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「沈黙は金」は、いつまで?

レス24
(トピ主 3
041
巻貝
話題
前期高齢者入りしました。 小学校で、担任の先生から、「これからは自分の意見を積極的に言わないといけない。『沈黙は金』は今からの時代に合わない。」と教わった記憶があります。 「沈黙は金」は、いつまで美徳とされていたのでしょうか? さすがに話題が古いでしょうか? そのようなこととは関係なく、コミュニケーション能力が低く、「沈黙は金」が美徳とされていた時代をうらやましく思ったりします。 たまに、「私は貝になりたい」そう思うことがないでもありません。 日本文化が変わって久しい、そのように理解すべき?

トピ内ID:1a88ae7d47e743f7

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レス

レス数24

どうして先生は

🙂
面倒くさい老人
どうして先生は 「時と場合による」 ということを教えてくださらなかったのでしょうかね。 いつもいつもペラペラ喋っている人よりも沈黙している人の一言の方が重い。 主様が自分でそう感じたことはありませんか? 自分で考えたり人のアドバイスに自分なりの思考を加えるって事をして生きていないのですか? どうしてたった一言言われたことだけを基準に生きているのか全くもって理解しがたいです。 生まれたときからたった一人の教師に教わったわけでもないでしょうに。

トピ内ID:288bd804b04b06cb

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「沈黙は金、雄弁は銀」

🙂
もっさん
「黙っていた方が良い事もある」という意味であって、 「常に黙っていた方が良い」という意味ではありません。 時代の変化に影響される言葉ではないと思います。

トピ内ID:fb58aba8690a35d4

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「沈黙は金」とはいうけれど、「沈黙は鉛」にも通ずる

🙂
王水は金を溶かす
「沈黙は金」という精神的態度に対して、現在50代のレス主の印象は下記の通り。 ■自分の考えを自分の言葉で説明しない ■他人を慮り、自分の意見を述べない ■長いものには巻かれておけ ■自分の旗幟を明らかにしない日和見主義 ■年長者、上司、組織の不正に目をつぶる 一言で申し上げると、年長者、年寄り、権威主義的な人に対する内部批判を封じるうえで非常に都合のよい考え方である。  企業、教育現場、地方自治体で不祥事隠蔽が横行し、むしろ隠蔽が奨励されてきた背景には「沈黙は金」を「美徳」と称揚する文化なり、国民的な病弊があるのだと思う。 口下手な人が一定数いることは確かで、口下手を一方的に咎めるつもりはない。 でも、同居家族の代表者として、勤労者の一人として、職場の古参勤労者として、地域住民のひとりとして、態度を明らかにし、旗幟を鮮明にし、ときに自分の言葉で意見を表明しなければならない局面で、オレは(私は)口下手だから、コミュニケーション能力が足りないから、という理由で態度の表明を保留し、後日になって時機を逸した意見表明をしたり、「オレは聞いていないぞ」と吠えたり、既に議決されたことを「卓袱台返し」したりする態度は、現代では許されない。 何も語らず、何も意見表明をしないのに、オレは沈黙したが本当は反対だった、オレの心の奥底を察して欲しかった、という「沈黙は金」を地でいく精神的態度は、現代的視点からすれば「大迷惑」であり、責任転嫁も甚だしい無責任的態度で、とても尊敬できない。 「沈黙は金」は「沈黙は鉛」に通ずる。 沈黙を貫いて利益を得るのは本人のみ。 組織、勤務先、家族、地域にとっては、議決や改新を先送りにする悪腫のようなもの。 沈黙は金の弊害は、前世紀には既に指摘されていたのではないか?

トピ内ID:2d84358a8304d6bd

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地域性もあるかもしれませんね

🙂
知らなかった
親も義両親も80代ですが、昔から「沈黙」なんてしてませんでしたよ。 思った事は、すぐ口に出します 「○○が美味しくない」とかお店でも普通の声量で話すからこちらがヒヤヒヤします 一緒に居酒屋へ行った時も、色々注文した中でお造りが1番に来ないなんて!と店員さんにすぐ呼んで言います コース料理でもない店なのに 親は、子供達が自分の面倒をみるのは当たり前と言うし 70代から拍車がかかり 80代の今では怖い物なし まめに連絡すれば、鬱陶しそうにするししなければほったらかしだと言うし。 行けば早く帰れと言うし 行かないと寂しいと‥ 地域性なのでしょうか。 昔から沈黙してた事なんて無かったですよ。 言わなきゃ損だそうです

トピ内ID:3e51b9828be22bed

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戦後かなぁ・・・?

🙂
ソバス
私も,子どもの頃(20世紀後半),「雄弁は銀、沈黙は金」という諺が西洋にもあるが,しかし・・・って感じで聞きました. 日本では,20世紀後半にも「男は黙って・・・」なんて流行語がありましたし,その一方で,室町時代に「もの言え,もの言え」って寄合で発言することを勧めた人もいますので,どこかを境にきれいに変わったというわけではないでしょうが,大雑把には,「戦後民主主義」あたりが境目かなぁなんて思っています.単なる憶測ですけど.

トピ内ID:9b56c0705d25b96f

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群盲象を評す

🙂
メリさんの棺
教育者でも、何でもかんでもペラペラ話す人よりも、要点だけ話して相手に考えさせて相手の個性を上手く引き出せる教師の方が優秀です 目先の損得に捉われず、俯瞰して本質を見抜いた上で黙る勇気のある人は本当に人格者だと思います SNSの普及で、表面上の情報だけを鵜呑みにして騒ぎ立てる人は金でも銀でもありませんが、利害関係を利用する立場の人がこの言葉を使ってる場合は横暴なだけですね 多様化って、 内気な人は余計に内気になる場合もあるし、ほんとの馬鹿まで好き放題自己主張しますからそんな人がお金や影響力持ち出すと何れ収集つかなくなると思います

トピ内ID:eb599be40d1f222d

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感想です

🙂
HB
何となく被害者意識を感じますが、「沈黙は金」を守って、こんな目に遭った等のエピソードでも書いてくれませんか。でもそれはきっと昔のことだし、高齢者になった今から急に他人にむかって自己主張を始めるのもどうかと思われるので、ここは言う、ここは引く等ご自分で判断なさるしかないですね。

トピ内ID:c03fe30cccc8968b

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余計なことは言わない

041
ここではないどこか
「沈黙は金」とは、ずっと押し黙っていることではなくて、余計なことは言わないことと習いましたし、検索してみてもそのような意味のようです。私はいつも心がけています。

トピ内ID:765b89ae3da94bc8

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今でも金、今だから金

🙂
わー
余計なことは言うな だと思います これが案外難しい 余計なことばかりいうなら、無駄どころか ただの迷惑行為だと思います 小学校の先生はどんなつもりで いったのか? 40代、昭和生まれの私の子供の頃も 自分の意見は発表しなさいとは言われてたし 男は黙ってとか、女性らしく(出しゃばるな) とか そんなのが当たり前でした しつけにげんこつとか 当たり前だったので 抑圧されて発言しない子が多かったのでは? 子どもの人権に対する意識は今とは違います 積極的な発見を促すという意味ではありでしょう 私はやっぱり思う 雄弁は銀、沈黙は金だと思う 問題は中身ですよね 銀くらいの発言はできてるか? 有害な沈黙はしてないか? 発信しすぎて、炎上したり 出来心な行動で一生にわたる影響がある時代 これだけ情報が溢れ、自由に世界中に発信することができる今だからこそ 身に染みて沈黙は金だと思います

トピ内ID:e759eda03024cd74

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言うべきなのは「意見」でしょ?

🙂
そら
「『意見』を求められる場面では積極的に言うべき」と「沈黙は金」は矛盾なく両立しますよ。 今でも「沈黙は金」は通じると思います。「口を出す立場にないけど言いたい、言わなくていいけど言ってやりたい、言わないと気が済まない」などなどの理由で要らんことを言って「口は禍の元」になってる人の多いこと多いこと。 繰り返しますがトピ主の先生が「積極的に言うべき」と言ったのは「意見」です。「理不尽な要求」や「トンチンカンな感情論」や「誰も興味のない自分語り」や「間違いだらけのウンチク」ではありません。

トピ内ID:501b991ca63ba89f

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レスします

041
フ号
『沈黙は金。雄弁は銀。』は、事を成す為の定石でしょう。 己の主張の正当性有意性を滔々と語るより先に、みずからが行動し結果を出すことで示す。 他者の協力なくしては成らない事ならば、雄弁に語り、共に働いてくれる仲間を得る。 沈黙も雄弁も口先だけのことではない。 時代に合うとか合わないとか、美徳などという情緒的なこととは関係ありません。 そう思いたい人は、それでもいいと思いますが。

トピ内ID:251aa043d1e4b00f

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美徳というか

🙂
きなこぱん
「言わなくてもいいこと」があるっていうだけでそれは今も昔も変わらないですよ 言わなければ伝わらないことは当然ありますから何でもかんでも黙っていることがいいはずもないです。その先生がどういう状況で仰ったのかわかりませんが少し意味を履き違えておられたかトピ主様がまだ小さくて理解が追いつかなかったのどちらかと思います トピ主様のおっしゃるのは「口は災いの元」に近いかもしれません。何か言えば悪くとられたりするのが恐ろしくて貝になりたいということではありませんか。80過ぎた母もよくそう言いますがとてもお喋りで父に無用なお喋りをしておこられています 大事なのは「ここでこれを喋ったほうが有益か」の判断。オールオアナッシングで沈黙の方がいいとか雄弁の方がいいとかいう問題ではない 先生は面倒だからとスルーするばかりでなく声をあげるべき時はあげよという意味で言われたのではないでしょうか。我慢が常に美徳ではないとも 学級会でみんな黙ってしまったら会は成立しないし美徳でもなんでもないです。理不尽な決まりには声をあげて反対することが大事です リアルの会話や人間関係において言いたいことがある時に沈黙をとるというのは結構難しいことでもあります。そういう意味では金なのかもしれません。ですがビジネスにおいては意見を言わないことは多くはただの我慢、自分の意図が伝わらなければ潰れます。何も伝わらない喋りは無駄ですし沈黙という意思の伝え方もありますが 状況によって変わるので。トピ主様が今何故そこにこだわられるのかわからないのでなんとも言えませんが沈黙が闇雲に良いとされていた時代はないのでは

トピ内ID:7f6687f9b3c498dc

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美徳ではない

🙂
オーツ麦
沈黙は金というのは余計なことを言わない方が得策って意味ではないですか? 美徳とか時代は関係なく自分を有利にするための知恵だと思います。 記憶違いかその先生が間違っていたのだと思います。

トピ内ID:404131505c3726d9

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そんな時代はない

🙂
沈黙は金って、コミュ力不足の人を褒め称える言葉ではなく、弁の立つ人が時と場合を選んで、あえて黙ってることを評価する言葉では? 喋った方がいい場面でも喋らない人を「金」と言ってる訳では無いと思います。 なのでトピ主さんの言うコミュ力不足の人を美徳とされていた時代はないと思いますよ。

トピ内ID:54971b0b1cd10192

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時代ではなく使い方による

🙂
hapiko
ただ単に「沈黙は金」を美徳にして自身のコミュニケーション能力の低さをごまかしたかっただけじゃないでしょうか。 私は言うときはガンガン詰めます。 たぶん私が一番ハッキリ意見します。 ただ、沈黙は金だとも思ってます。 黙っている方が効果的の場合もありますから。 いうときは言いますが、ぎゃんぎゃん吠えることはありません。 我慢強いねえ。 気分悪くならない? と聞かれるほど、顔にはでないようです。

トピ内ID:df4f0095834db4b6

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いつも黙って居ろっていういみじゃないよ

🙂
口滑らすより良いから
昔に、気の利いたことを言えないなら黙っている方がいい、といわれたことがあります これは、たしか英語圏の方が言っていたように覚えていますけど、要するに相手を褒める言葉や気持ちを上げるような言葉が言えないなら、下げる言葉を言うより黙っていた方がいいというような、社交場の格言の様なものでした 「その服すてき、すごく似合ってる」「いいねそのネクタイの色、センスあるね」とかそういう言葉だったり、相手を褒めたり、好きな気持ちを伝えたり、会えた嬉しさを伝えたり、要するに話をするなら聞く人や周りの人を明るい気持ちにするようなことを言いなさいみたいなことです これって、いまだに通用すると思います そして日本語に置き換えたら、沈黙は金になるのかなと思います 雄弁は銀という言葉をご存じでしょうか そして、昔のヨーロッパでは金より銀が価値がありました だから本来は雄弁でないなら黙っていた方が良いという意味だったという説もあります 今では金は銀より価値がありますので、話すときと沈黙するときを知ることが素晴らしいという風にも解釈されているようです もし何も気の利いたことを言えないなら、沈黙は金、また嘘をついたりうっかりなおしゃべりで馬脚を現すより、沈黙は金なんだと思います

トピ内ID:158d88a9a6d2ba8c

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レスありがとうございます

041
巻貝 トピ主
みなさま、レスありがとうございます。 TPOが重要とのご指摘は、その通りで、異存はございません。 ただ、確かに、歴史的な転換点はあったように思います。 そのピークは、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が言われだしたあたりではないでしょうか?戦後復興を遂げアメリカを追い越した(と思った)ところから、自信を持って発信をするようになった、そんなところではないかと思います。 『「NO」と言える日本』は、さらに、その後だと思います。 私が担任の先生に言われたのは、欧米を見習え、そのようなニュアンスで、時間的には前のことだと思います。 そのようなこともあり、ニュースで欧米のことが報じられる場面では、頭の隅にそのことがありました。 大学生の時でしょうか、アメリカの選挙で、民主党支持者と共和党支持者それぞれにインタビューをする場面があり、支持者は確かにはっきりと意見を述べている印象でしたが、果たしてそれが純粋にその人の意見と言えるかを疑問に思い、誰か著名人・有力者の意見を自分の意見と思い込んでいるだけではないか、そのような印象を持ったのを覚えています。 コミュニケーションが、いつの時代も変わらず重要だったとのご指摘がありましたが、そんなことは無いと思います。村のおきてなどは、暗黙の了解で、言葉にして了解しあうなどありえなかったのではないでしょうか? (漏れ聞こえてくるご近所さんの話からも類推できると思います。) アメリカに対する私の印象は、コミュニケーションを過信してはいけないとの自身に対する戒め、そのようなこととして書きました。

トピ内ID:1a88ae7d47e743f7

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お口も止まらない

🙂
走る
余計な意見は言わない方が身のためだと思います。 善意か自己表現か? 暇な人ほど、あれこれ意見し、 後先考えずに自爆する。 悲惨なパターンを多々見てきました。

トピ内ID:af96e92ad6e075f9

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沈黙は金なりが変わって来た時期

🙂
ね子
1990年代前半のバブル崩壊が明確に変化が始まった時期です。終身雇用・年功序列が前提として崩れ始め、「黙っていれば守られる」構造が壊れた。組織が個人を察してくれなくなった。 1993〜1995年にかけてさらに言語の変化が著しくなって行きました。成果主義・自己評価、「発言量」が評価対象になり、学校教育では自己主張、発表、ディスカッションと変化して行き、国際化により、さらに貿易摩擦・国際交渉、海外との共同プロジェクト、説明責任などが求められるようになって行った社会的背景が有ります。 以前は沈黙とは思考深い、礼儀、信頼の意味合い、村の掟や家制度、身分秩序など言葉にする事自体が和を乱すなども含まれました。 今は沈黙とは、情報不足、意思不明、責任回避と変わって来た。  “美徳”では無く、“スキルの一部”に変化して来たと思います。察する事が美徳の時代から、説明を求められる時代になった。使い分けの時代に変化して来た。 「沈黙は金」が否定されたのではなく、 通用する範囲が急激に狭まって来たのです。 石原慎太郎+盛田昭夫の『「NO」と言える日本』(1989年)これは「沈黙を美徳としてきた社会」が意識的に“殻を破ろうとした宣言”となりますね。 トピ主さんの先生はおそらく、日本はもう「内向き」では通用しない。国際社会では、言語化しないと通じ無い。欧米的コミュニケーションを“道具”として身につけて行くように…。 という時代の要請を、教育現場で先取りしていたのでしょう。今は「多様性」と変化しています。 「沈黙は金」は国際化で相対化され、欧米型コミュニケーションは万能ではなく、しばしば借り物の言葉であるという事。欧米型に限らず。 文化は常に変化し続けるが、消え去った訳で無いです。 今も変化し続けています。

トピ内ID:402d38505c2689b4

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ね子様へ

041
巻貝 トピ主
丁寧なご説明、ありがとうございます。 自分の会社員人生を振り返る思いで読ませて頂きました。

トピ内ID:1a88ae7d47e743f7

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銀の雄弁は金の沈黙に勝る

041
うー太郎
昔、いつどこで聞いたのかは忘れましたが、本トピの 「沈黙は金、雄弁は銀」 とは正反対の 「銀の雄弁は金の沈黙に勝る」 ということわざがヨーロッパのどこかの国にあるとか聞いたことがあります。 この言葉を聞いたとき、ずいぶんと新鮮な響きを感じました。 日本流の考え方とは違って、かなり解放的に思えて、とても印象深い言葉でした。 でもそれはその言葉の持つ「光の面(無意味な因習・沈黙による服従を美徳とすることへの否定)」しか見ていない、一面的な見方でした。 今思えば、その「闇の面(努力ではどうしようもない厳しい競争の無慈悲さ)」のほうに納得できます。 遅くとも1990年代以降、日本は発信力、特に自己アピールを求められる時代が続いています。 その意味では「銀の雄弁は金の沈黙に勝る」ということわざが具現化した時代です。 皆が背伸びして自己アピールに目を血走らせる現代、たとえ不完全でも、雄弁でなければそもそも評価の入口にさえ立てません。 私のような自己アピールを不得手とする者にはやりづらい時代です。 そんな私がよく自分が30年以上も同じ会社に残れたものだと奇跡に思います。 (それなりに自己アピールできているということでしょうか。)

トピ内ID:55385c220cb7a2b4

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誠実さ

041
巻貝 トピ主
>私のような自己アピールを不得手とする者にはやりづらい時代です。 >そんな私がよく自分が30年以上も同じ会社に残れたものだと奇跡に思います。 もう30年くらい前でしょうか? 世界のコンサルタントトップ20に選ばれた内田和成さんの著書に「最終的には誠実さが決め手になる」そのようなことが書いてあり、ずいぶんと励みになったことを覚えています。 そのことは、洋の東西を問わないように思います。

トピ内ID:1a88ae7d47e743f7

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沈黙は金が美徳とされた時代なんてありません

041
京都人の憂鬱
単なることわざの一つ。 言わぬが花 口は災いの元などと同列で、戒めの一つであり、美徳とされた時代などあったとは思いません。 日本人は慎み深く、自己主張しない国民性という一つの特性を指して、それを美徳などと自画自賛する人がいたとしても。 それが時代の中心であるはずがない。 「不言実行」が美徳とされた時代ならあります。 バブル崩壊後、黙って行動して大損したことの反省からか、実行前の許可や報告は必須で、つまりは有言実行こそ正しいと潮目が変わった記憶があります。 不言実行と沈黙は金は全く関係がありません。 先生は「沈黙は金」が美徳なんて一言も言っていない。 あまり意見を言わない日本人の国民性を表す例えとして使っただけでしょう。 トピ主さんの誤解だと思うよ。 誰も美徳だなんで思っていません。 戒めの言葉として時と場合によって使う程度の話です。

トピ内ID:c0966ca0915ee76c

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美徳とされたのは第二次世界大戦まで

🙂
ひよこ饅頭
>「沈黙は金」は、いつまで美徳とされていたのでしょうか? 正式には、沈黙は金を美徳と『教育』されたのは軍国主義教育までだと思います 1946年、当時の文部省が、教師向けに「新教育指針(民主教育の手引書)」を配布し 翌年1947年(昭和22年)、新しい日本の教育の基本を確立するため、教育基本法(旧法)と学校教育法が公布され、平和と民主主義を掲げた教育へと転換されました 教育基本法(旧法)には、 日本国憲法の精神に則り、「民主的で文化的な国家を建設して世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意」が示され、教育の目的の一つとして「平和的な国家及び社会の形成者」の育成が掲げられています この制定により、「平和と民主主義」を教育の基本理念とする戦後教育がスタートしました その他、戦前の複線型から、誰でも進学できる単線型の6・3・3・4制に完全に改編され 小中学校の義務教育が浸透され学校体系の基盤が確立されました 転換期を掲げるとすれば、私はこの頃だと思います

トピ内ID:abd8886db3147e62

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