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昔の外国生活 教えてください

レス16
(トピ主 1
😀
jet
話題
40代女性です。 私が子供だった頃、1970年代(それ以前でも構いません)の外国生活を経験された方(駐在、留学、国際結婚、旅行etc)どんな感じでしたか? 今では為替レートの関係や低価格で海外旅行が出来るようになり、誰でも気軽に海外に行けるような時代ですが、当時はレートも高く外国に行くのも大変だったのだろうな~と思います。 今ほど日本人も外国にいなかったでしょうし、いろんな貴重な体験、大変な思いもされたでしょう。 よろしければ昔の外国生活の思い出教えてください。

トピ内ID:2732953812

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旅行ですが

041
ぷりん
呉服屋を営んでいた祖父が、問屋のご招待でヨーロッパツアーに参加したようです。 私が生まれる前、1970年代中ごろです。 当時の写真を見せてもらいましたが、観光中の集合写真でご婦人方は着物姿でした。 (まぁ、呉服屋の集まりですからね…) きっと現地では奇異の目で見られたんじゃないでしょうか。ニッポンのキモノがどれくらい知名度あったことか。それとも駐在員の奥さま方はパーティーで着物を着るのが普通だったのでしょうか。

トピ内ID:0676883266

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最初の渡米は1968年、駐在で

041
しにあ
当時は1ドル360円時代。 成田空港はまだ存在していず、直行便もなく、羽田からハワイで給油して西海岸へ、またはアラスカ経由で東海岸へ、航空会社も限られてました。 PCも携帯もなく、電話代は恐ろしく高く、日本の家族にかけるのは年数回、通信はもっぱらエアメール、今では考えられないほど頻繁に手紙を書きました。 衣類や日常品(小物など)は今はmade in Japanはあまり見られませんが、当時は日本製の品が多く、でも残念ながら 安かろう、悪かろうで、ちょうど今の某国製なみの評価しかされず、車や電気製品など日本製の質が向上し喜ばれる様になったのは70年代に入ってからだと思います。 留学生も優秀で選ばれた目的をもった学生ばかりで、今のように語学研修のためだけの短期留学生は殆どみられず、バブル期になって急に遊学生が増えて来たように思います。 カリフォルニア大都市には日本のレストランがあり、日本で修業した板前さんが主でしたが、今は外国人が経営するヘンなお寿司屋が雨後のタケノコみたいにあちこちにあります。 まだまだ興味深い話題が一杯ありますが、他の国の体験談もお聞きしたいものです。

トピ内ID:6134018661

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パックツアー

041
きりんこ
 1970年代半ばに家族で生まれて初めて海外旅行しました。もちろん,某大手旅行会社 主催のパックツアーで欧州10日間です。 羽田空港(羽田は当時も国際空港でした)に集合し,荷物を預けたあと 空港内の貴賓室に集まり,結団式なるものがありました。 旅行参加者の名簿が配られ,参加者全員の住所 氏名 勤務先(通学校)まで 記載されていました。今では考えられません。 結団式ではそれぞれ自己紹介のあと大人の人は名刺交換までやってました。 個人で気軽に空港チェックインして現地到着後に初めて参加者の面々がわかる 今のパックツアーと比べて何と大げさなこと!!

トピ内ID:3881341909

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語学学校へ

041
受講者
1970年半ば20代前半でパリに一年半滞在しました。羽田からモスクワ経由の安価な便で出発。トランジットのモスクワの空港内では、銃を構えた兵士が銃の先で旅行客を誘導していました。 パリに着いたらマグリブ系移住民が多いのにびっくり。 オペラ界隈には日本料理店幾つかありましたが、高そうで行けませんでした。日本食料品店はまだ少なくて、現在でも食品は3倍値で販売されていますが、あの頃は貴重品でもあったので期限切れの品でも普通に棚に置かれていました。 語学コース初級には当時でも日本人結構いて、日本人同士で群れてました。ラジオからは日本ではまだ無名だったアバの歌が毎日何度も流れ、イタリアンでは初めて見たラザニアを食べました。博物館等お昼時間があり、並んでいたのに12時に目の前で受付閉められ、パリ人気質習いました。 伝達手段というと、国際電話は高くて非常時だけ、手紙はアエログラムでも三日以上掛かり毎日待ち遠しかったです。スイスのローザンヌまで電車で8時間かけて行きましたが、今なら3時間半で行けます。何事にも時間が掛かり待つしかなかったので、もっとゆったりしていましたね。30年後はどうなるのか…

トピ内ID:3225523237

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船に乗っていました

🙂
おっちゃん
初めてアメリカ西海岸に入った時、治安事情がわからないので、立派なホテルで食事をしようとしたら、ごっついアフリカ系アメリカ人のドアマンに「シッシッ」と手振りでやられました(悲)

トピ内ID:0539251533

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自分の体験ではありませんが

041
ikaka
自分の体験でなく、恐縮ですが、本はいかがでしょうか。 1970年代ごろに渡欧された木村 治美さんはご夫君が教授になるとのことで、家族で渡英し、子供さんを含めた英国での生活を紹介しています。 おおつきちひろさんは、スペインで日本では珍しいバスク料理をマスターし、レストランを開業されています。 どちらも、外国が遠く、情報の少なかった中での奮闘が興味深く、楽しいエッセイです。 どちらも新刊は出ていないと思いますが、古本ならネットや図書館で手に入ると思います。

トピ内ID:0375306016

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60 - 70 年代の話

041
Anna May F
北米に住んでいました。 一ドルが360円の頃の話です。 円の海外持ち出しも制限があり、日本人が沖縄に行くのにパスポートが必要だった時代です。 羽田からアンカレッジ経由で本土へ。 直行便なんてなく、船便での渡航も普通の時代 普段の生活で、日本人に会うことはまずなく、日系人にさえ大都会に行かないと会わないくらいでした。 皆、生活は質素で、外食もあまりせず、一家に車が一台だけというのが普通。  服装もブランド物とは程遠い質素なもの。 それでもきれいな人はきれいだった。  買い物に出掛けて、車に鍵をつけたまま(勿論場所によります)。  母親が専業主婦である家庭も少なくなかった。 日本製カメラや精密小型電化製品等の優秀さは大分浸透していたが、日本車の人気が出始めるのは、オイルショック以後。 日本なんて国に誰も興味を持っていなかったし、話題になることもなかった。  たまに会う日本の駐在員の人たちは、いわゆるエリートと言われる人たちで、優秀な人が多かった。  家族も気品があった。  我々のような若者にも、困ったら尋ねてきなさい というような身内意識・親切さがあった。

トピ内ID:4937854063

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1961年、家族ですが

041
在外
当時は留学枠があり試験を受け、送金額も上限あり、母が銀行に行って手続きを 毎年していました。 6年間一度も帰らず、日本語も殆ど話す機会もなく、帰国時はただいまという言葉が出なかったようです。電話も高いし、はがきがたまに来ていました。 私は1967年にはじめてハワイに行きました。 1ドル360円の時代で、1500ドルまで交換可能でした。 ついで70年にヨーロッパに。 もうこれで最後の海外でしょうねと思っていましたが、それから数年後から急に海外が身近になりました。 270円になり,200円を切り少し気楽に旅が出来るようになったのでなんでもみてやろう精神でうろうろしました。 若い頃にもっとバックパックで旅をすればよかったと思います。 結婚して海外在住ですが、昔のレートで考えたらとても高いですね。

トピ内ID:1513427004

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アメリカですが

041
リン フデレリック
懐かしいです。 日本は外貨を余り持っていなかったので、持ち出し外貨は忘れましたが500ドルか700ドルぐらいだったと思います。 両替も銀行の本店でしか出来ず、トラベラーズチェックは外為専門の東京銀行発行が多かったと思います。 発着空港は羽田です。 しにあさんが書いている通り、日本製のイメージは安かろう、悪かろうでした(笑)。 私はアメリカで初めてレアチーズケーキを食べました。 消費税もすでに導入されていました。 アメリカ人の多くは、個人用小切手で買い物をしていました。 ショッピングセンターもまだモールとは言われてなかったと思います。 私は、余り日本人とは言われなかったのですが、日本人だと言うとびっくりされたので、聞くと、アイラインが綺麗だからと言われたので、外国人って顔をそういう見方をするんだと始めて知りました。 一緒に映画を観に行くと日本ではどうなっていると聞かれ、字幕だと説明し、侍はいるのかと聞かれたり、私の名前に対してもアメリカンネイムがどうしてついているんだとか、アメリカ人の日本に対する知識はなかったです(笑)。 各家にはプールがすでにあり国の大きさを知りました。

トピ内ID:9763090348

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しにあ様

🙂
マチカ
覚えています。1ドル350円時代。 かっこよかったです。あの当時の日本のビジネスマン。 なにか、日本を背負ってる、って感じで。 そのお陰で今の私達の生活もあるんでしょうね。

トピ内ID:6214417916

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当時が描かれた本ですが

シエスタ
ikakaさんが紹介された、木村治美さんの英国生活のエッセイ、私も読みました。 英国の洋服は質が良いイメージを抱いてましたが、意外や粗悪品が多いとの記述に驚いた記憶があります。 「現地で調達すれば良かろう」と子供の冬服をあまり持たず、渡英した著者は子供用セーターの粗悪さと高さに衝撃を受けた下りがありました。 日本人にとって海外旅行が高嶺の花だった60~70年代、長谷川町子さんが姉との旅行記を漫画エッセイで描かれています。 慎重な町子さんと、豪快で太っ腹なまり子姉さんが欧州、エジプト、ハワイなどを旅します。 まり子 さんは、旅先でも和服。 和服姿が欧米人にモテ、照れる一幕も。 我が家には、姉妹社刊行時代の古いバージョンがありました。 今は版元が変わりましたし、刊行状況は不明です。 長谷川町子美術館に問合せたら、わかるかも? 「あしながおじさん」は1910年代、「少女探偵ナンシー・ドルー」は1950年代の古き佳きアメリカが舞台の少女小説。 ジュディを通して、当時の女子大生の生活が窺えます。 ナンシーは弱冠16歳にして、バパからの誕生日にプレゼントのロードスターを駆り、事件解決。

トピ内ID:9717261321

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私の原点

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shino
『森村桂 パリへ行く』 文庫本が1977年刊になっていました。 当時まだ珍しかった個人旅行。飛行機で会った人の知り合い…に紹介してもらったとか,当時の日本人らしさが良くわかります。インターネットもなくて不便だからこそ,人のつながりを大事にした感じ。外国だとなおさら増幅されたことだろうなと思います。 パリでお世話になる日本人の駐在員,留学生の方の暮らしがとても生き生きと描かれています。 余談ですが,私は家にあったこの本を読んで海外旅行にハマりました。

トピ内ID:5496864538

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1970年代、アメリカ

041
ようこ
飛行機はエコノミークラスで片道1人50万円。 日本での父の給与は月20円なのにです。 日本で見た事がない大型ショッピングモールに驚きました。 雑貨は裏返すとメイドインジャパンが多い。 日本へのお土産にとよく確かめずに買うと日本製だったりしました。 日本は開発途上国で野蛮な感じに思われていたので、必要以上にマナーに気を使いました。 アメリカ人と結婚した日本人の奥様に出会いました。 奥様はガンで余命半年でした。 闘病中に見初められて結婚したとのこと。 ご主人はとてもレディファーストな方で、奥様を優しく抱き寄せ、 いつもラブラブでした。 「アメリカの男性は優しいよ。旦那が優しいからとても幸せ。」 と、奥様は全然悲壮感がありませんでした。 日本の食材が簡単に手に入りませんでした。 梅干は貴重でした。 日本人宅へパーティーに招かれ手土産はラップにくるんだ梅干数粒。 ワイン1本持参するくらいの価値がありました。

トピ内ID:3886062257

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70年代後半ですが

🐴
旅人
カナダにホームステイに行きました。どこに行っても「チャイニーズか」と聞かれました。朝マクドナルドに行くと、ハンバーガー類は売られてなくて、デニッシュしかなくてびっくりしました。市バスでも、車掌が出口で手を持って降ろしてくれました(レディーファースト)。家の地下に、シャワー付きのゲストルームが何室もあって驚きました。

トピ内ID:5306512857

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トピ主です。皆さま有難うございます。

😨
jet トピ主
皆様、色々な貴重なお話、本の紹介までして頂いて有難うございます。 本は図書館で予約して借りてみようと思います。 皆様のお話、とても興味深くておもしろかった!楽しく読まさせていただきました。 でも1ドル360円代って、、! すごい!外食したら凄い金額(日本円に換算したら)になりますね~。 私が昔の外国生活に興味を持ったきっかけは、、、。 今主人の転勤で某国で生活しているのですが、駐在員の方々に、自身が帰国子女だった方が結構いらっしゃるんです。 今では海外駐在も特別ではないですし、珍しくも何ともないのですがその当時の駐在生活は人数も少なかっただろうし(外国に行く事自体が凄いことだったのでは?)今の時代とは大きく異なっていたんだろうなぁ、、、と思ったのです。 一体あの当時の日本人はどんな外国生活を送っていたのだろうか、、?と。 今、自分達が外国にも関わらず何不自由なく生活できるのは、先輩達が土台を築いてれたおかげなんだろうなぁ~、としみじみ感じました。 よろしかったら引き続きお話聞かせていただけませんか?楽しみにしています。

トピ内ID:2732953812

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祖父ですが

041
まりる
昭和の6~7年頃にアメリカに留学しました。 横浜から船で出発ハワイ経由です。 到着したところで、誰も迎えに来てくれているわけでもなく、自分で新聞広告を出して下宿先を探したそうです。 今と違ってガイドブックもネット情報も何もなし。行ったことがある人自体が少ないのだからしょうがないでしょうけれど、すごいなって思いました。 レストランで毅然としていたら敬意を表されて日本の曲を演奏してくれたのがうれしかったということですから、それ以外には切ない思いもしたのかもしれません。 できれば会ってみたかったです。私が産まれるとっくの前に亡くなってしまったので。

トピ内ID:9148220495

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