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幼い頃、働くお母さんはどんな存在でしたか?

レス30
(トピ主 2
041
クリームティー
ひと
テレビで、女性からみて、子育てと仕事の両立がいまだにどんなに大変か、という特集をしていました。 語られるのは、女性とその勤務する会社のことがほぼ全てでした。 せっかく、男性にも引けを取らずに良い仕事をして来たのに、 産後はそうもいかず、残念、という事が語られていました。 これまでは、その女性目線で私も「女性ばかり苦労するなー」と考えてきました。 ところが、どういう訳か、今頃になって、 「どこかに預けられる子供のことは、全然語られてないな。」 と思ってしまいました。 昭和の東京オリンピックごろに生まれた私の時代には、母親というのは大概家にいるものでした。 なので、ほとんど顔を合わす間もないほど働く母は相当珍しく、私は否応なく「手のかからない、良い子」になりました。 その母も去年急な病気で亡くなり、今、少しばかり感傷的になっているのかもしれません。 幼い頃、お母様とゆっくり話す間もなかった、という環境で育った思い出をお持ちの方、それをどう感じられましたか?

トピ内ID:d2bd08597ec4d460

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いつも働くお母さん

🙂
もうオッサン
>これまでは、その女性目線で私も「女性ばかり苦労するなー」と考えてきました。 そうでしょうか? 私は家事は妻以上、育児も積極的に関わってきましたよ。 妻からも「いい父親だよ」とよく言われてきたので、私の思い込みではないと思います。 女性ばかりが苦労しているとしたら、相手選びに失敗しているだけだと思いますね(共働きなのに激務な相手とか) 実際、男性も大変ですよ。 >私は否応なく「手のかからない、良い子」になりました。 私も同じですね。 というか今は手をかけ過ぎなのかもしれない。 そのせいで、より大変になっている。 >幼い頃、お母様とゆっくり話す間もなかった、という環境で育った思い出をお持ちの方、それをどう感じられましたか? それが当たり前だったんで何も感じなかったですね。 小学校高学年になれば、親より友達でしたし。 ただ大人になって、自分も働くようになって親の愛情の深さに気がつきました。 小さい頃は旅行も殆ど行った記憶はありませんが、今はそれなりの頻度で一緒に行くようになりました。

トピ内ID:7155b1a854950622

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働く人母親=子どもを預ける母親 ではないからね。

🙂
レモネード
トピ主の子ども時代(ほぼ私の子ども時代)って、今よりも保育園が普及していなかったからね。幼稚園に行くのだって普通じゃなかったし。 今は幼稚園は3年間が普通だろうけど、当時は2年間のクラスも、1年間のクラスもあったからね。 要するに就学前の子どもは家にいるのが主流だったの。ただし、母親はずっと働いていたよ。 専業主婦なんて存在は、高度経済が産んだ昭和時代の産物で、あの時代を除いては、一部のお金持ちの奥様以外の庶民の主婦は、みんな働いていたのですよ。 農家の奥さんは朝から晩まで田畑に出ていたし、漁師のおかみさんは海で働いていたし、商家のおかみさんは店に出ていた。 だから子供は母親の側でうろちょろしているか、おばあちゃんが面倒をみていたわけです。何時の時代も母親世代は忙しかったのですよ。少し大きくなると、上の子は下の子を面倒をみたり、親の仕事を手伝ったりしていました。それはそれで楽しかったのですけどね。 大抵の昭和の子どもは親とゆっくり話す暇なんてなかったはずです。昭和から平成の好景気の時代には、専業主婦も増えたけど、そんな時代、むしろレアですからね。

トピ内ID:f98e6784728a1f04

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当たり前になる

🙂
わーまま
私は40代です 親は働いていました 私の子供のころは専業主婦は一般的だったとは思いますけど 自営業が多い土地だったこともあって、共働きで子供は保育園に行くというか 幼稚園もないから、保育園に行く子が多かったという感じ 保育園育ちだと、それはそれが当たり前なので 私も現代働く母をしています 昔は学童もなかったので、今で言ったら半分放置子みたいな感じだったと思います 母が置きかぎを忘れて家から閉め出されたときは泣いた記憶がありましたが その後はそれでなんとなく過ごした感じです ちなみに、私は3歳(年少)で保育園に入っています それまでは、母は専業主婦で、私は手厚く育てられたらしいですが これっぽっちも覚えていません そのころには妹も生まれ、母は妹の子育てに忙しかっただろうしで あんまり構ってもらった覚えがないという感じです そうでないが逆にわからないので これが私にとっての当たり前なんですよね 夫の両親も共働きでしたが、 祖父母と同居だったので 保育園に預ければ可哀そうと言ってくるし 祖父母なくして共働きがわからなくて しばらく苦労しました 何度言っても、孫が通うのは幼稚園というし 夏休みの心配され 保育園に夏休みはないと聞いて驚くを繰り返します ちなみに義母は保育士だったのにこれ (自身は持ち回りで休んでいたそうです) 遠方の私の母を呼べとか頼れとか言ってくるんですよ (つまり自分はやらないと) おなじ共働きでも違うものですね 私くらいの世代だと 子供のころは母親が働いてない人も多くいた世代なので やっぱり可哀そうとかキャリアの断念とか言います 私も断念したと言えばそうなんですが 元々ほどほどに働いてと思っていてそこまで出世に意欲がないんです そんなに悲観的には思ってないです

トピ内ID:1327616b538fadbe

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嫌でしたよ

🙂
洗濯機
物心つくと、母のに叱られることが増えました 父はいわゆる高給取りで、自宅は結婚祝いに祖父に建ててもらった一軒家 金銭的には何不自由ない生活だったと思います 当時は専業主婦が当たり前でしたし、お金に不自由はないしで、母が働かなくても問題ありませんでしたが、母は自分に収入がないと、思う通りに生きられないという考えの人で、定年まで正社員で働いていました 私が小学生の頃、母は残業で帰ってこず、先に帰宅した父と中華料理を食べに行ったことがありました 父との外食は楽しかったのですが、翌日母から叱られました 「炊飯器にご飯あるんだから、卵もあるし、これでご飯を食べましょうって、いつもお母さん用意してくれてるからって、お父さんに言わなきゃダメでしょ!外食なんて行ったら私がなにもしてないみたいじゃない!!」ってね そんなことばかりでしたよ 悪いことをしたからではなく、母の対面が保てない、お母さんの立場も考えろってお説教ばかり 母は子供に興味はなく、通知表を見たのも小学校2年生くらいまででしょうか 歯磨きしなさいとか、宿題したの?とか言われたことありません そんな母ですが、私が成人して独立すると、今度は盗人呼ばわりしています せっかく育てたのに、離れて暮らして、なんの役にも立たないなんて、盗人と同じだってね 親は子供の幸せが一番なんて戯言です

トピ内ID:903f4e8d5980c4c6

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それが普通だった

🙂
ハム
共働き率が高い地域ですので、私が子供だった40年くらい前でも、正社員にせよパートにせよ内職にせよ働くお母さんは多くて、それが普通でした。 私は保育園は大嫌いだったけど、それを母が働くからどうのこうのと繋げて考えたことはなかったですね。 鍵っ子もいたけど、家に祖父母がいる家も多かったし、子供も多かったので、子供と大人の世界は分けられていて、子供は子供の世界で過ごすって感じだったように思います。 母親が働いてないと「あそこの嫁は遊んでる」と言われるような地域ですから、地域差も大きいんじゃないかなあ。

トピ内ID:0f1d768943434e89

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主さんと同い年かな

🙂
RED
私は共働き家庭の鍵っ子でした。 私の中の記憶にあるのは、園から帰宅するとテーブルの上にその日のお小遣いの小銭が置いてあった場面です。 それ以外は両親不在の日中をどう過ごしていたのか、はっきりした記憶はありません。 社宅住まいで近所に同年代の子どもが多く、敷地内で遊んでいたことはぼんやり覚えています。 小1の時に一軒家に引っ越しました。 転居後の母は私よりも早く仕事に出て、18時頃に帰宅です。 小2か小3くらいから私は下校後、お米を洗ったり洗濯物を入れたり庭の花に水やりしたりしていましたね。 母が帰ってきたら、母の横で食事の手伝いもしていました。 3学年下の妹が入学してからは、妹の世話もです。 私が友達と遊びに行く時は、必ず妹も連れて行くことになりました。 夏休みは、朝から洗濯し妹とパンを焼いて食べて掃除して、午後から妹同行で遊びに出たり習い事に行ったり、たまにはカレーを作ったり。。 子ども心に、一生懸命に働く父と母を何とか手伝いたい と思いながらその年齢で出来る限りの家事を手伝っていました。 母とゆっくり話す時間はなかったのかな? 不満に思った記憶はないですね。 現在大学生の私の娘は色んなことを話してきますが、私自身は相談事は自己完結型だと思います。 80歳の今も家事と美と健康に勤しむ母(妹と2人暮らし)を大切にしないとと思いつつ、なかなか会えないことを言い訳にしています。

トピ内ID:bd2453353a38d3d2

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寂しかった

🙂
匿名
私の母はパートですがフルタイムで働いていて、私が小1からだったので下校してからとても寂しかったです(しかも学童とかなかった)。 周りのお家は皆お母さんやおばあちゃんが家にいてくれていたので余計に寂しかったですね。 冬の雪が降っている日なんて、ガタガタ震えながら帰宅して自分でストーブ付けて。 おやつを用意してくれる親ではなかったので、夕飯まではすごくお腹が空いてました。これも悲しみを増幅させる。 父親は家事をする人ではなく、母もやってもらう事に遠慮があったので疲れていたと思いますが21時前には寝てしまうんですよ(それまでは家事をしているので構ってもらえません)。 私は忘れ物が多くて、何で友達はそんなに忘れ物が無いんだろうと思っていたら、お母さんが用意してくれたり声掛けしてくれたりしていた様でしたが、うちは完全に本人任せだったので、これも小さいうちは大変でした。 なので私は我が子にはこういう思いをさせたくなくて、パートをしていても子供達が帰って来るまでには家に居るようにしてました。 少し子供が大きくなって、夕方くらいには家にいるようにしたり。 でもきっと平気な子も居るのでしょうが、我が子は私が居ないのは嫌だと言うので子供に合わせてますね。

トピ内ID:39df54287596d04a

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幼い頃は

🙂
実は母親のことはあんまり記憶にないですね。 産休明けすぐからの保育園でした。 兄弟のこと、育ててくれた祖父母のこと。 小さい頃の記憶はそんなんばっかりです。 私もよく、祖母が私が早く帰る日だということを知らなかったりすると、家に入れなくて炎天下で玄関で待ちぼうけしました。 保育園はそんなに嫌じゃなかったけど、怖い先生もいて、今思うと当時の私、辛かったんじゃないかなって思うこともあります。 でもそれが当たり前だから嫌だということもなく、 そういう意味では子供ってその環境に適応していくしかなさそうです。 子供を育てていて、あーこんなに子供の手がかかるとは、祖父母は大変だったろうななんて思っています。 親に私の子供の頃の話を聞いてもよく知らないので、祖父母亡き今はそれすらよくわかりません。 かといって、そこまで自分のことを感傷的な気持ちでみることもないです。 小学生くらいからは母が働いていることはある意味で自慢でもあったし、 寂しい気持ちと、でも働かないといけない母のこともよく分かっていたので。 人として立派に仕事している一人の人として両親のことはみています。 なので私も働いています。 今のお母さん達は大変だとおもうのは本当に頼る先もなくワンオペしてて、さらに昔みたいに放置子もできず、周りの目もあるし、ちゃんと育てないとだめっていうのがあるので。 でも母よりは仕事減らして子供といますね。子供のためではなく子供が好きだからですが。

トピ内ID:c5648508d0f2a190

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うちの母親は忙しかったです

🙂
カランコエ
施設にいる母は今年90歳になりました。 実家は兼業農家で、亡父は自営で土建関係の仕事をしていました。 母は曾祖母や祖父母の世話に、家事育児農作業の他に父の仕事の手伝い(従業員の一人がよく休んでいましたので)と、休む暇もなく働いていて、遊んでもらった記憶がありません。 話し相手に祖母はいましたが、やはり寂しかったですね。 近所の幼馴染みのお母さんが専業主婦で、いつ遊びに行っても優しくて憧れていましたので、将来結婚するなら、子どもが小さいうちは専業主婦でいられる人がいいと思い、なんとかその夢は叶いましたが、専業になったらなったで「働き続けたほうが幸せだったんじゃないか」と思い、無い物ねだりしていた自分を懐かしむことはありますね。 二人の子どもが小学低学年までは専業で家にいましたので、子どもたちには自分の時と違って寂しい思いをさせることはなかったので、その点はよかったと思っていますよ。 トピ主さんのお母さんは専業主婦だったのですね。 去年急に亡くなられたとは、淋しくなってしまいましたね。 でも、大事に育てられた記憶はずっと残り続けると思いますし、時々思い出して話しかけてやったら、お母さんもきっと喜んでくれると思いますよ。

トピ内ID:88af8a2c6bc52d6b

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いつもスーツ姿の母親が嫌でした

🙂
シングルマザーで育ちました。 貴方達のために頑張ってると言われて、仕事仕事仕事でお休みの日もお客さんからの電話を取る母親を見るのが普通。 旅行に行っていてもお客さんから電話があれば1〜2時間と延々と電話対応。 もう本当に嫌でした。 ちょっとの電話なら分かります。お客さんも今旅行に来ていてと伝えても電話を切らずに延々と話し続けます、お休みの日に家族との時間を奪っている意識もなく遠慮がありませんでした。 母もだからすみませんと電話を切る様子もなく、こんな何も気を紛らわして過ごせない場所で延々と子供を無視して仕事の話を続け、もう本当ウンザリでした。 それで私は不自由なく生きられたのは感謝します。 私の父親から養育費を貰わずに子供を育て上げた事が母は自慢でした。 私たちの権利なのに…酷い話で今でも恨んでます。それがあれば私はもう少し我慢の必要ない生活できたんじゃないのかって思いました。 貴方達の為に働いているのよ、と言ってプライベートでも殆ど私服もなくビジネスカジュアルな雰囲気の洋服の母親が本当に嫌でしたね。 最初こそ尊敬してましたよ、私たちの為に頑張って働いていて凄いって。 でも仕事などで余裕がないと子供にあたるんです。逃げ場がないし家事が完璧にできてないと恐ろしいほどキレて本当苦痛でした。

トピ内ID:dfce4932ec44d0f4

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複雑ですね

041
クリームティー トピ主
早速にたくさんレスを頂き、ありがとうございます。 女性が出産と子育てのために、キャリアを断念、というのは 理不尽、と思います。 少し前の世代までは、女性は子育ての上に家事まで当然やるもの、という時代で、それはそれは大変だったと思います。 ただ、どういう訳か、今回、 「せっかく、実績を積んで来たのに、そのタイミングで!」という発言をテレビで見ていたら、 「じゃあ、子供は邪魔なの?」と、ふっと思ってしまったのです。 働く女性としての彼女の気持ちはよく分かる上で、何故かそう思いました。 私の母は、歩いて7〜8分の自分の実家に私を預けて、働いていました。 朝は眠いのを起こされて預けられ、夜は8時を回って 寝落ちしているところに父か母が迎えに来る、という毎日でした。 成人して、職場の同僚の女性が、「子供と一緒にいる時間を大切にしたいから、辞める」 と聞いた時、危うく涙がこぼれそうになりました。 あー、私寂しかったんだ、と気がついた瞬間でした。

トピ内ID:d2bd08597ec4d460

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寂しい寂しい寂しい

🙂
ドライアイ
とにかく寂しかったです。夜7時まで家で1人で過ごしてました。「親が帰って来るまでの間、どうやって1人で過ごしていたらいいか・やることリスト」を作っていました。その「やること」をやって1人の寂しい時間を紛らわそうと。兄弟姉妹がいればまた違ったかもしれませんね。6時になると友達とサヨナラしてしまうので親が帰宅するまでの1時間が怖くてたまりませんでした。 中学になると部活で自分が7時帰りになるのでそれはなくなりましたが。

トピ内ID:a44e1cef24404ac8

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いやでした

🙂
匿名
母親が働くの嫌でした。 でも生活のためとわかってたので我慢してました。病気の時に1人で家で寝てるのは不安でした。

トピ内ID:f9876e8472840c3b

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人それぞれ

🙂
みんみん蝉
>あー、私寂しかったんだ、と気がついた瞬間でした。 トピさんの着地点はここなんですね。 これは人それぞれだと思います。 子どもは親がそばで愛情かける方が望ましい。 そんなの近年ここ最近の話でしかありません。 長い歴史の中で、母親が愛情を~なんて環境が整っていたことなどほとんどないのです。 親ガチャなんて言葉が流行ってるけど、 自分の生まれた環境をどう捉え、メンタルや人生にどう影響するかなんて、 その個人の運と性質/資質次第です。 >「じゃあ、子供は邪魔なの?」と、ふっと思ってしまったのです。 私(トピさんと同世代)はこのセリフ通り言われました。 「あんたさえいなければ(後家に行けるのに)」 人ってまず我が身がかわいいのだな、当然だな。まだ10歳位の私はそう思いました。 トピさんの気分を否定もしないけど、 子どもは無償の愛情がほしい、なんておセンチな気分にもならなかったし、 言われて自己肯定感なくすこともありませんでした。 母だっていろんな気分の時があると思ったし、だから母を嫌いなることもなかった。 母は1日10時間近い労働と家事、子育てを一人で担っていました。 夜布団に倒れ込むような毎日、働く大変さはひしひしと感じました。 子ども心にも母に今以上を求める気持ちにはならなかった。 なまじキャリアか子育てか選択する意識が、今の女性を悩ませるんでしょうか。 母は選択の余地なんてなかった。 当時めずらしかったひとり親家庭。 母の背中から幼い私が学びとったこと。 「働きさえすれば女性だって、子育てしたって人(男性)に頼らず生きていけるじゃない」 父親にちゃぶ台返しされて辛抱しなくても、生きていけるじゃない。 時に「子どもなんて邪魔」と喚きながら、それでも自立している母は誇りでした。 (母にとっては喜びでも誇りでもないけど) その姿は私に大きな影響を与えました。

トピ内ID:afcfbc98d2ca5c8a

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追加:夏休み日記

🙂
みんみん蝉
レスしたついでになつかしくて昔の夏休み日記を出しました。そこには 「お母さんは1日中仕事しています。だけどちゃんとごはんも作るし、団らんもしてくれる自慢の母です。この前はいっしょに七夕さまをしました」 と書いてありました。なつかし~。 トピさんはもうお母様お亡くなりになったのですね。 私の母は90代要介護3で存命です。残る人生わずか、大切に大切にしようと思っています。

トピ内ID:afcfbc98d2ca5c8a

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私の周囲は働くお母さんが一般的だったよ。

🙂
バッフクラン
私はトピ主さんとほぼ同世代だけど、私の周囲では共働きで働くお母さんが一般的だったよ。 東京の下町だったせいかな。 だから子供はいわゆるカギッ子、家のカギにひもをつけて首から下げていたよ。 友達と遊んでいても夕方になると解散して家事をする子が多かったよ。 私は部屋の掃除と買い物がいつもの役割だったし買い物に行くといつも顔を合わせる同級生が何人もいたから大体みんな同じような環境だったと思うよ。 たまに遊び惚けて忘れると母親に怒られたよ。掃除も手を抜くと怒られたしね。 お手伝いではなく私の役割だったからね。 母親とのコミュニケーションはどちらかと言うと怒らている方が多かったかな。 急な雨で洗濯物を取り込まなかった時なども「気が利かない」と怒られたりしたよ。 でも子供でも家族の一員として必要とされているという実感はあったね。 子供は「かわいい」と言うよりも「家族としての労働力」という面があったよ。 それでも母親はフルタイム働いて家事も一番多くしていたから頭が上がらないよ。 でもクラスに一人くらいいつも家に母親がいて遊びに行くとお菓子を作ってくれるような子がいたもんだよ。

トピ内ID:3dad08e70c261648

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私は働きたいのに働けない母親と一緒にいるのが辛かった

🙂
るる
母は今生きていれば70近いですが、理系大卒の専門職で、出産しても働きたい人でした。 しかし、下の兄弟が小学校中学年くらいまで、専業主婦でした。 父が激務で日付変わる頃に帰る日も多く、単身赴任もしたりで、でも実家の母(祖母)とはうまくいっていないで、共働きするには相当無理をしないといけない状況でした。 そのフラストレーションで、暴力や暴言がひどく虐待のようなことをよくされていました。 正直言って、母親のことは嫌いで、特に小学生の頃は力で母親に勝てないので、少しでも一緒にいる時間を減らしたったです。 その後パートを始めてすこし平和になりましたが、また父が単身赴任をしたり、仕事やその勉強にばかり没頭し、家庭のことを丸投げするため、夜中父に暴言をはいていたこともありました。 でも父は仕事人間でしたね。 母がじししてから、父とよく話すようになりましたが、父に育てられたほうが良かったと思いました。母を働かせるべきだったのに、全然家庭のことをやらなかった父がいけなかったんだと、恨んでいます。 母親ばかりが育児に向いているわけじゃないので。

トピ内ID:8a55d2d06b3fea47

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めちゃ憧れてたしアドバンテージしかない

🙂
るるる
団塊世代の中では珍しいバリキャリで1000万プレーヤーだった母。 めちゃかっこよかったです。 保育園、学童、鍵っ子でしたが、寂しいなんて思ったこともありませんでした。 今振り返ると、同級生のお母さん方に「可哀想に」みたいなことを言われたこともありましたが、「なんでこの人たちは家にいて何もしないんだろう?」と子供ながらに疑問でした。 寂しいと感じなかったのは、父も母も家にいる間は常に子供に向き合ってくれていたからです。 友人宅で、友人が話しかけてと背中を向けて家事をしてるお母さん方を見て驚いたのも覚えています。 母に憧れ、生涯自活を当たり前として設定したら自然と勉学にも身が入り、大学首席卒、年収1000万を20代半ばで超え、幸せな共働き家庭を築きました。母の時代に比べたら制度はかなり整ってるし、共働きのリズムが体に染み付いているので鼻歌交じりで楽勝でした。上の子は東大生になりました。 専業家庭育ちの友人たちは価値観共働き主流時代とに齟齬があり、共働き育児に不安があったり、政治のせいだと愚痴ったりして大変そうです。 そういう不満や心配や不安なくのびのび生きていけてるだけでも、働く母を見て育って良かったと心底思います。 弟や妹、保育園や学童時代の幼馴染たちも難関国家資格取得したりして幸せな共働き家庭を築いています。 「働くお母さん」にネガなイメージや心配を抱いている人には想像も体験もできないほどの充実した人生を味わってます。 母は今も足腰丈夫で頭もしっかり。 来月、一緒にヨーロッパ旅行してきます。

トピ内ID:e2bf4d6c78f230aa

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レモネードさんと同意見

🙂
まち
アラカンです。 都市の下町で育ちました。 商業地だったので、ご近所や友人の家庭は皆共働きでした。 ただ当時は母親が働いてると言っても他所に通勤してる人は少なく、自宅自営業や親せきの自営業に従事してる母親が圧倒的でした。 店舗はもちろん、食品製造や鉄工所など家族単位で商売を営んでました。 縫製などの内職も盛んな時代でした。 子供は赤ちゃんのころはおんぶされて、2歳以上になると母親の足元で一日中チョロチョロしてました。 一人でトイレ(我が家は水洗だったけど、まだポットンも多かった)に行ける年齢になると奥の部屋でお留守番。 祖母がいれば子守りすることもあったけど、自営業は祖母も従事することが多いですから。 近くにいる安心感があるとはいえ、母親は一日中忙しいのでゆっくり話す暇なんてありません。 当時は母子の心の交流なんて概念もありませんしね。 でも自分だけではないしそんなもんだと思って育ちました。 でも私自身が母親になると、子供時代は寂しかったなあとやっと気づきました。 共稼ぎ家庭の子供でも兄弟や従姉妹といっしょに過ごしたり、隣近所も我が家のように出入りして他所でご飯食べたりお風呂入ったりして大勢の人と触れ合いながら育った人もいます。 昭和ですね。

トピ内ID:09ac70e11e728bdf

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いろいろ思い出しました

🙂
まち
私の子供時代は高度成長期でしたが、当時は今とはいろいろ違う慣習がありましたね。 共稼ぎ家庭では子供も小学生になると家事育児の戦力で、弟妹の世話や夕飯の支度する小学生は結構いました。 寂しがってる暇なかったかも。 私の実家界隈では自営業が多かったので、住み込みの若い人が結構いました。 中学卒業と同時に故郷を離れ、今みたいにアパート住まいではなく就職先のお宅に部屋を借りて住み込みで働くのです。 従業員というより家族扱いで、仕事しながら家事も子守りもなんてこともありました。 そんな家の子供は寂しさとは無縁だったかもしれません。 サラリーマンやってる母親も多くはないけどいましたね。 教師とか看護師とか。 近くに観光地があったので旅館の従業員もいました。 当時は三世代同居が多かったので、姑さんが子守り役でした。 保育園なんてほとんど機能してなかったし。 おばあちゃんに育てられた子供は寂しいと感じるものなんでしょうか。

トピ内ID:09ac70e11e728bdf

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親になればありがたみが分かる

🙂
ここ
主さんの追加見ました。お母様が働かれてて寂しかったんですね。お母様が望んで遅くまで働いていたのか、家計にために働いていたのかわかりませんが、家事育児仕事の両立は中々大変です。週末もぐったりで、月に何回か子供と思い出作りのためにお出掛け。日本の労働環境、子供がいて働く環境は厳しいです。だから少子化になったと思うんですけどね。主さんはお子さんがいるかわかりませんが、子供を持った時に親のありがたみがわかります。寂しかった気持ちより、感謝の気持ちになると思いますよ。私は母が働くのが普通で育ったので、何も思ってませんでした。でも今は感謝の気持ちでいっぱいです

トピ内ID:c54c511b3927bfb4

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寂しかったなー

🙂
りら
小さい頃はおばあちゃんが家に来てくれてましたが、お母さんとは違うんですよねー。 小2の頃には1人で留守番してました。学童に入れて欲しいって言ったけどスルーされた。 今思えば、お迎えの時間にはまだ帰って来れないから。 1人で、体調が悪くなった時は泣きながら耐えました。 でも、仕事辞めて欲しいって真剣に頼んだら辞めてくれました。 家に帰ったら母がいる生活が始まった時の感動は、今でも覚えています。

トピ内ID:d3eee585f30d9654

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やはり寂しかったです

🐱
hiro
私は現在40歳代、母は70歳代なのですが、ずっと学校の教師でした(父も教師でした) その年代だとまだお母さんが専業主婦だった家が多かった気がします。 子供心にも、なんでお母さんは他の家の子は面倒をみるのに、私の面倒は見てくれないのと思っていました。口には出しませんでしたが。 しかも当時は土曜日も学校があったので、本当に母と話す時間は少なかったなあと思います。 でもそんな中でもちゃんとやるべきことはやってくれたし、その点は感謝しています。 私は高校から寮に入って家を出たのですが、家を離れて、そして今は私も結婚して子供がいるのですが、母のありがたさをわかります。 年を取れば取るほどそのことを感じます。

トピ内ID:af7910a46782db20

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今が大事!!

🙂
キャサリン
私も幼少期の頃は寂しかったのを覚えています。 帰ったら一人で鍵を開けて真っ暗な部屋に一人… でもそのお陰で今は、母親とずっと一緒におれる。 人生ってうまいことできています。 きちんと最後は帳尻が合うようにできています。 今この年になって幼少期に言ってもらえなかったお帰りを言ってもらってます。

トピ内ID:3228ba91a82d64af

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別に、何とも・・・

🙂
いずみ
私は、主さんよりも10歳くらい年下です。 だから(時代によるもの)でしょうか? それとも、田舎(兼業農家も多い)だったからでしょうか? ※戦後しばらく、都会では専業主婦が多かったかもしれませんが、 そもそも日本は、昔から、女性も農業やら漁業やら共働きしてきた国。 子供の頃、よそのお母さんが正社員か、パートかなんて考えたこともなかったので、 その辺のことはよくわかりませんが、 私の親世代(今70代)は、何かしらか、外に働きに出ている人が多かったように思います。 >せっかく、実績を積んで来たのに、 母は高卒で就職し、8年目と10年目に出産しているので、 「これからって時に!」という感じでもないし、 公務員だから「実績を積む」とか、あまり関係ないのか??? 「子供を産んだせいで・・・」みたいな話、聞いたことないです。 うちは、父方の祖父・祖母と同居でしたが、 祖母すら、1日おきに24時間勤務の仕事(勤務内で仮眠あり)に出ていたので、 祖母が休みの日は、自宅で祖母が、 祖母が仕事の日は、車で15分ほどの母に実家に預けられていました。 母は(覚えてないけど、多分、父も)、土曜の午後と日曜日は休みで、 遊びに連れて行ってもらった思い出もそれなりにあるし。 平日も、実家では、 祖母の友達(おばあさん、おばさん)がたくさん来て、かわいがってもらったし、 母の実家でも、祖父母が遊び場、親戚や知人の家に連れて行ってくれたりし、 どれもいい思い出です。 >幼い頃、お母様とゆっくり話す間もなかった 多分、客観的には、そう時間はなかったと思います。 でも、私自身、それを当たり前と思い、寂しいとは思っていなかったような・・・。 慣れなのか、性格なのか分からないけど。 常に、自分に目をかけ、可愛がってくれる存在がたくさん周りにいたのも大きいかも。

トピ内ID:edda35e396a20e3a

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やっぱり家にいて欲しかったですね。

🙂
みやん
50代です。 うちに金がなかったから、仕方なかったんだろうけど。 母はただのパートでしたけど、小学生から鍵っ子なのは嫌でした。 兄弟もいたから、母が働きに出たらこんな感じなのかと思って、 小学生の時、土曜日は袋麺作ったりしてました。 頼まれて米研ぎしたり、中学生の時にはカレー作って失敗したりして、 それでもいいよ。と母は許してくれましたが、 ならいてくれればいいのに。とは思ってましたね。 昭和なので周りは専業も多くて、よその家が羨ましかったのを覚えています。 ただ学校から帰ったら母に居て欲しかった。だけなんですけどね。 寂しかった。という感じでもなかったけど。 今は夫婦共働きが当たり前なので、昭和の私とは違うと思いますが、 今の子はどう思うのかな?と思います。 それと私も子どもが高学年になってからパートで働いていますが、 レンチンがあって良かったと思いますし、 案外、小学生の間は火を使わせないというパートさんもいます。 内心、袋麺や米炊きくらいは出来ると思うのですが、 それも時代なんだろうなと思いますね。

トピ内ID:f1ba97c4be4a2656

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自由時間が 好きでした

041
いも栗南京
山の中に 遊びに行くか 本を読むのが 大好きで、家は 食べて寝るだけで 満足でした。 早く亡くなった父親の実家が、子供の頃 歩いて30分くらいのところにあり、勝手に 泊まりに行ったりもしてました。 今と違って  犯罪も少なかった頃、遅いと  泊まりに行ってると  思っていたらしいです。 自由を満喫してました。 結婚したら、専業主婦になるつもりでいたら、義母から、これからは女性も働かないと、と  言われ 子供が出来るまで、と 思っていたら  職場の先輩から  妊娠中に 保育所は ここがいいとか教えてもらって、辞められなくなり、子供が 病気したら、と  思っていたのに とても 丈夫に育ってくれて、役職につき、忙しくなった頃、小学生になった娘から  大きくなったら  普通の お母さんになる、と  言われました。 寂しかったの?何度も聞いたのに、と  ズキューンと 撃ち抜かれた感じでした。 その娘も  仕事していて、孫には娘にしてあげたかったことを  しています。 早期退職して、自由時間は 娘のために 頑張った つもりです。 今は 働いている お母さんも 保育所も 多くて  いい時代に 為りました。 古稀過ぎて 思うのは、あの時、働く事を進めてくれた義母のお陰で  年金もあり、今の生活出来てる事。 私は 母親が働いていて 朝  顔を見たことなくても、平気だったので、子供達の事も そんなに 心配しませんでした。 でも、ズキューンがきてから、心は乱れました。 お仕事 辞める、といったら、続けてよ、寂しくないよ、と言ってくれて、結局、辞めませんでした。 義母も  ずーっと 働いていたのです。 従軍看護師で、満州に言っていた時に比べられるので、何も 言いませんでした。 私が 寂しかったら  母はどうしていたのかなって  ふと  思いました。

トピ内ID:a8959a88cdbcb0b7

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個人の問題と社会の問題を関連づけない

🙂
>その母も去年急な病気で亡くなり、今、少しばかり感傷的になっているのかもしれません。 トピさんの今の心境だからこそかも。お悔み申し上げます。 でもこの心情を現代の共働き必須、キャリア形成の問題に 関連づけるのはいかがなものかと思います。 親と子の人間関係、その個人の性格だろうと思います。 「お母さんが働いていたから私は寂しかった」と言わんばかりのレスもあり引きます。 母親が家にいないと寂しい(個人の問題)→母親は家庭にいてほしい(社会の問題) そんな思考のすり替え、風潮こそが、女性の役割限定する要因になりかねません。 母親が働いても働かなくても、 情緒不安定、依存心の強い(?)子どもは一定数いると思うし、 大人になるために乗り越えるべき感情もあります。 家庭と仕事の両立、男性の意識はまだまだ低い。 女性がキャパオーバーしがちだし、キャリア形成期に妊娠出産もつらい。 こうした社会意識は変えていかなければいけないと思います。 また情緒不安定な子どものケアも必要でしょう。 「食わせてやっているのはオレだ」 かつての専業主婦全盛時代は、女性の辛抱の上になりたっていました。 この先の高齢化社会でも、このまともな稼ぎも年金もない女性たちの貧困が懸念されます。 子世代の負担、ツケが増える一方の負の側面は語られない。 どなたかのレスにあったように、日本で家庭にいつもお母さんがいた時代なんて 戦中戦後のわずかな期間にすぎず、ずっと共働きが当たり前でした。世界も同じ。 家事分担、介護は実子と女性の主張は強くなる一方です。 かつ、家にいるお母さんが望ましい?おいしい所取りはできません。 健全な共働き社会に戻ること、整備されることが理想だと思います。

トピ内ID:d36c921b3a96bce8

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うーん。難しい。

🙂
クリームティー トピ主
翔様のおっしゃること、もっとも、と思います。 ただ、仮に、女性が男性と同等に働ける、完璧な社会構造ができたとしても、その過程に子供の心情への配慮はあってもいいのでは、と思います。 例えば、会社の中に保育園や学童があって、母子ともに安心できたら、とても良いと思います。  個人的事情と社会的体制は完全には切り離せないでしょう。 古き良き時代の農村のように、 どこのうちの子でも、そこらあたりに友達やら、お兄さんお姉さんがいて、おばあさん世代が優しく見守ってくれる、という 環境は、とても良いと思いますが。今は本当に少数でしょうね。

トピ内ID:d2bd08597ec4d460

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最悪だったよ

🙂
はけ口
口を開けば、子どものために頑張ってる! 親は大変!のアピール。 子どもの心に寄り添うことはせず、忙しさからくる?イライラのハゲ口にされる日々…。 暴言、暴力の中で育った私は、子供を持ってから、インナーチャイルドが暴れ出し、不安障害発症。 心療内科にかかり、ACということ、毒親だということに気付き、インナーチャイルドの育て直し等、自分と向き合い続ける日々。 今はある程度消化され、日常生活に支障はないけど、大変でした。 だから私は、子供優先のパート主婦。 寄り添える母親でありたい。 余裕がないとイライラに繫がるから。 今は母とも良好?だけど。 嫌いにはなれないから仕方ない。って感じかな。

トピ内ID:b162f9f5f39618a6

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