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母のマドレーヌの思い出

レス17
(トピ主 3
ぎんねこ
話題
昭和四十年代の最初の頃の東京の家のお話です。当時、家庭には文化鍋というものがあり、中に台になるものを入れて蓋をすれば、ガス天火のオーブンのようになりました。 母が近所の幼友達のお母さんから作り方を習い、二つだけだけれど、マドレーヌを焼いてくれました。 当時私は2歳ぐらいでした。バターの滋養のある西洋の焼き菓子はとても美味しかったのを覚えています。 まだ、あの時のマドレーヌ型は五十年以上たって、私のもとにあります。 懐かしいお母さんの味、皆様にもございますか。 こんな懐かしい幼児期のおやつのトピです。

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マドレーヌと言うと。

🎶
そう言えば。
多分トピ主さんと年齢近いかも知れませんが。 マドレーヌと言えば私の場合、母の味ではなく同級生のお母さんの味です。 参観日だったかクラス行事終了するとクラス皆に一つずつラッピングしてくれた手作りマドレーヌを配ってくれてたことが何度かありました。 ちなみに私の場合小さい地方都市のお話ですので当時は、はい「お洒落な形のお菓子だなあ」と思いました。 ちなみに母のお菓子の思い出はドーナツ、小豆寒天、ヨーグルト、あられです。 今思うと正社員で仕事をしていた母で疲れていたとは思うのですが、たまに手作りのお菓子を作ってくれてました。 お菓子の味もですが家族のお菓子を作っている母の姿の方が鮮明に覚えていて良い思い出ですね。

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ホットケーキとプリンと白玉だんご

🙂
あり
こんにちは。同世代です。  うちの母は、あの頃にしては珍しいフルタイムワーキングマザーで、父は自宅で自営業でした。 母は忙しい中、休みの日にはおやつを作ってくれました。簡単で素朴なものばかりですが。 ホットケーキ(ミックス粉ではなく、小麦粉とベーキングパウダー、卵、牛乳、砂糖を混ぜて) 揚げ上がりに砂糖をまぶした丸いドーナツ 湯飲みに入れて蒸したプリンには、カラメルソースの代わりに少量のお湯で溶いたインスタントコーヒー入り砂糖がかかっていました。 白玉だんごもよく作ってくれました。食紅入れてピンクにしたお団子も混ざっていて、お団子に砂糖をかけただけ。 おしゃれでも見栄えよくもなかったけれど、嬉しくておいしいおやつでした。

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かき餅。

🙂
nene
お正月、のし餅が届くと、かき餅用に小さく切って干しておいてくれました。 揚げたてにおしょう油をじゅうっとかけて、大喜びで熱々をかじります。 何年か前、私もかき餅を作り母に送ると、なぜだかあまり喜びませんでした。 後からよく考えてみれば、もう歯が立たないのかもしれません。 「わるいことをしたな……」と思いました。

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私もマドレーヌ!

🙂
キャラウェイ
おそらくトピ主様と同年輩、東京出身です。私の母親はよくガス台の上にのせる天火でお菓子を作ってくれました。 やはりマドレーヌが懐かしいです。私が初めて焼いたお菓子もマドレーヌだったと思います。 それからパウンドケーキ。レーズンを入れるのが定番でしたが、本当に美味しかった!家で作るとバターと砂糖の量にビックリよ〜とよく言っていましたね。 天火で蒸し焼きにするプリンも美味しかったです。風邪をひいた時、よく作ってくれました。 文化鍋ではご飯を炊いていました。天火のように使えるとは知りませんでした。 高齢になった母親は、現在我が家で同居中。いつの間にか親子が逆転しました。 気持ちが温かくなるトピをありがとうございます。

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ドーナツ、パウンドケーキ

🙂
ぎんねこ トピ主
意外とドーナツを挙げられる方が多いので驚いていますが、ご多分に漏れず、我が家もドーナツの型を買って、型を抜いて、揚げていました。本職は、ショートニングで揚げますが、当時は昭和期、菜種油で、揚げているから、からっと揚がったドーナツではなかったです。 後にパン教室に行き、アンドーナツやねじりドーナツを習いましたが、イーストで発酵させた生地を使うのが本当で、あの頃やっていたのは何だったのかと思いました。 後に小学三年になり、展開図を習う頃には、ケーキの包装紙から、型紙を取り、干しパイン三十グラムとレーズン七十グラムをお湯でもどして、洋酒に漬け込んだものを、卵白を角が立つまで泡立てたものに、卵黄やふるった薄力粉、砂糖、溶かしバター三十グラムと合わせて、毎日曜日、パウンドケーキを一人で焼いていました。 今ならベーキングパウダーでふくらましますが、当時は、泡立てた卵白でした。 当時電子オルガンを習いに、都心に通っていたので、帰りにデパ地下で、干しパインなど、買って帰っていました。 母とは小学二年まで、一緒に型抜きクッキーや、いろいろ作っていたかなと思います。 そのころはガスレンジに載せる天火式オーブンがありましたが、ごく小さい時は、文化鍋で、スポンジを焼いていたと思います。私のセピア色の記憶の中から、文化鍋のマドレーヌが、今でも出てきます。

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しょうでんさん

🙂
とろりんこ
同じく昭和40年代ですが、皆さんのようなおしゃれなお菓子ではありません。 母は「しょうでんさん」と呼んでいました。 どんな漢字を書くのか、どんな意味かも知りません。 わざわざ作るのではなくて、てんぷらの衣が余ったときだけ、砂糖を混ぜ入れて揚げてくれました。 甘くて外はカリッ、中はふわふわで美味しくて大好きでした。 母がてんぷらを揚げるときはいつも側で、衣が余るといいな、そしたら作ってもらえるのにな、と思いながら見ていました。

トピ内ID:768430821584af9d

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母の手作りおやつ=失敗作

🙂
お菓子は買う派
母は小学校の栄養士をしていて、今ほど多くはなかった郷土料理や海外の料理を積極的に取り入れたりして、仕事では周りの評価は良かったみたい。 でも、家では面倒臭がりの本性が表れるし、お菓子作りもそんなに好きじゃなかったと思う。年に一度あるかないかくらいの頻度だったイメージ。 そんな母の、思い出のおやつをいくつか。 [フルーツゼリー] 料理に白砂糖を使わないので、常備されていない。あるのは薄茶色の砂糖だけ(三温糖かな?)。なのに思いつきで作ったらしい。見た目は良かったが、想像していた味と違ってかなり衝撃だった。(今ならイケるのかもしれないが、当時はマズい!としか思えなかったし、そのように感想を伝えたら「やっぱり〜?」と笑っていた…) [シュークリーム&スポンジケーキ] どっちも固かった… シューは皆様想像される通りとして、厚焼クッキーの如きスポンジは何だったのか。味は美味しかったです。 [スイートポテト] 「今度ね」と言われ続け、未だ出逢っていない幻のおやつ。「ふかし芋で十分!!」だそうです。 [チョコバナナ] 同じく幻のおやつ。「バナナ食え」 [プリン] カラメルソースではなくべっ甲飴が乗っていた。その後何回かべっ甲飴作りやったなぁ。 [白玉団子] 後半、デカ過ぎて真ん中に火が通ってない。 [クッキー] 私が型抜きしたあとの枠部分をそのまま焼く。 そりゃ、味は同じだけどさ。クッキーへの憧れとかリスペクトとかいうものがさ… [アイスクリーム] ミルク味シャーベット。「途中で混ぜるの忘れてた」 どれもこれも、いい思い出。

トピ内ID:8a6fb1d330d91c1c

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横ですが…

041
魔女
>家庭には文化鍋というものがあり、中に台になるものを入れて蓋をすれば、ガス天火のオーブンのように 文化鍋も蒸し器にする為に蒸し台が付いている物がありましたが、 蒸し焼きで、焼き色が付いていなかった(ベージュ色 程度)というものでは無いのですよね。(文化鍋はアルミニウム合金なので、無水 調理は不可能。) 丸いマドレーヌ型だったとしても、文化鍋に2個は入らないと思います。(丸いマドレーヌ型は9cm強で、当時の文化鍋の直径は18cmだから、2個は入らないのです。)(当時の文化鍋を毎日の炊飯で現役で使っています。) 無水鍋だったという事はないでしょうか?無水鍋も同じ様に蒸し台を入れてマドレーヌやカップケーキを焼く事が出来ますし、此方は綺麗に焼き色が付きます。 欧米の様に据え付けのオーブンが殆ど無かった当時の日本では、ガス台に乗せて使う天火(オーブン)だった当時を懐かしく思い出しました。(奥さまは魔女に出てくる生活に憧れました。) 有難うございます。

トピ内ID:7b4139d00c3e553b

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皮付きのホットケーキ

🙂
まっくろけ
母は、当時は珍しい勤労夫人でしたが、料理は上手で、いろいろ作ってくれました。 おやつもいろいろ。カルピスのような味のドリンク(手作り)とか、ドーナツ、おまんじゅう、片栗粉とお砂糖を混ぜてお湯で溶いたうす甘いかたまりとか、アルミカップに入れた蒸しパンやマドレーヌとか。 フライパンが良くなかったからか、ホットケーキだけは、いつもコゲコゲになっていて、真っ黒なコゲ部分を皮をむくように取ってから、中のふわふわなところを食べていました。 ちょっとコゲくさいけど、マーガリンやシロップを付けて食べたら美味しかった。 料理は上手だった母が、なんでホットケーキだけあんなに焦がしていたのかな、と不思議です。

トピ内ID:b665d011629c69d3

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しゃれてますねぇ

🙂
50代半ば
うちに改まったおやつはありませんでしたが、平日は8~10時間働き土日は家業という働きっぷりの母がたまに作ってくれのがホットケーキ。 母は焼き物が苦手で、すごい焦げがありました。 体に悪いからと焦げをはがしてゴソゴソになったホットケーキ。 それでも美味しい美味しいと食べました。 あとはうどん粉に玉子と砂糖を入れて揚げた物が美味しかったです。 サラダ油でしたが、今風に言えばサーターアンダギー風のおやつだったと思います。 当時の母より年をとりました今思うのは、働き詰めで時間の無い母が子供に食べさせようと見様見真似で作ってくれたんだなあとありがたく思い起こされます。

トピ内ID:c462eb5e9307f258

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そうそう無水鍋かも

🙂
ぎんねこ トピ主
母がマドレーヌを焼いていたのは結構大きな鍋で、横に広かったように思います。 灰色のマーブルストーン風の鍋肌で、あれは文化鍋じゃないのかなと指摘があったように思いました。ケーキのラウンド型か何か入れて底上げして、マドレーヌの型二つを入れていたと思います。どこのメーカーのものか覚えていませんが、練馬区の居留地グラントハイツの近くに住んでいたときに家にありました。粉ふるいは英語で、ワンカップ、ツーカップと書かれているもので、進駐軍のものだと思います。 綺麗に焼けていて、美味しいマドレーヌでした。子供に滋養のあるものを食べさせようと母が頑張ったんだと思います。 都内の商業地区に移ったときには、ガスコンロの上に置いて温める天火型オーブンを手に入れて、私がオーブンを現在使えるのは、その天火があったからです。確か値段を覚えていますが、オーブンは五千円でした。

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母のマドレーヌと言えば・・・

🙂
マルセル
やはりプルーストの『失われた時を求めて』の導入部分の有名な一節じゃないでしょうか。 誰かレスすると思ったのですが、トピ主も意識していたのではないかな。 「・・・私は何気なく、お茶に浸してやわらかくなったひと切れのマドレーヌごと、ひと匙の紅茶をすくって口に持っていった。ところが・・・」(鈴木道彦訳) 私はそれまでマドレーヌというものを意識したことがなかったのですが、食べるときはいつもこの場面を意識しますね。 ただし、プルーストのような繊細な人間じゃないので、こうした素晴らしい快感にとらわれたことはないのですが・・・。

トピ内ID:e6eeb79f0f95e7fc

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コンベック

🙂
青銅の魔人
母の自慢のコンベックは米国からの輸入品で、カラーテレビより高価と言ってました。 マドレーヌに始まり、パウンドケーキ、子供ながらブランデーの利いたパウンドケーキが大好きで・・・ リプトン紅茶と共に、昭和高度成長の中産階級ティータイムは始まるのです。

トピ内ID:09707c81b9577dff

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オイルショック!

🙂
無水鍋子
うちの母は昭和40年代後半に東京近郊某県に家を建てた時にガスオーブンを購入し、それでマドレーヌを焼いていました。 他に贅沢はなかったのですごくおいしいと思っていたし、私がいまだに焼き菓子は手作りに限ると思っているのはそのせいかも。 主さんは文化鍋というものを上げていますが、当時「無水鍋」というものも大流行で、これでマドレーヌは作っていなかったのですが鶏モモをクリスマスに焼いたり(多分蓋の方を下にして、上から本体をかぶせ蒸し焼きにした?)していました。 私はこの蓋(本体と同じ金属製)で無水鍋のレシピ本を見ながらなんちゃってバームクーヘンを焼いた覚えもあります。 マドレーヌの型はすでになくなりましたが、数年前両親が相次いで亡くなり実家を片付けた時に無水鍋が出てきて丈夫なものだなと感動しました。 ちなみに私のマドレーヌの思い出はオイルショックです。 あの時トイレットペーパー騒動が有名でしたが、砂糖も値上がりするわ店頭から消えるわで大変だったのです。多分他にもそういうものがあったはず。 母にマドレーヌをねだって「今は家に砂糖があるけど、もう買えないかもしれないからしばらく作れない」と言われて「戦争か?」と怖くなりました。 私の年だと周りに「戦争中子どもで食べるものがなくてつらかった」と法事などで親族が集まるたびに話し出す大人がたくさんいたのでした。

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かりんとうとおやき

🤔
やまなみ
かりんとう 実家では子供の頃手打ちうどんを作っていましたので、のし板(炬燵板位かな)のところで一緒にこね鉢から出した時にそれを子供達に分けて、いろいろな形を造り、それらを揚げて砂糖をまぶしてかりんとうやドーナツを作っていました。その後伯父がうどんを手回しで作れる機器を購入して届けてくれました。 ホットケーキ ホットケーキのもとが販売される前は小麦粉と砂糖等を加え焼いていました。 ホットケーキですが、フライパンで焼くので、なぜかいつもおやきと呼んでました。 美味しい楽しい思い出です。ありがとうございます。

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懐かしいです

🙂
華子
鍋の名称は分かりませんが、大きな厚手の鉄鍋+厚い鉄の蓋(単独でフライパンとしても使用可)で、母親がマドレーヌやパウンドケーキを作ってました。 小学校3〜4年の頃から、私も作るようになりました。 丸くてギザギザの縁の付いた金属の型と薄い専用の型紙です。 大人になってから、シェル型のマドレーヌの存在を知りました。 東北の田舎の新興住宅地だったので、私の記憶は昭和50年代ですが、近所で焼き菓子を手作りしている家は、ほとんどなかったです。 母はすでに亡くなりましたが、このトピで懐かしいことを思い出しました。 ありがとうございます。

トピ内ID:586b5d2a9b6196a5

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失われた母のマドレーヌ

🙂
ぎんねこ トピ主
失われた時を求めてから、引用して、このようなものかと説明してくださった方がありましたが、八年前に母を亡くして、私は永遠に、母のマドレーヌの味を失ってしまいました。 二歳のころに、練馬で食べたマドレーヌは、ほの暗い鍋の中から出てきた黄金色の丸い焼き菓子、初めて食べる西洋の焼き菓子の味に、思わずむさぼるように食べたものでした。 あの時は母は、私もやってみたんだけれどと前置いていたと思います。幼友達のお母さんの元で、お呼ばれで食べたことはあったけれど、まさか母が焼けるとは思いませんでした。それはまるでセピア色の映画のワンシーンのように、私の記憶の中から出てきます。 その当時の地元には、六本木の菓子店の、カステラの切り落としを売る工場販売があり、それは堪能していましたが、マドレーヌというと、お母さんの手作りしか手に入りませんでした。 後に、幼友達のお母さんは、ケーキやパンの修行を積み、台所を改造して、ガスオーブンを四つぐらいつけていました。パンも一キロ粉をはたいて焼いたり、それこそ、コンペックをつけたことをご自慢にされている書き込みや、東北でほとんどガスでケーキを焼いているうちがなかった書き込みを読んで、昭和五十年ころなら、東京でも納得できました。 なかなかスポンジが手にはいらなかった日本、それを獲得しようと手作りする主婦たちの頑張り、それが、昭和四十年五十年の日本でした。 マドレーヌは、バター小麦粉砂糖の比率が125gオールでできています。それにベーキングパウダーが小さじ一。幼児食の基本と言われる比率の焼き菓子。今度は、孫に作ってあげるようになるのかしらと、楽しみにしています。

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