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幸せを正しく認識できない

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🙂
ikenami
話題
結婚して数年目の妻です。 20代の頃に母の大病と長い闘病、そして死を経験してから、常に「死」を意識するようになってしまい、幸せなはずの今の人生や将来への希望を正しく認識できていないようで苦しいです。 夫は優しく、優秀で、生活には何一つ困っていません。 それでも、上記のように死や病気など、予期せぬ悪いことが起こることへの恐怖が常にあり、その不安を和らげようと、私は働きながら難関国家資格を得るための勉強をしています。 今のところ子供は考えていませんが、もし子供を持つにしても、資格試験に合格してからでなければ不安定な人生になるかも等、あらゆる予期せぬ事態を想像して常に人生の選択を考えてしまうようになりました。しかし、いくら金銭面で備えても、当然予期せぬ「死」へのおそれが拭えるはずもなく、予期せぬ「死」を想定する限りあらゆることが無意味に思えるなど、常に「死」に囚われてしまいます。 どのようにしてこの「死」に囚われる人生から少しでも脱却できるのでしょうか。

トピ内ID:2c6d60eb9f0ac93f

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将来への恐怖では

🙂
くらげ
大切なお母さんの長い闘病と死を経験してしまったということで影響を受けたことは分かります。 でもあなたの場合、死に囚われているのではなく、自分に自信がないことで将来の恐怖に過剰反応しているだけではないでしょうか。 そうでないと恐怖で難関国家資格を得るために頑張るなどという話にならないでしょう。 旦那さんがいなくなるか働けなくなったら、私が働かなければならない、今の職場では稼ぎが足りない、良い就職をするために難関資格を得るしか私にはない、といったこんな感じでは。お金も懸命に節約して貯めていたりしませんか。 今はほんとは幸せなのに、常に恐怖を持って、働いて、勉強してばかりでは疲れて鬱に近い状態になるのも仕方ありません。 もう少し軽く考えましょう。保険を掛けてリスクを減らす、自分の食い扶持ぐらいは働けばどうにでもなるという考え方は出来ないでしょうか。 近しい人の死とか痛みを伴う死とかは辛いことではありますが、死という終わりがあるということは、苦労も苦しみも際限なく続くことはないということで、良い面もあると思います。

トピ内ID:1a3cc8f38c15505c

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考え方次第

041
R
私は「死」はいつか必ず訪れることなので、むしろ「死」までに自分にはなにができるのか、ということを常に意識し日々を過ごしています。 私の存在によって、この世界が少しでも変わるのであれば、それは生きてきた意味があったということ。 ただ息を吸って吐いて、寝て起きるだけの一生だったら、確かに「あらゆることが無意味」でしょう。

トピ内ID:0eb7cdede930a971

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