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義父の葬儀の時、タイムスリップしたかのような行列が

レス13
(トピ主 1
🙂
クリームティー
話題
今から20年前のことですが。 (あるドラマを見ていて、不意に思い出しました) 私と夫は、夫の実家から車で1時間足らずの場所に住んでいました。夫の実家はほとんどが農家でした。 夫の実家に行くと万事古風だなぁ、とは思っていました。 20年前、葬儀は会館などでするのが、一般的でしたが、夫の実家では、まだ会館を使うのはご近所でも前例がない、ということで、昔風の形でした。 家の広い座敷で、お料理を並べたり、までは特におどろくこともなかったのですが。 家から墓地まで、12〜3人の人が、それぞれ見たこともないような不思議な物(まじない的な?)を掲げながら、履き物もわらじに変えて、練り歩く、というものがあり、私もその一員でした。 「これって、横溝正史の世界みたい。」と、いうのがその時真っ先に感じたことでした。 ああいう光景は、後にも先にも見たことがなく、今でも不思議な気さえします。 皆様のお住まいの地域で、似たようなこと行われていましたか?

トピ内ID:aab433533a10568c

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ありました

041
おかなまこ
私にはだれかもわからない方のお葬式に、母の代わりに参列したとき、いきなり亡くなられた方の遺影を抱えさせられて列を作って田舎道を歩きました。 たぶん、そういう宗派なのだろうと思います。 栃木県です。

トピ内ID:ce0e1de5c29643bf

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1980年代には見なくなったかな?

🙂
匿名
記憶が定かではありませんが昭和の終盤には見なくなったような気がします。 平成になってからは確実に見ていません。 確か法律では土葬を禁じていませんが、墓地の確保のため条例で土葬による埋葬を禁止しているところが多いので、徐々に廃れたのだと思います。 葬列六役といって6人まで役割が決まっていました。 位牌→喪主 飯持ち→個人の妻(当時は女性が喪主になることは少なかった) などなど。 さらに棺桶を担ぐ人が4~6人。 近親者の男衆が中心ですが近所の屈強なおじさんとかも加わりましたね。 その他に名旗と言って故人の名前が記された旗とか生花だとかを持つ人などがいましたから、葬列は最低15人くらいにはなるのが正式だったような気がします。 兄弟がだんだん少なくなって行く時代だったので、葬列を組む人が足りなくてご近所さんに頼んでいたのを覚えています。

トピ内ID:65ec8edaea0b45d4

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ああ、ありましたよ

🙂
まんだ
京都の北部の山間部でのことです。 私が今50代半ばでして、20代前半だった頃 まだまだ会館での葬儀はほとんどなく、街(といっても駅前周辺のごく一部ですが)以外は 農家ばかりっていうエリアで、告別式は家でやりました。 故人を霊柩車に乗せ火葬場へ行く際に、 霊柩車に乗せるのは男手で担いで乗せるわけですけど、 その時には担ぎ手皆が「素足」になる、というものでした。 北部の山間部ですから家を出て表の通りまで少し距離もあるし、 そこは土の地面ばかりなわけで(天気もあまり良くなかったし寒い時期だったと思う。 土は湿ってじゅくじゅくだった記憶があります)、足が泥だらけになりました。 火葬場に向けてすぐ出発ですから足を洗う時間もなく、 靴と靴下を持ってハイヤーだったかマイクロバスに乗り込んで、 車内で足の裏をささっと拭って靴下履いて靴を履いた記憶ありますね。

トピ内ID:c629fc979b031ac1

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私は見ては無いですが、、

🙂
ピカちゃん
昨年亡くなった父が、今から四十年くらい前に親戚の葬式に出向いたら、 棺桶持ちをやらされたと聞いたことがあります。 匿名さんが書かれてるのと同じかと。  その当時、たぶん父は40代。 親の代理で親戚の葬式に行ったら、 一応若い衆と見なされたらしく、 棺桶を持つ役割を任命されたそうです。靴も履き替え天秤棒みたいなのを 担いで大変だったと聞いたことがあります。1980年代くらいです。 たぶん棺桶って四角でなく、樽みたいなのだったと。土葬のような話しをしてたかと。宮城県の山の中でした。

トピ内ID:a85b028b3272b948

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40年前のことです。

🙂
nene
関東の山間地域ですがまだ土葬の習慣がありました。 祖母の棺は御神輿に似た台座に納められ、山の上にある寺の墓地まで運ばれました。 お経を唱える僧侶に続き、棺を運ぶ男衆は裃姿で、額に白い三角の布をつけていました。 その後を参列者の行列が従います。 墓に着くと、細い竹、藁縄、型に切った紙で結界された穴を回り棺が下ろされました。 喪主が硬貨を撒き、参列者はそれを拾いました。 祖母は長命だったので、その硬貨は縁起が良いと聞きました。

トピ内ID:d3e7a443cf5a559c

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やった事あります

🙂
45歳の私が小学校1年生の時でした。 伯父さんがかなり若くして亡くなり、初めてお葬式に出たのですが 家から墓地まで白い着物を着て、草鞋に履き替え、色んな物を持って、行列させられました。 振り替えると、自分も死んでしまうと聞いて、怖くて号泣したのを覚えています。 あれ、夢だったのかな…とあやふやだったのですが、大人になってから、真実だったと両親に聞きました。 本当に小説の世界のような不思議な行列で、棺を担いでお墓まで… 土葬だったのでしょうか? 39年前、母の実家は山奥でした。 高校の時に祖父が亡くなった時には、もうそんな事はやらなかったです。 なんだったのか、いまだに謎です。

トピ内ID:06b8a37dfafed45a

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半世紀以上前ですが

🙂
富士山に近い農村でのこと。 父方の祖父の葬儀のとき、やはり何やかや持った親族の列が畑の間の道を歩きました。私はまだ就学前でしたので、具体的に何を持っていたのかは覚えていません。 唯一覚えているのは、太い竹の棒を持った男の人がいたことです。男の人は、歩きながら時々竹の棒の端を地面に打ちつけていました。竹は、一番上だけ節が抜いてあって、そこに小銭と四角に切った赤い紙が入っていたようです。もしかしたら、赤い紙に小銭が貼り付けてあったのかもしれません。 竹が地面に打ち付けられるたび、上の節に入った小銭が飛び出て散らばります。集落の子どもたちが列のあとからついて来ていて、その小銭を拾っていました。 あれはお金なの? どうしてあんなことするの? と、そのとき私の手を引いてくれていた伯父に聞くと、 「おじいちゃんは長生きしたから、それにあやかるためにお金を撒くんだよ。あのお金を拾うと、おじいちゃんみたいに長生きできるんだ」 と言いました。後に父にも聞きましたが、早世した人の葬列ではやらないそうです。 父は七人兄弟の末の子で一番上の兄とは20も年が離れており、祖父は天寿を全うしたということなのでした。 長寿だった人の葬儀はお祝いみたいなところもあるのか、と思いました。 もうひとつ。 少し前まで住んでいた茨城県でのことです。 散歩していて、出棺の場に遭遇しました。脇に寄ってひっそり見ていましたら、今風のスマートな霊柩車の前で、黒スーツの男性たちが棺をぐるぐると回し始めたのです。 あ、これ、佐々木倫子さんの漫画「おたんこナース」で見たことある、と思いました。回すことで仏様の方向感覚を狂わせ、家に戻れないようにして真っ直ぐ浄土へ行くため、だったかな?(浄土へいく方角はわかるのだろうか)

トピ内ID:40c06b190ad51f9c

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タイムスリップ感半端なかったです!

041
のどぐろ
25年ほど前の祖父の葬儀。山陰の田舎町でした。 当時学生だった私は度肝を抜かれました。 祖父の子供たち(私の父とそのお兄さんたち)と男子の内孫(私の従兄弟)は白い着物を着ておでこに幽霊の絵に出てくるような三角のアレをつけて草鞋を履いて墓地に向けて行列が出発。私たちも手に葉っぱのようなものを持つように言われ、そこに追随。 墓地は区画もはっきりせず、その辺りは踏むな、など言われ、怖かった記憶が。 一連の儀式?が終わった後、草鞋を履いていた人は墓地の敷地から道路に出る境目で草鞋を脱ぎ、裸足で帰宅。準備されていた大きな桶で足を洗って家に入っていました。 その夜、座敷にみんなで輪になって座り、大きな長い数珠のお化けみたいなのをみんなで持って、その輪の真ん中に座る地域のお爺さんの念仏(?)に合わせてぐるぐる回したのですが、酔っ払ってるおじいさんやおじさんもいて、なぜかふざけてひっぱったり、笑いもおきたりしてました。時間にするとお線香一本分。そして逆回りで一本分。 そして翌日はお寺さんを三つほど梯子して、その裏山にたくさんある石像(人間のような像が数十体あるところでは一番祖父に似た石像を探してそれに)や灯籠などに祖父の戒名が書いてある札を糊で貼ってまわり、裏山を回ってきた最後は船の形の石に乗ってから戻るようにと言われました。 ちょうど春休みだったので全ての行事に参加したのですが、それまでになかった葬儀すぎていまだに映像が浮かぶほど記憶に残っています。 ちなみに、10年ほど前の祖母の葬儀は、葬儀会館で行われ、墓地までの行列もありませんでした。

トピ内ID:63223870c4d124df

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本当にあったんですね!

🙂
クリームティー トピ主
レスを下さった皆様、ありがとうございます。 何か、あんなことが21世紀になってから本当にあったのか?と不思議でしたが。 レスを下さった方のほとんどが、40〜50年前の出来事とのこと。 でも、のどぐろ様によると、ほぼ義父の時と同時期ですね。 さすがにその後数年したら、義実家周辺でも会館を使うのが普通になりました。

トピ内ID:aab433533a10568c

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連投失礼いたします

🙂
ピカちゃん
律さんのレスに書かれてる、棺桶ぐるぐる、、、 まさに、私の実家がそれです。 会館で葬儀はするのですが、家から会館に出発するとき、棺を玄関以外のところから出します。 そして外に出て、少し広いところで 棺をぐるぐるしてから霊柩車にのせて 出発します。 昨年、父がそれをやりました。 祖父母、母のときは、家族、兄弟、ご近所さんに協力していただき、 ぐるぐるしました。 さすがに時代の流れですかね、父のときは会館さんに担ぎ手さんを用意して いただき、ぐるぐるしました。 土地や場所により、葬儀の風習も 色々あるんですね。

トピ内ID:1ade913bd919bcfb

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祖母の実家でのお葬式

🙂
海賊の妻
葬式行列が出ました。山奥の最近まで鉄道もない小さな村でした。第三セクターが一両だけの電車を走らせるような所でした。もう30年も前の事です。、名簿と関係性で持ち物が決まりました。喪主が骨箱、喪主の妻が写真、従妹が私に言うには「キョンシーみたいな物が当たった」と言ってキョンシーに出てくるような傘みたいな物にビラビラが付いている不思議なものを持ちました。それぞれ提灯だったり、旗みたいな物を持ちました。私は商店街の売り出しみたいな、造花の付いたさお竹みたいな物を持ちました。ものすごく寒い、雪の降る一本道をお寺に向かってしずしずと葬列は進みました。途中に小学校が有り、子供たちがそろって小さな手を合わせて見送ってくれました。お寺に付くとお寺の庭を3回まわりました。古い映画のようでした。その2日後、亡くなった方の夫が続いて死にました。 まるで妻に殉死するように何も食べずにじっと目を閉じて亡くなったそうです。 そして同じことを繰り返しました。私はその後3か月間風邪をこじらせて、耳に水が溜まり鼻と耳に管を通して空気を吹き込むと言う辛い治療に通いました。耳が聞こえず、頭がグラグラして苦しかったです。 最近その時の喪主の奥さんがガンで亡くなりました。又あの葬列かと思いましたが、会館で簡単な葬儀が行われて、すぐ終わりました。皆30年たって年を取りました。車いすで来た人もいるし、私は杖を突いていました。キョンシーをやった従妹の娘が車に乗せてくれました。祖母の実家ももうお終いかなあ。喪主は肺がんだそうです。もう1度行くのかなあと思いながら、考えたら誰が先かなんてわからないと思いました。

トピ内ID:57399f06e02781b0

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少し違いますけど、ありました

🙂
なな
土葬の名残と聞いています お振舞はほぼなくなり 昭和の終わり62年頃に、条例で葬列で辻々で小銭を撒くことが禁止されました 今ではお身御供も手作りする方はほとんど見ません お葬式では直系尊属男子が家の大屋根に向かい矢を射り、一般的な遺影、戒名、御飯のほかに、鏡や刃物、鳴物を持ちました 小銭を撒いていたときは小銭を入れた花祭りのときのお神輿のようなものも担ぎました 辻に差し掛かると振って小銭を落とし、近隣の子供たちが拾いますが、そのお金はその日のうちに使い切らなければならないことになっていました どこのお宅でもインスタントコーヒーやミロなどの瓶にいざというとき用に小銭を貯めていました 話は戻り、家を出て、棺の周りをそれらを持った人が巡ってから出立したかとおもいます 仏事用の短冊に悔やみ歌を書いて読むのがスタンダードかと勘違いしていました 葬式ではありませんが、念仏講や庚申講というものもあり、決まった日に集まっていました 一応女人禁制で、私の親が一番若く、子どもの頃(昭和50年代)に断ち消えたらしく、どんなものだったのかは全くわかりません

トピ内ID:6a96504f21c60265

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聞いた話しですが

🙂
さこさこ
つい、10年くらい前です。 友人の岩手県のご実家での、葬儀の際には、当時中学生の息子さんも白い喪服を着て、墓地まで親族で歩いて行ったそうです。 私も話しを聞いた時に、横溝正史か!と思いました。

トピ内ID:7c34ab18bb2f08b3

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