID:3f3bd57ac6cdda95

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どういう掲示板なんですか?

😉
お玉
町内会?掲示はそれだけで何の署名もないんですか? あくまでも私の推測ですが、平均寿命である80代を迎える年齢になっても悟りの境地に遠く、未だに「私が〜」「私は〜」と自分中心の言動が出てしまうという事ではないですか。諺の「三つ子の魂百まで」を連想しますね。 2行目「私私という私」ではパッと見て分かりにくいので、2つ目の私を仮名にしたのでしょう。どなたかの短歌ですか。

トピ内ID:88669303072f5d34

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そのままの意味でしょ

🙂
えへ
80歳という高齢になっても、 「私が、私が」って自分中心になってしまっているっていう反省?のような意味じゃないの

トピ内ID:d6ded2abff79def1

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それは

🙂
とろろ
幾つになっても自分本位な自分を嗜めたものかと。 「私が、わたしが」と八十歳を超えても未だ言っている。 そうなりたくないですね。

トピ内ID:085cc3e9c7787e7c

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自分ファースト

🙂
木の葉
自分自分.... たまにいますよね、そういう人。 80歳を過ぎても、自分1番という考えという事だと思いますよ

トピ内ID:6fada044a0753365

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自我に囚われてる、ですかね。

🙂
なんだそら
80歳。もういいかげん人にゆずる気持ちになっても良さそうなのに、この歳になっても、自分、自分と我を通してしまうなあ…といった感じかなと思いましたが。 どうぞ、と人に譲れる人間、謙遜さを示せる人間になるにはまだまだだなぁという自戒かと。 どこで見たんですか?

トピ内ID:f346ffdce640d024

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意味は申しあげるまでもない

🙂
一灯
街角に書いてあったというのだから、通る人たちへの、 戒めを込めているのでしょう。 お寺さんの、御門の脇の掲示板などに時々見られるような、 「自戒、反省」を促す言葉に共通していますね。

トピ内ID:8e3dbc382767c21d

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短歌  (破調)

🐱
むらくも
またしても 私わたしという私 八十路を越ゆる 齢となりても 詳しくないのですが全体のリズムから、自由律というより破調の短歌だと思いました。 二行目の解釈ですが、 ・頭の「私」と「わたし」が、うっかりダブってしまった。 ・意図したものだとすれば「私」を強調した一風変わった表現ともとれる。 八十歳にもなって、またしても「私」という「私」を思い知ってしまった

トピ内ID:33ea67807fca50cf

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自分のことばかり?

🙂
匿名
80にもなって私ったら自分のことばかり…(意識が自分に向きすぎて辛い?) ということかなと思いました。 「私わたし」というのは「一人ひとり」と同じように「私」を強調するために同じ言葉を繰り返し、読みにくいので次の「私」は漢字を開いて表記したのではないでしょうか。

トピ内ID:297b34108c55f390

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レスありがとうございます。

🙂
トピ主
お寺の掲示板に達筆で書かれてありました。 越の字辺りは自信が無く、前後から推測したかも。(苦笑) 我を出すのが苦手な私。 ある意味、影が薄いというか そんな私がこの言葉から感じること 羨ましい…です。 もうちょっと前に出ていたら 人生変わってたかなと…。

トピ内ID:a17fd222439db0c6

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感慨深い

🙂
通りすがり
読み手の感じ方次第で、如何様にも受け取れますね。 お寺の掲示板て、 立ち止まって、自分と向き合う言葉が書かれていることが多いですね。 私は『自分らしく生き抜く』と読み解きました。 人に対して、私わたしという私ではなく、 自分に対して、私(は)わたしという私。  子どもの頃から、私はわたしでしかなく、私でいいと思って育ちましたから、恐らく死ぬまで変わりません。 これは、わがままを言って、周囲に迷惑をかけることではありません。 想像力は悟り手の自由ですから、 東大寺の園児として育った私の、仏教の教えかも知れません。

トピ内ID:5894c77b1451eff2

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いや、まさにそれじゃない?

🙂
そうねぇ
>もうちょっと前に出ていたら >人生変わってたかなと…。 まさにそれじゃない? ホラ、私わたし、ですよね。 私がもうちょっと前に出ていたら、私の人生変わってたかな、私わたし…。 もう少し、自分のことばかり考えずに外に目を向けなさい、ということではないかな。 ま、80歳超えてもできないんだけどね、難しいよねー、と、フォローもしっかり。 さすがお寺、ダテに1500年の歴史はないですよね。

トピ内ID:e3a5a21ebade27a0

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