本文へ

あの世って、なんでしょうか?

レス54
(トピ主 4
041
無明
話題
近親者が亡くなった際に、遺族が「天国から見守っていてくれるから」と語り合ったりします。 気持ちは分かるのですが、ふと、本当にあの世を信じているんだろうか?と疑問に思います。 ですから、私には、冒頭の言葉は言えません。私には情緒が欠けているのでしょうか? 因みに、お盆は、三十年近く参加していません。

トピ内ID:2d28cc0b20df6124

これポチに投票しよう!

ランキング

レス

レス数54

このトピックはレスの投稿受け付けを停止しました

情緒の問題ではないと思う

🙂
もろん
信じていると思いますよ。 あると思っている人にとってはあると思います。 私は天国も地獄もないと思っているし、死んだら悲しいもなにもなく、当然お盆に帰ってくるなんてこともないと思っています。 ただ、それを信じている人たちの気持ちは尊重すべきだし、大切にすべきだと思っています。 だから葬式なんてくだらないと自分自身に対しては思いますが、それを大切にしている人たちがするお葬式は誠心誠意参加します。 生きている人の気持ちは大切だからです。 個人的には、葬式もいらないから火葬式がいいです。 で、お骨もいらん。 どうせ骨壺に入りきらない残った骨は捨てているのです。 骨壺に骨入れて持ち帰っても、処分に困る。しかも自分ではなく次の世代たちが。墓もなければ入れようもないし、勝手に捨ててはいけないし。ひとたび持ち帰ったなら処分に困ります。骨にその人は宿っておらず、ただの物質でしかない。しかも実績として余った部分は捨ててる。いるか、骨?本当にいるか? 私はそう思うのでマジでいらないと思ってます。ただ、私が死んだときどうするかは生きている人が考えればいいです。 私はその時死んでいるので捨てようが持ち帰ろうが踏み潰そうが喜びも悲しみもしないので。 冷たいとか情緒とかではないですよ。 死生観と宗教観の違いです。そこに冷たいも温かいもない。 そもそも、この世界は誰一人として同じようにはみていないんですよ。 人それぞれ、生きている世界は違います。共通の世界なんてないです。見たいように見ている世界を世界だと認識しているので、世界は人の数だけある。 人と同じである必要はないし、思想を比べるのもアホらしい。

トピ内ID:3e49a68edbe80c69

...本文を表示

慰めと自己満足だと思いますよ

🙂
うーん
私は一応、あの世の存在は基本的に信じてる派です。 でも「天国から見守ってくれてるよ」みたいな言い方はあまり信じません。 あれは、要するに生きている側の願望でしかないですよ。 というのも、私は大切にしていた猫の場合は時折見守ってくれているなあと思うんですね。 だけど9年前に亡くなった母に関しては、見守ってくれてると思った事は逝去後一度もないと思います。 たまに思い出したり気配を感じることはあるんですが、それを見守りと感じたことは無いし、これを言うと叱られそうですがお墓参りに行ったのも納骨の一度だけです。 これでも亡くなった時はすごく悲しかったんですけどね。 今となってはただ単にいないだけの人であり、過去世話になった人であり。 あの世がどうとかいう話の基準で言うなら、もうどこかで生まれ変わって別の人生やってるか、あの世に住んでるとしてもこっちのことなんか知ったことではなく好きなようにやってるだろうなあと。 つまりそういう感じの人だったんですよね。 仮に母が私を気にかけて今も見守ってくれているとしても私が気付いていないのだから無いのと同じでもあるし。 結局そういうことですよ。 ご先祖を敬うという考え方についても、お墓参りをしないと悪いことがあるよとか、敬うと良いことがあるよとか。損得でしか語られないんだよね。 なんか違うなあ~と。 私の価値観では、今いない人に心を砕くよりも生きている自分の今の時間を大切にしたい。 それでいて、旅行に行った時は現地の偉人のお墓を訪ねてみたりするわけですが。 だからもうこれ自己満足なんですよ。 頑なに遺族としてその対象だけを大切にしてる人なんていないと思います。 大抵の人は先祖を大切にしたかと思えば偉人のような無関係の人の墓も意味なく訪問してると思う。 向こうからしたら誰やねん知らんがなって感じですよね。 ほんとに自己満足でしかないと思います。

トピ内ID:60ffb7532c847ffa

...本文を表示

冷静

🙂
ゆゆ
うちも特にそういうのはないです。 だからうちの親族は直火葬です。 主人はビックリして「俺の時はお金残しとくからちゃんとやってくれ」って言ってました。 情緒なのかもしれませんが、単純に科学的に証明されてませんから、冷静なんだと思います。

トピ内ID:5db5b7db74fe947b

...本文を表示

あの世ねぇ~・・・

🙂
paradiso
宗教は 人間が安寧を求め、賢人が経典を作り同じ気持ちで祈りを捧げる行為なのかなと思ってます。 いつの日か組織の中で対立や分岐が始まり、都合よく何かに利用する人も出てきた。 もちろん経典を紐解き純粋に信仰する方もいるでしょう。 なんだか政治とよく似てますね。そして人間とは かくも同じ愚を繰り返すのだろうか? 人間は誰でも平等に死にます。恐れることも憂うこともないと、養老孟司先生も仰ってました。その先に何があるのかは…誰も分かりません。 主さんに特段、情緒が無いとも思わないし、お盆の行事に参加しなくても死者は化けて出てきません。 あの世が何?と 問われるなら、あるか、ないか 分からないものは、各々が思い描くもので良いのかなと思ってます。

トピ内ID:2fcaa5c9d073241c

...本文を表示

あの世は生きている人のためのもの

🙂
盛り
自分が死んだ時には無になるのだと思うけど、それだと恐怖だけで救いがないのであの世という概念があるだけだと思う。 自分はそういうのを信じていないのでトピ主さんの気持ちはよくわかります。信じている人を否定するのも野暮なので適当にやり過ごせばいいと思います。

トピ内ID:45692abc7bb90acf

...本文を表示

あったらいいな

🙂
もうオッサン
トピ主さんも死を迎える前には、考え方を変えるかもよ。

トピ内ID:2848d260d94ea31f

...本文を表示

嫌でもいつか、わかるんじゃないですか?

🙂
miyu
その時が来ればわかるんじゃないですか? 今を生きてる人が正確に答えを出せないと思います

トピ内ID:f210974d1ec74e13

...本文を表示

宗教

🐤
メガホン
あの世とか死後どうなるかとは、そういうのは宗教観だと思ってます。 それでも、故人を偲び、遺族の悲しみを分かち合う?慰め合う?といいますか、 「天国から見守ってくれている」というのはお決まりの言葉だと思います。 情緒は関係ないかなぁと思います。

トピ内ID:c43dcb08ca122681

...本文を表示

心の平穏のために

🙂
もっさん
「あの世」は人間が死の恐怖と向き合うために生まれた概念です。 なので死を恐れる人は信じたくなるし、そうでない人はどうでもよくなります。

トピ内ID:5a15e37478921e83

...本文を表示

慰めの常套文句の様な?

041
私は…ね。
そもそも天国ってキリスト教考えで仏教は極楽でしたっけ? と、まあ細かい事は置いておきますが…。 私は無宗教で人は亡くなったら無だと思っていますので、天国だの地獄は信じてはいませんが、遺族には「ちゃんとあの世から見守ってくれているよ」と慰めの言葉として言う事はありますよ。 はい、信じてもないのに矛盾してますけれどね。 ですのでそう言う人は天国を本当に信じているのか?と書かれると「そう言う人が天国信じているのかと信じているの?」なんてなってしまいそうな? あらら、何だかややこしいですけれど。 でも宗教的な話になるけれど、信じている人も居るでしょうね。 天国は亡くなった後の理想の天上として描かれていて、実際亡くなった後にそういう苦しむことのない場所に行けるんだと想像していないと亡くなるのが怖いという人も居ると思うし。 大好きな人が亡くなって自分を見守ってくれていて欲しいと思う人も居るだろうし。 私は無宗教者で信じている人には怒られそうだけれど、実際生きている人間が勝手に作り上げ「信じるものは救われる」となっているのでしょう。 話は戻るけれど天国もだけど、目に見えない事を慰めとして言う事あるでしょう? 「明日はきっと良い日が来る」みたいな? 私はそんな感じで言ってはいますね。あくまでも慰め文句の常套文句のような?

トピ内ID:e6733acd5109d05c

...本文を表示

信じるために構想されたフィクション

🙂
ティラ・ミス!
私は死んだことも、臨死体験もないので、死後の世界に対する経験主義的な知見は一切なく、どんな世界かと論じることは出来ない。 死後の世界なんて存在しないのか、それとも存在するのか?という問いにも答えることはできない。 それでは、巷間でまことしやかに語られる死後の世界、「あの世」とは何だろうか? それは、死後もなお生き続けたい、死後も生き続けるのであれば現在生きている世界と同じ原理、道理、苦楽が支配する「この世と地つづきの世界」であって欲しいという、現世を生きる人びとが自分たちの都合に合わせて構想したフィクションなのだろう。日本に居住する人びとが死後のことに関心を持ち、現世を基に「あの世」を構想するようになってから何千年か経っているに違いない。その間、信仰や宗教の導きにより「あの世」の構想は多様化し時代精神にマッチしたものに変貌してきたのだが、圧倒的大多数の庸人は生前のうちに死んだことも臨死体験をしたこともなく、「あの世」を実見しないまま死を迎えてきた。信仰や宗教の教義に従い、あるいはインフルエンサーの言説に感化されて「あの世」を思い描いたり、家族や知人に「自分が信じるあの世」を語って聞かせたりする。 「きっと死後の世界は、こういうふうにできているはずだ」というフィクションが、巷間語られる「あの世」というものだと、レス主は常々考え、そして日々その思いを新たにしている。

トピ内ID:f7cec3857e88c06c

...本文を表示

トピ主さんと同じ

🙂
夫婦で無宗教
私は体が亡くなったら終わりの考えですし、中高年ですが都会生まれで幼少期からお盆の習慣が全くないので、あの世とか天国から見てるとかそういう類の事はわかりません。終活しましたが、お葬式もお墓も仏壇もなし。 ただ宗教の信仰心は人それぞれだから、発言を聞きながら頭の中でそういう考えの人なんだと他人事に思うだけです。

トピ内ID:7ab4f44207550c73

...本文を表示

無いと思う

🙂
クリームパン
死んだら無だと思います。 お盆は亡くなった方に想いを馳せる行事だと思っていて。思い出すのが供養かな。で、親戚で集まって親睦を深める日。 義母が、ご先祖をお墓に迎えに行くだとか、今家に帰ってきてるとか言うんですけど、本気でそう思ってるの?って思っちゃって。馬鹿にしてるみたいになっちゃうから聞けないですけど。 このトピ興味深いです。

トピ内ID:208da77c782caee9

...本文を表示

ご先祖様に手を合わすことで穏やかな心です。

041
1人墓守り
両親兄弟などごく身近な家族をまだ送ってない若い人でしょうか。 身近な家族を亡くしていれば心の拠り所は、空の上(天国など)から見守ってくれていると思うことで救われています。 魂があると言うのさえ信じられないのでしょう。 私は幼くして父親、大人になり姉母親と亡くし還暦で夫を亡くしているので、いつも墓参り朝晩の仏壇への線香も欠かせないです。 守って貰っているからなのか、ご先祖様を大切にしているからなのか、不安もなく穏やかに幸せに暮らせています。

トピ内ID:f1365637052f6d91

...本文を表示

んー

🙂
匿名係
近親者が亡くなったときに 不思議なことがあって なるほど四十九日、、 あー成仏ってそういうことかー と実感したことならあります いまでは、神様にコネができたなー と思って困ったときはお願いしています 仏教と神様が同居した感覚なのはお許しくださいね わたしもあの世って眉唾だなと思ってたクチなんで笑

トピ内ID:a725d4e1a851ef66

...本文を表示

お参りするかどうかは自由だと思います

🙂
ひなな
私もあの世があるかどうかはわかりません。 でも大きな心配事があった時などは、仏壇やお墓参りをして手を合わせていると不思議と落ち着きます。 父が亡くなった時はすごく悲しくて寂しかったけど、どこかで見ていてくれるかもと思うと少し心が軽くなりました。 あの世があるかどうかは宗派だったり、人それぞれの考え方かもしれないですが、仏壇やお墓参りをするということは亡くなった人に対する感謝の気持ちかもしれないですね。 それに自分がこの世からいなくなる時が来ても帰る場所があって、そこには待っていてくれる人がいると思うと気持ちが楽になりませんか? トピ主さんは大切な人を亡くしたことがありますか?

トピ内ID:624be173ad7c4d9e

...本文を表示

精神的な支えのたとえ

🙂
Utopia
神でも仏でもあの世でも、 精神世界なんだと思います。 辛い時や悲しい時、 人間って何かを想像して創造し、 古来から気持ちを落ち着かせてきたのかと。 想像世界なので、 あの世がある・ない というのも 個人の自由になるのです。 因みに私は自分を含め 人が死んだら、 普段寝ている状態(しかも夢をみない) が無限に続くのではないかなと 思ってます。 ようは寝てる事さえ自分で 分からない状態。 無です。

トピ内ID:b107db5fe04f947c

...本文を表示

この世に残る人のものです

🙂
久我重明
「死んだ人がそこにいる(から寂しくない、いつか自分も行けば会えるetc.)」 「自分が死んだときに消滅するのではなく行くところがある」

トピ内ID:8dc641052cdfd90a

...本文を表示

残された者として

041
よもぎ
先に逝ってしまった人がどこかにちゃんと残っていて、こちらのことを気にかけていてくれると思うのは、残された側の精神を保つには都合のいい話だと思います。 逝く側としても、行き先が天国である方が気分は良いのでは。 天国があるかどうかなんてどうでも良い話で、逝く側も残される側も天国があった方が嬉しいね、ってだけかと。 生まれ変わりも同じかな。 途切れずに命や魂が続いていくこと、それを願うこと。そのためには天国や輪廻転生が必要。それだけ。 私は死後に行けるなら天国が良いし(地獄は嫌よ)、子供達のその後を見守れるなら見守りたいし、生まれ変われるなら猫になりたいわ。

トピ内ID:7983dee811f64f1f

...本文を表示

そういうことにしておく

🙂
めんどくさがり
「亡くなった人が天国にいる」とか「星になった」とか「千の風になってる」とか。 本当にそうと信じている大人は、実はそれほど多くないのでは?と、私も思っています。 少なくとも、特定の信仰を持たない、一般的な日本人にとっては。 だから、「天国から見守ってくれてる」とか「いつも傍にいてくれる」とか言うのは、そういうことにしておく、という程度の話だと考えます。 「天国なんてあるわけない」「姿が見えないんだからここにいるわけない」といったことは、死んだ経験の無い私たちに確かなことは言えないのですから、逆にそれらしいことなら何とでも言えるわけです。 聞いてる方も、「そんなわけない」「そんなんでなく今ここにいて欲しいんだよ」と思いながらでも、慰めようとしてくれている優しい気持ちを受け止めることでこそ、慰められることもあるのかもしれません。 というか、言う方が、少しでもそういう効果があれば、と期待して言うのかもしれませんね。

トピ内ID:564e469526a32147

...本文を表示

いいと思う

🙂
あけっち
誰もわかりません。私もわからない。 ただ何かあるんだろうなあというのはぼんやり感じているといったところです。 周辺で不思議な話を聞いたりするにつけ、すべてが気のせいや勘違い、思い込みとも思えないところがあるんでね。 死=無ではないんじゃないかって。 魂みたいなのがあるのではないでしょうか。その行く先を人によっては天国と表現する。お空とか。 「科学で証明できていないことはピンとこない」という人も世の中います。 それはそれでいいと思います。

トピ内ID:bc497d882c4df736

...本文を表示

道しるべ。

🙂
nene
あの世は生きる人の心の道しるべではないでしょうか。 誰しもいずれはそこのたどり着き、生きるとこの諸々はその道すがらの出来事。 故人があの世でもう苦しみはないと思うことで、残された者はせめてもの救いとするのではないですか。

トピ内ID:1e487b9f27839fcf

...本文を表示

面白い

🙂
かな
私は輪廻転生を信じているのであの世はないと思っています。おじいちゃんが見守ってるよなんて親に言われますが、いやいや今世に別れを告げて、とっくに生まれ変わって新しい人生歩んでるよと思ってしまいます。

トピ内ID:164760279afbef57

...本文を表示

レスします

🙂
のこ
あの世は、生きている人で、必要な人は必要なんだと思います。死んでいる人との繋がりを表現するのに必要なのかなと思います。あと自分が無になるかもしれないのが怖いという人もいますし。 情緒というか、死に対して願望とかを必要としないだけなのかなと思います。

トピ内ID:dd15243866b467b4

...本文を表示

一種のブレーキ的概念?

🤔
天獄と地獄
この世で生きて行く以上、普通は悪いことはしないと思います。 昔から、悪いことをすると地獄に堕ちるなどとなぞらえます。 本当にあるかないかは別として、人間としてのモラルを個人が律せられるかが問われます。 社会には法律というのがありますが正直、誰にも見られてない 分からなければ罪に問われなくて済む可能性があります。 でも人としての生き方としてはどうなのか? こういった時に、お天道様がしっかり見ている、必ずバチがあたるなどと宗教的価値観で日本人は生きてきました。 そして大切な人が亡くなった時にも、心の中で生き続けている、天国から見守ってくれている、そうやって気を静めていくのです。 >気持ちは分かるのですが 気持ちが分かれば、それだけで十分です。 しかし少ない文章から刹那主義、個人主義を感じ、家族愛など興味がないと見受けられました。 そうするといつの間にか孤立していたり、他人からは冷たい人との印象を持たれかねません。

トピ内ID:4dea16c670cc42dc

...本文を表示

あの世はあると思ってます

🙂
里美
私は「あの世」を信じています。 でも祖父母や両親が見守ってくれているという感覚ではないです。 見守ってくれているのは「神様」です。 こういう言い方をすると、特定の宗教の熱心な信者ととらえられる気がしますが、そうではありません。 両親はお寺の共同墓(生前に両親が希望していた)に埋葬していますが、法事などはしていません。 墓地管理費を支払えという振込用紙が来るので費用は払っていますが、お墓参りには行っていません。 共同墓なので掃除などはお寺がしてくれるので特に必要ありません。 自分が死んだ時は葬儀もお墓も戒名もいらないと子どもに伝えてあります。無宗教なので。 私にとっての神様はゲームプレイヤーのような存在で、私自身はゲームに登場するキャラクターのような感覚でいます。つまらないキャラだと思われると削除されてしまう気がするのでがんばらなくてはいけません笑 亡くなった親や祖父母が、死亡したキャラとしてデータが残っているのか、別のアバターに作り替えられているのか…?そんな想像はよくします。 私にとってのあの世はプレイヤーであるMy神様のいる世界ですね。

トピ内ID:5a1a4fc782e80228

...本文を表示

お盆はさぼりがち

🙂
ちゃくろ
「天国」「あの世」みたいな魂がいずれ行くところとして あるか無いか とりあえず 魂とか人の思いの残渣とかそういうものはあるんだろうな と思っています。 別に霊能はないのですが大小のピンチのときに 思いがけずぎりぎりで回避することができた経験は まあ人並にありますし そういうとき誰か何かに助けてもらったと アタマではなく感じるわけで。 それは自分の生き方を律する足掛かりになっているというか。 で、死んでしまったひとたちのたましいがあったとして ひとの歴史分全部その辺にふわふわしていたら さすがにぎっちぎちに込み合うだろうからそういう次元みたいなのあるだろうなあ とは思っています。 とはいえお盆のいろいろはわたしもさぼりっぱなしではあります。 亡くなったひとたちの写真を集めた祭壇コーナーみたいのに 「気が向いたら」おいしいものでご挨拶したり 思い出を交えてなんとなくおしゃべりする感じでいいよね なんて。

トピ内ID:725491cc1a2b4a6c

...本文を表示

方便

🙂
神無月
生者の心の平穏を得るための方便です。 自分のことであれば生まれる前も死んだ後も無であってほしいのです。 天から自分の親になる人を見つけてお腹に入ったとか 死後に天国や地獄があってとかは 全部無いもの。 でも、人の死だと見守ってくれてるとか 安らかにお休みとか言うし 墓も仏壇もなければ宗教的葬式もしてませんが 仏壇代わりの場所には線香上げて手を合わせてみたいなこともしてるわけです。 何でかって自己満足です。 あの世の存在価値ではなく 無難な言い回し、慣用句、相づち みたいなものです。 トピ主さんだって仕事上だと別に何も思わないことでも褒めたりするでしょ。 それと一緒ですよ。 信じている人もいますのでそれを否定するほどのものでもありませんしね。

トピ内ID:cfd814792ad970d5

...本文を表示

トピ主さんは

🙂
はなこ
人でもペットでもいなくなることを想像したくもない 大切な存在ってありませんか? 失ったときに自分がどう思うか、 死んじゃったからハイおしまい、というのが答えなら トピ主さんにはあの世も天国も存在しないんだと思います。

トピ内ID:3ddd24db86fde228

...本文を表示

そうであったらいい希望

🙂
makamemo
私は、サンタクロースみたいなもの、と捉えてます。 子供の頃は、確固たる「サンタクロースという存在」を信じても、成長したら違うな?と思うでしょう。 それでも、その人がプレゼントをするのなら、サンタさんになれます。 まるまる信じていなくても、少し立場が違っても、サンタクロースはいることになります。 贈る側もらう側、どちらも幸せになる概念だと考えます。 故人に訊く術はないですけども。あの世から見てくれてたら、なんとかやってるなと安心してくれるんじゃないか。 そうだとしたら、現世側も別れのつらさを少なくできるし、安心させるように生きていく。 その気持ちのあらわれだと思います。 信じているかどうか、情緒の話か、ではなくて、個人の判断だと思います。

トピ内ID:9664a1f84e8df369

...本文を表示
[PR]
気に入ったトピを保存するといつでも読み返せる
気に入ったトピを保存するといつでも読み返せる
使用イメージ
使用イメージ

マイページ利用でもっと便利に!

お気に入り機能を使う ログイン
レス求!トピ一覧