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死ぬのが怖くない人の心もち

レス42
(トピ主 0
😷
フグ
ヘルス
たまに、長生きしたくない、とか、死ぬのが怖くない、もういつ死んでもいい、とか軽く言う人がいますが、本当に死ぬのが怖くない心もちの人いますか。 私は数年前にがんに罹患して以来、治療は終わり治っているのに、体調の変化に怯えたり、人間ドックや検査が怖くて仕方ありません。 なので、上記のようなことを言う人がいると、大病の経験がないからそんなことを軽く口走れるんじゃないかと思っていましたが、もしかしたら本当に怖く無い人がいるとしたら、どのような心もちなのか教えて欲しいと思いました。 私は、病気以降は、日々に感謝して生きるようになり、幸せ度も高くなりましたが、そうすると、なおいっそうこの生活が続けばいいという生きる事への欲が出て、生活の中でいちいち怯える気持ちが出てくることが、しんどいです。 病気や死に怯えずに生きていきたいです。 もし、怖くない、受け入れられるだろうと考えている人がいたら、その心もちを教えてください。

トピ内ID:2f8237871672ef13

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人生やり切ったから

🙂
ポジティブ星人
52歳です。 中学の時から40歳が寿命と思って10代から寝ずに遊んで来ました。行きたいところは海外含めて全て行き世の中の遊びはほとんど網羅。あれやっておけば良かったと後悔する事は1つもありません。 最も愛する人と結婚し結婚二十数年毎日幸せ。30代で終活を始めましたが気づいたら12年長生きしています。 トピ主さんのおっしゃるとおり大病の経験がないから軽く言えるの考えもわかりますが、長生きすれば認知症の発症リスクは高くなりますし、老後資金も今は夫婦で8000万円で済んでいますが2億弱は必要になるのでは?我が家では2億超えは用意出来ないですね。 全てにおいてメリットとデメリットがあり、長生き=認知症リスク高がとにかく怖いので今日亡くなってもOKです。最高の完璧な人生!人生やり切った!と断言できます。

トピ内ID:73b9aed4e5f7d0ef

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私は年齢を重ねて怖くなくなった

🙂
うどん
若い頃は私もあなたと同じように「死ぬのが怖くない人」なんて信じられませんでした。 でもね、もうすぐ還暦を迎える年齢の今は、「死を迎える事より、病で苦しむ事と、介護が必要になって家族に大変な思いをされる事の方が嫌だな」と思うようになりました。 これは、両親や祖父母をはじめとした親類たち、友人や知人、私よりうんと年下の後輩たちなど、大勢と今生のお別れをしてきた事から、誰であっても生まれてきたからにはいつかこの世から去る日がくると思えるようになった事。(介護や看病も沢山いたしました) 後悔が無いわけじゃないけど、もう自分の人生においてやることはやったという充足感。 年々不調や無理が利かなくなりしんどい日が増え「老い」を実感しはじめ。そのうちに本当に動くことも考える事もできなくなり、私もこの世からお別れする日が来るのだろうなと受け入れられたからだと思います。 トピ主さんは、がんを克服されて、まだまだやりたいこと見たいものがあるでしょう。 だから怖いんです。怖くていいんです。 怖いから健康に注意して、日々頑張って生きていけるんですから。 でもね、「死は怖くない」という人の事は否定したり疑ったりせず。「そういう人もいるのか」くらいに思って否定はしないで上げてくださいね。お願いします。

トピ内ID:277df48f0424aae2

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まだお若いから。

🙂
みんな通る道
私はもうアラカンなので、 残り時間の方が絶対に少ないし、 人は誰でも死ぬんだし、 順番と思っています。 できるだけ元気で長生きできたら、 いいですけどね。 ただ、 毎晩、今日で最後かも、 という気持ちになるので、 寝るのが遅くなってしまいます・・ 寝る前に、 「今日も楽しかった」 と思えるように、 1日を過ごすようにしています。

トピ内ID:f7ca9ab7efaa8765

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口には出さない

041
なな
本当にそう思っている人は口には出さないのであなたには軽く思えるのかもしれませんね。 私は50歳ですが、25歳に重度のうつ病になり今に至ります。 病気の症状の一つに希死念慮が強いことが挙げられます。 ですので私は人生の半分を死にたいと思いながら生きて来ました。 特に数年前に子宮全摘してからはホルモン剤により衝動的に自らの意思とは関係なく死への衝動に駆られました。 前述の手術を乗り越えてからは、もういつ死んでも悔いはないと日々感じています。 ひと昔前までは人生50年でしたからもう死んでもおかしくありません。 事実上天涯孤独ですし、一人が好きで一人で何でも乗り越えて来たつもりです。 流行りのコロナウイルスにも罹患し、嗅覚障害になり、その後は喘息のおまけまでつき毎日吸入しています。 睡眠障害もあり、多量の薬を飲んで無理矢理眠ることに疲れ果てました。 私の命を捧げてあなたが少しでも楽な気持ちになれるのであればいつでも差し上げます。 先日健康診断を受けたのですが、どこにも異状はなく健康そのものだと言われウンザリしました。 毎日なんとかやり過ごしながら生きているのに健康なんて有り得ないと思いました。 あと何十年も生きるなんてゾッとします。 ファッションとガーデニングだけが生きる楽しみです。 変わり者ですよね。 出来れば苦しまずに眠るように亡くなるか、気付いたら遅くて余命ひと月で死にたいです。 洋服や靴、コスメなど処分する時間だけ与えられたら幸せです。

トピ内ID:118d192e78547508

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癌になったことあるけど死が怖くないです

🙂
桜たのしみ
わたしは癌でした。(なんか自然に克服できちゃったけど)癌だと告げられた時も、癌が消失したと聞かされた時も別に怖いとか悲しいとかもっと生きたい、病気怖い、なんて思いは全くなかったです。 実に単純で、生きとし生けるものいつか必ず死ぬ、それが早いか遅いかの違いでしかない。なんなら明日も生きてる保証はなく、死ぬ時は死ぬ。ただそう思ってるだけです。 自分1人死ぬことは取るに足らないことです。自分が死んだところで世界は依然として存在します。泣いてくれる人がいたとしても一過性の話ですしね...そのうち忘れる。 長生きもしたくないです。 だって生まれたいと自ら強く望んで生まれた訳じゃないし。親が勝手に産んだだけですし。 恐がってれば状況が変わるわけでもないですし...。いちいちビクビクと怯えてたらそれこそ人生の無駄遣いじゃないですかね。 もう1つ。桜は満開だと嬉しいし、散ってしまうと寂しいけれど、それなら桜は意味がないのか。儚いからこそ心に残る事もあります。ただ生き長らえるだけが全てではないって事は、年端のいかない子供でも気づいてて理解してそうですが。 ぶっちゃけ身も蓋もない言い方しちゃうと、生き物みんなDNAの運び屋に過ぎなくて死ぬ前提だから残そうとするだけなので。自意識過剰にならない事と、もう少し物事に対して割り切ればいいと思いますよ

トピ内ID:b7efd904368d5535

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これ以上病気に苦しんで生きたくない。

😢
通りすがりの40代
40代半ば女性です。 まさにそのタイプです。 長生きしたくない。 いつ死んでもいい。 理由はトピ主さんと正反対です。 病気で生きていることに疲れて、病気を休みたいから。 これ以上、病気に苦しんで生きたくないから。 これは私個人の性格と考えと育った環境から来るもので、とても偏った考えとは自覚しています。 私は記憶のある限り、健康だった日が1日もありません。 生まれた時から重度のアトピー。 食物アレルギー。 さらに喘息による激しい咳。 扁桃腺肥大や中耳炎による発熱。 度重なる帯状疱疹、蜂窩織炎やとびひ。 そのたびに親に怒られてきました。 健康な弟と比べて育てにくい、父親ににてゾッとすると言われて育ちました。 学校ではいじめにあい、不登校。 それでも大検を取り、大学に行き、就職し、結婚もしました。 結婚2年目になった病気、 大腸がん。 しかも腫瘍は小さいのに10%の確率にあたりリンパ節転移が見つかり、抗がん剤もしました。 自己注射もしつつ。 ついに精神科にも通い始めました。 晩婚なこともあり、抗がん剤もし、自己注射もやめられず、子どもは諦めることにしました。 今でも再発の恐怖、アトピー、そしていつの頃からか救急搬送されるほど重度の片頭痛、毎日ギリギリです。 病院代を稼ぐために働いて、薬で生き伸びているから病気が増えてく。 生きてることが恐怖です。 このまま健康を知らずに長生きするくらいなら、早く終わって良いと思っています。 私の場合は思春期前の子どもの頃から、長生きしたくないと思っていたタイプです。 そのための手紙も残しているし、遺言書も作成済みです。 興味があるなら、キューブラー・ロスや、清水研先生の本をおすすめします。

トピ内ID:e1e4ca7653a4a727

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私は残される方が怖い

041
ドナドナ
夫には一日でも良いから私より長生きして欲しいと思ったりします。 まぁ、そんな事を考えても仕方ないので、頭に浮かんでも忘れるようにしています。 人は頭が良くなりすぎて、余計な心配をしなければならない生き物なんだなと思うのです。

トピ内ID:8a298319f4c5f1b7

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人生成るようにしか成らない、から

041
テッポウ
トピ主さんのトピの言葉尻を捉えようと言うつもりは無いのですが、トピ文に矛盾が有るように感じました。 〉私は、病気以降は、日々に感謝して生きるようになり、 〉幸せ度も高くなりましたが、 (中略) 〉病気や死に怯えずに生きていきたいです。 今幸せ度が高くなったと感じているなら、この先に有るかもしれないその絶頂(?)はトピ主に分かるんですかね? 多分、其は無理だと思うのです。逆にどういう状況になれば「幸せな死」と言えるのでしょう? 私は、レスタイトルのように思っていますが、此もトピ主さんに言わせれば「軽く口走ってる」と思われてしまうんでしょうね。

トピ内ID:0f27d6d1e1f3c00d

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生きることが楽しい方が珍しい。

🙂
さばとら
うーん、生きてる方が辛い状況で、何度か人生から降りることを試してはみていますが…難しいです。 怖いというより、咄嗟の回避行動が強いです。 病気を治療するのも、同じではないかと。 嫌なこと、苦しいこと、不安なことがあるから、できるだけ逃げたい。 それだけでは?? 死が怖いというより、そこまでの経緯の方がよほど怖いですよ。 生きることに欲がわくなんて、羨ましい限りですね。 私は存在するってことも、現実だとか魂だとか自我だとかも、今は信じてません。 だから生きるのが楽しいってことも、なくてもいいし、あればラッキーくらいのものです。 生きるのが幸せのは、幸せな夢を見てるのと何か違うのでしょうか。 ずっと幸福な夢を見ていたいというのは、怠惰な甘えではないでしょうか。

トピ内ID:d8c473cdba1f8318

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怖くはないです

🙂
匿名
家族に恵まれず、中学生頃からカサンドラになり、それから長年うつ病に苦しみながら頑張ってきました。 仕事は必死で頑張り評価をいただけました。自己満足ですが全うしたと思っています。 結婚相手には恵まれ、自分でも実感するほど心も身体も元気になりました。 幸せや楽しさを感じます。 もう少し一緒にいたいな、と思う反面 また苦しみ、悲しみ、辛い思いをするくらいなら、このまま幸せに死にたいな、笑いながら死にたいな。

トピ内ID:4f453d3f03839672

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充分生きたから

🙂
イチゴ大福
年齢ではなく経験としてもう十分だと思ってるから。 開頭手術4回しました。 毎回死んだときのために親しい友人たちにカード(いつもありがとうみたいな)と、贈物をしていました。 毎回です。 感謝の気持ちを言わないで去るのは心残りだから。 私は守るものが無いんです。夫はいますが私が死んで悲しんだとしても 一人で生きて行ける人です。 子どもはいません。 当時3年前には母がいましたが彼女からは幼少期から虐待されて育ったので そしてホームにいるため守る必要がありません。 頭蓋骨を4回も開けた人って医師たちいわくレアケースなのだそうです。 不運だと言った医師もいましたし哀れんでくれた医師もいますし 3回目と4回目の間に吐血下血で救急搬送後消化器で入院。 大きな胃潰瘍が出来ていて輸血を2パックしても貧血が改善せず大変でした。 個室に甘い点滴の臭いが立ち込めていて吐きそうでした。 私は十分生きた。ほんとうに。 幼少期からこの年まで頑張ったと自分で思う。 まだ決着がつかない案件があるので今は死ねないけれど来年春に決着がつくのでそのあとはどうでもいいかな。 婦人科でガン化しやすい状態になっていて経過観察しなければならないのですが 行ってません。 ただガンになったら闘いつかれるまで闘うと思います。 小さい頃からというか生まれた時から血液の病気や免疫の病気 小学校3年まで社会に出てないし結婚後も色々な病気が見つかったし なんだかもう十分だなって。 私の難病の友人は本当に最期まで闘って逝きました。 かっこよかったです。彼女らしい最期でした。 命は大事命は大切だと思いますがどう生きたか?の方が大事に自分は思います。

トピ内ID:017db7fe5d9fd9d4

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何故だかわからない

🙂
しろ
希死念慮という言葉を聞いて、初めて腑に落ちました。私はもう50歳を過ぎましたが、思春期の頃からその思いと共に生きてきた気がします。 生まれた時から父はおらず、生まれつきの持病もあり、正直毎日をこなすのに精一杯という気持ち。 いじめられたり、経済的に困窮していたわけではありません。母や兄弟とも普通に仲良く、学歴も職歴もまあまあ。それなりに普通に幸せな環境だと思っています。 ただ周りからシッカリしていて何でも克服できると思われていて、自分には重すぎるタスクを常にこなしている感じ。 実際持病を診てもらっている主治医から、「この病でこれだけの生活を送るのは相当大変」と言われるのですが、周りには軽くこなしているように見えるらしい。 周りをガッカリさせてはいけない、体調や環境に甘えてはいけないという思いが招いたことなので、自分が悪いと自覚していますが。 実は数年前健診で予後不良な病気の可能性が見つかり、精密検査を受けたことがあります。 その時の自分は驚くほど冷静で、淡々と定期預金の整理や断捨離などをこなしていて、自分で自分が怖いくらい。 実際その病気ではなかったことが判明しましたが、ビックリするぐらい喜びもわきませんでした。 質問の答えになってるかどうかわかりませんが、こういう人間もいます。

トピ内ID:438fdabb9e30e0e9

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仕方なしに生きてるだけ

🙂
ナスナス
私の場合は仕方なしに生きてるだけだからですね。 20代のころ、消えようと思ったけどできなかったので、消える勇気すらない私は仕方なしで生きようと考えているのです。 病気・事故・災害・・・そのときは仕方ないと思ってます。 私にとってはその方が気持ちが楽になりました。 ずっと「生きたいのに生きられなかった人もいる」とか「死にたいなんて甘えだ」とか 「天命がくるまでは必死で生きるのが人間だ(それができないやつは能力が無い)」とか 自分で自分を縛るような思考をもってましたので、”仕方ない”と思えた時、楽になりました。

トピ内ID:0626baa9738793c2

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私は怖い派ですが

🙂
ししまい
私の父は、中学生の時に祖父(父の父親)を亡くしているので、「死んだら、じいちゃんに会えるからな」と怖くない風でしたよ。

トピ内ID:76918bc4e488366a

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怖くはないかな

🙂
さくら
50代半ば、現時点では健康です。死自体は怖くないかな。 理由は、私の個人的な感覚ですが子育てを終えたから、です。 もうすぐ末っ子もパートナーと一緒に住むことになり家を出ます。子どもたち全員結婚したり、好きな人と結婚を前提に一緒に暮らして独立しました。 もう私のバトンは子どもに渡し終えた、そんな気持ちなんです。 でも人間ドックも行くし、健康も気にしています。それは簡単にピンピンコロリと死ねないことがわかっているから。病気になったら辛いし痛いし苦しいこともある。それは嫌だな、と。 長生きするのが目的ではなく、極力ピンピンコロリを目指し、ほどほどに自立して長生きしておきたい。 あと命や人生を粗末にする背中を子どもたちに見せたくないから、ちゃんと趣味も楽しんで、生き切ってピンコロ目指します。

トピ内ID:f498853a9dd26af8

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怖がるのは1回でいいよ

🙂
はりー
死ぬのが怖いとは思ったことないですね。 子供達が小さい頃は怖いではなく今自分がいなくなるわけにはいかないという使命感のようなものはあり、大好きだったジェットコースターすら防衛反応なのかなる気になりませんでした。 が、今は上は大学生、下は中学生。 それぞれ家事も仕込んだしお金も残せるし、たくましく生き抜いてくれると思うので何の心配もないです。 仕事も充実してるし、夫婦仲も家族仲も良く、健康お金人間関係にも心配がないからかもしれませんね。 毎晩、あー今日も楽しかった!と思った瞬間寝てるし、今朝の朝ごはんは何を食べようかな〜と楽しく起きてきます。 死への恐怖は、本当に目の前に迫った時でいいじゃん、という考え方です。 病気等で徐々に弱る場合も、恐怖は最後の最後でいいと思ってます。 それまでは楽しいこと見つけますよ。 死ぬのは人生でたった1回です。 だから怖がるのも1回でいいですよ。

トピ内ID:796c35c5c2985b7e

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死なないと思ってるから

🙂
キツネ
軽々しく「死」を口にする人は、まだ自分は死とは縁遠いと思っているからかなぁと思います。 人生辛くてもう死にたい!と思う事って誰しもある事だと思うんですけど、健康だし、死ぬ気配が無いから簡単に「死にたい」なんて言えるんですよ。 私は仕事で高齢者の方々と関わる事が多いのですが、「長生きしたい」「次のオリンピックまでは頑張りたい」とか、生きることに前のめり、しがみついてる感じがあります。それは年齢的に身近に死を感じているからだと思います。 死にたいと言う人ほど、死を身近に感じていないのだと私は思います。

トピ内ID:3f701f4ce9dffd69

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たまにいるよね

🐶
イヌ山
・人生やりきった人 ・人生が超ハードで降りたい人 ・長生きする事で生じるリスクが怖い人 とかかな? 私は毎日楽しいのでまだまだ生きたいな〜 大好きな夫を悲しませたくないので夫が死んだ次の日に死にたいな。

トピ内ID:57130a48a036701b

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私は微妙です

041
匿名老人
死、そのものが怖いかと言えばそうでもない気がします。 特に長生きしたいとは思いませんし、子供や世間様の足を引っ張る前に逝けたらいいなと思っています。 そういった意味では、癌も悪くないと思っています。 ゆっくり死んでいけるようですから、いろいろと死に向かって準備してきたことの再点検ができるのが魅力です。 でもね。 死に至る行程は怖いと思ってしまう。 痛いのは怖いし、呼吸が辛いとか思うように食べられないとか、五感がゆっくり無くなっていくとかも怖いです。 死後の世界を知らないから怖いというのとは違います。 未知ゆえに怖いという感覚は分かりますが、過去何千億、何兆人という人が死んでいったのですから、そこは恐れません。 痛いという事象を知っているから怖いのです。 楽に死ねると確定しているなら死ぬのは怖くないです。 苦しんで死ぬのが確定しているなら死ぬのは怖いです。 なんだかよく分からない主張になってしまいました。 ごめんなさい。

トピ内ID:3baa5435ee214050

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概念的な死だけを考えているから

🐤
れんげ
死ぬのが怖くない人というのは、概念としての「死」が怖くないと言っているだけで、そこに至るまでの過程には意識がいっていないんだろうなと私は思っています。実際身近な人が死にいたるまで何年も苦しみ抜くのを目の当たりにしていたら、あまりそういうことを言わないのではないのでしょうか。 私も最後の瞬間としての死はあまり怖いとは思っていません。いずれ誰にも訪れるものですし、死後は無だと考えています。ただ怖くはないけど、当分きては欲しくないです。 舅姑の亡くなるまでの数年は壮絶でした。自分がああいうふうになってしまったらと考えると、それは怖いです。

トピ内ID:ac752c071e29fb19

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死が身近にあるから言える

🙂
南風
若い頃に大病をし、最近癌にもなったので死は常に私の身近にあります。 私も昔からよく言いますよ。 いつ死んでも悔いはない。 言い続けて今50代になりました。 やりたいことはやったし、できないかと諦めていた事を実現することさえできました。 もう十分。 あとは天国へ行くだけだと思っています。 病気をする度に感じるのは、 死ぬ事より、生きたまま治療の大変さやそのための費用に負担を割きながら、 制限の中で長々と暮らしていくことになるのは嫌だなということ。 病気でも年老いても、別人のような容貌になったり足腰など弱って不便しながら生き延びたいとは思わない。 死ぬ時に苦しかったら嫌だなあという怖さはあるけど、死ぬことそのものは怖くないです。 怖がったって避けられるものじゃないですし。必ずしなくちゃならないことなら怖がっても仕方ない。 毎日、今日一日に感謝して楽しんで、 あー今日もやりきった楽しかったと思って眠りにつきます。 そのまま翌朝目覚めないかもと思ってもなんの心残りもないようにしていると、 死ぬことは怖くないですよ。 憧れている歴史上の人物に天国で会えたらいいな。

トピ内ID:5c3227c2f5f7afcd

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トピ主さんは死と病気をごちゃ混ぜにしている!

🙂
香林坊
トピ主さんが何歳の方かわかりませんが、死と病気は別々のものです。死んでしまったらもはや病気にかからないし、ガンだろうが脳梗塞だろうが糖尿病だろが、それは生きているからかかるのです。死んでしまったらどんな病気からも解放されます。 いつどんな病気にかかっても問題ないという人はいないと思いますが、いつ死んでもいいという人は現実にいると思います。死というのはいずれやって来る当たり前のことだし、自分の人生においてやるべきことはほぼなし終えたと思える人は、いつ死んでもOKとなるのではないでしょうか! 死は病死だけではなく事故死あるいは老衰もあり得ます。死はいつやってくるのかわからないのです。 死が怖いという人は、まだまだ自分の人生においてにやりたいことがいっぱいあるし、このまま死んでしまったらどうしようとか、あるいは全く体験したことのない世界がどのようになっているのだろか?と色々と妄想を抱くからではないでしょうか? 一般的に若ければ若いほど死ぬのが怖い!となりますが、歳を重ねるに従って心の準備というのが出来上がって行きますから、死に対する恐怖は薄らいでいくと思います。老後というのは死に対する準備期間ととらえればよいのではないでしょうか?

トピ内ID:db3e9b1dbd12d7d4

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人間ドックですい臓がん疑いになって思ったこと

🙂
麻婆春雨
50代主婦ですが、先日人間ドックでひっかかり、すい臓がんの疑いで要精密検査になりました。父親が50歳ですい臓がんで亡くなっているので、あぁ、私もそういう年回りかなと妙に納得しました。 結果大丈夫だったのですが、精密検査を受けて結果がわかるまでの5日ほどは色々なことを考えました。私はてっきり後50年は生きてしまうのだと思っていたけど、50代で死ぬのも運命かな、と。抱えている大小の悩みや課題を全部放り出して逝けるのかと思うとすうっと楽になる気もしたし。後50年生きねばならないよりは、夫がまだ元気なうちに、夫と子供と悲しんでもらって送ってもらうのも悪くないな、と思ったり。私達夫婦は仲が良いので夫に先立たれるショックから立ち直れる気がしませんし、その後も一人で何十年も生きねばならないなんてうんざりだなと常々思っていたので。 闘病生活は壮絶なものになるだろうし、介護脱毛は身体がまだ動くうちに受けなければ、と思ったり。良くて経過観察や手術、悪くすると手術もできないかもしれないと思っていました。実際にすい臓がんの診断が下っていたら死ぬのもいいわ~とはあっさり割り切れず、じたばたしたとは思いますが、結果は仕方ないし受け入れようとは思っていました。身辺整理やお葬式、お墓のことまで考えました。 異常なしと分かった時は拍子抜けして、週末は昼寝ばかりしていました。かなり緊張状態だったようで疲れが出たのだと思います。まさか人間ドックの腹部エコー検査が否定されるとは思わなかったので、確実にすい臓がんだと思っていたので。道を歩いている人も皆健康そうに見えて、いいなー、癌じゃなくてみんな健康で、と羨ましく思ったりしました。生き生きと道を歩いている人、お年寄りもみな輝いて見えました。健康で年を重ねられることはすごいことだとつくづく思いました。

トピ内ID:b24488648de3e8f6

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いつかはみんな死んでしまう

🙂
白ワインが好き
60歳女性です。 10代の頃に本当にある日突然兄弟を亡くしました。交通事故でした。 それ以降、いつ何が起こるかわからない、もしかすると今日または明日死んでしまうかも、と考えるようになりました。 20代で母も突然病気で亡くなり、ますます死に対する恐怖はなくなったように感じました。 どうせそのうち死ぬんだから、と長期のビジョンが立てられない時期が長くありました。 40代になり、自分はまだまだ生きそうだな、と思っていた矢先の50歳の時に癌になりました。 初期でしたが、手術前はとてもナーバスになり、死ぬのが怖いと思いました。 自分でも少々驚きました。 いつ死んでもいい、誰でもいつかは死ぬんだから、といつも思っていたのに。 人間誰でも本当は死ぬのが怖いんだと思います。 だって生きている人で死んだ経験がある人なんていないんだから。 死んだ後どうなるか知っている人はこの世にいません。 そんな未知の世界、誰だって怖いに決まってます。 でも、生がある人、みんないつかは死ぬんです。 その怖さを軽減するため、神様や天国、宗教に頼る人がいるんだと思います。

トピ内ID:34c494bbd4b5b2b1

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そういう生き方をしてきました

🙂
下の上
我慢我慢ではなく、我儘三昧な生き方でした。やらない後悔よりやる後悔ですが、やったことに後悔はしません。 大病もそこそこしました。腫瘍ができて手術して2ヶ月入院をはじめ、別件で抗がん剤治療で脱毛や口内炎、吐き気を数クール。 他にも何度か入院しました。 昔は海外旅行も行ったし、国内もあと数県で都道府県制覇。 あとやり残したことというか、夫より先に死にたくはないということと、孫の顔が見てみたい。ですが、こればっかりは自分の力ではなんともなりません。 だからもういつ死んでもいいです。 断捨離できてないからこどもへごめんね。と思って少しずつ片付けてます。 医者にはあと30年40年使う体ですから、大事にしましょうと言われていますが、母も50才で亡くなってるので、毎日悔いのないよう生きています。

トピ内ID:c65c3c68e7ef0369

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死と直面したからです

🙂
とまと
私は両親を看取ってもう自分に家族は居ないしいつ死んでも構わないと思っています。 死ぬのも怖くありません。 簡単な話です。 この世にしがらみがないからです。 あの世に行った人達の方がはるかに多く大切だからです。 宗教観もあります。 トピ主さんが怖い、死にたくないのは、この世にまだ大事な人がいるからです。 その人達との別れが辛い。 子供や老親ならば責任もある。 大切な人を喪った時、これから大事な人を残してあの世に逝かねばならぬ時、人は哀しく寂しく耐え難い。 それを鎮め慰めるために宗教はあるのです。 私は毎日仏壇神棚に手を合わせ祈るので、死を恐れる気持ちはありません。 もし死病を宣言されても私は「タイムオーバーで終了ね?了解」って感じです。確信がある。 トピ主は勘違いしています。 死にそうな病気をしてないからではなくて、死に逝く人を目にしたからです。 十分生きてもういつ死んでも大丈夫って思うのもあります。 苦しくて死にたいとよく言う人が居るけれど、それは若者特有の希死念慮だから、それとは一緒にはして欲しくない。 本当に命の受け渡しができれば良いのにと思います。 要らない人は欲しい人に譲ってやって欲しいと思う。 私も命が尽きるまではこの人生をまだまだ楽しむつもりですが、それがもし明日終わっても心残りはありません。 要らない命をやろうと言われたら、必要な他の人に譲ると思うけど誰も要らないなら私が貰っても良いと思います。 神仏から受けた命を粗末にするのは最低です。 だからそれと一緒にされたくないけど、別にしがみついてまで生きるつもりもないし死ぬのは怖くない。 痛いのだけは嫌だから楽に死にたいとは思ってる。 人の身体は神が上手く造ってくれて、本当に辛い痛みには耐えられる仕組みがあると何かで読んだから、その心配もあまりしてない。

トピ内ID:c7502c516c7c82a2

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もう十分に生きたから

🙂
キャラメルプリン
5年程前に断捨離を兼ねて家を建て替えました。子どもはもう独立しました。 親も夫も見送って、後は自分の最期だけです。 定年退職を迎えてしまったので、残った資産を補う為に、63歳の今もフルタイムで働いています。 65歳になったら年金生活者になる予定ですが、働かない訳にはいかないと思います。 何時まで生きるのか分からないから。いくら遣っていいのか分かりません。 旅行や趣味等の楽しみはありますが、何れにしても消化試合です。 ここまで来るとね、本当に何時お迎えが来てもいいのですよ。お若いトピ主様には理解できないと思いますけどね。 私の母も言っていましたよ。これ以上は周りの迷惑になるだけだから、この辺りで逝きたいってね。 この先、何か病気になっても積極的な治療はしません。治す必要がないからです。

トピ内ID:3cfb9b06a28cdc75

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怖くないです

🙂
還暦前
病気で苦しんだり、手術はこれまでもありますので、大変なことは分かりますが、死ぬこと自体は怖いと思いません。 仕事も家庭も十分楽しく過ごしたので、残された妻が気になりますが、困る事が無いように必要な準備を済ませています。 決して早く死にたいわけではありません。

トピ内ID:1d086e3f4420d520

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子どもの頃から怖くない

🙂
命の約束
だって、永遠の命の方が怖くないですか? 未来永劫生きるとか絶対キツいよ。 周り全部に置いて行かれて、見送って。 死ぬって、自然の摂理が与えてくれた、万人に平等な、命の約束です。 それに、突然来るわけでもない。 たとえば、犬を飼うとウンコもセットですよね。 物はつくられたら壊れますよね。 命も生まれたら死にますよ。 それに、急なわけでもなく、身体の中では常に死と再生が繰り返されています。 爪だって、生まれたときの爪ではなくなってます。 細胞単位の死は繰り返されていて、それが全体に及んだときに人は死にます。 そもそも、死生観として、大事な人の死も、自分の死も、悲しいという感じはありません。 寂しいなぁという感情はあるけど、悲しみはあまりないですね。 死がそもそも不幸だとか怖いだとか、ネガティブなものではないんですよ。 好きな物と嫌いな物が等価値であるように、喜びと悲しみが等価値であるように。 死ぬことより生きることがいいことでも偉いことでも幸せなことでもない。 こればっかりは死生観の違いです。 産まれたから、死ぬんです。 その約束は違えられてはいけないし、忌み嫌うものでもないと思います。 特になんの宗教も信仰していませんが、生と死は、自然の摂理が与えてくれた等価値の概念だと思います。 ちなみに私は分娩時に心肺停止しているので文字通り死にかけたことがありますが(心肺停止を死ととらえるなら、一瞬死んでる)、それによって死生観や価値観が変わったということもありません。 大病していないから言えるのだとか、年齢はあまり関係ないかと。 むしろトピ主さんにとっての死が私にはよくわかりません。 安寧や救済は恐れたり忌避するものでしょうか。 死がない人生とか、私なら怖すぎるのですが。 トピ主さんはそちらの方がいいですか?

トピ内ID:81a195c4f03b6eff

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生きることそのものが精神的な負荷

🙂
いまもも
実家が宗教してたのもありますが、 私の人生は私自身のためでなく、 他人や身内や目に見えない神様のためであると毎日毎日言われ、 そう思い込める修行の習慣がありました。 それに加え、 歳の離れた姉達に 「お前が産まれてから両親は変わった。お前が産まれるまではこの家族は幸せだった。お前さえいなければ。」と何度も何度も怒鳴れ続けてきました。 私は女ですが、 母が私を身籠った時、「男だ!後継者だ!」と、神のご加護だと暴走した両親が、 緩く付き合ってきた宗教に全財産全人生をかけてのめり込んだので、 姉達がそう思うのは仕方ないことだと思っています。 そして産まれた私が男でなく女だったことで、 必然的に1番上の姉は突如後継者に仕立て上げられるし、一切の選択の自由は無くなりました。 子供心に、 「私が男だったら、皆幸せだったんだろうな。」と、何度も思い知らされました。 自由な時間や選択肢がないのは、私も一緒で、 急な来客があれば、食べかけのうどんを置いてお茶出し、 両親が家にいない時は、両親の代わりに来客の愚痴を2時間正座で傾聴。 貧乏で家に餅しかない日もあるのを不憫に思って私宛に頂いたケーキを、 両親は急な来客があればその方に出してしまう。 もちろん、「私がもらった物なのに!」なんてことは言わせてもらえる環境ではありません。 本音とは裏腹に、 「お餅しか出せる物ないから、ケーキあって助かったなぁ!」なんて言ってた小学生時代。 私には、時間も、身の回りの物も、頂き物ですら、 私の自由になるものは1つもありませんでした。 なので、ありとあらゆる欲や感情を抑え込む毎日が苦しく、 10歳くらいの時には 「死ねたら楽になるのかな」と思うようになってました。 積極的に死にたいと行動に移すことはありませんでしたが、 多分それも許されないのだろうなと、それすらも我慢し過ぎて諦めたが近いかと。

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