何処の家庭でも似たり寄ったりだと思うのですが、父親と息子というのは思春期以後、お互いに遠慮があったり、照れくささがあったりでなかなか会話は成り立たないものです。また、それなりに自我も芽生え、父親を競争相手とみなし否定的にもなったりします。
私もその口で、父を避けていましたが、生来のおしゃべりであるため兄ほどではなく会話ゼロと言うほどではありませんでした。
そして、大学を出て暫くして、父の共同出資の会社が人不足になり手伝う事になりました。仕事上の話を常時しなくてはならなくなったり、出張も2人でしたりして、それまでの会話不足を補う関係も出来ました。
その父がガンになり、余命も告げられてからは、それまでの親不幸も償うつもりで、私なりのより親子らしい関係を作る努力もしました。しかし、最後の1~2ヶ月くらいは、父も自分の最後が近づいている事を察知したのでしょう。余り人と接したがらなくなりました。死という不安にやはり負けたのだと思います。そんなときこそ、そばにいてあげなければならなかったのに、やせこけて暗く落ち込んだ父を見るのが余りに忍びなくて父に近づくことができませんでした。今思うとなぜそうしなかったのかと残念で残念でなりません。その後悔は私が死ぬまで負い続けなければならない荷だと今思っています。
現在94歳の母を見ていて、年老いて認知症にもなり、不安そうな姿を見るにつけ、なるべく話し相手になってやらねばと、父を思い出しながら二度と同じ轍を踏むまいと改めて思いを強くしている現在です。
年老いた親への孝行は、物質的なことではなく、話を聞いてあげる事、自分たちの生活する姿を見せてあげる事ではないかと思っています。
皆さんも後々まで後悔しないように !!
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