7年前、義父(妻の父)が亡くなりました。命日は、3月27日です。そして、妻側には、「月命日」というのが存在し、年に一度ではなく、「毎月」27日になると、実家に、お坊さんを呼んで、お経をあげてもらいます。当然、お布施も渡さなきゃならないし、お茶とお茶受けも出さなければならない。一番大変なのは、お経をあげる日には、実家に集合しなければならないこと! うちは共稼ぎなので、妻も私も忙しく、日程を合わせるのが大変です。これって、私からみるとむだな慣習に思えますが・・・。(もっとも、妻ともよく話し合いました結果、今後も続けます)。
3年前、今度は、私の母が亡くなりました。しかし、私側には「月命日」の慣習はなく、命日だけ、違うお坊さんにお経をあげてもらっています。妻はA家、私はB家ということで、お寺が違うわけですが、同じ浄土真宗なのに、随分、違うものだなあと思いました。
話は180度、変わりますが、この前、国会中継を見ていたら、前列に、速記者が4人も座って、一生懸命に速記をしていました。でも、この人たち、本当に要るのかなと思いました。明治時代の議会なら速記者は重要な役目を果たしていたでしょう。しかし、録画技術も録音技術もこれだけ進歩した平成の世に、莫大な時間と、莫大な金をかけて、速記者を養成する必要はあるのかしらと思ったわけです。
以上、私にとって、「月命日」と「速記」は無駄な慣習に思えるのです。
皆さまも、無駄と思えるような慣習はありませんか。地方バージョンでも、全国バージョンでも結構です。是非、教えて下さい。
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