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25年くらい前にパソコンの仕事してたかた。黎明期について(駄

レス87
(トピ主 1
🐧
あくあ
話題
私は文系の短大を卒業後、文系だと思った会社に就職し、
わずか1年後に当時社内の最先端だった【電算部】に配属されました。

社員100人弱の会社で、パソコンがあったのは、
総務に2台とシステム開発に2台。
電算部だけが1人1台のパソコンを持っていました。
あとは手書き・手作業で仕事していました。

Windowsでもないので手打ちでコマンドを入れて操作しました。
もちろんオンラインで繋がってなんかいません。
データのやりとりは5インチフロッピー。
125バイトの、紙のカバーがついたソノシートみたいなディスクに、
カチャカチャ書き込む音を聞きながら、保存が終わるのを待っていました。

短大では一応、情報の授業もあった時代ですが、2人に1台のパソコンを交代で
使って授業をうけました。
高校以前はパソコンの授業はありませんでした。

いまは自分の子どもが、学校の授業のみでなく、パソコンで絵を描いたり、
それどころかモバイルで友達とのおしゃべりの道具になっています。

そりゃすごいけどさ。
私はこんなだった頃から仕事でパソコン使ってるんだからね~。
という、パソコン社会の黎明期のお話、聞かせてくださいな。

ちなみに私は平成3年新卒でした。

トピ内ID:8891814008

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レス数87

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3Dのリンゴを一つ描くのに・・・

🐧
映画マニアおばはん
三日かかった。 根気あるのみ!

トピ内ID:7458276679

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パソコン歴30年

🙂
直也
65歳男性です。 若い方はご存じないでしょうが、30年前、私が会社勤めしていたころ、経理部に一台あったパソコンは、保存するのにカセットテープを使っていました。A4の文書データ1枚保存するのに、ジーカタカタ...と一、二分かかっていたような記憶があります。 先輩の話だと、それ以前は、巾4センチくらいのロール紙に保存していたとか。ロール紙にポツポツと穴が開いていたそうです。まるでオルゴールの金属板みたいに。 いまだに信じられない話ですが。

トピ内ID:4820237407

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なつかしい

💡
yuki
そうですね。H3なら、まだペラッペラの5インチでしたね。8インチも生きていたと思う。しばらくは3.5インチと共存してたけど消えちゃいましたね。起動するときにいちいち起動用FDを入れてたような記憶があります。色々と楽がしたくてBATファイルを作ってました。 あのころの記憶と言えば、PCはPCルームにしか置いてなくて常に冷房がガンガンかかってたことです。気温が高いとパソコンに良くないとか言って。 それともっと上の年代の人が「若い頃はプログラム組むのにパンチカードだった」とかよく聞かされてました。

トピ内ID:3400491142

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パソコン以前

🐤
ひよこぴよ
私(59・男)は工業高校・電子工学科在学中に、日本電気製の NEAC2200 、沖電気製の OKITAC4300 を授業で使っていました。 1975/4に当時の日本電信電話公社に入社、電話回線の故障統計・管理にデータ宅内装置に装備されている鍵盤さん孔機を使って「紙テープ」にデータ入力し、当時はまだオフラインでしたから管理部門 (電気通信局など) へは紙テープを郵送していた。 その後、遠隔監視制御装置などに組込みの電算機は現代のパソコンを旧式にしたような形で、8インチのフレキシブルディスクを使用するものだった。 次第に小型化され、私が退職した2001年当時は 3.5インチだけになった。 1980年代の外部記憶装置は、高さが2メートルもある 磁気テープ装置、ディスクの直径が30センチ以上もある磁気ディスクパック装置だった。1990年代にはさらに記憶容量の大きい大型の磁気ディスクパック装置に変わった。重さは200kgを超えていた。 私は、マイクロ無線設備が専門でしたが、電算機は無線設備に組込みされていた。(第一級無線技術士・第三種電気主任技術者)

トピ内ID:5219441733

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仕事で、ですか・・・

041
匿名
機材がトピ主さんのお書きのより更に前の世代なもの(カセットテープの時代ですよ)で、当然ながら仕事の実用品ではないもので、それでもよければ怒濤のような量のレスを書けますけど、ここでは自重します(汗 >125バイト 125キロバイトでしょうね。

トピ内ID:6571401479

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ドスコマンドしかなかった

😑
あっきー
思うように動かず、その都度文章だけのマニュアルを読み直し、とにかく使える人がいませんでした。 SEという言葉もなかった…。 コボルとかフォートランとか、死語だよね。 Windows95になってから、少しだけ自宅で仕事をしていたけど、その時のPCは2ギガ。 今だと信じられない容量ですよね。 圧縮作業に丸3日かかった…。その間何の作業も出来ず、ひたすらレンタルビデオを見ていました。 PC通信もあったけど、通信料金が物凄く高価で、いちいちメールする度に切断していたな。 破産する人もいました。 色々な面で急速に良くなって来たけれど、使いづらい部分は残りますね。

トピ内ID:4426515849

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25年ほど前・・

🍴
アラフィフさん
昭和63年の新卒です。 当時は書類はほとんど手書きでしたね。ワープロはあったのですが、オジサンたちはほとんど操作できず、お客様のへのレターなどは「オンナノコ」がタイプするものでした。つまり、オジサンが書き殴ったメモをタイプして文書にするのがOLの仕事だったんですね。基本的に全部紙で管理でしたし。 パソコンが本格普及するのは、DOS/Vパソコンが登場してWindowsの動作が安定(3.1->95くらい)し、更に社内LANが引かれて、ファイルサーバやプリンタサーバができてからです。当時ボーナスはたいて買った割とハイスペックなパソコン(40万円!)、CPUは100MHz、メモリは16MB、ディスクは500MBくらいでした。インターネットはまだ普及してなくて、パソコン通信の時代です。今のようなネット環境はなく、「モデム」という機械を介して電話線に接続して通信するので電話代にヒヤヒヤ。後に深夜のみ電話代定額のサービスが出ましね。 いや、懐かしい。

トピ内ID:6741682201

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紙のカバーは16インチFDだよね?

041
ん?
5インチならプラスチックですよ。 とぴぬしさんと同年代ですが、社会人になった時に入社したのが、画期的大容量1ギガ!のウインドウズ使用でした。 当時ロータスと一太郎入ってましたね。 転職したらドスVだかの旧型パソコンで、その16インチFDと線と文字だけの黒い画面にたまげました。 でも私達は若い新人のときパソコンがあってさわれたのですから、本当に困ったのはすこし上の世代じゃないでしょうか。

トピ内ID:8680992597

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学生でした

🐴
パンダの貧貧
修士論文、博士論文は手書きで、英文はオリベッティーのタイプライターを使っていました。 IBMのタイプライターのボール型の印字装置は画期的で、さらにタイプライターに修正機能が加わり打ち直しもなくなりました。 ワープロが出て、字がうまくなかった私は手書き文書から開放され大喜び、パソコンでも文書を作れるようになり便利になりました。テプラも活用して以後ほとんど字を書くことがなくなりました。 英文もIBMの文書作成専用機が導入され、トピ主と同じ5インチのフロッピーディスクを使い論文を簡単に作れるようになりました。読み込み、読み出しの時のカチャカチャという作動音を今でも覚えています。 切り貼りがコピペに変わり、論文作成が容易になりました。 学会の準備も様変わりで、レタリングで作成し、写真屋に持ち込み、スライドを作成していたものが、パソコンのパワーポイントで自由にカラフルなスライドができるようになりました。 その後、フラッシュメモリーに移したファイルを直接学会場に持ち込めばスライドを作らなくてもよくなり、便利になりました。

トピ内ID:0405082977

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基盤にティッシュを敷いて手で押さえてました

💍
H2年新卒
高校の頃にワープロ授業があってコマンドで起動していましたよ。 都度、パソコン?にワープロソフトを入れて起動していたように記憶しています。 9インチ?の大きい黒い紙に包まれたディスクに書き込みして保存していました。 その頃にはワープロの専用機(画面+キーボード)が出てきていたので、それとは違ったと思います。 職場のはパソコンというより専用の入力機械でした。 熱で基盤が浮いてくるので、本体を開けて基盤をティッシュで抑えるという荒業、またはエアダスター使用で乗り切っていました。 テレビ画面は小さく、緑だったような気がします。 二年くらいでまだネットにつながっていないパソコンがフロアごとに一台入りました。 入社前に自分でワープロの機械(白黒表示・カラースキャナーつき)とカラー表示のパソコンを購入しました。 林檎かフロッピーディスクかCD(F社)のものが欲しかったのですが、ショップの方に「フロッピーデイスクなんて未来はない。絶対に廃れる。」と黒いディスクの「脅威の32"ビット"」を購入してしまい後悔しました。 コマンドで走らせないと、当然真っ黒です。

トピ内ID:4856648800

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パソコン以前

🙂
偽技術系
昭和57年文系学部卒で入社。 在学中に「電子計算機入門」を受講。 学内の大型計算機センターでフォートランのプログラム作成。 パソコンではなく、大型計算機の端末機。 バッチではなく多人数が同時に利用できる最先端技術のTSS(タイムシェアリングシステム)。 合間に迷路作成プログラムで遊んだおかげで利用可能時間が尽きてしまい、担当教官の研究室の端末を利用させてもらったが音響カップラーによる接続だった。 会社も大型計算機に多数の端末が接続されたシステムで、端末はNECのN6300、8インチFD、ソフトはLANシリーズ。 前任者が電卓と手書きで作成していた収入資料を全て表計算ソフトのLANPLANに置き換えました。 印刷は連続帳票のみでサイズが自由に選択できないので、B4に合わせるため最後に切り貼りや縮小コピーが必要。 一度センターダウンで2時間かけた資料が消滅したことがあって以来30分おきにセーブする癖がついた。 その後システムに係ることになり業界の会合で技術系と思われた。 今のハード、ソフトの進化には目を瞠るものがあります。 ただ日本語変換に関してのみ進化を感じられません。

トピ内ID:2851394159

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同じ年かも

🙂
蓮根
私は4年制大学を平成5年に卒業しています 思い出します 真っ黒な画面に緑色の文字 マウスもなかったです 部署(2~30名在籍)に2台で足りてました メールも「パソコン通信」などと言ってましたね きっとあの頃のパソコンなんて、今のガラケーよりも機能的には劣っていたのでしょうね 数年後、マウスもついて画面もカラー表示になったパソコンが3~4名に1台支給される頃には出産で退職してしまいました (この頃はまだ産休が取れる人は少なかったので) なつかしいですね

トピ内ID:2378541887

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平成元年入社です

041
たろすけ
高卒後、専門学校2年。授業と夜間講座で98シリーズでのCAD操作を習得し、建設会社に入社しました。部署に経費精算用PCが2台(50人一部署あたり)、と日影ソフト用にプロッター接続されたPCが2台。 CADは大型コンピューターを使った専用ソフトで学校で習ったことは役に立ちませんでしたが(その後めぐって役に立つ)当時「トレーサー」として採用されたにもかかわらず、私は設計部に配属されました。 手描きの図面が主流でしたが、重役会議にかける図面はCAD提出となり、あるプロジェクトでCAD提出しなかった上司が重役に叱責され、「台数が足らないのに無理だ」と言ったところ、次の日、PCが私ともう一人の席にやってきました。もう、言い訳できなくなり…一人一台になったのはその5年後ぐらいです。その頃、大型コンピューターを使った作図専門部署は汎用CADに移行するため廃部となり「トレーサー手当て」もなくなりました。 平成15年ぐらいには、議事録もPCとなり電子押印になりました。 おかげさまでCADもWord、Excelもマニュアル読まずに体で覚えたクチです。

トピ内ID:2557370007

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トピ主訂正

🙂
あくあ トピ主
すみません、トピ主表示出るかな。 5インチフロッピーの容量、違ったみたいです。 約1MBくらい入ったようです。 検索してみたら、懐かしい5インチフロッピーの画像がたくさん見られました。 保存のカチャカチャ音の動画もあるようなのでYoutube見てみようと思います。 早速のポチ投票ありがとうございます。 トピ主データ容量間違ってるよ~のかたも居るかな

トピ内ID:8891814008

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そんな時代でした

🙂
一太郎
今では小学生でも使えるエクセルとワード 当時のソフトは表計算はロータス、文章作成は一太郎でした。 アイコンなんて便利なものはなく log in 123 とか exitとかコマンドを入力してログインしたり終了したり・・ お蔭で、使える人は限られていて、表計算するだけで尊敬の目線が浴びられる楽な時代でした。 でも、上司の手書きの文章をパソコンで清書するという仕事があって、 パソコンの周囲1メートル以内には近づこうともしない上司のために、ポチポチ入力するという仕事がありました。 単純で、文章の入力には時間が掛からないが、上司の悪筆の解読に時間が掛かる、というストレスのある仕事でした。 でも、それでも仕事が回る、のんびりした時代でした。 当時は、みんながパソコンを使えて便利になれば、それぞれの仕事も楽になると思っていたんですけどね。 現在、社員全員パソコンが使える時代になっても、忙しさは加速し、ペーパーレスは程遠いのはなぜかと、自問しています。

トピ内ID:5695734334

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更に昔でもよいですか?

モガオ
この業界での初は新規導入した汎用機の操作バイトでした。 社員個々のデータは大きな磁気テープに格納でした。 クイックイッと回ったり止まったりするテープ。 地球防衛軍の世界がそこにありました。 プログラムは穿孔された紙カードでした。 蹴躓いて床にばらまきました。 その紙カードの上には赤の太マジックで斜め線が一本。 バラバラの紙カードをこの線を頼りに入れ替えました。 「こんなこともあろうかと・・・」 この時代にも真田さんはいました。 誰もが初めて見たFDは8インチ。 装置は大きな専用机に上から下に入れるタイプ。 確か1Sというそこでしか見たことがない規格でした。 役職者が「なんでこんなに固いんだ」と言いながら、プラスチック製の外カバーを外し、取り出したペラペラの円盤を装置に入れ機械式の蓋を閉めました。 グシャっという音が鳴り響きました。 しかし、誰もその結果を責められませんでした。 何故なら、皆が後ろで外カバーを外すのに悪戦苦闘していたのですから。 それから早40年、未だ現役。 諸事情で書けないけど、世界で最先端の技術を扱っています。 こう考えると、人が一番長持ちですね。(笑)

トピ内ID:2841402271

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もっと古いです

🙂
きーぱんちゃー
昭和57年に夫の勤務先でアルバイトをしていました。 データ処理部でコンピュータにデータを入力する仕事でした。 何十枚ものハガキのようなパンチカードに穴あけ機で穴を開けて読み取り機にセットすると、お札を数えるようにパラパラと機械がコマンドを読み取りコンピュータが作動を始めます。 その仕事はキーパンチャーといって、昔のタイピストのように女性の仕事でした。 コンピュータは冷蔵庫位の大きさで、正面にテープレコーダーのテープを巨大にした、というか映画のフィルムのようなものがついていてそこにデータが書き込まれていました。 コンピュータが置いてある部屋は、会社で一番空調が利いていて快適でした。 まだまだパーソナルではありませんでした。

トピ内ID:0737834299

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後遺症

🙂
40代。
あの頃ってパソコンのメーカーが違うとOSも違いましたよね? その後遺症が今もなんとなく残っていて、 パソコンのメーカーがなかなか変えられません。 NECのPC-98 今も持ってます!

トピ内ID:4583906220

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25年ぐらい前にも・・・

🙂
鴨南蛮大好き
既にWindowsはあったよ、バージョンでいうとWindows2.x。 AX規格のPCに搭載されていたな。 ちなみに、AX規格PCってのはPC/AT互換機に日本語処理用のハードウェアを追加したPC。 なんでも、当時のPCの能力では、現在のPCのようにソフトウェアで日本語を処理する事は難しかったそうで。(MacにもDynaMacという同様の仕組みを取り入れた製品があった) あと、PCの黎明期ってさらに10年ぐらい遡らない? 例えば、小倉智昭氏司会の「パソコンサンデー」の放送開始が1980年代初頭だし。 電話(音響)カプラが懐かしい映画「ウォーゲーム」(少年ハッカーが北米防空司令本部のコンピュータに侵入しあわや核戦争に・・・という映画)もこの時期公開されていたし。

トピ内ID:3117247891

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私も黎明期でしたが・・

🙂
とらんぷ
それよりも、35年前位の免許証の“フリガナ”が酷かった・・・。 私の名前は節子ですが、フリガナは“セイツコ”。 母に至っては“ケサケサ”でした。漢字の上に、けさけさ?不思議なフリガナ。  昔のパソコンはどういう能力をしていたんでしょうか。

トピ内ID:8039377986

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一本指入力

😀
こぼるまま
懐かしいです。パソコンメーカーに勤めてましたが,一人1台ずつのパソコンなんて なくて,どうしても使いたいときは,紙に何日何時から〇○使用と書いて, パソコンにはってましたよ。  課長以上のおじ様方は,ワープロも使えなかったので, 秘書に頼むか,一本指で入力してました。  コンピューターメーカーなのに,自宅にパソコンがあると,マニアと 言われてました。  趣味は,ハム無線の社員もいましたよ・・・

トピ内ID:3262622149

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昔は

🎂
FORTRAN
FACOM10というコンピュータで フォートランコンパイラで計算してました メモリは肉眼でもわかるコアメモリで 一粒が1ビットです 自分でソフトをコーディングして その用紙をキーパンチャーに渡すと キーボードで打ち込んでくれて その内容が粘着力のないテープで出力されます その紙には穴があいており 次の部屋でリーダーという機械で 読み込ませると初めて実行できるのです 当然部屋の温度は20度一定でないと 安定して動作しません。 主力する機械をパンチ 読み込む機械をリーダーといいます 後にMS-DOSの前に一世を風靡してたCP/M が登場し標準デバイスとして パンチとリーダーがありました MS-DOSになってからは パンチのリーダーはなくなりましたが CP/M互換のファンクションコールは 存在してました。 CP/Mは128バイト単位で操作してましたが MS-DOSになってからは512バイト単位でしたね ハードディスクにかんしては、今では4KBYTE アクセスになってきてます

トピ内ID:7305261362

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あ~懐かしいですね~

🙂
るる
覚えてます。 外付HDDが20MBで感動したことを! 5インチが3.5インチになり、MDやらなんやら今はもう・・・的な外付デバイスの数々・・・ なんの因果か50歳を迎えてもIT業務に携わってます。 私の大学時代(文系でした)の授業もBasicメインでしたね。 世の中がインターネットを知らない頃から関わっていたので、ほんとこんなに進化するとは・・・

トピ内ID:2742822655

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がんばれシャープ

49歳専業主婦ですが
25年前は、シャープのX68000というパソコンを使っていました。 日本で(たぶん)唯一の、アップルと同じCPU。MS-DOSを使わない独自OS PC98とは全く違う仕様に惚れました。 当時65536色を同時発色できる国産パソコンは、これだけ。 音源もMIDIを採用していて、音楽もよかった。 独自OS 故に、ソフトは少なかったのですが、すごく楽しいパソコンでした。 ちなみに、コマンドモードとウィンドウズのような画面の二つ使えました。 色々と面白いものを開発してきたシャープが、今は台湾企業の傘下にはいり、元気がないのがとても残念です。 遠からず、また輝きを取り戻すことを願っています。

トピ内ID:4015488308

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MS-DOSってなんどすか?

041
30年前世代
やはり、これを知ってるかどうかで、区別が出来るかと。 さらに学生の頃は、パソコンが販売されたはがりで、バイトで和文タイプを使ったことすらあります。 「とと姉ちゃん」での和文タイプ練習シーンは懐かしかったです。や、本当に文字の位置が分からなくて苦労しました。

トピ内ID:9103374370

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時々、懐かしく思い出します

🙂
大腸亭
 現在、66歳。初めてPCに触れたのは35年前です。まだマイコンという呼び方が主流でした。  PCと言っても、剥き出しの基板が一枚、メモリーは0.5KB! これにベーシックボードというキーボードを付けて練習していました。  現在の形に近いPCを使ったのはNECのPC8801からです。これを買いに行った時、店の方が「メモリーが64KBもありますから、ずっと使い続けられますよ」と言っていたのを覚えています。  当時は、BASICというプログラミング言語を勉強して、プログラムを組む必要がありました。  テキストに、「画面に三角を表示してみましょう」などという課題があっても、ちっともうまく行かない。というより、やる気が起こらない。  ところが、当時高校の教員をしていましたが、200行ほどのプログラムを書いて、成績処理ソフトを作ってしまったのです。  具体的な動機がなければ集中力は生まれないということを、思い知らされた体験でした。  FDは高価で、データの保存には、主にカセットテープを使っていました。安物のテープレコーダーの方が保存し易いなどという都市伝説(?)もありました。

トピ内ID:6216991338

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平成元年入社です!

🙂
sunny
入社2年目だったと思うんですが、とりあえず1課に2-3台ノートパソコンもどきが配布されました。大きかったです(笑)でも当時としては画期的な出来事でした(笑)当然下っ端が担当者に任命され、3.5インチのフロッピー数枚に入ったOSを自分でインストールする作業からやりました。丸1日はかかってましたねえ爆 DOSの世界だったのでコマンド間違えると大変なことになってました。 その傍らCADも使ってました。またある時試験データの取り込みを命じられ、UNIXで8インチもフロッピーディスクからメインフレームに取り込んでたらコマンドを間違えてデータの頭を消してしまったことがありました。 Windows95が発売された時は高かったのに、感激して買っちまいました。OSがすでに入ってるなんて信じられませんでした爆 コマンドを覚えなくてもいいし。 こんな経験してるので今でもスマホでもタブレットでもPCでもサクサク使えますよ!デジタルネイティブ世代には負けません。子供が使えるのもうなずけます。だって今はなんでも簡単に使えますもの。ガラケーの方が機種依存性が高く、面倒でした。

トピ内ID:0142390799

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45前のコンピューターユーザー

🙂
IBM360
私は1970年代初期頃世界最高速コンピューター(IBM360)で縦2列のデータをソートするプログラムを書いていました。答が出てくるまで10分以上かかってたような感じでした。今ではEXCELで簡単にできますよね~。でも基本理論は昔から変化していないですね。 第二次大戦ではIBMのコンピューターが世界的に空爆するときにB52の中で活躍したそうです。 又、NASAスペースシャトルにはIBM社製6台同一コンピューターが作動してるそうです。大気圏から突入する角度の計算でコンピューターがないと突入できない事です。数回それでも6台中5台が壊れたケースもあったそうです。 又、私がクラスを取ってた隣の部屋では世界初のインターネットが誕生してたんですよね~。 最近はコンピューターを腕の中にいれて実験しているそうです。

トピ内ID:5529790472

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私は昭和のプログラマー

🐧
ぺんぎん
某都市銀行の第三次オンラインシステムの開発に携わりました。 当時の最先端です。 銀行のシステム開発を専門に行う子会社(ようは開発部を独立させて別会社を立ち上げた)の4期生でした。 同期は全員大卒。私はそれでも数学科だったので、大学でコンピューターの授業がありましたが、ほとんどの同期がまともにキーボードに触れた事もない状態でした。 入社後の研修で1から教えてもらいました。 ウインドウズもマウスもありません。システム開発専用のOSが入った端末に番号選択とコマンド入力で開発作業を行います。 でもマウスよりキータッチのほうが早いんですよ。今でもなるべくマウス使いたくない派です。 当時、データ保管媒体には紙テープや磁気テープがまだありまして、磁気テープをかけるために電算室に入るのは新人のお仕事。電算室勤務の職人っぽいおじさん達にかわいがっていただきました。 当時の言語はPLI もはや誰も知らない?でもきっとまだ動いてます。 今の銀行には、あのシステムを全面更改する体力がないから。 継ぎ足し継ぎ足しでやってるんですよー。

トピ内ID:6212841453

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なつかしいなあ

🙂
フロッピー子
ちょうど昭和から平成に変わる前後の時代に 会社でパソコン使うようになりました。 フロッピーは5インチで 表計算ソフトといえばロータス1-2-3 文書作成ソフトは一太郎 OSはMS-DOSで、コピーとかするのもコマンドプロンプトから入力してました。 そのうちwindows3.1が登場しました(3.0もあったね)。 そしてフロッピーは3.5インチになったけど、 今じゃ画像1枚も保存できないサイズ(笑) ハードディスクがついているパソコンは総務にだけあった。 たしか40MBとかそんなサイズ。かなり高かった。 1993年頃からパソコン通信を始め、さすがに音響カプラーじゃなかったが、2400bpsだったなあ。 テレホタイムなんてのもありましたね。

トピ内ID:6439070087

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