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昭和初期~30年代までの日本の農村の食事

レス43
(トピ主 7
041
うさぎおいし~
話題
はじめまして。

私の祖母は戦時中~三十年代まで農村の嫁でした。その当時の食事風景は、『八墓村』のように家長を中心に押し黙って暗い座敷で膳に向っていたと聞きます。

祖母の話では、米と漬物しか食べものがないから、男の人は三合も一度に食べたと言うことでした。冷蔵庫などないから、魚は売りに来た干物を食べるだけだった。店は村に一軒しかなかった。調味料などはその唯一の店で購入したのではないかと想像します。

先日、祖母から、昔の人は山で兎を追ったとききました。その話を聞いて、あれ?獣の肉も食べていたのかと驚きました。
そういえば、以前にもお舅さんがニワトリやウサギを絞めた話、川魚を串に刺すのが苦痛だった話を聞いた気がします。

店や便利さが無い中で、精一杯自然の恵みを獲って食べていたのでしょう。先人のたくましさ…その生活の末に私の豊かな生活があるのだとしみじみ思います。

さて、質問なのですが、そのような獣の肉をどうやって食べていたのでしょうか?農村の食事は意外と多様だったのでしょうか?洋食など(例えばチキンカレーなど)もあったのですか?
そもそも、一件のみの店で何を売ってたのでしょうか?
そういえば、祖母は狸汁なんてものも作っていました。子供心にタヌキが入っているのかと興味を持ったのですが、昔の農村では実際にタヌキを狸汁にして食べていたのでしょうか?

その他、当時の暮らしを体験されたかたがいらっしゃいましたら、様子などお話聞かせてください。
ちなみに祖母は大正生まれです。

*そういう話を聞くと、江戸時代から記録に残らないだけで、日本の農民は肉を食べまくってたのではないかと想像をたくましくしてしまいます。

トピ内ID:0475128938

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肉食は・・・

041
フォークロリスト
私は昭和40年代生まれなので、トピ主さんのご質問にはまったく答えられないのですが。。 歴史的に言いますと、日本でも狩猟採集の時代がもちろんありましたので、肉食は普通でした。 イノシシの骨が縄文遺跡で発見されています。 時代が下がって平安時代には、4つ足動物は主にイノシシやシカなどを食べていたと推測されますが、鳥類(キジとかヤマドリとか)が多かったようです。 江戸時代に鳥類意外の肉食を禁じる法令が出されています。ウサギはなぜか鳥の仲間と無理矢理されまして、食用可でした(だから1羽と数える)。 イノシシは「山クジラ」と言って、食されていたようです。お肉、食べたかったのですね。 牛肉や豚肉はもっと時代が下ります。おそらく江戸末期あたり。 基本的に狩りで穫るしかなかったので、普通の農民さんは趣味でキジを撃ったり(これは別の意味もありますが:笑)していたかもしれませんが、「食べまくる」ほどには狩猟に行く暇はなかったのではないかと想像します。 他のレスを楽しみにしています。

トピ内ID:9797151148

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私の父母は大正生まれです。

041
アイアン
私は戦後東京の生まれですが、父母や親戚に熊本の田舎の生活ぶりを聞いたことがあります。 その前に兎、トピ主さんおいくつかな。 学校で習いませんでしたか。 兎は日本の食糧史では江戸期から獣肉扱いされてません。 「1羽2羽」と鳥のように数えます。 母(91歳)の話では小学校の催事で山中の兎狩りがあったそうです。 また、私自身、昭和30年代、小学校の夏休みに母の実家に行き、従兄弟が河原で 山鳩をさばいて醤油の付け焼きにしたのを食べました。美味しかったです。 また別の親戚宅では、庭の池の鯉のあらいをご馳走になりました。 そういえば、叔父が鶏を捌くのを見物したことがあります。 普通は、それで鳥が嫌いになる人が多いそうですが、私は食べた料理がおいし かったので、全然嫌いではありません(笑) 熊本の地元名物とされる「だご汁」要するに団子汁つまり「すいとん」ですが、 今は料亭の名物料理になっているそうですね。 私の父母の小さい頃は、日々そればかり、母は、帰省してもだご汁だけは 食べたくないと言います。 そういう話を聞いていると、色々想像が膨らみますね。

トピ内ID:6444053537

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結構洋風だった

041
アラフィフですの
私ではなく、私の母(70代)の体験です。 戦前のことですが、カレーもステーキもシチューも食卓に上る家だったそうです。八墓村の舞台となった村と同じ県、しかしながら、もっと海側の村の自作農家のお話です。 それには理由があって、祖父(婿養子でした)は海軍の軍人だったのです。海軍は(カレーで有名ですが)洋食をよく食べていました。祖父は若いころからその洋風な食文化になじみがあったので、祖母はそれに応えて洋風の食事を作っていたとのことです。 戦時中は米は供出しなくてはならなかったので、家族用には小麦を作り、ヤギを飼って乳を搾り、鶏を飼って卵を取り、今でいう(甘味のない)パンケーキを食べていたということでした。

トピ内ID:9379207945

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以前

041
めぇ
山奥のユースで熊汁いただきました。麦味噌仕立てだったかな? あと、冬限定ですが伏見稲荷神社でスズメ、食べられますよ。こっちはシンプルに串焼き。 味噌は自分ところで仕込むとしても、肝心要の塩はお店で買ったでしょうね。 民俗学者、宮本常一さんの本を読むと、特に山奥では塩を運ぶルートが重要だったようです。 とうぜん地域によっても違うので、一概に言えないとは思いますが・・・

トピ内ID:6505954943

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戦後生まれですが昭和20年後半の頃を幽かに覚えています。

041
アラセヴン
食糧難で幼子を抱えた両親は田舎に一時移住。6歳までの記憶です。 裏山ではきのこを採り祖母は苦い薬草を集めたり、つる草のような赤い小さな瓜(?)をへちま汁に漬けて化粧水(ボディローション)を作っていました。肌がつるつるになるって自慢してました。 うど、なたまめ、ゴマ、インゲン、さやえんどう等それは沢山の野菜畑、栗やサツマイモ、麦等覚えています。ウサギ、ヤギ、乳牛と茶色の牛、にわとりなどがいて完全に自給自足の生活でした。 隣は100メートル以上離れていて竹やぶの向こうで家は見えないという環境。 お味噌汁と漬物、干物、佃煮、海苔や昆布。5歳頃東京の母の実家で好きなものを注文しなさいと言われ卵焼きと言ったら皆から驚かれ、カツどんを出して頂いた時食べなかったら父親から叱られました。小学校入学で町中に引越し、お肉は昭和30年頃は町中では普通に食べましたが。(コロッケとかメンチ、カツなどの揚げ物を肉屋で売っていました。) 本物の農家ではなかったので狸汁は知りませんが猪汁はありました。でもうちは卵と干物、菜食でした。 そういえば高校の先生が農家の菜食食事を改めるように指導していましたよ。

トピ内ID:6783804114

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父が言うには・・・肉はめったに食卓に出なかった

💍
昭和40年代生まれ
父は東北の農家でした。 戦時中戦後でしたが、同世代の都会の子供よりも食糧事情に恵まれていて、お金は無かったけれど食べるものはたくさんあったと言っていました。が、肉はめったに出てくるものではなかったようです。それでも父の身長は170センチはありました。当時としては高い方だったようです。 鶏は絞めて血抜きした話は聞いたことがあります。 でも、肉よりも魚で、移動している魚売りから魚を買っていたようです。 子供達は食べるためのスズメを捕まえていたそうです。 調味料や酒は年末のツケで。 秋に収穫するものがあるから、年度末はお金がある時なんだと思います。 母は海沿いだったので、産卵後に打ちあがった魚をストーブであぶって食べたと言っていましたね。

トピ内ID:4883155797

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聞いた話ですが

041
あらら
大正生まれの祖母の実家も店は近所(と言っても4キロくらい離れている)に1軒しかなく、主に調味料、菓子類、鍋包丁などの日用品などを売っていたみたいです。 農家なので米や野菜は自給自足と物々交換。 牛、鶏など飼っていて、牛乳、鶏肉、卵なども自給自足。 自然豊かなので魚や山菜はその辺でとってくる。 果物は庭(というか裏山)の木からとってくるか物々交換。 私の祖母の地域では猪肉がとれると猪鍋にしていたそうです。 夫の田舎ではキジがとれるとキジ飯やキジ汁などにしていたそうです。 自然に左右されるので、食事は豊かだったり貧しかったりしたようですが、子供たちはお腹が空けばその辺で食べられる実や葉を見つけて食べたり、魚をとったり蜂の子なども食べていたらしいです。

トピ内ID:9531471207

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食文化

041
金田一
は多様なので、 慎重な扱いをお願いします。

トピ内ID:5192625637

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また聞きですが

041
農家の嫁
夫は昭和20年代生まれ。 私は都市部で育ちましたが農家に嫁ぎ、大正生まれの舅、姑と同居しています。 昔の話は時々聞きますよ。 我が家のまわりに山はないのですが、川がたくさん流れてる地域なので、川の恵みはよく食卓に上っていたようです。 鮎やウナギのような魚類はもちろん、川エビ、なまず、貝類、ザリガニやタニシも食べたようです。 農業の傍ら川漁師をやってる家も多かったので、たくさん採れたら分けてもらったり、小川や池では子供たちもいろいろ採ってたようです。 昔は庭先でニワトリを飼うのは当たり前でした。 もちろん卵を取るために飼うのですからメスばかり。 年取って産まなくなったら絞めてハレの日の食卓に上りました。 料理法は人によると思いますが、姑はイモ類と一緒に醤油で煮ていたようです。 江戸時代の日本は肉食禁止でしたが、鳥は可だったし、ウサギは獣肉でも唯一許されていたようです。 ウサギを1羽、2羽と数えるのはその名残(ウサギは鳥だよという苦しい理由づけ)。 でも山間部ではシカやイノシシだってよく食べられていたと思います。

トピ内ID:7502887856

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また聞きですが2

041
農家の嫁
連投すみません、こういう話好きなので。 昭和30年代夫は小学生でしたが、都市部では給食があったものの田舎ではまだ普及していませんでした。 お昼は家に帰って食べたとか。 遠い子はお弁当だったようです。 高学年になるとほとんど皆お弁当でしたが、母親たちに「味噌汁当番」があって、大根やネギをもって学校で味噌汁を作ったそうです。 家での食事は箱膳でした。 一人ずつ自分の茶わんやお椀をいれる箱があり、食事時はひっくり返してお膳にし、食事が終わるとお茶ですすいで飲み、そのまま片付けるのです。 茶わん洗いはしませんでした。 洗い物は鍋と釜だけ? 大正生まれの姑はあまり洋食を作りませんでしたが、戦後はたまに外食する機会もあったようです。 電車で30分ほどの「町」に出かけ、デパートの大食堂でライスカレーを食べるのが楽しみだったとか。 昭和も40年代になったころはさすがに家庭料理にもハンバーグやトンカツが登場したようです。 40年代に竈からガスに切り替わったからです。

トピ内ID:7502887856

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戦時中、毎日ニワトリを食べていたそうです

041
スプーキー
父の子供の頃、戦時中の話です。 親戚が養鶏場を営んでいたそうです。 毎日たくさんのニワトリが処分されるので、ニワトリの足の焼いたのをおやつにもらって食べていたそうです。 同級生にはうらやましがられたそうですから、誰もが食べていたわけではないのでしょう。 しかしニワトリを解体して食べるのは、一般家庭で普通に行われることだったようです。 狩猟法改正前は、キジ・ヤマドリ・コジュケイなどの野鳥も猟銃や罠で比較的自由に捕って食べていたようです。 現在は法規制がありますので、気軽に狩猟できませんが。 父の故郷は海の傍でしたので、毎日毎日、イワシの団子や赤貝をうんざりするほど食べたそうです。 山間部か平野部か、海から近いか遠いかで、食材はかなり違いがあったと思われます。 ラフカディオ・ハーンの旅行記によると、明治の頃の日本の内陸の村では食材が貧しく、若者の体格も華奢で体力がない、海沿いの村では魚介類を豊富に食べるため体格の大きな健康そうな者が多いと書かれています。

トピ内ID:5956422563

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レスします

041
小鳥遊
47才主婦です。 私の母の話では、祖父が戦後まもない頃、農村ではありませんが ニワトリを空気銃で仕留めて家族で食べたとが言っていたし、 昭和20年代後半頃の「サザエさん」にも「うちの(飼っていた)ニワトリしめたの」と暗い顔で鶏鍋をつつくシーンがありました。 みんな 飢えで苦しんでいた時代ですからね…(悲)

トピ内ID:1098759632

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その時代はすでに…

041
まか
マタギは知りませんが、狩猟せず手っ取り早く家禽を飼う時代だったかと。昭和初期の農村ですが狩りするとしたら魚類だったようでハモや鰻を捕ってぶつ切りにして汁にいれたそうです。子供の手慰みで罠をつくり、とれたリスやテンは食用ではなく生きたまま売る(毛皮商に)。大人は農業に忙しいので罠かけたりはしないそうな。

トピ内ID:2318049404

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白米が食べれたら

🐧
さき
農村では上流クラスです。 多くの農民は小作人と言って土地を持っていなかったのです。 地主に田んぼや畑を借りて農業をしたのです。 田んぼで作った米は地主に年貢として納め、裏作で作る麦が、自分達の主食となったのです。 戦後の農地解放により、GHQの指示により安価で地主から土地を取り上げて、安価に小作人に分配したのです。 そう云う意味でトピさんの祖母さんの家は豊かであった印象です。

トピ内ID:5938113430

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地域によって違う

🐴
水戸コンドリア
 今と違って、昭和初期から30年代の農村は、地域によって食糧事情が随分と違っていたのではないでしょうか。  米だって、白米がふんだんに食べられる地域もあれば、玄米と麦を半分ずつとか、殆ど雑穀や芋類だけのところもあったはずです。  さて獣の肉の食べ方の件ですが、マタギについて調べると少しは資料が出てくると思います。大体、臭い消しのために牛蒡や長ネギを使った味噌仕立ての鍋だったようです。なおタヌキ汁に関しては、タヌキの肉を使ったものと、蒟蒻を使った精進料理のふた通りあるようですね。  ところで、戦前産まれの母の話によると、皮を向いて天井から吊り下がったウサギの肉は、人間の赤ちゃんのようで気持ち悪かったと言っております。

トピ内ID:9924543035

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すきやきかな?

🐤
たまちゃん7
私の記憶では、うさぎ・にわとりは つぶして(殺して料理するのをこの表現をしていました)すき焼きに使っていました。田植えの澄んだあとは決まって、地鶏のすき焼きでした。

トピ内ID:7376164368

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66歳です

🍴
御老体
子供の頃爺が卵を産まなくなった鶏を絞めて逆さに吊るして毛をむしっていましたよ お祭りやお正月しか食べなかったと思いす。お肉もおかずなんて夜しかなかったかなもちろん麦ごはんですよ海のない県だから作り<刺身)なんてなかったなあ 干物でしたわ。子供の頃 毎日夕方になったら 夕立(スコール)みたいな雨 雷も。。。其のあと涼しいんですよ~~蛍も一杯いたし。シャンプーも無かった石鹸で洗ってました。電話も無かったなあTVはS34年に入ったなあ。近所の人が毎晩見に来てた。2~3家族。マヨネーズは家で作ってたなあ 水道も無かったんですよ~~ お風呂にはバケツで運ぶんですよ==子供の仕事です。運動靴買って貰ってもブカブカそのうち足大きくなると言われて。その前に破れてた・傘なんて油紙で出来てた傘<重い)激動の時代の始まりだったなあ。。欲しいのも一杯あった。今は何もない何が欲しいんだろう。無いガスも無かった石油が入って来て 石油コンロを使いだしたなあ。。豆腐も 売りにくるんですよ~~鍋を下げて買いに走ります。ジュースと言われて飲んだのは砂糖水です。かき氷買いに行けば新聞の上に乗せてくれるんですよ(丸く固めて)

トピ内ID:3027004115

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みなさまありがとうございます!

🙂
うさぎおいし~ トピ主
さっそくのレスありがとうございます! どういったお話が聴けるかとワクワクしながらサイトを開きました。 フォ―クロリフト様 日本人もしっかりお肉食べていたんですね。猟師さんでもない農民は、獲れた時とかお祭りに食べたのでしょうか?雉、私が子供のころに庭に居て驚きました。昔は普通に居たのでしょうね。「山クジラ」、おいしそうな名前ですね。イノシシをいつか食べてみたいと思っています。 アイアン様 私、30歳です。母も昭和30年生まれで当時の農村の記憶がうっすらとはあるそうです。鶏をさばくのを見て以来鶏肉が食べられないと言っています。 小学校で兎狩りとは!!今じゃクレームが来そうですが、当時は大切な生活のための技術の一環だったのでしょうか。 しかし、川原の山鳩料理、とてもおいしそうです! アラフィフですの様 祖母の村も八墓村の県です!お母様と同じ県かと。しかし、とてもハイカラな食卓ですね。私のイメージする農家の座敷にシチューやパンケーキが出ている光景を想像してしまいました。

トピ内ID:0475128938

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そういえば

🙂
うさぎおいし~ トピ主
東南アジアに旅行に行った時、山奥の小さな農村を訪ねました。牛や鶏が泥だらけの道を闊歩し、子供がすり切れたTシャツを着て遊んでいて、見渡す限り青い田んぼでした。店も車もほとんどなく、その写真を母に見せるとまさにこういう村だったと言っていました。 私は川魚も雉も野生のウサギも山鳥もタヌキすらほとんど見たことがありません。(一応、田舎の山育ちです。蛇や毛虫は結構いましたが…) このような村に祖母や母が暮らしていたかと思うと、たった三世代で世界は変わったのだなと感慨深いです。そして、自分が祖父母や父母の過ごして来た暮らしをほとんど知らないのだなと寂しい気持ちがします。

トピ内ID:0475128938

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お勧めの本があります

041
こめっこ
日本列島、狭いようでその土地土地で食べていたものは結構違いそうです。 私は昭和40年代生まれなので直接の経験はないですが、トピ主さんの疑問にお答えするいい本をお勧めします。 農文協から出ている『日本の食生活全集』、このシリーズに全都道府県毎に『聞き書き ○○(都道府県名)の食事』という本があります。 大正の終わりから昭和の初めころの食生活を、その頃の食事作りに携わっていた主婦の方々に取材して再現したものです。 日常生活や季節の行事、晴れの日など、当時の人たちがどんな食事をしていたのか手に取るように分かります。 出身地の異なる夫と私の食文化がどうやらだいぶ違うようだ、というのが読んだきっかけ。 それぞれの県の巻を読んでみて納得です。 私の両親の生まれ育った地域では軒下に兎を食用として飼っていた、と書かれていたので、父に尋ねてみたところ、「おお、そうだった」とのことでした。 たしか「東京の食事」だったと思いますが、新し物好きの主婦が自家製マヨネーズなど洋風なものを積極的に取り入れて、舅から「クズ嫁」呼ばわりされても負けじと色々作っている、というくだりもありました。 面白いですよ。

トピ内ID:9424747694

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米や麦、野菜、秋のもの

041
SINCE1950
普通の農家は皆畑や水田がありそれが生活の糧ですから管理もされているので肉を食べる習慣なんてないから。

トピ内ID:1555388209

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みなさまありがとうございます!

🙂
うさぎおいし~ トピ主
ありがとうございます!どんなお話が伺えるかとワクワクしながらサイトを開きました!私は30歳で母が昭和30年生まれでうっすら農村の記憶があるそうです。 自分の祖父母父母の生きて来た生活なのに、あまりにも自分の生活とかけ離れていて想像もつかないて少し寂しいような気もします。こちらに上げられる鳥や獣の実物のほとんどを私はみたことがありませんが、祖父母は食べていたのだなあと。   地域によって様々な食生活があったんですね。学校で兎狩りや菜食改善の指導があったなど驚きです。食糧難の時代、大人が働いている傍らで子供たちは何でも取って食べたのかもしれませんね。とても勉強になるお話ばかり、引き続き楽しみにしています。

トピ内ID:0475128938

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同じくおすすめの本。

041
興味ありますね
近藤正二さんの「日本の長寿村・短命村」です。 1937年(昭和12年)から1972年(昭和47年)という長期間、日本全国の食生活を現地調査した本です。 食生活と寿命の関係を調査している本ですが、地域によってかなり食が違うことに驚かされます。 私の母世代(昭和24年生まれ)ですが、割と町中の育ちでした。 場所でいうと米どころです。 トピ主さんの知りたい頃よりちょっと後ですかね。 近くの小川でどじょうや小魚を取って食べたり、イナゴを佃煮にしたり、時々は飼っていたニワトリをしめたりという話を聞いたのを思い出しました。比較的海が近い場所だったので、行商の人がよく魚を売りに来たそうです。 近所の村について、「土地が貧しくて米が取れないから、あそこには娘を嫁に出すななんて言われたんだよ」とか、「あそこの村は昔から米がたくさん取れたんだ」なども言っていたなぁ。 上に書いた本によると、米をたくさん食べるところは短命だったそうです。今度母に聞いてみよう。。 今のようにお店で買うことが普通になる前は、自給自足や物々交換が基本だったのでしょうから場所によって食生活は全然違ったんでしょうね。

トピ内ID:0208799657

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昭和20~30年頃、店が無かった私の故郷では

041
甘夏
住人達が出資し合い、生活に必要最低限なものを売る店を開いて、希望者に経営させていました。「共同」と呼ばれたこれらの店には、魚屋兼肉屋兼総菜屋、酒屋、煙草屋、雑貨屋兼菓子屋などがありました。 近所の養鶏場には、籠を下げて行きキロ買いしていました。生みたて玉子しか食べたことのない私は、上京して自炊した時、市販の玉子でエライ目に遭いました。生食用でない玉子というものを知りませんでした。 関東圏寄りなので、肉と言えば豚肉。猪や鹿は近隣の猟師さんにおすそ分けでいただく程度です。それよりも、海の哺乳類を食べる機会の方がずっと多かったです。

トピ内ID:2857100484

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昭和20年代までは自給自足が主流でした

041
じじ
20年代の生まれです。 実家は農家で自給自足の発展型の様な生活でした。 ・畑で作った大豆の何割かを農協に収めると、量に応じて味噌券、醤油券をもらいました。 小さい頃「農協で醤油を貰って来い」と言われると、1升びんと券を持って行きました。その蔵の匂いが独特で今も懐かしいです。 ・田んぼの畔塗り(田んぼ作り)、田植え、稲刈り。  「と臼挽き」(とうすひき)でその年の米作りが終了で、何となく家の中が明るい雰囲気に成った様に感じました。 ・食事も飯台に各人決められた場所があり、そこに正座して食べていました。  食べ物はほとんど自分達で作った物を食べていました。 ・家畜も牛、ヤギ、鶏、犬、猫と居ました。  牛=農作業の力仕事専用。  ヤギ=何で居たのか不明です。  鶏=卵を産むから。産まなくなると絞めて食べました。  犬=何で居たのか不明。田舎で防犯なんて考えはなかったはず。  猫=ネズミを捕るから。 ※、風呂は五右衛門風呂で木製の板を沈めて入ってました。(真ん中に乗って沈めるのがコツでした)

トピ内ID:6606832507

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みなさまありがとうございます!

🙂
うさぎおいし~ トピ主
都会と田舎の差が歴然としていて、地域によって全然違ったんですね。祖母と変わらない生活の方もいれば、とてもハイカラなお話もあり興味深いです。 店が無くてほとんど自給自足で動物は家畜……数歩歩けばコンビニがあってペットに服を着せる現代からたった50年ほど前の生活なんですね。思春期の頃は祖母と食事から男の人を立てなさいまで意見があわず反抗しましたが、それだけ違う世界で生きて来た世代が同じ屋根の下で暮らしていたと言うことが奇跡なような気がします。(お祖母ちゃんに悪い事したな~) 拝見しながらイノシシやウサギやヤマドリの味を想像しておいしそうだなぁと思ってしまいました(笑)

トピ内ID:0475128938

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そういえばうちにもヤギいたそうです

041
農家の嫁
じじさんのレス読んで思い出しました。 ヤギは草を食べてくれるしヤギ乳も取れる、子供でも世話できるからと聞きました。 特に母乳の出ないお母さんのためになったそうです。 ヤギ乳は人間の母乳と一番似ているからと。 犬や猫は鳥追いにも役に立ったらしいですね。 昔は収穫されたモミ米を庭先で干していたので、スズメを追い払ってくれたそう。 でもニワトリとは共存していたのかな。 当時、農協に野菜を出していたのですが、今みたいにトラックじゃなくてリヤカー。 犬をリヤカーにつなぐと一緒に引っ張ってくれたそうです。 ペットは可愛がるために飼ってたんじゃないんですよね。

トピ内ID:7502887856

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ご馳走

🐱
あかさ
私の母は、戦中の生まれです。山奥の生まれです。行商の人がくると奮発してさんまをたまに食べるのが、ご馳走だったようです。

トピ内ID:9266125221

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84歳の親爺お袋の昔話です。

🐤
とん37
タブーで肉が食えなかったのは江戸時代までです。 明治初期までは個人的にそのタブーを守っていた人もいたでしょうが、 大正時代には無くなってました。 ウチの親爺お袋は、大都会では無いですが地方の主要都市で生まれ育ちました。農家ではなく自営業でした。 親爺には明治の末と大正時代生まれの姉(僕からすると伯母)がいましたが、 昭和40年代によく会食しましたけど、特に肉を嫌がる様子はありませんでした。 その人たちがまだ子供の頃、 牛肉を買ってくるように父親(僕から言うと祖父)に言いつけられて、大家族なんでたくさん食べたいと鯨にして帰ったら怒られたっていう思い出話がありました。 お祖父ちゃんは鯨が嫌いだったようです。 ちなみに農村でも肉がある時は食べていたようですよ。 特に鳥は普通に食されていたようです。 ウサギは耳を羽根に見立てて鳥の一種と強弁して食べていたようです。 猪は山鯨と言って魚の一種とか。 大阪では「薬食い」と称して病気やけが人に食べさせたりしていました。 (落語が残っています。) 昔話では狸や鹿、極稀に熊なんかも食べられていたと残ってますよね。

トピ内ID:6443368608

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再レス 思い出しました。

041
アイアン
小2の時ですから昭和35年の夏休みです。 父が、会社の出張でオランダに数か月行き、お土産にチーズやチョコレートを 沢山買ってきました。 で、毎年夏休みに行く母の実家に、母はチーズを持っていきました。 熊本の山間部に住んでいた私の従兄弟たちは、チーズの匂いを嗅いだだけで 泡を食ったのを覚えてます。 その当時の日本では、チーズはまだ一般的な食べ物ではなかったです。 東京の洋食レストランならピザなどもあったでしょうが、田舎ではまだテレビの中の 存在だったでしょう。 私が「ピザ」を知ったのは、高校在学中、つまり昭和40年代ですね。 中学の時に筒井康隆氏のSF小説に書いてあるのを読んでその存在は知っていましたが、 そんなハイカラ(笑)なものを食わせるレストランなんて、子供の頃に行けるわけ ありませんでしたから。 トピ主さんの提示した年代と21世紀の現在とでは、相当に食生活が違っていたんですね。 そういえば、昭和30年代なら当たり前の安い肉だった「クジラ」、今やご禁制品に なりかけてます(笑) ああ、クジラのベーコン食べたい。

トピ内ID:6444053537

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