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「文学性」ってなんだろう

レス19
(トピ主 7
🙂
話題
抽象的な問いかけですみません。 「文学性」ってどういうものだと思いますか? まだ、どういうものに「文学性」を感じますか? 私が子どものころに読んだ本、翻訳ならば、高橋健二訳のエーリヒ・ケストナー、瀬田貞二訳の「ナルニア国物語」シリーズなど、日本のものなら、石井桃子、山中恒、石森延男など、今読み返しても「ああ、文学だなあ」と感じます。 私が感じる「文学性」というのは、テーマはもちろんですが、言葉の選び方、表現力などなのかもしれません。 自分が、わりと言葉にこだわりがある方だというのは自覚しています。 先日書棚を整理していて、吉田秋生の漫画「櫻の園」を見つけて読みました。これも、私にとっては文学でした。 今は社会人となって遠くに住む子どもが置いていった漫画です。 今、「BANANA FISH」を読んでいます。 この漫画家さんも「BANANA FISH」も、ずっと名前は知っていましたが、私が高校生の頃のめりこんでいた作家J.D.サリンジャー、『バナナ魚にはもってこいの日』をモチーフにしているのかと思って、なんとなく私の大事なものに踏み込まれた感じがして、これまで読まずにいました。でも、遅くとも読まないよりはましですよね。 また、最近では、スティーブン・キング作 白石朗訳の『ビリー・サマーズ』にも文学を感じました。 これを読んで泣きました。中学生のとき読んだ『フランダースの犬』以来です。 本を読むことが好きです。良い文章を読むと胸が震えます。 「文学性」について、いろいろ聞かせていただけませんか。

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私が感じた「文学性」とは、

🙂
耽美たろう
三島由紀夫の耽美、虚栄、衒学の悪魔に憑依された私は大学生でした。

トピ内ID:119ec7bbf59e9125

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難しいことは分かりませんけど

🙂
あんこ
子供のころに何かで読んだのだったか、誰かに言われたのだったか忘れましたが、「『楽しい』という言葉を使わずに『楽しいという気持ち』を表現してごらんなさい」みたいな言葉が印象に残っています。 「楽しい」でなくて「美しい」でも「悲しい」でも何でもいいのですが、そういった言葉や表現の用い方に現れるのが文学性なのかなと思います。 正確で分かりやすいことが求められる学術論文とか報道、仕事上の文章でそういう書き方をされたら困ってしまいますが、人の心の動きや行動って必ずしも分かりやすく説明できるものではないので、そこに「文学」の存在価値があるのかなと思っています。

トピ内ID:b33130045945cf86

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翻訳です

🙂
先のことはわからない
原文から翻訳は同じ内容になると思っていましたが、翻訳者にて表現が違い、ああ、それそれと思わされる時があります。 なんか原文の解説書を読んでいるような感覚とでもいいますか。 文学性とは無関係ですが、洋画で翻訳者が違うバージョンなど受ける印象も変わるので、字幕付きの洋画は特に好きです。 英語が得意というわけではないのですが、誰でも聞き取れるような短いセリフの字幕が、日本語の直訳にはなってないのに場面にピッタリくるときがあり嬉しくなります。

トピ内ID:8a8736c6b6890493

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勝手に考察してみました

🙂
ヒマヒマスター
真実 人は嘘をつくときにネクタイを締める 文学 ヒロシは舞い散る桜の木の下で、これから大きな商談をまとめるぞと気合を入れてネクタイを締め、額の汗を拭った。そのネクタイの持つ魔力を知らないままに。 効率 ネクタイ自体は仕事をしないし、機能的ではない 工学 ネクタイの重さは50gであるため、首肩には50gの負荷が掛かる 医学・生物学 ネクタイは体温の低下を防ぐ効果があるため、寒冷地でのみ有効 哲学 過去にそこにあったネクタイが今もそこに存在するのか? そもそもネクタイは存在するのか? ファッション業界 できるビジネスマンはネクタイで差をつける! 田舎の人 ネクタイ締めた人がウロウロしてたから気をつけや なんとなくテキトーに考察してみましたが、情景が想像できる、事実でなくても良いということが文学性かと思いました。学術的には間違っているでしょうが。 一番文学性を感じる作家は山本周五郎です。

トピ内ID:0e96c74924081d9c

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ありがとうございます

🙂
トピ主
レスをくださった皆様、ありがとうございます。 「楽しい」という言葉を使わずに、楽しい気持を表す……。 これ、とてもよくわかりました。文学と、報告書の類が違うひとつの理由ではないかと思いました。 俳句も、文学性がなかったら(季語もですが)標語になってしまいますね。 そして、映画の字幕がぴったりくる……。これも嬉しい気持、わかります。 私も映画は吹き替えでなく字幕で見るのが好きです。(英語はできませんけれど) たま〜に、え、こう言ってるのに、どうしてこの字幕になるの、と思うこともあります。 小説でもそうですが、外国語ができても翻訳ができるわけではないのですね。 やはり、日本語ができなければ良い翻訳にはならない。子どものころ読んだ『ドリトル先生』を訳した井伏鱒二も、『くまのプーさん』を訳した石井桃子も、ゆるぎない日本の文学者でした。 そして、ヒマヒマスターさんの考察、すごいなあと思いました。そして楽しかったです。 (私も都会に住んでいるわけではないですが、ネクタイしめた人がうろうろしてたら気をつけた方がいいでしょうか) 山本周五郎は『季節のない町』が記憶に残っています。「どですかでん」という映画にもなりましたね。

トピ内ID:98cee0796d285750

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書き手と読み手で成り立つ

🙂
神無月
文学性は読み手にも一定のレベルが求められると思っています。 最近ネットで「ごんぎつねのごんは死んだのか」というテーマの記事がありました。 作品には死んだと明確には書いていません。 でも、物語に流れる空気や暗喩的に死んだと表現されているものだと感じます。 これが読み手が「死んだと書いていないのだからどちらか分からないではないか」と思う人ばかりであれば ごんぎつねの文学性は損なわれると思うのです。 芥川龍之介の「藪の中」では犯人が誰であるかを明確に書かないまま話が終わります。 作者が犯人を確定しながら書いていたのかそうじゃないのかは知りませんが 読み手があれやこれやと犯人を推理することでこの作品の文学性が高まると思います。 読み手の好みもありますので、正しい文章はないと思いますが 私個人の好みは少し足りないくらいの文章が良いです。 ストーリーを理解できないくらい足りないと問題ですが 登場人物の心情とか歴史や社会のありようなどを事細かに書く作者がおられますが そこまで書かれると読み手が想像する楽しみが減ってしまうくらいだと書きすぎだと思うのです。 また、作品の中で使われる作品やオマージュ文学になるとそもそもそれを知っているのかで印象も異なります。 知らなくても楽しめるけれど知れば楽しみ方が増える。 辻村深月さんの傲慢と善良はそれだけで面白かったですが傲慢と偏見を知っていれば面白さが違う。 ですから、書き手と読み手それぞれの技量が試されるのが文学性だし 読み手のレベルが低くても面白いけれど高いほど面白さも深くなるのが文学性だと思っています。

トピ内ID:b308a001628bebd8

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神無月さん

🙂
トピ主
レスありがとうございます。 おっしゃること、わかると思います。私も、説明過多な小説より、読み手に委ねる部分のある小説の方が好きです。 『ごんぎつね』は、私にとって人生で最初に衝撃を受けた作品でした。 6歳の時、姉に買い与えられていた童話全集の中の一冊で見つけたお話でした。読み終えて本をぱたりと閉じて、以来10年間ほど私はその本を開けることができませんでした。 ごんは死んだ。(としか6歳の私には思えなかった) もしまたごんの死を見ることになったら、と思うと本が開けなくなってしまったんです。 ごんは、死ななきゃならないほど悪いきつねではなかったし、兵十も悪い人間ではありませんでした。 ある程度大きくなって、いい人ばかりでも悲しいことは起きる、ということがわかりました。 高校三年生のときだったと思います、もう一度『ごんぎつね』を読んだのは。 以来何度も読んでいます。 読めずにいた10年の間、私の胸の奥には横たわったきつねと、火縄銃を取り落とした兵十の背中がずっとありました。 ごんは死んだかどうかって? 「明日のジョーは死んだのか?」みたいですね。(ちばてつやさんの講演を聞いたことがありますが、本当にこの質問をした方がいました。周囲から「それは聞いてはならん!」「それ、聞く?」などと言われていました) 読み手のレベルということになると、とても難しいことだと思います。 書き手は、読み手のレベルを考えて書くでしょうか。 出版された書籍は、売れなければ出版社の損失ですから、売れ筋に沿ったものを出すことはあるでしょう。ファッションのように、出版社が「文学」のトレンドを決めている部分はあるかもしれません。 オマージュはもちろん、物語の中に引用されたり、仄めかされたりしていることの出典がわかるのは嬉しいですよね。

トピ内ID:98cee0796d285750

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ズバリひと言で言うなら・・

🙂
瀬戸
文学性の有る無しは、 行間で語れるかどうかで決まります。

トピ内ID:977577d0a0837990

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瀬戸さん

🙂
トピ主
レスありがとうございます。 行間で語るということが、読み手に委ねることだと私は思います。 書き表された文字だけでなく行間を埋める余韻、ゆらぎのようなものがあれば、行間は深く豊かなものになると思います。 宮澤賢治の作品などに、私は行間にひそむ遥か向こうを感じることがあります。 これは、書き手の技量、というか、思いの深さによるところが大きいかもしれませんね。 それに応える読み手の感性も問われるかもしれません。 ただ、読む側は、自分の読みたいように読んでいい、とも思います。 文学性って、別に必要ない人もいるかもしれませんね。皆様のレスを拝読して、そこに気づきました。

トピ内ID:98cee0796d285750

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ノルウェイの森

🙂
桃姫
ベタな作品ですが笑 これを50代で読んで「文学だなぁ」と思いました。若い頃読まなくてよかったです。 行間、そうですね。 なんというか、多くを語らないというか、直接表現されていることから自分がどう読むかというか。 流行った10代で読んでたら絶対受け取り方違ったと思ったし、他の方たちはどう読んだか非常に気になる作品でしたね。

トピ内ID:46b116bec873f6c1

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10代の子どもの詩のざっくりとした添削

🙂
匿名
原稿用紙2枚以内で、とてもよく書けているのに、最後に1番言いたいことをズバッと書いちゃうことがあるんですよ それをあらわすために、それまでの言葉があるのに、なんで?!とおもいます 文学性が、ない例になるのでしょうか? 読むという行為も訓練されて初めて使いこなせるようになります ある程度読めて初めて書くことが出来、でも、実用的な文書は書けるけれど文学的なものは無理な人、その逆の人、どちらもこなせる人がいる ふしぎです 日常生活には文学性がない方が平和なのかもです

トピ内ID:8a0fc0ed8c9f8809

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海外の小説

🙂
匿名係
子供の頃はだいたい手当たり次第に本を読んでいたのですが 泣くほど感動する小説を読んで しばらく年月が経って また同じ作家の同じタイトルの小説を読んで アレ? どこで泣いたんだっけ? って思うことがあります 内容は同じで ほら、もうすぐあの泣きの場面! って思っても、難なく素通りして、、 よくよく考えると 出版社と訳者が違うんですよね 日本の小説ならご本人が書くので大丈夫ですが海外の小説の場合、 全く違う味わいになってることが往々にしてあります 内藤濯さんとか朝吹登水子さん読んでたころなら もう全く疑う余地はないくらいに幸せで良かったんですが もう少し大きくなって色々な本を読み進むと なんか違う そうなると、作者の言語を習得しないと 本当の味わいはわからないのかなと 思ったり、、 決定的だなって思ったのが カポーティの同じタイトルの小説でした 村上春樹さんは 小説もたくさん読み旅行記も読んだんですが 訳の力量がほんとに半端なく 文章がキレッキレ 惚れ惚れしました 文学性って同じ内容の文章でも、使ってる語彙と文体が全く違う事象のことだと思います

トピ内ID:ec8433d95d0d8931

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ありがとうございます

🙂
トピ主
みなさま、レスありがとうございます。 お礼が遅くなって申し訳ありません。 >桃姫さん 『ノルウェイの森』読んだことがないのです……。「文学」を感じられたのですね。 どういうところ、あるいはどんなシチュエーションが「文学」だったのか、とても興味があります。 読んだ方が、ここにご自身の感想などを書いてくださったらいいですね。 >匿名さん 友人が、「ほぼすべての小説が、最後の一行、ときには最後の段落丸ごといらないと思う」と言っていました。 最後の最後に、言わずもがなの説明が加わってしまって興がそがれる作品が多いと彼女は言うのです。 子どもの場合、書いてきたことが「これで伝わるかな? ちゃんと書いた方がいいのかな?」という心配があるのではないかと思います。それで、よけいな一行で説明してしまう。 特に詩ならば、具体的な言葉よりも感覚的な言葉で書いてきたかもしれません。「わかってほしい」という思いはより大きいのではないかと思います。 子どもたちは、そんなふうに文章を書いていって、次第に自分の文体や「文学性」を身につけるのかもしれません。 子どもの詩や作文て、おもしろいですよね。私は、昔の「綴り方兄弟」などを読むのも好きでした。 >匿名係さん 私は、子どものころは翻訳児童文学の方を国内のものより読んでいました。今もその傾向はあるかもしれません。 やがて、図書館で面白い本を見つけると、タイトル、作者名のほかに翻訳者の名前も覚え、この人が訳しているならおもしろいだろう、と本を探すようになりました。 井伏鱒二、石井桃子、瀬田貞二、神宮輝夫……。英語以外なら、トピ文にも書いた高橋健二、小野寺百合子(ムーミン)などなど。 こういう翻訳者さんたちが、子ども時代のわたしの児童「文学」への扉を開いてくれたのだと思います。

トピ内ID:98cee0796d285750

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シェイクスピア

🙂
ボサ
もうご覧になっていないかもしれませんが。私の少ない知識では、文で表現される情景は芸術で、言葉による表現方法というのが文学という感覚です。私は文章から想像をすることが得意ではなく、映画ばかりであまり小説は読まないのですが、バナナフィッシュとサリンジャーは読みました。和名で急行北極号という海外の絵本があるのですが、これを題材にバック・トゥ・ザ・フューチャーで有名なロバート・ゼメキス監督が映画を作りました。全てCGで、これが好みの別れるところではあるようですが、この作品を見て思ったことは、あの短い絵本でここまで表現できるものなのかと感心し、ゼメキス氏の才能に驚かされました。吉田秋生先生も恐らくサリンジャーを題材にして想像を膨らませたのではないでしょうか。 宮沢賢治の作品は何か奥行きを感じたものですが、文章によるマジックなのでしょうか。この魔法を解くのが文学なのかな。 シェイクスピアのあらしに登場するキャリバンが、森の中で眠ったときの夢の話をする場面があるのですが、私はその描写(文章)がとても好きです。翻訳者によって書き方が違うのかもしれませんね。

トピ内ID:e036936033476d2c

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ボサさん

🙂
トピ主
レスありがとうございます。 >文で表現される情景は芸術で、言葉による表現方法というのが文学 ということは、文学は芸術になり得る……という解釈でいいのでしょうか。 私も難しいことはわかりませんが、例えば「櫻の園」に感じた文学性というのは、「あー、面白かった!」だけではすまない、何かざらっとしたひっかかりだったような気がします。何度か戻って読み返し、確認しなくてはならない何かです。それは、川底の泥混じりの水を何度も洗って最後に残る砂金の粒のようなものかもしれません。 『急行北極号』は、絵本は知っていましたが、映画もあるんですね。教えてくださってありがとうございます。 シェイクスピアは詩人でもありました。言葉で人・物事・心理などを描写することに長けていた人だったのでしょう。 キャリバンのシーン、読んでみます。

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風に色かな

🐱
しっぽねこ
「風に色があるとか 無いとか 隣では文学少女達が・・・」 相曽晴日「コーヒーハウスにて」より

トピ内ID:5bd3a23affb6269d

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文学性とは人になんらかの影響を与えるものだと思います。

🙂
みやん
人の人生を変えるもの。何かに気づかされたりするもの。 凡庸なものに人は惹かれません。 でも凡庸な文章で自分の心に響くものがあったりもしますよね。 それは人が生きてきた歴史にも作用される気がします。 例えば、 小学生が作文で「昨日、夜食べた魚が焦げていたけどとてもおいしかったです」 と書くのと、 長年、作家をしていた方が「夕飯、妻が焼いた焦げたサケが非常に美味かった」 では内容ががらりと変わると思うんですよね。 一文だけの例ですが、その背景や情景が見える、その場に没入できる。想像させる。 作家が何を伝えたいのかがストンと胸に落ちる感じでしょうか。 例としてはあまりにも凡庸すぎますが、こんな感じと思ってください笑。 これがただの語彙だけではないのも、付け加えておきます。 作家個性の言葉選びと文章の流れと前後があってこその文学だと思うので。 この作家なら、こう表現するんだ。というのも面白いですよね。 私は宮沢賢治も好きです。 たまにとんちんかん?なところがあるのがいいですよね。 サザンクロスってどこやねん。 東や西や北や南、困ったひとや病人や死にそうな人がいたりして、どういう土地やねん!とか。 最後、そういう人に私はなりたい。で、 うんうん。そんな度量のある人になりたい。となっちゃう説得力よ。 カニの親子目線で、クラムボンってどんだけ大きな泡なんかな?とか。 あとマザーグースもいいですよね。 星の王子様もいいですよ。お勧めします。 西炯子さんの漫画も、初期作品ははかなり文学でした。愛とは?を問いていて、 その表現と言葉の流れが本当に素晴らしく今でも心に残っています。 ただどの作品かは覚えてないんですけどね笑 文学性とは人に色んなことを想像させる。頭を使う。心が動く。ことが重要な気がします。 それは芸術性全てに言えることだと思います。

トピ内ID:ef9b92774d0610de

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しっぽねこさん

🙂
トピ主
レスありがとうございます。 ディズニーアニメ『ポカホンタス』の挿入歌「カラー・オブ・ザ・ウィンド」を思い出しました。 私は、趣味で絵を描きます。子どものころから絵が好きでした。 中学のとき、学校新聞? だったか(全校生徒に配られた)私が書いた「一日は何色」という詩が載ったことがあって、それからしばらく、まわりから「律〜、今日は何色?」などとからかわれたのは、あまり嬉しくない思い出です。 電車で通勤していたとき、高校生男子数人が教師と思われる人を囲んで 「先生、今日のテストの『創造』の反対語って、『破壊』でいいんですよね?」 と言っているのが聞こえてきたことがありました。 教師は笑いを浮かべながらうつむいて、なかなか答えませんでした。 やがて答えた教師の言葉は「『破壊』じゃない」でした。 「『破壊』の反対は、『建設』だろう」 ええ〜っ、それじゃなに? と、どよめく高校生たち。 「『創造』の反対は『模倣』だよ」 耳をそばだてていた私は納得しました。 こういう瞬間も、文学に近いものがあるかもしれません。生活の中にも「文学性」はあるのかも。

トピ内ID:98cee0796d285750

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みやんさん

🙂
トピ主
レスありがとうございます。 >人の人生を変えるもの。何かに気づかされたりするもの。 ああ、そういうことってありますね。 先の、しっぽねこさんへのレスの中に「生活の中にも『文学性』はあるのかも」と書きました。みやんさんのレスを読む前のことでした。 もう随分昔のこと、ねむの木学園の宮城まり子さんの言葉「やさしくね。やさしくね。やさしいことは強いのよ」を知ったとき、私の考え方が変わった気がしました。 「強い」と一般的に言われることについて疑問を感じるようになったというか、「強い」というのが、腕力や権力のことではない、ということがわかったのだと思います。 宮沢賢治は、なにかひとつの、大いなる「善いもの」に対して誠実に生きようとしていたのかな、と作品を読んで感じます。童話という形で、自分の信じるものを見せてくれている。短い童話が多いですが、それを読んで、文字を読む時間の何倍も考えることになります。 『星の王子さま』もいいですよね。知人で、持ち物をほぼ全て処分してバックパッカーになって世界へ出て行った人がいますが、彼が唯一手元に残した本が『星の王子さま』でした。 私、「大切なものは目に見えない」だけ、フランス語で言えるんですよ〜。(自慢) 「大切なもの」は「エッセンシャル」という言葉で表されています。「基本」とか「本質」のような意味があるらしいです。人間なら、その人の根幹を成すところでしょうか。 なんだか、皆さんのレスを読んで少しカシコくなった気がします……。

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