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親の命日を忘れてしまう・・・

レス8
(トピ主 0
041
ねね
ひと
昨年初冬に母(享年59歳)を亡くしました。 父も私が8歳の頃に亡くなっているので、これで両親共を見送りました。 私は年2回しか帰郷しませんが、母とはいつも電話で1時間はお喋りしたし、毎年二人で色々な場所へ旅行に出掛けました。 その母が突然、本当にある日突然、亡くなってしまい、そしてもうすぐ1年になろうという今でも母の死に現実感が全くありません。 実家へ帰っても、”母は仕事からまだ帰っていない”という感覚に囚われます。 ただ、誰かに母のことを聞かれれば、昨年亡くなったことを返事することが出来ますので、おそらく頭では理解しているのですが、感覚的に現実感がない。 そのせいか、母の月命日、彼岸、1年の命日も忘れてしまいそうになるんです。 今、暮らしているこの部屋にある母の写真を見ても、やはり亡くなったことが信じられない。 「お母さんが死んだ?それって何のことだろう…?」という想いしか湧いてきません。 もともと、信心深い性格ではありません。 しかし、親の命日を忘れてしまうなんて、私はなんという親不孝なのでしょうか。 どうしたら、母の死を受け入れ、心から母を供養することが出来るのでしょうか・・・。

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全然親不幸ではないですよ

041
あまぐり
私も昨年、母を亡くしました。(享年61歳) 一年半の闘病生活があったためか、少し覚悟はできていたと思います。 私も誰かに母のことを聞かれたら亡くなったと話しますが、実感はあまりありません。 何かのドラマで誰かが言っていました。「死んでしまったことを悲しむより、生まれてきてくれたことに感謝したい」と。その言葉が今身にしみています。 確かに命日は大切な日ですが、それよりも私は母の誕生日の方が大切です。ずっと祝っていきたいと思います。 ねねさんのような娘さんをお持ちだったお母さんはとっても幸せだったと思います。 ねねさんは決して親不幸ではないですよ。 ある日突然、お母さんが亡くなったという現実味がねねさんを襲い、寂しくて悲しくなることがかもしれません。(私は時々あります) そんな時はお母さんがいないことを嘆くより、お母さんと過ごせた楽しい時間を思いだしてくださいね。 私もがんばります。

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夢で会えるだけで幸せです・1

041
ぴうこ
母は入院してたった3週間、56才で亡くなりました。命日は静かに過ごすだけですが、誕生日には母の大好きだった映画のビデオを流して思い出に浸り、何年経ってもやっぱり泣いてしまいます。 遺骨は母の遺言どおり散骨しました。 生きている時は出不精でほとんど出かけることのなかった母ですが、きっと今は世界中を旅をしているのだと思っています。 散骨した日は母の誕生日だったのですが、夫が毎年その海に連れて行ってくれます。 浜辺でのんびりビールを飲んで母と語らいます。

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夢で会えるだけで幸せです・2

041
ぴうこ
母が亡くなって2年ほどは母の夢を見ると涙が止まらない日々でしたが、今では母に夢で会えることが幸せだと思えるようになりました。 ねねさんのトピのおかげで、またゆっくり母を思うことができました。ありがとうございました。 今回の私のレスは「命日を忘れてしまうのは親不孝か?」というねねさんのトピに対する返信としては答えになっていないかもしれません。ごめんなさい。 でも、あなたは決して親不孝ではありません。 悲しみより幸せな気持ちでお母様を思い出せる日が訪れることを心よりお祈りいたします。

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私も‥

041
はまなす
19歳の時に突然父を亡くしました。 15年経ちますが、父の命日を覚えることが出来ません。 法事もしているし(命日の当日ではありませんが)あえて覚えないようにしているわけでもないのにです。 お仏壇におまいりするたびに戒名の横に書いてあるのが見えるのですが‥。 母に打ち明けたところ、無理をしなくてもいい。本能が拒否するのだろうと言ってくれました。 黒柳徹子さんは小さいときに、すぐ下の弟さんが亡くなった後、その存在を忘れてしまったそうです。とても仲が良かった弟さんだったそうです。 あまりに悲しみが深いと、現実を体が受け付けないのではと想像しています。

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わかる・・・

041
猫娘
私は父を亡くしてもう5年になるんですが、いまだに「死んだ」という実感が沸かないんです。 葬儀のこともはっきり覚えているのに、いないという事実がよくわからない。 お父さん、どこに行ったの?という感じで。小さい子が親の死を理解出来ないのも無理はないと思いました。 だから仏壇に向かっていなくなった人のことを拝むというのも変な気がしています。 命日も忘れてしまうので、なにかあって仏壇に向かう時に、お詫びも兼ねてあれこれ話しかけてます。 母もいまだに遺影を飾れないようです。人の心の中で、生きていた人が仏様になるには長い年月がかかるのでしょうね。

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父が亡くなった時・・・悲しむ暇はなかったかも

041
かーちゃん
私は二人目妊娠中に父を癌で亡くしました。母は美容室を経営していて、お葬式の日が成人式でした。母は仕事ができないので、お通夜の後着物の準備をして2時間足らずの睡眠でスタッフの方に手伝っていただき着付をしました。(私ももと美容師)どうして父が亡くなってるのに笑顔で成人式おめでとうございますといわないといけないのか・・・ 兄はお通夜の日に悲しみのあまりちょっと精神錯乱状態になって救急車で運ばれちゃってましたし(しっかりしてよ~ですよね)。 自分がしっかりせざるをえず、あ~悲しめなかった。 なので2年以上たってもいろんな時にふと思い出して泣くことあります。命日も大切だけど忘れないように行事をしようねって日みたいな気がするし。 日々の生活のなかで亡くなったかたに思いをはせるその瞬間こそが本当の意味の供養なのでは、とわたしは思ってます。 いとうひろしさんの絵本「だいじょうぶ だいじょうぶ」を見るといつでも泣けちゃいますが。

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トピ主です

041
ねね
みなさんからのレスを読んで泣いてしまいました。 母が亡くなっても葬式や保険の手続き、母が経営していた店の今後、その後も手を合わせに来てくださるお客様への対応等々・・とにかく食べる間も寝る間もないほどの忙しさで、悲しむ暇も泣く暇すらありませんでした。 忙しく立回った身内の方ならきっと分かると思いますが、目の回るような忙しさに、たしかに悲しみや寂しさは紛れ、気丈に過ごすことができるけど、本来感じるべき感情を忘れて時間を過ごしてしまうと、先に来て心が拒絶反応を示してくるのかもしれませんね…。 皆さんのレスを読んで人間にとって喜怒哀楽を心のままに感じることは必要なことなんだと思いました。 母が亡くなって母があんなにもたくさんの人に慕われていたことを始めて知りました。 「一般人でこれほど人が集まる葬儀はあまりない」と言う方が居たほどです。 私は、来月からボディセラピーの仕事を始めます。 身体を癒すだけでなく、母のように人の心も同時に癒せるようなセラピストに成長したいと思います。 これからも母と一緒に頑張って行きたいと思います。 みなさんも、素晴らしい人生を送ってくださいね。

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私の場合

041
つくし
昨年の暮れに父が他界しました。さすがに初めて死に顔を見た時と、お葬式の出棺の時は涙が出ましたが、それ以外特に悲しいと思うことがありません。 また、今年のお盆に帰省した時、父の命日をはっきり覚えていない自分に気づきました。(今は覚えていますが) 19歳で実家を離れ、それ以後両親と一度も一緒に住んだ事がありません。(毎年2度ほど帰省していますが)実家で親と一緒に暮らしている人と比べると、私の場合は親離れが進んでいるというか、親は私の実生活からは切り離されていると言えます。そのためか、父が居なくなっても、生きていた時となんら変わらない日常があるため、トピ主さんと同じく、父が亡くなったという感覚を感じることが殆どありません。 喪失感は一緒に暮らしているかどうかで大きく変わる気がします。

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