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『なので』 接続詞

レス43
(トピ主 1
041
よしんば
話題
子供の夏休みの宿題で、読書感想文を見てあげました。
接続詞で『なので』を使っていたので、これは正しい日本語ではないと指摘しました。
その時ちょうどTVでコメンテーターが、「なので~」と普通に使いました。
それを見た子供が「ほら、TVに出てる大人が使ってるよ!」と、得意になって指摘しました。
私は「あれは、正しい使い方ではないね」と諭しましたが、自分自身も実は半信半疑でした。
皆様でしたら子供に言葉遣いを教えるとき、『なので』の使い方はどのように指導しますか?

トピ内ID:2359219706

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話し言葉と書き言葉

🙂
はて
の違いというものを教えます。 問題なく話される言葉が、すべてそのまま文章として通用するとは限らないのです。 「だって」「だけど」 なども話し言葉としては立派に通用する日本語ですが、作文には使わないでしょう。

トピ内ID:3141290108

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調べて

🐤
ふふみ
お子さんと一緒に調べれば 勉強になる。

トピ内ID:4200709988

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接続詞ではなく、文頭「なので」ですよね?

041
のこのこ
文法については、他の皆様が、もっと判りやすく教えて下さるでしょうから、 私だったらでお答えしますね。 「みんなが使っていても間違いは間違い」とまず伝えます。 その上で、「言葉は変わるものだから、いずれは正式なものになるかもしれない」と言います。 私が子供の頃、「一【生】懸命は間違いで、正しくは一【所】懸命である」という指導がありました。 これは事実です。 でも、今では一【生】懸命も使われるようになりました。むしろ一般化した感もあります。 友達とのラインや、チャットとは違って、公的なもの、 たとえばNHKで、「賛成が規定数に達しなかったので、否決されました」という解説が、 「賛成が規定数に達しませんでした。で、否決されました」と言われたら、 お子さんは違和感を持ちませんかね? 「この【で、】と【なので】は同じだよ。あなたは【なので】(文頭)に違和感がなくとも、間違いは間違い。」 と言って、判ってくれないかな(希望)。

トピ内ID:8364367487

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「だから」でしょう

041
なのでぇ~、嫌いです
今や某有料放送局まで「なのでぇ~」と言ってますね。 誰も指摘しないのでしょうか。不思議でしょうがないです。 接続詞は前後の文章にもよりますが 例えば ×雨が降ってきた。(なので)私は傘を広げた。 だと、 ○雨が降ってきた。(だから)私は傘を広げた。 になるかと思います。 「そのため」や「したがって」でもいいですね。

トピ内ID:2173273471

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文頭の「なので」は正しくない

🙂
匿名
しかし、下記のように 明日は会議なので、資料を準備する必用がある。 は、正しい日本語だと思いますが。

トピ内ID:5161404567

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あ、いつの間にか私も使ってたかももも

😝
ぽんぽこたぬき
1.ミカンが好きなので沢山食べました。 2.ミカンが好きです。なので沢山食べました。 3.ミカンが好きです。だから沢山食べました。 正誤は別に全部相手に意味は通じますね なんだかこの頃日本語に自信がなくなってきました 1と3が正 2は誤 ですよね

トピ内ID:6802852954

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間違っていると思います

😀
うさぎ
多分、アナウンサーではなく、タレントのコメンテーターですよね。 口語体、っていうのか?私も気になります。 最近、学校の若い先生も なので、と使っていますよ。 何か違和感があります。 ちなみに小学校の教科書にはそのような表現は載っていません。

トピ内ID:0058294492

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文頭に来るのは間違い

😀
理恵子
「~なので~だ」のように、文の間に使うものであり 「~だ。なので~だ」というような使い方は違います。 そもそも「なので」は「なのだ」が続ける言葉に変化したものです。 そのなりたちを話せば、「なのだ」が文頭に来ることがないのは小学生でもわかると思いますよ。 文頭に使うものとして「なので」と代えられる正しいものとしては 「だから」「そのため」「それゆえ」などがあります。

トピ内ID:9940792161

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「正しい日本語」を誰が決めた

🙂
リタイヤ世代
>・・・これは正しい日本語ではないと指摘しました。  『なので』は日本語として通じますね。「正しい日本語」との言い方を、当然のように言う方がおられますが、「正しい」を誰が決めたんだと思ってしまいます。 せいぜい、「旧来の日本語」ではないが正確だと思います。  私は子供が「旧来の日本語」でない言葉を使った時、日本語は状況による使い分けが必要な言葉と教えていました。例えば「敬語」「丁寧語」「友達言葉」「書き言葉」などです。  この論理なら『なので』が、読書感想文での使用不可と、TVでのコメンテーターの使用可に矛盾はないと思います。  私も出来れば「旧来の日本語」を使って欲しいと思う古い人間ですが、その言葉もいずれ「正しくない日本語」と言われるかもしれませんね。

トピ内ID:0140853118

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口語的言い回し

🙂
なみ
俗な言い方、話し言葉であって、きちんとした文章には使わないものだと教えましょう。 友達とのメールのやり取りや小町のレス程度に目くじら立てる必要はないけれど、 試験や作文、仕事の文書などに使うのはおかしいと説明すれば分かるのでは。 お子さんだって感想文に「オレは○○と思ったんだけど」とか 「だって○○じゃん」なんて書かないでしょうから。

トピ内ID:2038292533

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話し言葉と書き言葉

🙂
プラネット
これらの違いを教えます。 最近、アナウンサーでも 「すごく美味しいです」と言えばいいのに 「すごいおいしいです」と言ってて幻滅しました。 まぁでも、言葉って移り変わっていくもので 100年前は使っていたのに、現代ではダメになっているものもありますからね。

トピ内ID:1302917149

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それは

🐤
かんたん
きちんと勉強しなかった大人が使っているだけよ。お母さんは恥ずかしいと思うわ。 で終わりです。

トピ内ID:5566948070

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最近使う人がいますね

041
natsu
私も気になっています。 突然『なので』って変ですよね。 以前は『なので』なんて言う人 いなかったと思うのですが。 時代と共に言葉も変化するうちに 入っているのでしょうか。 変わりになんと言えばいいか… 『そういうことなので』とか? 長ったらしいですけれど。

トピ内ID:6811572192

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いやいや

🙂
ロード
「だから」は「なので」と同類ですよ。 使われてきた期間がちょっとばかり長いだけです。 > 「言葉は変わるものだから、いずれは正式なものになるかもしれない」 「まだ変わっていない」とする根拠は何ですか? 正式って何ですか? 教えるってのは、そこを明らかにすることじゃないの? 少なくとも、自分の価値観を押し付けることではないでしょう。

トピ内ID:5563221185

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そのうち認められるようになるでしょう

🙂
守旧派
文頭に「だから」が来るのは否定する人はいないと思います。 「だから」もよくよく考えると、断定の助動詞または形容動詞の終止形「だ」+接続助詞「から」→独立した接続詞「だから」と変化したのでしょう。 とすれば、「なので」も断定の助動詞または形容動詞の連体形「な」+準体助詞「の」+格助詞「で」→助動詞形容動詞の連体形「な」+接続助詞「ので」、とここまではすでに変化している なので、今後、助動詞形容動詞の連体形「な」+接続助詞「ので」→独立した接続詞「なので」になるのは時間の問題かと思います。 今は過渡期なので、堅い文章では保守的な言葉遣いをして、個人的なメールや手紙では新しい使い方も構わない、さらに話し言葉ならもっと軽妙な言葉遣いが好まれる。使う相手と場所を心得て使い分けよと指導します。

トピ内ID:5205806464

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前段を受ける+理由

🙂
BM
現代日本語の流行は、1つの文を極力短くすることです。好ましくは40文字以内。 文中で「~ので、」や、「~のため、」を用いて説明文を仕上げると一文が長くなるため、「~です。従って(ゆえに)」式に2文に区切る文章が目立って増えています。 トピで指摘されている、文頭での「なので」や「だから」「ですから」「そのため」は、いずれも「前段を受ける+理由」の構造ですから、どれを使っても問題ありません。

トピ内ID:1348052340

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文頭「なのに」はOK?

🙂
lte
例文として、 「彼は焼き魚が嫌いだ。なのに刺身は好きだ」は受け入れられるでしょうか。 「彼は焼き魚が嫌いだ。なので刺身を出した」はどうでしょうか。 接続詞として文頭の「なのに」は、カジュアルな書き言葉としては普及していると思います。 「なので」と「なのに」の違いは、順接か逆接かですから、「なのに」程度には「なので」を受け入れても良いのではないでしょうか。 公文書やビジネス文書に使うかはともかく、普段使いの書き言葉としては「なので」を使うことに違和感はありません。

トピ内ID:1348052340

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よくある意見は

🐶
資格の学校
ことばは移り変わるもの 正式って何ですか? などなど。一般にことばづかいの根幹はなるべく変えないほうがよいのです。 (当方言語学者です)。 人為的に変えてはならないとするべきということではありません。 新しい使い方を禁止するというのではありません。 新しい使い方を「今までの文法等に照らして誤りである(正式ではない)」と 明らかにすること意識するということです。 このことから公共放送では正しい(とする)言葉遣いを取り決め、規範とし、 それに従うことが大切で、それこそが公共放送に求められる役割の一つです。 いまの日本では概ね明治以降「日本語が崩れ始める」1990年までの標準と される用法が分かっています。それを規範とすることが学会では常識です。 従って、文頭の「なので」は誤った用法としてよいでしょう。

トピ内ID:3027694139

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そのうち認められるようになるか

😒
守旧派二号
どうかはあくまで推測です。そして今現在「使われると不愉快」(だからの多用も同様) 従って平気で使う御仁には「やめなさいよ」と注意します。 それでも使う相手には「有難う。御社との取引はこれまでとさせていただく」と申します。 何か問題でも?

トピ内ID:1369049822

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『指導』として間違っているでしょう

🙂
ロード
> いまの日本では概ね明治以降「日本語が崩れ始める」1990年までの標準と > される用法が分かっています。それを規範とすることが学会では常識です。 「なので」は1990年以前から使われていますが、それでなぜ「今までの文法と照らし合わせて誤った用法」なのでしょうか? あなたの言う「規範」に入っていないのは何故ですか? そもそも「日本語が崩れ始める」というのは、一体どんな根拠に基づいているのですか? 「急激に多様な表現が出てきた」ことを『悪いこと』とする根拠は何ですか? ただの主観に過ぎないことを無理やり権威付けして「正しい」ことにしているだけでしょう? 根本的に、日本語は「書き言葉」と「話し言葉」に差異がある言語です。 『話し言葉では良くても、書き言葉としては好ましくない』とするのが適切な指導であり、「誤った用法」とするのは誤っています。

トピ内ID:5563221185

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なぁんにも問題ありませんよ

😑
守旧派
民間企業であれば、どんな理由で取引しようがすまいが、全くの自由ですよ。

トピ内ID:2205332667

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間違いとは言えない

🙂
kimenzan
語源的には、助動詞「だ」の連体形「な」と接続助詞「ので」の合成語です。広辞苑や大辞林のように接続詞としての用法を認めていない辞書もありますが、三省堂国語辞典や新明解国語辞典は接続詞として文頭に置く用例を載せています。平成14年以降に出版された国語辞典は接続詞としての用法を掲載するものが多くなってきました。編集員である国語学者の多くが正しい日本語と認めているということでしょう。 権威のある三省堂国語辞典が接続詞として認めているのは大きいと思います。しかし、ここの編集員である飯間浩明氏は「的を得る」が日本語として正しい(しかも世に定着したからでなく元々正しい)と主張し、「三国」がかつて「的を得る」を誤用としたことを謝罪するなど、国語学者としては尖っている人なので異論もあるかもしれません。また、多くのメディアでの用例を色濃く反映させるのが「三国」の編集方針ですから、規範文法より記述文法を重視しているのかもしれません。 結論として、定着しきった言葉とはいえませんが、間違いとまではいえないでしょう。

トピ内ID:5698786231

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三疑問

😉
蟻の一穴
>『話し言葉では良くても、書き言葉としては好ましくない』とするのが適切な指導であり、「誤った用法」とするのは誤っています。 話し言葉では何故「良い」とするのですかね。 それでそれが何故「適切」なのですかね。 また「誤った用法」とするのは何故「誤っている」のですかね。

トピ内ID:0974127494

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正しい日本語

🐱
戦後派
現代日本語は、1945年以降の国語改革を経て、戦前の日本語とは大きく異なります。 戦後の国語改革で、明治以来使われてきた多くの漢字、仮名、接続詞が失われました。 今使われている言葉は、明治期の日本語とは別のものです。 今の正しい日本語は、戦後改革を生き残った、あるいは戦後に意味を変えた言葉たちの集合です。 旧来の日本語と多くの人が考えている言葉も、高々数十年前に造られ、正しいとされた言葉に過ぎません。 日本語とは左様に、未完成で未成熟な、魅力的な言葉なのです。

トピ内ID:7784567070

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間違いとはいえない」の根拠?

😀
hotokenoza
kimenzan さんのいうように >広辞苑や大辞林のように接続詞としての用法を認めていない辞書もありますが、三省堂国語辞典や新明解国語辞典は接続詞として文頭に置く用例を載せています。 ということです。まず広辞苑や大辞林が接続詞としての用法を認めていない以上「まちがいといって」よいと思います。三省堂の両辞書とくに三国は新しい(まちがっていても普及した)用例を積極的に取り入れる事を特色とすることはいまさら言うまでもないでしょう。 >編集員である国語学者の多くが正しい日本語と認めているということでしょう。 三省堂国語辞典や新明解国語辞典に載っているからといって、もちろんこういう結論は出せません。上に述べたように「いままでは正しいと認められていない」(広辞苑や大辞林が認めていないということはそおういうこと)つまり「まちがった使い方」とされていた用法(これを「まちがった使い方」と略称します)普及してしまったので三国や新明解が載せているだけです。 まちがった用法であることに変わりはありません(理由は上述しました)。

トピ内ID:0724169263

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指導について(追記です)

😒
hotokenoza
間違った用法が普及しただけなのですから、  まちがいだよ~ と指導するのが正しい(お子さんへの)指導です。その指導にかかわらず、 世間では普及しようが、はたまた廃れようがまちがであるという事実とは無関係です。 一方、世間で普及しつつあるからといって、今後は認められるでしょうなどという推測で  この使い方も正しいんだよ~ などと教えるのは無責任でありましょう。

トピ内ID:4028826202

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言葉に対しては「保守的」であれ

😑
そば清
私が心がけていることです。 読書感想文であれば「なので」は適切な用法ではありません。正しくない、というのではなく、適切でない。 例えば、小学生が友達への手紙に「なので」を使っても咎めません。 読書感想文は、多少なりとも公的な意味合いを帯びますが、友達への手紙は私的なものだからです。 ただ、私自身は書き言葉はもちろん、話し言葉であっても初めに「なので」を使うことはありません。 「なので」は「○○なので」のように付属語として認識しているので、自立語なしでは用いません。 言葉の用法が変化していくのは、むしろ自然なことですが、変化に対しては保守的であろうと考えています。 子供に対しても、そのように接しています。 例えば、最近多く用いられるようになった「かぶる」という言い方についても「重なる」や「同じになる」の意味で使うのは適切でないと言っています。「予定がかぶる」や「服装がかぶる」のような言い方は、かつては一般的ではありませんでした。「生きざま」という言葉もそうです。 自分以外の人が使うのを咎めることはできませんが、子供達には「保守的」であることの大切さを伝えています。

トピ内ID:5371629283

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方言は正しい日本語です

🙂
ロード
> 話し言葉では何故「良い」とするのですかね。 「なので」は方言です。 話し言葉では、日本語の方言はすべて『正しい日本語』です。 したがって、話し言葉では「なので」を使って良いのです。 少なくとも、「方言を使うな」というのは教育として不適切とされています。 一方、書き言葉には(正式に定められているわけではないが)標準的な文法があります。 (国語の教科書はそれに従うことになっている) 「話し言葉」と「書き言葉」には差があるのですから、一緒くたにして「誤っている」とするのは、誤っているのです。

トピ内ID:5563221185

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すごいですね

🙂
守旧派
ただの出版社に、日本語の文法を定めたり、使い方の正誤を決める権威があるんですね。 こういう人には、分類学の本に書かれたとおりに生物がいる。 天文学の本に書かれたとおりの星がある。 って順番なんでしょうね。 ばかばかしい。

トピ内ID:5520779378

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やはり間違いとはいえない(正しいとも言わないが)

🙂
kimenzan
「なので」を接続詞として扱っているのは三省堂国語辞典と新明解国語辞典だけではありません。いったい、どれだけの辞書が掲載したら間違いでなくなるのでしょう。 また、掲載するにあたってこれは間違いであるが広まっているから掲載したという記述はありません。現時点では誤っているが広まっているということなら、通俗的な使い方などと記述されます。少なくとも現時点で誤っているとはいえないという専門家の判断でしょう。もとより日本語の正誤ははっきり割り切れるものではありません。 例えば、「ご苦労様」を目上には使わないというは2000年以降に出版された国語辞典の多くには記載されており、世の中では受け入れられたマナーかと思います。しかし、文献などを調べると江戸時代まではむしろ目上に向けて使われ、(目下には大儀)明治以降は昭和40年代後半まで、目上目下関係無く使われていたというのがわかっています。なぜ目上に使うのがNGになったかはここでは述べませんが、国語辞典でもそのマナーを頑なに載せないのが3つほどあります。この場合、このマナーは正しいのでしょうか、それとも載せない辞書があるから間違いでしょうか。

トピ内ID:5698786231

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