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幼少期の寂しかったor寂しくなかった理由を教えてください!

レス13
(トピ主 1
🙂
moco
仕事
こんばんは。現在1歳の息子がおり、半年後に時短正社員で復職予定です。 産前はかなりの仕事人間だったのでキャリアを大切にしたいと思っていたのですが、息子を育てている中で、忘れていた自分の幼少期の寂しい思いが溢れてきました。 うちは父母共にバリキャリで、2ヶ月から保育園〜学童〜鍵っ子コースでした。 夕方以降や長期休みは祖母が面倒をみてくれていましたが(感謝していますが)、世間体をかなり気にするタイプで、こんな物着たらダメ!なんでこんな物が好きなの?みっともない!と言われるのが嫌で自分の好きな物や事は隠していい子にしていました。 毎晩テレビを見ながらドアを見つめて、いつ母が帰ってくるか待っていたのを覚えています。 小学受験をしたので地元の友達が少なく、一人っ子だったのでなんだか孤独でした。 そのせいか、中学くらいまでほとんど記憶がありません。不思議なくらい。 親は多忙ながら土日には外に連れて行ってくれたり、一緒に料理やスポーツをしたりと愛を注いでくれていたようですが、残念ながらほとんど覚えていません。 そして高校からグレて家に帰らなくなりました。 今思えば、愛に飢えていましたねぇ。どうにか恋人がいない期間を作らないようにしていました(笑) それでも、本当の自分を愛してくれる人はいないのではないかとも思っていました。 長くなってしまいましたが、、! 私と同じように多忙な親をもちながらも幼少期に全く寂しくなかったという方もいらっしゃるし、同じように寂しかったという方もいらっしゃると思います。 皆様の幼少期の寂しかったor寂しくなかった理由を教えてもらえないでしょうか。

トピ内ID:3679de8a53312b61

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寂しかったのだろうと思います

🙂
わーまま
3歳までは、母も専業主婦で 愛情をたっぷり育てたそうです 覚えてません その後いれられた保育園で、あまり対人関係がうまくいかなかった記憶の方があります それは、私個人の性格によるものかもしれませんが もっと幼いころから保育園に入れられた下の妹と弟はその辺の苦労はしてないように見えます 私も、もっと早くから入れてくれたらよかったのに 若くして結婚し、私を出産した母に文句を言っても仕方ないですが 正直、あまり子育ては上手とは言えないと思っています 私の子供のころは学童もなかったので、自由気ままに過ごしていたと思います いつもは家の鍵を持たせていたのに、ある日忘れてしまって 家に入れなかったときは、泣いて近所の人に助けられました その時はさみしかったのだろうと思いますが どうなんでしょう? 母に会いたいよりも、困ったと感情の方が強いような? 結局うちら兄弟、学校はほどほどに荒れてましたが みな真面目な生徒でした 秘訣は何でしょう? 全体的にサバサバした性格だと思います。 一人が好きで、一人でいれるメンツばかりです 荒れなかった理由はこっちだと思います 結局真面目な親の遺伝でしょうか? 割り切って一生独身もありえたけど それでもみな結婚はしたので、普通なのかな? 私もよく、子供がかわいそうとか言われることもありますが 私みたいな妙にドライな人間より、子供好きであろう保育園の先生の方がいいと思ってます

トピ内ID:8567fa4c85e3aad9

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寂しくなかった派

🙂
まる虫
同じような感じで、祖父母はいませんでしたが、姉はいます。 学童も行かず夏休みも子供だけで過ごしてました。 昭和ですので…。 うちも多分寂しがり屋だったら、 グレてもおかしくない状況だったと思います。 あまり良い両親ではなかったですし。 そうならなかった理由は、 1人で楽しめて、且つ妙に冷静な性格だったからだと思います。 私はごく普通の中学生活を送り、 テンプレ少女漫画の様な キラキラ楽しい高校・大学生活を送りたい!と当時から切に願っておりまして。 グレちゃったら違う漫画になっちゃうじゃん、 と思ってたか思ってないかは忘れましたが、まぁ今の親との交流?より、自分の将来のが大切!と言うそんな感じの子供でした。 後、やっぱり姉がいたのも大きいかな。彼女が中学に入るまでは、 よく一緒にいましたし。 お陰でキラキラ出来て悔い無し、です。

トピ内ID:d7f705857681ac3a

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寂しくなかった

🙂
専業主婦よ
うちは自営業で、母もとても忙しく、夕食もバタバタな感じでしたが、寂しくなかったです。 私が何か食べたいというと、大抵翌日の夕飯にそのおかずが並んでたのが、凄く嬉しかったです。困った時に相談したら、全力で力になってくれたし。父も母も、私が悪くても心から反省して素直に話すと、怒らずに話を聞いてくれる人でした。 それと、国語の音読の宿題がでると、時間のない母は入浴中に聞いてくれました。脱衣所の足拭きマットに座って、音読したものです。 忙しいけど、子供の気持ちに寄り添って、頼りになる母でした。PTAの役員も兄や姉の頃から10年以上ずっとやってて、学校にも顔がきいたので、私の小中学校生活も、結構把握して、私の事に関心を向けているのもわかってもいました。 兄は大変優秀で、父と同じ医師になりましたが、文系の私は早くから医師にはなれないだろうと、両親は感じていたと思います。それでも、満点のテストを見せると2人ともとても褒めてくれたし、中学で学年一位だったとかになると、母は大喜びしてくれました。そして、高校になり、私が文系選択でいいかなと言うと、2人とも、全く問題ない、なりたいものになったらいいと言ってくれました。

トピ内ID:df53ae857a4f17c1

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寂しくはない

041
ももいろのきりん
いわゆる鍵っ子ではありましたが、 小学校では放課後部活動もしていたし、 帰宅すれば弟もいたので寂しくはなかったです。 むしろ、帰って親がいなくておやつが置いてあって『ラッキー!』と思っていた方です。 独立心旺盛だったのかも知れません。 『おかーさん居ると宿題やれとかお風呂入れとかうるさいなァ』とか思ってました笑 父と違い、母はあんまり甘やかしてくれるタイプではなかったので。 あと字を覚えたのが早くて、めっちゃ本を読む子供だったので、1人にされても本を読んでいればホントに平気でした。 その点は親もラクだったと言っていました。

トピ内ID:434c9706825060c8

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念願の犬を迎えて 寂しくなくなった

🙂
通りすがり
ずっと犬が欲しいと言い続けてたのだけれど、飼っては貰えず。 たまたま近くの商店街の寿司屋さんの雌犬が8匹子犬を産んで 貰ってくださいの貼り紙を見た母が ネギなどがはいった買い物籠に一緒に入れてきた白い紀州犬(の雑種)母犬は紀州で父犬が不明なので雑種としましたが 特徴などは紀州でした。 雌のほうが大人しいと聞いて 一匹貰ってきてくれました。 あの日の感動はわすれません。 ネギの横から顔出している子犬の愛らしいさ! (今ならネギの隣はNGだろうけど) それからはずっと 高校2年まで私の親友犬でした。 父の趣味が射撃と狩猟だったため 訓練したらそんじょそこらの猟犬より 賢くて父にとっても相棒となりました。 一緒におままごとすると ちゃんとござの玄関から入ってきて(教えると) 優しい犬でした。 私が叱られて庭に出された時も 鼻で私を自分の小屋に入れて 寒い日に 入口に犬が踏ん張って寒さからも守ってくれました。 犬が来る前は本当にひとりぼっちで、行くとしたら近所のご隠居さんたちの離れだけ。 私は3年生まで病気で学校に行けな日が多かったので 犬の存在は大きかったですね。

トピ内ID:b1c4784bf7441724

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本当は寂しかった

🙂
順子
母は仕事でいつも多忙でした。 体力がないので仕事が終わると疲労困憊。 それでも食事のしたくはいつもしてくれました。 遊びに行くことはあまりありませんでした。 母の体力もお金もなかったので。 子供のころは寂しいと感じませんでした。 いつもひとりでいるのが当たり前で考えたこともなかったというのが正直なところ。 「アンタなんかいらなかった」と母に言われても黙って我慢してました。 でも自分が子育てし始めてやっと気づきました。 私は抱きしめてもらったことがない、膝に乗せてもらったこともない、心の交流もないし悩みを聞いてもらったこともない。 世話はしてもらったけれど可愛がってもらった経験がないのです。 困りました。 可愛がられたことのない人間は自分の子供の可愛がり方がわかりません。 スキンシップと声掛けを心がけましたが成長した子供には「親失格」と言われました。 愛情が足りなかったらしいです。 子供のころから中年まで爪噛みという悪癖がありました。 寂しかったのに自覚がありませんでした。 幼かった自分を自分で抱きしめて「大好きだよ」と言ってあげたい。 一度もなかったので。

トピ内ID:ca9b22705ba46df9

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令和の今では当たり前ですが

🙂
てちこ
昭和では珍しい母はバリキャリ、父はイクメンの家庭で育ちました。 二世帯で祖父母もいたので生活面で不自由した記憶はないのですが、母親にもっと家にいてほしかった、一緒に遊びたかった、出かけたかった、という気持ちがずっと残っています。 父親や祖父母の愛情では埋められない何かがあるのかなーと思ってますが、3つ上の姉は全く寂しくなかったそうで(姉はパパっ子だった)親と子供の相性とかもあると思います。

トピ内ID:fb51b4ac2b9013e8

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全く寂しくなかったです

🙂
ふう
共働きで保育園に通いでしたが、家族がお迎えに来てもまだ帰りたくないと駄々を捏ねていたらしいです。 小学生の時も鍵っ子でしたが、不思議と全く寂しくなかったです。近所の習い事には1人で行ってましたし、その他の日は誰かしらと遊んでいたと思います。 1日にゲームをしていい時間も決まっていたので、親が遅くなる日はたくさんゲーム出来るー!と喜んでました。笑 共働きでも、たくさん愛を貰っている自覚が子供ながらにあったので、全く不安にならなかったんだと思います。心配性で過保護な親だったので、専業主婦だと鬱陶しくなってそうな気もします。

トピ内ID:16965d3ef5b7de63

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ありがとうございます!

🙂
moco トピ主
貴重なコメント、誠にありがとうございます。 皆様の体験談、すごくタメになります。 なぜか自分の中で環境的要因しか頭になかったのですが、確かに根本的な性格というところが大きいですよね。 1人や1人遊びが好きだったり、客観的な視点があったり。 私は結婚するまで、帰宅してから寝るギリギリまで常にテレビを付けっぱなしにして他に人がいる感を出していたので、確かにかなりの寂しがりですね(笑) そして、距離が近い兄弟やペットなどの存在も大きいですよね。 忙しくても、きちんと子供に愛情を伝えて個性も受け入れてくれる親御さんは本当に素敵だなぁと思いました。私もそうなれるように頑張ろうと思います。

トピ内ID:3679de8a53312b61

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寂しくなかったです

🙂
こずえ
親が仕事の間、お菓子食べてリビングでゴロゴロしていた時は幸せでした。好きなテレビ番組は見れるし。週末一緒に過ごしていたので、特に寂しくなかったです

トピ内ID:506afd3bac2047df

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比較対象があり寂しかった

🙂
パン屋
8歳離れた姉がいます 私が生まれた後から専業主婦だった母が働きだしました と言うか‥ 父が飲食店を始めて自営業になり夜も遅く帰ってくるようになりました 両親ともにです 隣りに住んでる祖母がご飯とかしてくれてました 夜は自宅で姉と先に寝て親を待つ(祖母は、就寝早し) 一緒に一度だけ行った家族旅行 小学生だけどとても覚えてます 楽しかった 姉は、ある程度まで専業主婦の母を経験しており 洋裁で服を手作り おやつや食事も料理教室に行き手作りなどの母の話しを聞くにつけて‥誰の話し?と思いました 同じ母なのか?と 休みの昼食は、チキンラーメンばかり(祖母は、どこか行ってた?)  自分で出来るから 自営業なので、土日もなし トピ主さんが親の愛情注いでくれた面を覚えてない事に驚きました 私は、姉との待遇面の違いに寂しさを感じた時期はありました こんなものなかなと慣れてからは淡々と過ごしてましたね 父が中学入る前に急死したので 思春期は必死 奨学金借りて高校行ったり 道をまっすぐただひたすら歩く事しか頭にありませんでした 性格的には、1人時間もかなり好きです むしろ1人になりたい時あり 姉は成人して、おばさんになった今でも寂しがり屋ですね 比較対象(姉)がいるから寂しさを感じた例です

トピ内ID:9770467e5cf8499f

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寂しかったです。

🙂
さばとら
私は3歳まであまり喋らなかったようで、2歳ごろの記憶なら断片的に持ってます。 妹が生まれた時自分は2歳4ヶ月でしたが、構ってもらえなくて不貞腐れてたら(おそらく超絶な駄々をこねていたと思われるが、そういう意識はない)普段優しい父にも怒鳴られ、 怖かったのを覚えてます。 妹が生まれたのになんで喜べないのだ!みたいなことかな?意味はわからないけど責められたように感じた記憶はあります。 当時の気持ちを言語化するなら、「それ私に関係ないし」みたいな腹立たしい気持ちでした。でもやっと会えた産後の母は、嬉しそうに誇らしそうに笑いかけ、私をベッドに入れてくれました。たぶん2歳の私は母に会いたかっただけなのでしょう。 妹が生まれる前、姉は年下の私をよく馬鹿にしてました。 いいえ、実際にはバカにしてないと思います。 「もおー、○○ちゃんはこれもできないのかぁ」と、拙い2歳児の行動を4歳児なりに可愛がってくれていたのでしょう。 が、生来の負けず嫌いでうまく喋れないわたしにはこれはバカにされてると感じていました。 でも足ははやく歩けないし、姉のようにはできないことだらけで、憤懣やる方ない、という表現がぴったり。 当時のわたしに喋らせるなら「人のできないことからかって笑ってんじゃないぞボケェ」といったところです。 まあ2歳でこれですから、基本的に環境と性格が合ってなくて、 その後も家族と分かり合うのが難しくて。 3才以降言語を手にした私はもはや親には手をつけられない暴れん坊となり、 相互理解のないまま大人になりました。 寂しかったですが彼らなりの愛情はかけてもらったと思いますよ。足りなかったけど寄り添ってくれたとも思います。 たくさん楽しいことや嬉しいことも受け取っています。 わかってほしいと願うこと自体が無理な要求だったと、今は考えてます。

トピ内ID:36990296aa648708

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寂しかった

🙂
ルート
とはいっても私の母はパート程度で夕方には帰ってきてましたし 兄もいたし近所に遊べる子もいましたから 寂しくなる要因って少ない気がするのですが でも子供の時はなんだか寂しかった記憶が多いのです。 今(40代)でも子供の時の夢を見るのですが、とにかく周りに誰もいなくて寂しい光景なんです。 なんでかと自分で思うのは、親が放任だったから。 昔の人で自分も放ったらかされてた環境だったのでしょうが 特に生きるのに毎日必死というわけでもないだろうに私の事はあまり気にされてなかった、 そんな記憶なんです。 うちは家族で出かけるという事も極端に少なく 宿泊するような家族旅行も1度もないのです。 何にもなかった幼少期、そんな感じです。 トピ主さんの場合、記憶がない期間に鍵があるのではないでしょうか。 >親は多忙ながら土日には外に連れて行ってくれたり、一緒に料理やスポーツをしたりと愛を注いでくれていたようですが これは親から聞いた話で、でもその記憶がないのですよね。 本当に愛を注いでくれていたなら少しも記憶がないなんておかしいと思うんです。 ご両親が嘘を言っているとは思わないけど 愛を注いでいるつもりで、結局体裁を保っていただけだったとか。 トピ主さん自身の気持ちを考えてというより、「忙しい中でもこうやって子供を遊びに連れて行っている私たちすごくない?」じゃないけど 少なくとも子供を喜ばせたいゆえの行動じゃなかったのでは…。 高校からグレた…というのもやはりご自身で仰るように愛に飢えて、外に求めたのでしょう? 正直これが単純にトピ主さんの性格などとは私は思いません。 忙しい中でも子供の気持ちに敏感になれるか、そこなのかなと。

トピ内ID:36afbab3ea56e8a8

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