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母にまつわる泣けるエピソード

レス7
(トピ主 0
🙂
猪鹿蝶
ひと
『ヨイトマケの唄』、あれ涙無しに聴ける人っているんでしょうか? アンガールズ田中さんの学生時代の弁当を、ある番組で母親が再現したのですが、冷凍食品が入ってるのを少し意地悪くイジられたのに対して ウチの母ちゃんは三交代制の看護師として働いてたのに、忙しい中俺の弁当を作ってくれてたんだよ!冷凍食品くらい入るわ!大体俺はこれ食ってここまで背が伸びたんだよ! そう反論すると、その弁当をかきこみ 美味い美味い、最高!と言い、その様子を見た母、号泣 番組を見た某芸人も号泣 妻が4才くらいの時の話と聞いてます 貧困に疲れ切った身重の義母は絶望の中、もう死んでしまおう、と娘の手を引いて線路へフラフラ向かったそうです。すると娘が おかあさん、おなかのあかちゃん、かぜひいちゃうからかえろうよ ハッと我に返った義母は、そうだね帰ろうか、と泣きながら家に戻ったそうです。あの時娘が帰ろうと言わなかったらどうなってたか、と初孫の顔を見ながら泣いてました 母にまつわる泣けるエピソードはありますか? ちなみに私にはそういうのが一切ありません。行きたくない誕生会に行かされて結局泣かされて帰ってきた、高熱なのに日帰り旅行に連れ出され酷い目に遭った、頼むから入れてくれるなと何度も言ったのにたくあんを大量に弁当に入れる、など正直ムカつく思い出ばかりです。まあそれはそれで平和だったんだと思う事にしてますが(笑)

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義母ですが

🙂
匿名希望
実母でなく、義母の話ですが。 私は 40年以上、敷地内や二世帯、短期間だけ同居もした長男嫁です。 義母が95歳で亡くなる数日前に、 「楽しい人生だった。家族に恵まれ、嫌な思い出もなく、あの世に行かれることが嬉しい・・・」 と、夫と義弟に話したそう。 家族に恵まれ、嫌なこともなく・・・というのは、長男嫁である私の事も含まれているわけで、 じんわりと嬉しかったですね。 夫と義弟が、多少美化して私に伝えてくれた部分もあるとは思うけれど、 それでも、確かに義母とは大喧嘩することもなく(長い同居ですから、多少のギクシャク、行き違いはもちろんありました) 平穏無事に暮らせたこと、改めてホッとしたし、肩の荷が下りた感じでしたね。 泣けるというほどのエピソードではないけれど、義母の命日を前に、ふと思い出したので書いてみました。

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目玉焼き

🙂
匿名
子供の時,卵が2個しかなくて 目玉焼きを作ってくれた母は お母さんはいらないから。と言って分けてくれました。 なんでだろう?と思いましたよ (貧困ではないです) 大人になって 果物の端っこは自分が食べ 分けて子供にあげる自分 あの時の親の気持ちがわかります。 泣く話ではないですが。

トピ内ID:dd47f031a1cf2df5

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長男教の犠牲者

🙂
まや
母は末っ子で、男4人兄弟の長男である父と職場で出会い結婚しました。 ・私が産まれた時、姑に「あら残念次は男の子ね」と言われて母乳が止まってしまったこと。 ・私が4歳の頃、母と一緒に母の実家で遊んでいたところに父が姑を連れてきて、ちょっとだけと私だけを連れて行って、遊ばせて汗びっしょりかいたのを拭きも着替えもせず、そのまま父が連れて帰ってきたため、母は私を着替えさせて急いで家に帰ったが、その晩熱を出し、数日下がらず肺炎になり救急搬送された。 なんとか助かり、見舞いにきた姑とその妹から「子供の病気は母親の責任」だと! ・親戚などに贈り物をする時、よろしくの一言で品物の選定も支払いも全て母。「いくらかかりました」と言っても払ってはくれなかった。また、母の仕事中(常勤ではないですが)も職場に電話してきて「誰々さんが倒れたから」手伝いに行って、とか自分たちが具合悪い時も容赦なく呼び出された。 ・母が少し趣味を楽しもうと思っても、結局上記のようになり、楽しめなかった。 ・母が父に「私も辛いから、誰か代わってほしい」と言っても、姑舅も父も「(病院関係など)他のやつじゃダメだ、話が通じない」と言って結局母に丸投げ。 ・全親を送って平和な日々かと思ったら、父は趣味を1人で楽しみ、その合間にガンなどで入退院し、さらにここ数年、幼馴染の未亡人の相談に乗っていた。たぶんやましいことはないとは思いたいけど…。1番私が父を許せないのは、母と出かける約束をしていた日にその未亡人と出かけてしまったこと!それも父はとぼけてうやむやにして…。1人残された母の気持ちを思うと、怒りさえ込み上げてきます。 でも、その父も今年の初めに亡くなりました。母のきょうだいも亡くなっています。 「みんな逝っちゃった…もう、何も楽しめない」 一人っ子の私ができることはほんの僅かですが、精一杯母を支えていこうと思います。

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病院での別れ際

🙂
ジョー
3~4歳ごろ、ある病気で入院し手術を受けました。おそらく2週間くらいは入院していたと思います。当然、母が面会に来るわけですが、何しろ幼かったものですから、母が帰るときになると私は大泣きし、「行かないで!」と泣き叫びました。 いつもエレベーターのところで別れるのですが、母はエレベーターに乗り込み、扉が閉まる瞬間まで、私に向かって笑顔を見せていました。 本心では母も辛かったでしょうが、私が不安にならないよう、あえて笑顔を作ってくれていたのでした。

トピ内ID:46c6d7dfe41e2692

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古びた赤い傘

🙂
sakuranbo
昭和の時代の思い出です。 小学5年生の時の思い出です。朝は晴れてたのに午後から雨になると、うちの小学校では 学校に家の人が傘を持ってくる習慣がありました。 下駄箱の横に傘立てをおいて ありました。 私はその雨の日が地獄でした(笑) 当時の傘はデニム生地のような布制だったと思います。 長く使うと(布)なので赤い傘が日焼けして、傘を開くと 色がはげて(ひとで)のような 白い模様が現れます。 私はそれが恥ずかしくて(笑) せっかく母が家から持ってきた傘を差して帰った事は一度もありませんでした。 雨がやむまで校舎の影で雨宿りしていました。 古びた傘を差して帰るのが恥ずかしくてたまりませんでした。 今思えば親不孝でしたね。

トピ内ID:7a53f0f9b7c236c3

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もう一つあります

🙂
sakuranbo
私が4歳の時に 家の裏の池に落ちて溺れていた時に、母は私の泣き声に気づいた驚いて走ってきて、私を助けてくれました。 少し池の水を飲んでしまった私を母は抱きかかえて 歩いて20分はかかる診療所まで小走りで走って連れていってくれました。 そして小3の時は夏祭りの (盆踊り大会)が近づくと 母は私の為に浴衣を縫ってくれました。 たった1日しか浴衣を着ないのに、母は浴衣を作ってくれたのです。 ☆浴衣を着てうちわを片手に 私は盆踊り大会で踊りました。 なつかしい思い出です。

トピ内ID:7a53f0f9b7c236c3

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別れの時

🙂
ロクジュウカラ
昔ながらの良妻賢母、自分を犠牲にしてでも家族優先の母でしたが、いろいろな思い出のトドメは母が老衰に至り時折意識が戻る中で傍らの私に対して「もう良いのよ、私のことなんかよりあなたの家族を大事にしなさい」と。これまでの感謝で涙が止まりませんでした。 亡くなってから早10年ですが、いつも母に見守られているような気がします。

トピ内ID:b38f593e2af984a8

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