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バブルの頃の話を聞かせて

レス28
(トピ主 3
🙂
話題
私は昭和42年生まれの男です。 いわゆるバブル世代といったところでしょうか。 しかし、私は家庭の事情で大学進学できず、文字通り都会の片隅でアルバイト、仕事の毎日の地味に暮らす青春でした。 当時女性との交流もなく、デートもしたことはありませんでした。 同性の遊び友達もなく、朝までワイワイガヤガヤといった体験もありません。 旅行もなければ、当時はやっていたスキーなんてしたこともありません。 文字通り暗い青春で、同年代の大学生をうらやましく思ったものです。 なので、当時の音楽や映画やドラマを懐かしむという事はできませんでしたが、ここ数年、人並みな生活ができるようになり、当時テレビや街角から聞こえてきた音楽等を懐かしむ余裕が出てきたといった所です。 そこで、同年代で、東京等の都会で大学生活をエンジョイされた方の話がいろいろ聞きたいと思っております。 携帯のない時代、どうやって友達や恋人と待ち合わせ等をしていたのとか、いろいろ聞きたいと思っています。 自慢話でも、のろけ話でもなんでもかまいません。 そして、私には関係ないですが、私たちが就職したころにバブルとやらが弾けたんですよね? その当たりの話も聞かせてほしいです。 私が体験できなかった青春の疑似体験をしてみたいと思います(笑) どうかよろしくお願いします。

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同い年くらいです

041
bee-a
私達の年齢では、バブルを享受し損ねた人の方が多いでしょうね。 だって、所詮学生でしたもん。 今みたいに、100均もなかったし、モノも高かったです。 私は一般的な家庭の子供でしたけど、自身はビンボー学生でした。 夏の暑い盛りに飲み物代をケチって、献血ルームに友達と行ってましたよ。 サークルで色々行きましたけど、アルバイトを必死にこなして、 ようやく貧乏旅行に行ったくらいです。 仕事にはまだ比較的ありつけました。そこはありがたかったです。 ただ、当時はやっと男女平等雇用法とか産休・育休が導入されたばかり、 今みたいに適用されるされるケースは珍しく、 私も出産で退社を迫られ、退社しましたね。 バブルの尾を引いていたので、「24時間働け」を地でいってました。 机の下に潜り込んで寝ている社員が多かったし、 働き過ぎて急性心不全で亡くなった社員もいました。 働けなくなるとポンと辞めさせられましたからね。 セクハラも、パワハラと言う言葉もまだ馴染みがなかったですから。 バブルはもっと年上の人達、つまり安倍首相当たりの人が恩恵を受けています。 忙しいだけで今のブラック企業でしたよ。

トピ内ID:1084334412

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お金が有り余っていました

🙂
虹の母
バブル全盛期に住宅メーカーに就職しました。 事務職です。 ところが配属された部署は人手が足りていて 仕事がないのです! とにかく経費を使うために、 無計画に多めに新入社員を採用したと あとで知りました。 初任給は手取りで15万円弱。 2か月後の6月にボーナスが出ました。 なんと手取りで30万円。 例年なら新入社員は寸志で2~3万らしいのですが お金が余って仕方なかったらしいです。 社会人になってわずか2カ月。 通帳に刻まれた45万円を見て 社会人ってこんなに甘い生活を送れるんだ! と、勘違いしたことが思い出されます。 今じゃあり得ないし、というか 未来永劫、あり得ない話ですよね。

トピ内ID:5827472725

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奇跡的だった

041
おっさん3号
当方、S38生まれのおっさんです。 >携帯のない時代、どうやって友達や恋人と待ち合わせ等 学生時代に横浜(私)と長野市の遠距離恋愛してました。 事前に私は車で、彼女は電車で松本駅で待ち合わせをするべく約束をしていました。 ところが私が駅前に着くととんでもない人垣が出来ていてまるで渋谷のハチ公前かと思うほど。いやそれ以上。 何事かと思えば、当時視聴率抜群だった「ザ・ベストテン」で誰かが来るとか来たとかって事でした。 通常夜間の松本駅なら「ほにゃらら口の○○バス停付近」で行き会えるのにそうはいかないレベルでした。 結局、共通の友人に片っ端から電話をかけて(当然公衆電話)状況と待ち合わせ場所を伝えておき 彼女も同じ行動をすることを願ってました。 その甲斐あって、何とか行き会うことが出来その後のデートを楽しみましたとさ。 たしかそのデートは、そのまま名古屋へのドライブだったな~、懐かしい。 今検索したらどうやら 「1986年10月9日 - 450回記念 ザ・ベストテンin松本」 これですね。単なる中継じゃなくて公開生放送じゃ凄いことになるはずだ。 女房には話せない、昔々の事でした。

トピ内ID:1585660505

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バブルの端境期

昭和44年生まれ
都内の私大にいました。 Xデーで平成になったのは1年生の終わりだったかな? けれど上京一人暮らしだったせいか、絵に描いたようなバブルはあまり体験しませんでしたね。 1コ上の先輩がちょうど、入学時に入試改革、卒業時に湾岸戦争にぶち当たり、「損な世代だ」と言っていたのを覚えています。 就職活動は売り手市場で、私の時の内定式はホテルで立食パーティー。友達は船舶クルーズだったそうです。多分学生が逃げないようにとの意図もあったのでしょうね(笑)。 とはいえその頃はそろそろバブル崩壊も見えていて、社長が「公務員に流れるだろう」と大量採用したお陰で引っ掛かったようなものでした。バブルがはじけた翌年の採用者は、院卒のみ10人足らずで、1年遅れていたら私は採用されなかったでしょう。 しかし社会人になった頃もジュリアナはまだ元気で、ゴールドも勢いはなかったけど生き残ってました。円高のお陰で、海外旅行も何度も行きました。 いわばバブルの残り香をかいだ世代でしょうか。

トピ内ID:9913465100

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一部の会社だけですよ

🐤
ひよこぴよ
私は58歳・男で公共企業体職員でしたが、テレビニュースでは一部の企業の華やかな状態を報道していましたが当時の私達の職業(官公庁)では全然無関係でして、 「テレビでは いいとこだけ報道しているんだよ 我々のような公務員系職場は全然報道されないだろ・・・」 という状態でした。 銀行の金利は現在と比べれば100倍ぐらい良かったですけれど私が小学生時代の1960年代でも定期預金金利が年10%ありましたから私の思い出としては1960年代から30年間はそれが普通でした。現在が極端に低すぎるんですよ。 私は小学4年生(1966)にして当時、年利率10%の定期預金を母から勧められて加入したほどでしたから。 テレビで、夜遅くまで繁華街を歩いている光景がよく報道されたものでしたが、私から見たら、仕事が終ったら早く帰宅したいですよ。夜遅く飲食してなにが楽しいのか などと思ったものでしたがそれはごく一部の会社だけでしょう。たぶんあれは過剰報道じゃなかったのか。我家ご近所でもそのような華やかな生活をしていらっしゃった人はいなかったですよ。

トピ内ID:1227682600

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同い年ですね

🐱
nona
S42年生まれです。 都内の短大の入学式が終わって門を出ると、道の両側にずらりと 外車が並び、男子学生がサークルのビラを配るのにびっくり。 知り合った学生同士の連絡手段は勿論家電です(笑)。その分みんな 電話のかけ方のマナーはよく知っていたように思います。 短大を卒業後大手証券会社に就職。 首都圏の支店に勤務でした。給料は安かったけどボーナスは沢山 貰いましたね…一期上の先輩がちょくちょく寿司屋やらフレンチやら 連れて行ってくれました。彼らの車は当時の超人気車種、土曜の 午後は仕事帰りにみんなで都内のディスコへ繰り出すのが定番でした。 お客さんからブランド物貰ったり、先輩の海外出張のお土産が ブランドの化粧品だったり。シャネルの口紅は定番お土産でした。 学生時代からの彼との連絡は家電話。毎週何曜日何時にかけるよ、と 約束していました。その時に週末の待ち合わせを決めてました。 デートは案外質素で(笑)ファミレスや居酒屋が多かったような。 今は当時の彼が旦那。普通に暮らしています。良い時代だったなぁと 時々思い出します。

トピ内ID:8093678308

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至る所踊っていた

とーりすがり
22歳そこそこの小娘の事務職なのに、ボーナス50万(手取りで45万くらい)年間で100万くらいありましたねえ。 仕事はラクでした。 3時くらいになると仕事がなくなって、退社時間までは遊んでましたっけ。 当時ブレイクしていたディスコ、毎週水曜日は女の子はタダで入店できる店がありました。 こんな生活してたら人生も世の中も舐めてしまいます。 今では時給いくらの非正規でボーナスもありませんが、面白い時代を若い頃経験できてよかったです。 もうあんな狂ったような時代は二度と来ないんでしょうね・・・。 あの頃夜もよく歓楽街に飲みにでかけてましたが、今たま~~に夜歓楽街へ行くと、空気の色も匂いまであの頃とはまったく別物に感じて、夜の歓楽街なんだからそれなりににぎわっているにもかかわらず、ずいぶんさびれてうらぶれたように思えてしまいます。 あの頃は街中が踊り狂って浮かれ騒いでいるような毎日でした。

トピ内ID:6356737382

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ありがとうございます

🙂
トピ主
おっさん3号さん、時代ならではのエピソードですね。今なら簡単に出会えますからね。 携帯がない場合、突然約束の場に行けなくなった時って、どうやって対処していたのでしょうか?興味があります。 それと、そうそう、ディスコですね。 勿論、行ったことはありません(笑) 正に時代に取り残された化石のような私です。 そして、丁度今のようなクリスマスシーズン、当然そんなものに縁のない私は、街角から流れてくる歌を聴くたびに、切なくなったものです。 あと、年末恒例のJRの、あのCM、あのようなドラマチックな体験ってありましたか?

トピ内ID:4736121722

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バブルぎりぎり世代です。

041
S44生まれ男性
ただ、高校も都内の付属校だったこともあり、 高校時代から大学生モドキの遊びをしていましたね。 高校時代から渋谷の街で飲んでました(もう時効だからいいよね) ペンギンのアニメのビールCMが流れていたころです。 そういった盛り場に行くと、「何年うまれ?」と聞かれて その次に「干支は何年?」なんてよく聞かれたものです。 入店して2時間で入れ替えの居酒屋なんかが沢山ありました。 新宿なども深夜のタクシーが長蛇の列で簡単に乗れず… その結果、徹夜で歌舞伎町で飲む習慣がついて朝帰りが常習化したものです。 (まだカラオケボックスは無かったような気がします) 就活なんて今とは雲泥の差ですよ。 一部上場の会社の子会社の話です。(といっても規模は大きいところですが) IT系の営業希望でしたが、SPI後の面接の場で 「営業希望か、たぶん内定でるから」って面接開始2~3分で言われたほど。 それくらいの売り手市場だったのです。 8月頭の拘束日は関東近郊のホテルで宴会。 10月の内定式はTDRの傍のホテルで立食パーティー。 そんな時代でした。

トピ内ID:5463810975

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夢のような話ではないので恐縮ですが

041
1972年生まれの既婚女性です。 直接バブルの恩恵を受けてた(?)記憶は無いのですが、バブルのおかげで・・・という話なら書けそうなので出没させていただきました。 実家は自営業でしたが1987年に父が病気で半身不随になってしまい、一時は路頭に迷うかも・・・な話もありましたが、母と少ない従業員でなんとか事業を廻し、倒産させずに済んでいた。 病弱と言える私自身は高校卒業後すんなり就職が決まりました。当時はどこの企業も人手不足に悩んでいたからです。 就職できた切っ掛けも私の母校からは1人も入社した人員がいなかったため、パイプ作りのためだった(あまり実践力は期待されていなかったのかな?)。 我ながら幸運に恵まれているなぁと感じるバブル経験談でした。

トピ内ID:1509684072

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東京で就職しました

🐱
黒猫
大阪の大学から。 一番驚いたのは(いろいろあるけど)「で、いつスキーに行く?」って秋口に尋ねられたこと。 「いや、スキーってやったことないし道具もないんだけど(やるかどうかもわからんし)」 「そう、で、いつ?」 「いや、だから・・・」 結局そのペースに巻き込まれて道具買ってデビューしてハマりましたが、「スキーに行く」は選択ではなく必須だったのですね(笑)。

トピ内ID:9465939388

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バブルの甘い「汁」でなく「しずく」くらいなら甘受したかな

🐧
ほい
当時女子短大生、寮暮らしでしたが、毎週末どころか平日にも周辺の各大学の男子とのコンパ。 レストランや居酒屋で顔合わせ&腹ごしらえをして、後はディスコに繰り出すのがパターンでした。しかもほとんど男子がおごってくれる。 ディスコのお立ち台が懐かしいです。 就職してからも、同僚と街を歩いててナンパしてくる人たちの中から良さげな男性を選んで呑みに行ったりしたなー。 帰りもちゃんと送ってくれたり、タクシー代持たせてくれたり。 大した知り合いでもないのに一緒に飲んでたおじさんがタクシーチケットをくれたりも。 有名企業の名刺をくれて「うちの会社に来なよ!」て誘ってくれたのになんで転職しとかなかったかなぁ。 猫も杓子もブランドバッグをぶら下げてたっけ。 ハタチの女の子が毛皮のコート着てたもんな~。 なんでみんなあんなにお金があったんだろ。 ただ、家が厳しかった私はいくら寮暮らしとはいえカタイ方というかけっこうビビリ。 イケイケな友人たちはもっともっと楽しんでましたね~。 エネルギッシュな人があふれていた時代でした・・・。

トピ内ID:3612024076

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携帯のない時代ですか

041
ふてぶてしいイヌ
デートは、自宅の固定電話で約束をして、待ち合わせの場所に行く。 実家住まいの人は、コソコソと一家の固定電話を独占しなきゃいけないすから「いい加減にしなさい!」攻撃でタイヘンそうでしたよ。 一人暮らしでも固定電話。もしくは、職場結婚なんていうのもありましたから、会う約束はできました。 野口五郎さんの「私鉄沿線」じゃないけど、駅に伝言板が設置してあって 相手が待ち時間に来なければ、書き込みを探して読む人もいましたよ。 三重県の津ですか?JR東海の山下達郎さんCMソング「クリスマスイブ」良いですよね。 私はノンバンクで働いていましたから、世間の裏も見せていただきました。トピ主さんは遊びたかったですか?一見、何の苦労もなくレジャー に出かけていた人も中身は、よく行く気になれるなぁという位の、経済状態だった事が多々ありました。 今、幸せならすごいじゃないですか。トピ主さんの地道な努力が、 人生の結果です。楽しい青春のツケは予想外に嵩みます。 ホントに昭和42年生まれなんですか。化石って・・。

トピ内ID:1801812965

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コンパですか

🙂
トピ主
毎週末どころか平日にも周辺の各大学の男子とのコンパ ↑ コンパというのも経験がないですね~、たぶん(笑) ほんと、ドラマに出て来るような感じですね。 そんなに次から次に、初めて会う人ばかりですよね。 一体何を話せばいいのやら、想像しただけで緊張してきます(笑) 皆さんと私のように、まったく違う人生が、近くにいるかもしれないのに決して交わる事のない人生が、同時に進行していたんですよね。 人生の面白さが感じられます。

トピ内ID:4736121722

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バブル真っ只中の都心3区の不動産屋

🙂
バブル期の不動産屋
不動産屋で仕事していました。 携帯電話は、まだなかったですが、自動車電話は普通に使っていました。 あれって相手が、いる県がわかって便利でした。030+二桁が都道府県コードでしたので、 うまく活用していました。 給料だと・・・入社3カ月目で、1400万円(税込)とかわりと普通でした。 お客さんから個人的にお礼で○○万円もらったりとかも。 とにかく金銭感覚が、おかしい人ばかりでしたし、住宅の価格も朝4千万円が、お昼には5千万運になって夕方に7千万円で最終的に売れたりとか今考えると異常な時代と思います。

トピ内ID:5718998981

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経費精算

1970高卒就職
高い店を体験出来たのは職場の先輩が経費で落としてくれたからです。 あと、仕事先が浦安市で宿泊出張でした。 テーマパーク近くの高額ホテルに経費で宿泊。

トピ内ID:0639419548

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バブル時代は、凄かった

🙂
真ん中
>携帯のない時代 携帯電話が、大きかった時代ですね。持っていましたよ(社用) バブルの時代は、弾けるまでバブルを知らなかった。良い時代でした。 ・売上目標を早々に達成してしまうので「売り上げは止めて、来年の開拓してこい。出社しなくて良い」の時代。  毎週飛行機で全国出張。全部の飛行場を使ったと記憶。 ・新橋や銀座、横浜で飲んで食べて、接待費で処理できた。タクシーチケットで帰宅。 ・とにかく儲かってるので、経費をバンバン使えた。 ・自宅を1億8千万円で買いたいと不動産屋が来た。 同様の家を買うと、同じ金額なので断った。 今考えると、夢の様な時代でした。バブル時代は、凄かった。

トピ内ID:8187377077

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懐かしいです

🎶
大学生の母
44年生まれです。地方都市の大学だったので学生生活はそれ程派手ではありませんでしたが、当時はバイトの賃金払いも良くそれなりに謳歌できていたと思います。 あの頃のイメージはカラフルな女性の服装、真っ赤な口紅やゴールドのアクセサリー。夜の街は賑やかで活気に溢れていました。 友達との連絡手段は家の固定電話か外なら公衆電話。事前に集合場所を知らせておいて、遅刻者がいたらテレカで公衆電話から相手の家に電話してました。 私は大卒後に1年間海外留学したのでバブル崩壊後の就職でしたが、好景気の余波もあって比較的容易に就職できました。海外支店配属で同期よりは大目にお給料を頂いてました。 楽しい時代でしたが、私は今の質素な時代も悪くないと思っています。大学生の娘を見ていると昔の学生とは比べ物にならない位、勉強や資格取得に励んでいます。娘たちも将来こうして青春時代を振り返るのでしょうか? 移動や通信がはるかに容易になった今、昔とは違う楽しみは沢山あります。トピ主様も素晴らしい人生を過ごされますように。

トピ内ID:0035796238

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兄の話

041
バブルの子供
私自身は48年生まれなのでバブル期はまだ高校生ぐらいだったので大学生活は参考にならないかもしれませんので3歳上の兄の話。 我が家は父は不動産会社を家族経営していたのでバブルと言われる前から大きな波には乗っていたと思います。 親戚の集まりはホテルの宴会場を借りてカラオケ大会です。食事は当然フレンチのコース。ケーキはワゴンでやってきて選び放題。大人は値段も見ることもなくじゃんじゃんお酒を注文。 家はどんどん大きくなりました。 そんな時代に受験を控えた兄でしたが、第一希望は不合格。それでも来年に備えてと仮面浪人ししました。そう!入学金も授業料も払って来年への念のためを確保していたのです。 結局は一年無駄にしたものの、その大学へ進学となりましたが…(苦笑) ただそのあとはいたって普通でした。車こそ買ってあげましたが、小さな国産だし、郊外にある大学近くの普通のワンルームを借りて、兄はたまにバイトなどしながら学生生活していました。 兄自身は派手な環境ゆえに地味な学生を装うことが楽しかったような感じでした。

トピ内ID:2791353721

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高い忘年会費

🐤
ひよこぴよ
世間では「バブル景気」と報道されていた頃、当時勤務していた職場で「忘年会の案内」が掲示板に貼り出されました。 その金額は なんと「4000円」 職場の皆は、 「なんだ この4000円とは 常識ハズレな高額じゃないか こんな忘年会 参加できるか!」 と職員一同から猛反発。結局職員の半数 (20名) が不参加ということがありました。1回の飲食費が 4000円とは たとえ 年1回の忘年会 とはいえ当時 (1990年ごろ) あまりにも高額でした。 高校時代の同窓会に出席すると、 「忘年会は会社の行事だから 私の組織では公費で社員は費用を出さないよ」 「君、そんな少ない冬のボーナスで よく我慢できるな」 なんて言われたものでした。あの当時は官公庁職員はバカにされたものでしたよ。

トピ内ID:1227682600

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日本中が黄金に輝いていた

🙂
気圧計
昭和37年生まれです。少し上ですね。 私が勤務していた会社はセコく『来るべき冬の時代に備えて我慢してください』とボーナスも給料も、あまり上がりませんでした。 証券会社の新入社員の1回のボーナスが120万と聞きました。 何だか日本中がキラキラしていました。 薄給ながらボーナス時には友人とフランス料理1万を食べに行ったり、ワンショットバーが至る所にありカクテルを飲みに立ち寄ったりしていました。 自分自身は、あまりバブルの恩恵は受けなかったけれど森遥子さんの本等は高級バブルだらけ。 憧れて気取ってフローズンダイキリを飲んだりしていました。 それまでは殆どの人が持たなかったパスポートを猫も杓子も持ち始めたのがこの頃でした。 若い人達はディスコのお立ち台で踊りまくっていました。 長いワンレングスの髪にボディコンシャスなワンピースが普通でした。 会社のクリスマスパーティーは皆、ドレス。 1着10万円のドレスや20万のコートなんてザラでした。 今の中国の富裕層のような暮らし方を皆していました。 バブルはじけて皆、我に返りましたけどね。

トピ内ID:9684676455

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バブルを謳歌した1人だと思います。

🎶
まさにバブル姐さん
S39年の東京生まれ、84年に都内の短大を卒業して、一部上場超大手企業(当時は学生が入りたい会社のトップだった)に就職。 「可愛い子が多い」と言われた短大在学中は、近所の大学の男子学生がよく校門付近でスキーやサークルのビラを配り、ディスコでは道で無料券をもらって行けばいいし、就職してからは給料云々より、職場で飲み会に行けば、当然「女の子」は無料。もうお金が余っているからチヤホヤされまくり。ボディコンのワンピースなんかも着ていました。営業部門から入手した「タクシー券」なるものも豊富にあって、海外に出張した職場の人からは、ブランド物の口紅や香水なんかをお土産に頂いた。会社からは給料・ボーナス以外で、何万人という社員全員が「特別金」の1~3万円が支給されたりもした。 でも、地方に住む従姉はバブルというものを感じたことがなかった、と言っていたので、 これってやはり都心部だけの話とか。。 おまけに私はバブルがはじける直前に海外留学してしまい、途中一時仕事で日本に住んでいた以外はずっとこの地にいるので、実は日本の不景気を実感したことがなく、悲しきこといまだにバブル感覚引きずっています。

トピ内ID:1390521386

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臨時ボーナス

cloud
通常の賞与の他に年2度程出てましたね。それと、42年ならば前年の丙午の影響からか、やたら新卒が多かったですね。 現在と比べたら、3倍程差があります。その後どうなったかと言えば、大卒と言えど先の見通しを失敗して、50歳過ぎても平のままの人も居れば、経営層まで喰いこむ人まで様々です。

トピ内ID:0489826307

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金余り時代

041
fiji
会社の飲み会はタクシー券が出てました。 会議と称してお向かいのアーバンホテルの広間を貸し切って、その後の昼食は豪華バイキング。 大きい契約もポコポコ取れたりして、今じゃ絶対ないだろ、と思います。 もちろん私は当時はやりの、ワンレン、ボディコン、爪長ハイヒールでした。 友人の海外出張は常にビジネスクラスで移動だったとも聞きます。しかも大した用事ではないという。 弟が当時大学生で東京にいるのに、田舎の実家には会社案内の冊子が入った段ボールが何箱も送りつけられてました。 弟は94年にすんなり就職しましたが、その少し下の従兄弟が就職氷河期にあたり、院卒でありながら就職で苦労し希望通りにいかなかった経緯があります。

トピ内ID:4244236549

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ボーナス120万ですか・・・

🙂
トピ主
私の先輩(昭和38年生まれ)の話ですが、当時の証券会社では、新入社員でさえ、それくらい貰っていたという話を聞いたことがありますが、本当の話なんですね(笑) でも、不思議ですよね、今は当時にくらべて、お金がなくなったわけではないのに(いや金融緩和で増えている)、この不況感。 文字通り「景気は気から」という事なんでしょうね。 今でも、お金持ちはたくさん存在している、でも、使わず溜め込むから不景気という事なんでしょうね。 じゃ、誰かが、バブル期のようにお金を使いだせば、「バブルよ再び」の世界が訪れるかもですね。 次のバブルでは、チャンスをつかみたいものです(笑)

トピ内ID:4736121722

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ワンレン

🐤
ひよこぴよ
当時、「ワンレン(ワンレングスボブ)」の髪型が流行したそうですけれど、私が中学生時代(1970年代初め)、校則で女子生徒の髪型は「「ワンレン(ワンレングスボブ)」でしたから、バブルの頃に  「なぜあの髪型が流行なの???」 と思ってしまいましたよ。

トピ内ID:1227682600

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バブルの頃のカレッジライフ

昔話
日本からの留学生がクラスにいました。(私は労働許可無しでしたから専業主婦兼子供の運転手で余暇にカレッジに通ってました。) ある日その留学生の顔色が冴えなく憔悴した様子でしたので心配したところ日本から出張で来られたお客様があってドライバー役をしたのだそうです。 午前中:テーマパーク  午後はユニバーサルを案内したとの事でした。その後クラスには来ませんでした。 若いってエネルギーがあると驚くより入場料を一日分払って半日しか使用しないという無駄使いに驚愕したものでした。バブルの頃の出張費用のバブリーな事! 私は当時入場料節約の為息子の学校のユニバーサル見学のボランティア引率係を引き受けてヒッチコックのサイコのロケに使用されたノーマンの家を見て喜んでいました。 バブルとは程遠いライフスタイルはその後も続いています。  

トピ内ID:0635838156

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観光バス

🐤
ひよこぴよ
あの当時の私の職場 (転勤族なので、その当時の職場) で観光バスで社員旅行がありました。片道2時間ぐらいかかりましたが職場と同じ県内でした。 観光バス車内で「お菓子、ジュース、ビール」などが出されました。そのときに使用した紙コップがちょっとかわっていたのですよ。 「おい この紙コップ 氏名記入欄があるじゃないか」 「アッ このコップには 目盛がついているぞ」 なんて会話が車内でアチコチから聞こえ、社員の一人が気がついて、 「アッ この紙コップ 健康診断のときに使う 検尿のコップじゃないか」 車内一同 大爆笑。添乗員係りの労務厚生担当職員が、 「健康診断のときの検尿コップが余ったので 使ったんですよ 中に注ぐビールの色が 検査のときとよく似ていていいでしょ」 社員は、 「こんなところまで節約しなくても いいじゃないか これだから俺達の組織は 経常利益が日本トップクラス になるはずだよ」 なんて社員一同、バスガイドさん 運転手も 大笑いでした。 社員旅行・・・もちろん社員が費用を負担します。当時の社是のひとつに 「国民には豊かに 職員は質素に」 でした。

トピ内ID:1227682600

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