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我慢して生きている人は、他人に寛容になれない

レス60
(トピ主 0
🙂
ローマ
ひと
我慢して生きている人は他人に寛容になれない、もしくは、自分に優しくしないと、他人に優しくできない、と言われますよね。 皆さんは、実際にそうだなと思ったことはありますか? 母は昔から不寛容で自分の考えを押し付けてくる人でした。 私の意見や話を聞いてくれず、なんでも否定してくることが耐えられず、就職を機に家を出て、今は適度な距離を保っています。 最近、母と話をして、母が昔、親に金銭的な負担をかけたくなくて、習っていたピアノを辞めたこと、家計を助けるために、短大を出てすぐに働いたことを聞きました。 一方で叔父である弟は行きたい大学に入るために4浪もさせてもらっています。 おそらく、母の中で「自分はこんなに我慢しているのに」という思いがあったのでしょう。 母がどれだけ我慢をして生きてきたか知って、母が他者に対して寛容になれないことが少しわかる気がしました。 自分が我慢していると、「自分はこんなに我慢しているんだから、お前だって我慢しろ」と無意識に心がそう思って、他人に対して不寛容になるのかも知れません。 皆さんの周りにも、実際に我慢して生きている人で他人に不寛容な人はいますか? 逆に、我慢して生きているように見えて、寛容な人はいますか? 我慢なく自由に生きていて、寛容な人、不寛容な人はいませんか? では、他人に寛容になるためには、自分の我慢を見つけて我慢をやめればいいのでしょうか? みなさんのご経験、ご意見をお聞かせください。

トピ内ID:c93f3b3320e05e15

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人による

🙂
わーまま
貧すれば鈍する みたいなことはありますが 何の苦労もしてないような人だって、 そういう人こそ程、 他人のこと妬んで馬鹿にしたりするので なんとも言えない 持って生まれた性格も関係しているんじゃないかな? どこまでもお人好しな人もいれば、 恵まれているのに嫌な人もいますよ 他人に寛容かあ、 私自身が大したことない、失敗の多い人生なので 他人の失敗には寛容であるようにしています 案外、そういうのを許せない人は多いなと思います (そういう人に良く攻撃されます) その人の余裕度とかもあるんでしょうが、 少なくとも私よりいろいろ持っているような気もします なんで私なんかに構うんだろう? 評価されるのが気に入らない?楽しそうにしているとかおもわれているのかな? 直接邪魔にはならないが、目障りに思われてそう お母さんは自分を守るためだったり、あなたを危険から守りたいから というのも寛容になれない理由なのかなとは思います

トピ内ID:b405a53c66e9636e

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気づかせてくれてありがとう!

🙂
mm
まったく持っておっしゃるとおりです。 改めて、自分の行動を見直します。 気づかせてくれてありがとう!

トピ内ID:314b1991ecc15722

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あー

🙂
匿名
「寛容」って、きちんと辞書は引いてないけれど、「広く・大らかに受け入れる」ってことでしょ? 受け入れるためには、余裕が必要でしょ? 心の袋が、(トピ主さんのお母さんのように他人の我が侭や要求で)ギチギチになっている人に、余裕なんて無いでしょ?これ以上何か突っ込んだら破れますよ。 >自分が我慢していると、「自分はこんなに我慢しているんだから、お前だって我慢しろ」と無意識に心がそう思って というか、「お前の我が侭や要求はお前が自分で満たしてくれ」ってことなんじゃない?「私にはこれ以上のキャパはありません」って。 「自分は〇〇を我慢してきた。だからお前も〇〇を我慢せよ」というのとは、ちょっと違うのかな。例えば、「自分は先輩がスパルタなのを我慢してきたから、自分の後輩であるお前たちも自分のスパルタを受け入れよ」とか「自分は姑にいびられた。だから、うちの嫁であるお前は私にいびられるべきだ」みたいな。こういう人はよくいますよね。うちの母もそう。

トピ内ID:27d24433d4455040

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不寛容を揶揄する人もまた「不寛容」

🙂
正論・正義
不寛容な人への批判トピではありませんよね?主さん自身も母からの押し付けを我慢してきて、不寛容で悩まれているということですので。 一見すると不寛容な人への批判が殺到しそうなトピックだと思いましたので念のため。 個人的には、不寛容な人ほど我慢や不自由さで「苦しんでいる」と思っています。 また不寛容な人に対して 自分が正しい・我儘・正義感が強い と揶揄している人もまた「不寛容」だと思います。 不寛容な人に対しては「そうですよね、お辛いですよね」と受け流すくらいが精いっぱいの寛容さだと思っています。 >実際に我慢して生きている人で他人に不寛容な人はいますか? います。 たとえば 大学進学を親に反対されて諦めた →大学に行かせてもらったのにワガママ言う人が許せない ですが 大学進学を親に反対されて諦めた →咳をする人がマスクしていないのが許せない この論理は成立しないので、あくまで我慢してる「対象限定」で不寛容だと思います。 >逆に、我慢して生きているように見えて、寛容な人はいますか? 私の知るかぎり思いつきません。 人前では不満をこぼさないので我慢強く寛容っぽく見えても、親しい間柄の人には不満をこぼしてます。 >我慢なく自由に生きていて、寛容な人、不寛容な人はいませんか? まず我慢なく自由に生きている人が思いつきません。 そして誰しもが許せないマイルールの1つや2つ必ず持ってます。 >他人に寛容になるためには、自分の我慢を見つけて我慢をやめればいいのでしょうか? YESと言い切れません。主さんは我慢をやめたらすべての物事に寛容になれるでしょうか?自分の耳元で大声で怒鳴る人がいてもにこやかに接することができるか想像してみてください。

トピ内ID:1ad6cb2f4848234e

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初めて聞きました

🙂
読んではてなだらけ
なんだか主語が大きいですね。ここでいう「他人」って誰なんでしょうか?家族?友人?同僚?それとも赤の他人? 寛容ってどういうことを指していますか?自由にさせること?意見を尊重すること? 「我慢して生きている人は他人に寛容になれない」なんて初めて聞きました。そんな価値観あるんですね。 我慢してようがしてまいが、他人に不寛容な人はいます。関係ないと思います。 他人に寛容になるの意味が、どのようなものを指しているんでしょうか? 極論相手との関係性だと思いますけど。

トピ内ID:d6d9a497e086a254

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我慢は恨みに変わる

🙂
コッペパン
私もよく我慢強いと言われますが、確かに人が嫌いだし不寛容です。 幸せそうにしている人を見ると、その人の影で我慢している人がいるから能天気に笑っていられるんだと思ってしまいます。 私の母も我慢強い人でした。 子どもの私が楽しそうに笑っていたら睨みつけて嫌味を言うような人でした。 たぶん当時私がお気楽に笑っていられたのも、母の我慢があったからなんでしょうね。 >他人に寛容になるためには、自分の我慢を見つけて我慢をやめればいいのでしょうか? だと思います。 我慢はいつか恨みに変わります。我慢が報われる未来なんて無いんです。 我慢を止めれば、人に優しくなれるし感謝もできるようになります。 そしてなぜか人からも優しくされるようになります。不思議です。

トピ内ID:9ce6e04d3618bea1

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そうは思いません

🙂
イエナ
私は三兄弟で少し貧しい家庭で育ったから好きなものは買えなかったし、我慢ばかりしてきました。今は旦那が冷たい性格だし、我慢ばかりしていますよ。でも、兄弟や他人やお友達には寛容だと言われるし自分でもそうかなあと思います。感謝して日々を過ごせば寛容になると思います。

トピ内ID:434874e44b050c6b

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なんか違う

🙂
違和感
人に優しくするためには自分に対して優しくいようって事じゃないんですか?

トピ内ID:30e88723245de841

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時代が時代で、みんな我慢して生きていたと思う

🙂
ぎんねこ
トピ主さん、昔は早く学校出て、親を助けるのが当たり前だった時代もあるんですよ。ピアノというのは富裕なお宅がやっている芸事で、昔の小学校はあの子もこの子もみんな習うというものではなかったです。クラスに一人か二人程度です。あとの子は、学校で習う楽器程度とか歌とかです。 また全員が才能あるわけじゃないから、中学二年程度でどんなに弾けても辞めます。それ以降は音大進学される方ぐらいです。私の高校は進学校でしたが、クラスに国立の一次試験が九割ぐらい得点できる生徒が男の子と女の子一人ずついたけれど、二人ともピアノ経験はないです。オルガンすら習ってなかったんじゃないかな。一人は教員養成系に進むのだから、本当は家にピアノ経験が欲しいぐらいの女子でしたが、見事習っていない。男の子に関しては、ピアノの巧拙がわかるか?と聞いている程度。惜しい方達でした。 その人たちだって、優秀なんだけれど我慢して生きてきたと思いますよ。 私のクラスの女の子は、一流大学や国立大の下は、ほとんど偏差値の高い短大をすべり止めにしていて、半数ぐらいは仲よく短大に進学していました。 無念ですが、いい大学じゃないなら四年制じゃなくて、短大で一流企業に就職してくれなんですよ。 そういう時代でした。 私は自分の娘にはお金しっかり出して、四年制大学に進学させましたし、三十代になる今でも一緒に同居していますよ。口減らしみたいに、いつまで養わなければならないのかとは絶対に言いません。子供が納得したら結婚すればいいと思います。子供には子供の人生があります。それはわかっているかそうでないかの違いと思います。

トピ内ID:9ed8585652c0dba1

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私もそうでした

🙂
タルト
私も心が狭くて、努力せずにいる人に対して厳しかったです 上の兄弟2人→学費は親 うち1人は留学までしている 3人目の私は、お金がないと学費は奨学金 卒後も自分の事は自分で 親から離れて自立 兄弟は、何かと親の支援あり この時点で、兄弟に対して(他人どころか)厳しい感情あり いつもトゲトゲしてました 職場でも、昔から忘れ物があったりして忘れない努力をしてメモしたり自分でチェックリスト作ったりしていたので 「ごめーん。忘れてた」と笑ってる同僚に対してイライラしてました いつも誰かにイライラ、トゲトゲしてました でも変わったのは、子どもの障害が分かり 色々学んでく中で、命に関わる事以外はたいした事ないのでじゃないか? まぁ、細かい事言わずとも最終目標に到達出来たら良いかな〜と言う考えになってきた時です 今は、他人の間違い 家族の間違いなども細かくギスギス イライラしなくなりました。笑顔が自分でも増えた時思ってます 何より気持ちが安定してます 自分自身が生きるのが楽になりました

トピ内ID:aee842ef7b2f1f01

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思わない

🙂
匿名
我慢してても別に人に寛容にもなれますし、優しくできますよ。 そんなのは、他人に不寛容で悩んでる人に対する慰めの言葉です。真にうけて本気で「我慢してきたのだから人に優しくできなくても仕方ない」なんて思う人はいませんしね。 お母さんの例で言えば、自分が我慢したからこそ、子供に自由で好きな道に進んで欲しいって人は沢山います。私も「女に大学は不要」と短大までしか許されなかったり、色々理不尽に耐えた面はありますが、子供には同じように我慢なんてして欲しいなんて1ミリも思いません。実際、子供は好きに生きてますし。 他人に寛容になるには、他人と自分をきちんと線引きして、さらに無駄な期待(自分の好む言動をして欲しい)をしないことだと思う。私と他人(家族含めて)、別の人生だし、価値観も違うものと理解する気があるかどうかだと思う。 ただ、子供に関しては、善悪や常識、マナーなどは教えないといけないから、間違ってたことをしてたら否定して叱ります。私の価値観ではなく、一般的な常識とズレていたら叱らないと、本人が後で困りますから。

トピ内ID:f180133a278b55cb

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それでも、今が良ければどうでも良くなるかな?

🙂
レモネード
私が正にトピ主様のお母様のようでしたよ。 私は英語を習うために(英語の成績が悪かった)ピアノを止めたのに、妹はチャッカリ英語もピアノも習っていました。母は妹を幼稚園教諭にするつもりだったからピアノを続けさせたのだけれど、当の本人は短大を出て、一般職のOLになって寿退職しました。 妹のような生き方が一般的だった時代に、経済的な自立を求められて、近所じゃ誰も行かない4年制の大学に行かせてもらって、気がついたらバリキャリの人生でした。 跡取りの私は親の介護もしながら、働き詰めの人生だったけど、定年を迎えた今は、気楽な一人暮らしです。小さな家を手に入れて、好きな仕事を続けて、何も煩わしさの無い毎日です。 こうなるとワガママだった妹の事も、良いように使ってくれた母親の事も、昔程は悔しくはありません。皆、あちらの世界に行ってしまったので、こっちで気楽に生きているのは私だけ…。誰にも気兼ねなく人生を楽しんでいます。 もう、どうでも良くなりました。今が幸せなのでね。

トピ内ID:f1870c3a27916894

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母は

🙂
モモンガ
母は、自分が女性であることを理由に大学に行かせて貰えなかったため、私の進学の際は父を説得して学費を工面してくれました。我慢した記憶があるから同じ我慢はさせないというスタイルです。

トピ内ID:8c59ca47dd13e5f7

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思わない。ちっとも

🙂
がまんとは
我慢て目的があってするものじゃないですか?例えば3キロ痩せるまで間食はしないとか 目的もないのに熱いお湯にずっと浸かってろとか我慢できますか?できませんよ できたとしたら好きでやってるだけ。好きでやってんだから我慢じゃない。そんな人が他人に優しくないとか性格が悪いだけとしか。 お母さんだって言うほど勉強したくなかっただけじゃないの?ピアノだって好きじゃなかったんだと思うよ。 ○○のせいで ○○の為に …なんてただの言い訳。

トピ内ID:5cedb67d5cc79fa0

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我慢の度合いではなく、人格で決まると思う

🙂
ひつじ雲
懐の浅い人は我慢した経験を恨みに変えます。 「私はこんなに苦労してるのに」と幸せな人を許せません。 こういう人は楽な人生歩む方がまわりも自分も幸せだろうけど、一生我慢せずに過ごせる人なんてレアですからね。 一方、我慢を自分の人格形成に役立てる人もいます。 我慢というマイナス経験を修行と捉え、高みを目指す人もいるのです。 まあ我慢もいろいろなので、一概には言えませんけど。

トピ内ID:ffc50cd646c126af

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昔はそうだった

🙂
達観している人
自分のきょうだい待遇格差・母のネグレクト・父の浮気・早い1人暮らし等で、20代の頃は大人になっても実家や親に甘えた人が嫌いでしたし、厳しかったですね。 でも結婚し主人がとても優しく何でも話し合えて、夫婦共働きで頑張って資産が出来てから穏やかな気持ちになりました。 他人に寛容になれないと言うのは人に執着があり興味がある証拠。 今の私は世界一幸せですが、逆に返せば人にも友達の人生にも全く興味がありません。 寛容と言われたらそうですが「うんうん、大丈夫だよ」と寛容を表に出しながら、他人がどうなろうとどうでも良いが根にある場合も寛容なのかな。

トピ内ID:783acf7f79c2daa6

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育てられたようにしか育てられないから

🙂
アメりん
昔お母様もそのように育てられたから、その方法しか知らないんだと思う。特に昔は専業主婦が多く社会経験や交友関係が広く無い視野が狭いままだったのでは? 男上女下げで私も似たような感じでしたが、社会人になり普通の母娘関係でない事を知りました。 真逆に愛情たっぷりに育った旦那と結婚しました。 別の価値観を吸収してからの子育てでしたので、何とか私で負の連鎖を止めようと意識しながら子育てできたと思います。 他の価値観を見つける色んな人と出会い視野を広げると良いのではないでしょうか。

トピ内ID:3d35f2032ff1903c

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わかる気がする

🙂
匿名
トピ主、面白い視点ですね! 確かに。自分の本心を曲げて我慢したり、無理に諦めたりすると、心のどこかに歪みが出るのかも。 身近で能天気な人を見るとイライラする。そしてその人が甘え上手で意外と上手く世渡りしてると、妬む。 他方、本当に納得して諦めたことや、自分の信念で努力してる人は、他人にも寛容(自分と同じようにすることを押し付けない)ような気がします。 あとは、他人との境界線が引けてない人はズルイとか妬みやすいですよね。

トピ内ID:646490a2f2241411

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関係ないのでは

🙂
寛容な姑を目指して
私のお姑さんは、それはもうそのまた姑から苛められ、挙げ句介護もさせられて…それこそ我慢我慢の人生でした。 同窓会にも行かせて貰えなかったと… でも私達嫁達には寛容で優しい人でしたよ。 心から感謝しています。 ですからその人次第ですよね。 寛容と我慢が直ちに結び付くことではない、と思います。

トピ内ID:403daca0a41e5e2d

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概ねそんな感じかと

🙂
匿名
私は楽天的で大雑把な性格なので、他人のことは全然気になりません。 電車でマナーの悪い人に出会っても距離を取りはしますが「我慢ならない」とまでは思いません。 ただ、こんな私でも余裕がない時は他人に寛容にはなれませんね。 仕事で疲れて帰ってきて、さらに夕食の支度をしてくたくたのところ、家族に手伝いもしないで側でのんびりゲームとかやられると 「手伝ってよ!!」とキレ散らかしてしまいます。 ただ、 > では、他人に寛容になるためには、自分の我慢を見つけて我慢をやめればいいのでしょうか? これに関しては因果が逆だと思います。 他人に寛容になるために自分の(無意識の)我慢を見つけるのだと、他人軸じゃないですか。 こういうのは自分軸で考える必要があります。 自分の我慢をやめると他人に寛容になれる、この順番だと思います。 他人に寛容になれないときに「あれ?私いま余裕がないな」と気づいて、自分を労わることは必要だと思うけど、 他人のために自分を変える必要はないと思います。 自分らしく生きて自分の長所に自信を持ち、自分の短所も許している状態だと、他人にも優しくできるというのは本当だと思います。

トピ内ID:74a590d1e04fbe20

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それって我慢なの?

🙂
ボン
やりたい事をやらなかったって意味では我慢ではありますが、習い事辞めたり短大出て働いたりしたのはお母様の意思でしょ? 親(トピ主さん祖父母)が辞めて欲しい・すぐ働いて欲しいって頼んできたのならまだわかるのですが、トピを読む限りは違いますよね? 弟(トピ主さん叔父)が4浪も出来てたのですから、お母様だってお願いしたら大学進学出来たのかもしれませんよ? 私には自分の勝手な正義に苦しめられてるだけに見えます

トピ内ID:bd83a8712bae5726

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「我慢できない人」だからです。

🙂
エス
>我慢して生きている人は他人に寛容になれない  言葉選びが不適切ですね。例えば多くのことを自制している神父さんや住職がそんな残念な人だと本当に思っているのですか?  「我慢をしている人」には「我慢が出来る人(自制できる人)」と「我慢が出来ない人(自制が出来ない人)」がいます。動物に例えるのなら、前者は食べ物が沢山並んでいるスーパーを歩いてもそれを食べてはいけないと自制(我慢)している盲導犬と同じ。自制心から我慢している者は、人でも犬でも他の人には吠えません。  それに対して後者は、エサが獲れなくて空腹の野犬や鎖に繋がれて目の前のエサが食べられない犬と同じです。食べている者を見れば吠えますよ。時には攻撃をします。  失礼ながらお母様は後者。「我慢をしてきた人」ではなくて「我慢をさせられてきた人」「我慢をするしかなかった人」であり、自分の人生に不満タラタラの状態です。「我慢できない人」だから、嫉妬心やひがみ等を押さえることも「我慢が出来ない」のですよ。 >自分に優しくしないと、他人に優しくできない  これも少し違います。優しいには「甘やかす」も含まれますが、自分を甘やかす人間は他者に対して「甘やかしてくれること」を期待するものす。例えば働きもせず親のお金で面白可笑しく生きて構わないと自分を甘やかす娘は、働きもせず子供のお金で面白可笑しく生きることを自分の親に認めませんよ。  実際に「権利はないけど親の金で進学しても良いじゃない」という考えを認める自分に優しいお母様は、「義務のない進学費用まで払わなくてもいい」という当たり前の考えをもつ親を認める優しさも持ち合わせていませんよね。  あえて言い換えるのなら「自分自身さえも認めることができないなら、他人を認めることはできない」ではないですか。お母様は自分の人生を認めていません。だから他者を認めることもできないのですよ。

トピ内ID:f0b7d1d136bf221d

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そういう人もいる

🙂
神無月
>我慢して生きている人は他人に寛容になれない、もしくは、自分に優しくしないと、他人に優しくできない という話は聞いたことがありません。 ですがそういう人は存在するでしょうし 自分が苦労している分人も苦労して当然と考える人もいると思います。 またその逆の人もいて、我慢して生きているかを知らない人もいます。 私の周囲ではそのような傾向があるようには感じません。 人それぞれという感じです。 ただ、一切の我慢をしていない人は社会で存在できないと思います。 人は自分が思ったように動いてくれないし、経済的に時間的にやりたいことのすべてはできない。 表面的に同じ我慢でも辛いと感じるレベルは人によって異なります。 トピ主さんが他人に寛容でありたいと考えていて我慢をやめれば寛容になれるのであればそうしたらいいと思いますが 我慢をやめればただのワガママになる場面も多く自分のワガママを通せば他人に寛容にはなりえない。 ですから、私は寛容であろうとする場と自分の我を通そうとする場を分けます。 そして自分のワガママを自覚してだからこそできる対策を考えます。 さらに想像力を養います。 例えば相手が自分にとって嫌な行動を取ったときに嫌がらせと取れば腹も立つけれど 相手は良かれと思っている可能性を探ります。 だからといって我慢するのではなく自分が不快であることは伝えるのですが 相手の思い違いやうっかりであり以降気を付けてくれていれば許容できる範囲は広がりますし。 確実に言えるのは自分の大きさ以上の寛容さを持つことは不可能ですので 我慢がどうのではなく自分の器を大きくすればいちいち考えずとも寛容な人間になっていくと思います。

トピ内ID:41d5ea5f3b6d9f30

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さじ加減。

🙂
nene
母親は自分が我慢しても我が子の衣食住に不足がないように心を配りますね。 「他人を大切にするためにはまず自分を大切にする」。 心理カウンセラーは相談者に対してこのように指導するのでしょうか。 けれど、人間関係に問題のある人は、そこのさじ加減が上手く分からないのではないかと思います。 自己愛が過剰になればまた別の問題を引き出しそうです。

トピ内ID:d79847d128c2d538

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トピ主さんこそ

🙂
う~ん
トピ主さんこそ不寛容です。 トピ主さんは母親という存在を神聖視しているから そこから外れているお母様を問題にしているのでしょう。 だけど母親だって一人の人間です。 悩んだり腹が立ったり トピ主さんと変わらないです。 子供の頃はお母さんお母さんだったでしょうが 就職したり親元を離れたりしたら 母親の苦労だったりいろいろ見えてきませんか? 同じ一人の人として客観的に見えませんか? トピ主さんには否定に見えたかもしれませんが それはトピ主さんが大人になる為の躾だったのではありませんか? トピ主さんは否定されたって思っていたかもしれないけれど トピ主さんが言ってたのは子供の浅知恵だったかも知れないし。 そう言った過去について トピ主さんはどれだけ客観的に見ていますか? 母親が~ってトピ主さんは言われてますが トピ主さんも同じです。 寛容ってそう言う状況を受け入れられるか だと思います。

トピ内ID:b9ae14719f17b6b1

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環境や経験がそうさせた可能性もある

🙂
梅っ子
「我慢して生きている人は他人に寛容になれない」ですか?一概には言えませんが、環境や経験がそうさせた可能性もあるとつくづく感じます。 自分ばかり我慢して、いつでも相手に譲って、相手が多少の失礼なことをしても流して許して…ということを繰り返していると、相手が「あの人は優しいから」「あの人は怒らないから」といった風に図に乗って見下してくることがあります。そういう状況に陥ったら、もう相手に寛容にする必要はないし非難して良いと思うのです。どちらか一方が我慢する、寛容になるでなくそこはお互いに思いやることが大切ということでしょうか?

トピ内ID:dc68ea8d6f4d7196

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心の問題とかトラウマも関係してる?

🙂
スカンジルイ
トピ主母は習い事をやめず、浪人して大学進学できれば、意見を素直に聞き入れてくれる母親になれたと思えますか? 私は不寛容って聞くと、友達の結婚式で「恋人すらいない私に幸せを見せつけるなんて」「無理して笑顔で振る舞ってる」「演出はこうすべきじゃない?」と言いだした人を思い出します。彼氏がいないから我慢して祝福する、彼氏がいないから自分に優しくなれないって、理由としてちょっと変かな?と思うのです…。彼氏がいなくても心から祝福する人はいるし。 だからそもそも心に問題があるとかトラウマを抱えてる?不寛容にはそういう影響がある気がしています。

トピ内ID:cd33b528878268a1

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なんだか哲学的ですね

🙂
あやぽん
こんにちは。 色々と思うところがありそうですね。 私はよく人から寛容だと言われますが、以前はそうでもありませんでした。 自分が働いている時に休んでいる人を妬んだり、被害者意識を持ったりしたものです。 ですがこれではいけないと考え、あえて自分も予定がなくても休みをとるようにしました。 そうしたら、何かあっても「まあお互い様だし、自分も休んでるし」と思うようになって、色々な場面で許容範囲が拡がり、寛容と評されるようになりました。 私の場合、寛容になれるかどうかは、自分でその状況に納得できているかどうかが重要だった気がします。 自分にも後ろめたさを持たせることで自分を納得させているような状況なので、正確にはこれを寛容と呼んで良いのかちょっと微妙ですが。 お母様は、家族のためにと我慢していたものの、本心から納得はできていなかったのかもしれないですね。 その道を選んだのはご自身なので、実はご自身にも責任はあるのですが、それを認められないままなのかも、と思いました。 認められない限りは納得もできないので、ループから抜け出せず、機会があれば誰かに八つ当たりをしてしまい、不寛容になっていきそうです。想像ですが。

トピ内ID:ef500534028791a5

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寛容とは「相手目線を想像する能力」に起因するモノだと思います

🙂
そうねぇ
寛容とは、「相手目線を想像する能力」に起因するモノだと思います。 ですから、先天的にこの能力が低い人、先天的にその能力が低いわけではなくてもストレス要因などで低くなってしまっている人には、寛容性が見られません。 >実際に我慢して生きている人で他人に不寛容な人はいますか? ストレスフルな方は基本的に不寛容です。疲れ切っているのに、他人の荷物は持てないからです。 >我慢して生きているように見えて、寛容な人はいますか? これは、本人のストレス耐性が高い人に見られると思います。能力が高いので余力があるのでしょう。 >我慢なく自由に生きていて、寛容な人、不寛容な人はいませんか? 既述のように、他人から見て我慢している、自由に見える、としても、本人の能力に対してどうか、で変わりますので、自由に見えてもそれ以外にストレスがある、そもそもストレス耐性が弱い、生まれつき他人目線が読み取りづらい、と言った理由で不寛容になる人はいます。 >他人に寛容になるためには、自分の我慢を見つけて我慢をやめればいいのでしょうか? 無理なストレスは避けた方がいいでしょう。適度なストレスは、代謝を促進し脳を活性化するので、むしろ寛容性を発揮する上で効果的だと思います。 つまり、個人差を鑑みて、適度なストレスに留める生活をするのが好ましいのでしょうね。 「よく遊び、よく学べ」は、全方位的に使える言葉だと思っていますが、ここでもそれが言えると思います。 また、先天的にその能力が低い人については、一定レベルを下回った人には相応のプログラムがあるようですが、そうではないものの生きづらさを感じている人についてどうするか、については、昨今社会に提示され始めたばかりだと思いますので、これからでしょう。

トピ内ID:318b674912c20610

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我慢をやめるのではなく、自分を自由にする

🙂
みか
自分に対して厳しい人は、他人対しての厳しいなと思うことが多いですよ。 自分に対して厳しいけど、他人に対してそうでもない…という人がいれば、 それは自分に厳しいというより「自分を罰している、あるいは許容してない厳しさ」である可能性があります。 なので、不寛容が寛容かをすべて同じパターンだと判断はできないと思いますね。 そして、我慢のいい例はコロナの時期を思い出せばわかるでしょう。 個人の心理と集団心理とはまだ別なので…。 そういうパターンも頭にいれておくといいかもしれません。 (他人を観察するのに緩めにみることができる) >では、他人に寛容になるためには、 >自分の我慢を見つけて我慢をやめればいいのでしょうか? なぜ、寛容になりたいと思うのでしょうか? そして、なぜ我慢に焦点を当てるのでしょうか? 我慢をやめるのではなく、自分を自由にするという発想もありますが。

トピ内ID:570ea054ea9a72e2

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