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55歳の父を癌で亡くしました

レス12
(トピ主 2
🙂
トピ主
ひと
5日前に父を癌で亡くしました。 享年55歳、当方29歳男です。私は父との人生にほとんど悔いはないと思っています。父に安心して欲しくて泣かないようにしたいのですが、父にはまだまだ心残りがあったはずと思い、不憫に思えて夜になると涙が止まりません。誰かに話を聞いてほしいですし、同じような経験をされた方がいればお話が聞きたいです。 最終的には肺への転移でした。亡くなる前の数時間は心拍数が190近く、脈動に合わせて発作を起こし全身が痙攣してしまい、肺の痛みで顔を歪め、本当に見ているのが辛かったです。本人が生前望んでいたように、早く解放されて楽になれることを祈って泣きながら必死で声をかけ続けました。苦しみを代わってあげることも、理解してあげることもできず、本当にただ見ているだけ、最期を待つだけしかできませんでした。付き添っていた私や母のことが見えているのか、私達の声が聞こえているかもわからない状態でしたが、必死で父にこれまでの感謝や、家族のことは私に任せて安心して欲しいことを伝え続けました。時々、父の目の焦点がこちらに合ったり、父も涙をこぼしていたのが忘れられません。その涙も、まばたきが出来ないから目が乾燥しただけなのか、本人の意思で泣いていたのかもわかりません。こちらの手を一瞬握り返すようなこともありましたが、筋肉の痙攣なのか、父の意思なのかもわかりません。それでも私は父の意思だったと信じたいですし、そうであれば何を伝えたかったのだろうとか、癌でなければどんな人生を送りたかったのだろうとか、つい考えてしまい涙が止まりません。 これを読まれた方、具体的な記載をしてしまい、悲しみを思い出させてしまっていたら申し訳ありません。

トピ内ID:44b0f4a81067ea63

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お悔やみ申し上げます。

041
おじさん
さぞお辛いことでしょう。 当方54歳男、3年前に78歳の父を大腸がんで亡くしました。 私の話でよければ、聞いていただけますか。 父はがんに罹患する以前にもいくつか命に係わる大病を患っており、その都度死を覚悟していました。家族が見ていない場所で、何度泣いたかわかりません。 今思えば、この経験のおかげで徐々に覚悟することができていったのでしょう。本当に父が亡くなってしまった時には、それほど大きな衝撃を受けませんでした。 また、亡くなる3か月ほど前からは末期的症状に苦しんでいましたので、痛みや苦しみから解放されたんだと安堵もしました。 残念ながら私たち家族は父の死に立ち会うことができませんでしたが、病院の方が、眠るように息を引き取ったと教えてくれましたので、それもまた救いになりました。 私は、最後の瞬間に父の傍にいることができませんでした。 お父上は苦しまれたとのことですので、トピ主さんもお辛かっただろうと察しますが、それでも最後までお父上に寄り添うことができたのです。それは幸せな事なのではないでしょうか。 お父上を思い涙することは、人として正しい在り方だと思います。 また、やがて立ち上がるために、今キチンと悲しんでおくことは大事だと思うのです。 時が経っても、父を思い、忘れない。 私は、これが父に対する一番の供養だと考えています。 とりとめのない文章で申し訳ありませんでした。 どうか、お元気を出されてください。

トピ内ID:660905d2eb3b6ca8

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おもいっきり悲しんで下さい

🙂
ハッピー
私の父は40代の時に癌でなくなりました。人格者でとても温かく社会的にも立派な職に就き全てこれからという時でしたので悔いがあったと思います。私は20代前半でした。 もう四半世紀以上は過ぎていますが、未だに心のどこかにポッカリとカナシイ空気が流れています。今も父がいたらあれこれ相談したいなーとかいや普通に話をするだけでも…とかなわないと知りながら願ってしまいます。そしてまたそのような尊敬し慕える父で良かったと思っています。 トピ主さんお寂しいと思いますが寂しさの沼の奥底までいき沢山悲しんで下さいね。私自身四半世紀以上たっても忘れられないので、あーあの時気持ちの整理をつけたりなんてできるはずなかったな、と思います。

トピ内ID:ccaa411aae9c9886

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父の願い

🙂
海賊の妻
父は44歳で亡くなりました。父の若さと、病気で苦しみ続けた人生と、私を誰よりも愛してくれた事を思うと涙の乾く間もないくらいでした。父は病気で貧しく、それなのに父が好きでたまらないと言う友達が沢山いました。大学時代のラグビー部の友達。戦争の時の戦友。ご近所の方達。年に2回やって来ては、父の医療費を置いて行く友達もいました。1年後それらの友達が集まって父の遺稿集を作ってくれました。戦友は戦争の時にいかに父が友達思いだったか、旧制中学の友達は橋の上で決闘した事、音楽家の友達は父の書いた詩に曲をつけて、演奏する人と歌手を連れてきました。そしてホテルで記念式をしました。 父には孫の顔も見せてあげられませんでしたが何とか恋人の大学卒業を待って花嫁姿を見せてあげられました。父は優しい人でしたから、道路に面していない人が困っていると「家の庭を通りなさい。子供は一人で置いてはいけない。学校から帰ったら家に置きなさい。宿題も見てあげよう」と声をかけ近所の子供は友達のように集まりました。 最近父の遺稿集を教会の本だなで見ました。最後のページに「願わくば一人娘の〇子がキリストの弟子として人生を全うしますように」と書いてありました。私はもうすぐ74歳になります。そして父の願いはかないました。「ほら。私は教会にいるよ」と心の中で言いました。 父の願いは病気が治る事でもお金持ちになる事でもなく、私のための祈りでした。

トピ内ID:6b034f99e199ed41

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お気持ちわかります

041
しろつめ草
お辛いですね。まだたったの5日です。まだまだ時間が必要です。近くにいたら話を聞いて背中をさすりたいです。 今は我慢せずお父様のことをたくさん考え、たくさん泣いていいんですよ。 私も昔、父を肺がんで亡くしました。同じく55歳でした。 病気発覚から亡くなるまでわずか4か月。あまりにも早かったです。 本人に病名を伏せていましたが薄々気付いていたようで、「自分はがんだと思う」と笑っていました。 強く聞き出そうとしなかったのは、がんだと知ってしまうのが怖かったのか、私たちを困らせたくなかったのか、父の本心はわかりません。当時は本人には告知しない風潮でした。 痛みに苦しむ父の姿をよく覚えています。本当に辛かっただろうなと思います。丸太で突かれるようなひどい痛みだと言っていました。 私も陰で何度も涙を流しました。孫を溺愛していたので、しょっちゅう連れてお見舞いに行くと喜んでくれました。 亡くなる日、痛み止めのモルヒネで朦朧とした父は、初めて孫がうるさいから連れて帰ってくれと言いました。 びっくりして連れ帰ったその夜、危篤になったと連絡が入り、皆に看取られながら亡くなりました。 孫が大きくなるのを見届けたかっただろうなあ… 今は毎日父にお線香を上げて、折に触れお墓参りをして父と話しています。 結婚して家を出ていましたので、父を見送っているのに亡くなったという実感がなかなかわかず…実家に帰るといつもの場所に座っていそうで。 本当にいなくなってしまったのだと実感できたのは何年も経ってからです。 お父様はようやくがんの辛い痛みから解放されました。 お父様との人生に悔いはなかったと言えることは素晴らしいことです。よい関係を築いてこられたのでしょう。 あなたはこれからもお父様のことをよく憶えて差し上げて、そして幸せになってくださいね。それがお父様にとっていちばんうれしいことだと思います。

トピ内ID:66d9c886e3735600

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お悔やみ申し上げます

🙂
通りすがり
トピ主さん自身が幸せになること。これこそが最大の恩返しです。親なら誰しも子どもの幸せを一番に願いますから。 自分の仕事や趣味に邁進し続けるも良し、家庭を持って愛を育むも良し、自分が幸せだなと思える人生を送って下さい。 私もお父様と同世代、子を持つ親として心からそう思っています。 人間ですので病気で死ぬ間際の苦しみは辛いですが、それ以上に親として悲しくやるせないのは自分の子が幸せでないことです。 苦しみを子どもに代わってほしいなどと思うことは一切ありません。 枕元でトピ主さんの感謝や言葉を聞いたお父様はさぞかし誇らしかったと思います。 お父様もここまで立派に育ってくれてありがとう、頑張って人生を歩みなさい、そして母さんを少し気に掛けてやってなとそう伝えたかったことでしょう。 お父様を想いたくさん泣いてもいいのです。スッキリし前を向いて進んでくれるのであれば。 人は時に泣くことも必要ですから。 トピ主さんが幸せに生きてる、これこそがお父様が心から安心できることです。

トピ内ID:aeeb62c7e4b5d2f5

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親孝行を尽くして見送られた

041
水無月
>必死で父にこれまでの感謝や、家族のことは私に任せて安心して欲しいことを伝え続けました お父さまに心残りがあるとすれば貴方のお母さまのことではと想像しました。 貴方の力強い言葉を聞いてお父さまは立派な息子に育ってくれたと心底安堵し誇らしく思われたのではないでしょうか。 「後は頼むぞ」といった男と男の約束を感じて今は気を張り詰めている状態かと思いますが、気を抜ける時は只の子どもに戻っていいんですよ。 最愛の父親を喪って悲しくて悔しくて辛い、そういった当たり前の感情を解放してあげてください。涙でしか洗い流せないものもたくさん胸の中にあると思います。 四十九日、初盆、一回忌と法要が続きますがお母さまをお支えになって無事に執り行われますことを祈っています。

トピ内ID:a05474ef7a9fe36c

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気持ちを吐ける場

🙂
ひまわり
お父様お悔やみ申し上げます。 私も昨年30過ぎの息子を急病で亡くしました。 鉛のような日々を過ごし今日まで生きています。 死別ブログと言うのがありますよ。 自分には無関係だと思ってましたが、 生死は紙一重なのです。 皆さん気持ちを吐露していて、 道筋が見える気がします。 救われる想いです。 一度覗いてみては?

トピ内ID:86eaa2dd2b4db9d3

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お父様は立派に生きられた

🐱
通りすがりの本好き
同じ経験ではないですが、24歳で52の父を亡くしました。 私は研修先に出張中。朝に電話で父が救急車で運ばれたと連絡が来ました。 研修を切り上げ即帰りました。 夜中に突然心臓発作(1週間前ドックで異常なし)、隣の母が気づいたのですが、家が住所で分かりづらく救急車が来るまで30分近くかかりました。 まだ大学生や高校生の弟達では父の顔色が変化するのを見ており、かなりのショックを受けていました。 心停止30分で蘇生が厳しいのに奇跡的に心拍再開。でもいわゆる植物状態となってしまいました。 私が会った父はまだ落ち着かず痙攣を繰り返していました。 しばらくして落着き、一般病棟にうつりましたが、しばらくして医師から 「このままでも決して長くは持ちません。声が聞こえていてわかっていて反応できないのか、声が届いていないかも意外的に分かりません。酷ですがどちらにしても亡くなります。酸素吸入を止めるか止めないかの判断をしてください」 と言われました。父を死なせる時期の判断を投げかけられました。家族で悩みました。母は何となく父が長くない気がすると言いました。 結果、回答前の数日後の明け方に父は亡くなりました。心停止した状況を病院に駆けつけて確認しただけです。 私は研修先だったので、父が死に向かっていく様を見ていないので、後日にご飯の用意で1つ少ない等でじわじわ悲しみが湧きました。 父との最後の会話は「研修か。暫く会えないなー」でした。 主様はお辛かったと思いますが、しっかり看取られたと思います。悲しみが癒えるのには時間がかかりますが、立派な息子だとお父様は思っておられますよ。 どえぞ考え込ます、まずは自分が安定するような生活を優先してください。それがお父様の願いだと思います。

トピ内ID:80935c9de4a0d080

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大丈夫

🙂
ゆゆゆ
慰めにならないと思いますし、もしかしたら不快な思いをさせてしまうかもしれませんが、私はこの世は魂の修行のために生きていると思っています。魂が磨かれ、修行が終わった人から極楽浄土に帰っていくのだと、そう考えています。別に何かの宗教にハマっているわけでも、スピ系でもないですが。 だから人格者ほどその修行が短くなってしまうのではないかと。 別れは残された者にとっては寂しくて辛いものですね。それは残された者にとっての修行でもあるのだと思います。でもどんなに辛くて悲しいことも、きっと乗り越えられるように、受け入れられるようになっているんだと思います。渦中は苦しくて仕方ないけど。トピ主さん、今は修行が苦しい時なんだと思います。でもきっと、いつか乗り越えられます。 私がお父様ならこんな立派に育った息子に看取られたなら誇らしくて仕方ないです。トピ主さん、大丈夫。大丈夫ですよ。

トピ内ID:2ee14fb42d70505b

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トピ主です

🙂
トピ主 トピ主
多くの方からたくさんの励ましや温かいお言葉をいただき、とても救われています。眠れない夜、藁にもすがる思いでこのサイトにたどりつき、初めての投稿でしたがやってみて良かったと思っています。特に、父と同世代の方からのコメントは、まるで父からの言葉のように感じ不安が少し晴れました。また、色々な体験談を聞くことができ、その中でも私の場合は恵まれていたのだと、前向きに捉えることができてきました。父の場合、ちょうど私が結婚式を挙げることが決まった時期に癌が判明しました。最初は式への参列もできないかもしれないと言われていましたが、抗がん剤治療の合間で、車椅子も無しに無事参列できました。さらにその後、妻の妊娠を報告することもでき、結果的に1年5ヶ月も延命できました。その間に、父と共通の趣味である車弄りやギターを楽しんだり、父が欲しがっていた物を一緒に見に行って買ったり、おすすめのドライブスポットを教えたり、近所のラーメンを一緒に食べながら仕事と私の家庭の話をしたり、充実した時間を過ごせました。結婚してすでに実家を出ていた私ですが、月に1〜2回は帰省し、親友のように時間を共にできました。 私は昨日から仕事に行き始め、日常に戻りつつあります。妻のつわりがひどいので、家事や料理などサポートに勤しむ日々です。母も心配なので、今まで以上に家族ラインの何気ない世間話が活発です。今月末からは3ヶ月間の海外出張も始まります。何かと忙しい日々ですが、スマホの壁紙にした父の写真を見ながら、父の形見の腕時計を付けて、父に叱られないようにと毎日頑張っています。あの日のことは忘れたくないですが、最後にすごした時間のショックが大きすぎて、自分が何を父に伝えたか、なぜあんなに悲しかったのかすら、忘れかけています。父の性格や声も忘れてしまうのだろうかと思うと、やはり寂しいです。実家に残された父の車とギターも色褪せて見えます

トピ内ID:eb42b5d446683c51

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トピ主です

🙂
トピ主 トピ主
さきほどの投稿の後、また父を思い出したくなって写真と動画を見返していたら涙が出てきました。田舎者の頑固親父でしかめっつらばかりでしたが、亡くなる前日の夜、妹と父と3人で、妹が作ったおにぎりを食べながら撮った写真は本当に嬉しそうに笑っています。食欲なんて無いはずなのに、妹のおにぎりは一生懸命食べていました。味が薄いと言って、妹と大笑いしてました。もしかしたら父もこれが最後かもしれないと感じていたのかもしれませんし、本当は食べれないのに妹のために無理して食べたのではないかと思うと、父親としての優しさに涙が出ます。かっこいいです。写真の笑顔も、残された私たちへの最後のプレゼントとして、無理してくれたのかもしれませんが今となってはわかりません。そういえばその日の昼、ミスドのDポップとカフェオレを差し入れに持って行きましたが、それも食べてくれました。癌になる前の父は甘いものとカフェオレが大好きで、おやつで食べているのをよく実家で見ていたので、病室でも同じ光景が見れて安心したのを思い出しました。 私と父がギターでセッションしている動画も発掘しました。私が15歳の頃からギターを教えてくれていましたが、当時から練習していた曲を数年前にやっと一緒に弾いて、父が時折カメラの方を見て本当にニコニコ嬉しそうに笑っています。おそらくずっとこの時を待っていたんだろうと思います。頑固親父ですが少年のようにピュアな人で、笑顔が可愛いです。そんな父の幸せそうで優しい笑顔を見ると、いろいろ考えてしまいます。ああ、まさかこんなにあっけなく死んでしまうとは父も思わなかったろうなあ、翌日も普通に起きてミスド食べるつもりだったんだろうなあ、孫の顔が見たかっただろうなあ、それでも幸せな人生だったんだろうなあ。50代男性の方、自分が死ぬとしたら、残される家族に何を思いますか。

トピ内ID:eb42b5d446683c51

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難しい質問です

041
おじさん
そうですね… 感謝しかないのではないでしょうか。 恐らく、お父上はお幸せだったと思いますよ。

トピ内ID:42f6a5e6a50806d1

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