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「妻にもといくたり思う花見かな」解釈は?

レス9
(トピ主 0
🐧
お花見だんご
話題
こんにちは。俳句には全然詳しくないので教えて下さい。

最近外国語に対訳された俳句の本を読んでいて、不思議な訳に出会いました。上記の俳句は芭蕉の弟子にあたる人が詠んだものらしいのですが、

「桜の花の下で妻にしたいと思うようなきれいなお嬢さんたちに何人もあったことであるよ」といった感じになっていました。

私が思うには、芭蕉のお弟子さんは芭蕉と共に長く旅をしていて、きれいな桜を観て、「ああ、妻にも見せてやりたいなあ」と思ったということなのではないかと思うのですが、違うのでしょうか?
日本人の感覚として、きれいなお嬢さんたちに声を掛けたいなあという俳句を詠むとはあまり想像出来ないのですが。

俳句に詳しい方、日本語に詳しい方、教えて下さい。

トピ内ID:5190513435

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全然詳しくありませんが

041
50代の男
俳句には全然詳しくないので、日本語を読む限りでのお答えになりますが―― 「いくたり」という日本語は「何人も」という意味にしかならないのではないでしょうか。 おっしゃるような意味にするには「いくたび(も)」でなくてはならないと思います。 それなら、「妻にも見せてやりたいと何度も思った」という意味になるでしょう。 また、芭蕉の弟子だからと言って、誰もが芭蕉について始終旅をしていたわけでもないでしょう。

トピ内ID:6974869226

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文章の切り方を間違えたのでは

041
電気技術者
 英語の解釈は、最初の「妻にもと」を、「妻にも」+「と」ではなく、「妻に」+「元」みたいに詠んで、この「元」は桜の元であろうと解釈し、それだったらこの「いくたりは」...といった感じで展開されたんじゃないんですかね。  「妻にもと」を「妻にも」+「と」と詠めば、自然にトピ主さんの解釈になると思います。

トピ内ID:7409687965

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第三の解釈

041
月見
いくたり=幾人だとして、「思う」の主体が幾人という解釈はできないでしょうか。 何人かで花見をしていたが、「ああ、この花を自分の妻にも見せたいなあ」と思ったひとが幾人もいる(みんなが思っていた) そんな、花を見ている人たちの心情を思って詠んだ歌だとか。 これが平安時代の都人の和歌だったらその本の華やかな解釈も受け入れられますが、俳句や芭蕉となると、生々しくて違和感がありますね。

トピ内ID:2042383853

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「いくたり」だから

🐱
しえら
妻にしたいなあと思うような幾人もの女性たち ・・・っと詠めるかなあ。 いい句かどうかは好みだと思いますが 「若く綺麗な娘」と直接言葉にせず「花見」としているところが艶というものではないかと。

トピ内ID:6798987983

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時代背景を考えると

🐤
ぴょん
その解釈もありかな、と。 いい句とは思いませんが。 当時の江戸は、男10に対し女1くらい、男女比が激しかったので、今に比べても男性はかなり積極的じゃないと結婚できなかったし、性道徳も意外にオープンでした。昔の日本人の感覚について、日本が軍国化してお堅くなった昭和初期くらいを基準に考えると、ちょっと見誤るかも。 また、俳人の生活としては弟子をとって授業料を取る以外に、大店の旦那などが趣味でやる句会に呼ばれて、ご機嫌を取ったり、接待に協力して謝礼をもらうこともありました。 大店の旦那が接待をかねて花見をするとなれば、当然、芸者などきれいな女性をたくさん呼んで、どんちゃん騒ぎ。 俳人にしてみれば、めったにない高収入のチャンスですから、場を盛り上げるためには多少俗っぽい句も読むでしょう。 俳人が「妻にもと~」の句を読むと、「まあ、センセイ、お上手」と芸者たちが笑い転げる。そういう戯言として読まれる風景を想像します。狂歌の上の句みたいな感じで。 ま、俳人だって霞食って生きてたわけじゃないということで。

トピ内ID:9964095185

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解釈の多様性の、功罪・・・。

🐴
帰ってきた旅人
短歌より短い詩形である俳句の場合、 解釈が何通りにも出来る事が面白味であり、また反面弱点でもあります。 有名な桑原武夫氏の「第二芸術」でも、この「解釈の恣意性・曖昧さ・作者の一人よがり」 などが、俳句の弱点とされました。 この句も、確かに何通りかに解釈できそうです。 まず普通に読めるのは 『妻にしたいと思うほど素敵な人に、何人も出会った花見の日よ』 で、大抵の方は異論がないでしょう。 「いくたび」でなく「いくたり」とある事から 『妻にも見せたいと何度も思った』はまず消えるけれど、 このままでも、次のようにも読めます。 『「妻にも見せたい」と、この男達のなかで何人の人が思っているであろうか』 「いくたり思う」という続き方からすれば、むしろこちらの方が自然にも見えますね。 さらにこの解釈でも2通りに分かれます。つまり 『この綺麗な花を妻にも見せたいと思うような健気な男が果たしてこの中に何人いる事か』 という反語的な意味と、 『妻に見せたいと何人もの男が思ったに違いない程、綺麗だった』という感嘆。 かくも解釈は多様であります。 旅人でした。

トピ内ID:0426840742

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本の解釈では秀句にならない

tkdtkd
花見=桜ではなく、花=花柳界の女と置き換えれば、 色街の女を愛でる遊び心の秀句に大変身。ではないか。 国立国会図書館のレファレンスの課題にすればと思います。

トピ内ID:5680253299

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帰ってきた旅人さんのレスに納得です。

041
chickpea
「いくたり」ではなく「いくたび」なら「妻にも見せたいと何度も思う」でいい句だな~と思うのですが「いくたり」ですよね。 「妻にしたい」と何度も思う、という句があってもいいとは思うのですが、 そうすると「妻にも」の「も」が気になるのです。 > 『この綺麗な花を妻にも見せたいと思うような健気な男が果たしてこの中に何人いる事か』 > 『妻に見せたいと何人もの男が思ったに違いない程、綺麗だった』 …深いですね。 いずれも、周りの男たちがみな妻を(遠くに)置いてきている、という 前提でしょうからちょっと不思議ではあるのですが。

トピ内ID:1044508555

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思わず涙…!

🐤
俳句素人
妻が帰らぬ人になっててああこの桜を妻にも見せてやりたいなぁと(毎年)思うのだと解釈しほろりときました。 違うんですね! 私はトピ主さんの解釈の方が女をみつくろうより好きです。 花見の陽気に浮かれてたのか、美しい桜に見入ってたのかで違ってきそうですがそんなのだれにもわかりませんものね。 二通りくらいの解釈がある和歌・俳句ってありますよね? 専門家が絶対正しいわけでもないだろ~~と思いました。

トピ内ID:6771594948

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