本文へ

40~50年前の女性の就業と子育て

レス20
(トピ主 1
🙂
自分は不器用なもんで
話題
50歳、女性、既婚です。 両親は共働きでした。 母は臨月間近まで仕事、産後1か月で復帰。 昼間の私の面倒は、別居で車で10分ほどの祖父母(母方)がみてくれていました。 実質、祖父母に育てられたような感じです。(小3まで) 共働きであった理由は、 祖父母が私をみてくれるから。 家に居るより仕事をしたい。 というものです。 私は一人っ子で、経済的に母が働かなければならない事情は他にもありませんでした。 昔はどこもそうだったかもしれませんが、有給をとれるような職場ではなかったので授業参観に来てくれるのは祖母でした。 地方でも人口はそこそこ多い田舎ですが保守的な地域ですので、私のようなケースは当時少なかった(周りにいなかった)のですが、同年代の方のお母さまはどのような選択をされていたのか、広く知りたく質問させていただきました。 当時は母のやり方をよく思わない人はいただろうと思います。 母も世間体を気にするタイプの割に、よく続いたと思います。 それだけ仕事が好きだったのでしょう。 ちなみに私は母とは逆で、仕事より家庭のことをしたり子育てしたかったのと、性格的に両立が無理なので子供が小さいうちは専業主婦をしていました。

トピ内ID:3fcdb8bd61d152b6

これポチに投票しよう!

ランキング

レス

レス数20

このトピックはレスの投稿受け付けを終了しました

同じです

🙂
我が家の場合
同い年です。 うちも似たような感じです。 うちは祖父母と完全同居だったのと経済的な問題もあり、母は働きに行っていたようです。 また勤め先も産休が取れる当時としては先進的な職場だったのでしょうね。 母は参観日には来てくれていました。 その頃は5時間目だけとかでしたものね。 3人兄弟だったので一クラスにいたのは10分くらいだったと思いますが。 保育園時代は送り迎えや当番は祖母が来てくれていましたね。 世間体的にはどうでしょうね。 祖父母がいたのでかぎっ子でもなく、学童保育も行っていなかったのでなにか言われることも無かったように思います。 ただ母もそう家庭的ではなく、好きに趣味や旅行に行っていたので祖母が愚痴っていたのは覚えています(母が後年言うには祖母が家庭を仕切っていたので自分の居場所が無かったとのことですが) 私は専業主婦で子育てしました。 主義主張からではなく、そうしないと子育てができなかったからです。 保育園事情も今ほど良くなく、実家から遠方で生活しており、子ども自身も体が弱いタイプだったからです。 私の周りを見るとやはり仕事している専業であるということには信念ではなく環境が大きいように思います。 働き続けられる環境があったら働いてる、子育てに専念する人が必要がある場合は専業という感じ。 幼少期の我が家でいっても、私の家長男家庭は祖父母が孫を見ていましたが、近居の次女(叔母)家庭は叔母が専業主婦でした。 祖父母(主に祖母)がそこまで手が回らなかったからです。 実家が近居でもこういうこともあります。 ネットではあれこれ言われていますが実際には他の家庭に文句をつけるようなことはあまりなかったのではないかなと思いますけどね。 みんなそれぞれの苦労があるということが分かっていますから。 他のご家庭はどのようでしょうね。

トピ内ID:bfe7010c9157e7ad

...本文を表示

結構変わっているみたい

🙂
わーまま
40歳です 保育園に通っていました 地方の田舎、自営業も多いので 働いている人は珍しくないような気がします 私が3歳くらいまでは、専業主婦だったらしいですけど 私くらいの世代だと、専業主婦が貴重というか、働くのが当たり前になっていくとは思っています 義母がそれこそ、保育士だったので 産休のみで祖父母に子供を預けて復帰したようです 育休があったらしいけども、産休のみで時短勤務をしていたとは聞いてます 取らなかった理由はよくわかりません、祖父母の意見らしい 今とは制度が違ってここまで手厚くもないのかなという気もします 私は育休を1年半、義母の娘は2人産んだので4年ほど休んでいます 義母も周りは専業主婦も多かっただろうとは思うのですが 私たちが仕事をやめようとかすると、いろいろ言われるだろうなという感じです 同じ共働きの母親なのですが 祖父母に任せた人と、保育園で育てた人と いろいろ感覚が違うなと思うことがありますよ 義母は保育士だったのに・・・ 夫は祖父母なしの育児がありえないとまで言ってました はたから見たら大した違いではないのでしょうけど

トピ内ID:724e6f42707aa638

...本文を表示

地域性なのかな?

🙂
もも
40代後半、10万人都市の郊外で育ちました。 私が子供の頃は、祖父母と同居が多かったし、 祖父母は専業または兼業農家、 親は会社勤めで、繁忙期だけ農業を手伝う、みたいな家が多かったです。 我が家もご多分に漏れず、父方祖父母と同居。 祖父は、農閑期は毎日仕事(会社)に行っていたし、 祖母は、土日関係なし・1日おきの仕事に行っていました。 父は会社員で、母は公務員でした。 我が母も、今で言う「産休」の部分だけで、育休は無かったそうです。 なので、産前産後については、主さんのお母様と似たり寄ったりだったと思います。 私は2人姉弟ですが、父方祖母が休みの日は自宅で、 祖母が仕事の日は、車で10分の母方祖父母に預けられました。 母方祖父は自営業、祖母は専業で融通の利く人たちだったので。 参観日は、うろ覚えですが、母が来た記憶しかないです。 なんとなく、今のように平日開催ではなく、 土日にやって、翌月曜日が振替休日だった気もします。(だから母が来れた?) また、今みたいに頻繁になかった気もするし、母も毎回は来てなかったのかもしれません。 友達の母親に、全くの専業って滅多にいなくて、 かといって、母みたいに夫以上にバリバリ稼いでいた人も知らない。 ほとんどの母親が何かしらかパートに出ているという状況でした。 よく近所の人や友達の母親から「あなたのお母さんは高給取り」と言われましたが、 ※当時の田舎では公務員は高給取り扱い 母のことを「よく思わない」感じの人に会ったことはなく、 むしろ「うらやましい」という空気感じでした。 パートだって外で働いていることには変わらないので、 母だけが浮いている、なんてことなかったし、 祖父母も「うちは嫁がしっかり稼いでくれるから助かる。 わしらが子守を協力するのは当たり前」というスタンスだったし。 「よく思わない」は感じませんでした。

トピ内ID:f62430421d9cf422

...本文を表示

低学年頃(80年代中頃)までですが

🙂
天ざる蕎麦
第二次ベビーブームです。 親は自営業で、祖父母は私が生まれた頃にお墓の住人となりました。 私が小学校の頃までは、母は専業主婦でしたが、父の会社の会計や事務的な事は全てやりながら、子供の幼稚園や学校行事には出席していました。 うちは兄弟も多かったので、私が幼稚園の頃は、4つ上の姉が毎朝、幼稚園の制服を着せてくれていました。 習い事にも、小学生の兄や姉が、私の手を繋いで連れて行き、自転車で遊びに行く時には、私を後ろに積んで行ってました。 友達と遊びに行く時にも、連れて行ってくれていたので、兄や姉のお友達も一緒に私の世話をしながら可愛がってくれていました。 私や周りだけかは分かりませんが、今の50代の人たちって、子供の頃から優しくて親切な人が多かったです。 当時はsnsなどなかったですが、ご近所さんや、兄や姉の友達やそのご兄弟や、習い事で一緒の子どもたち等々、色んな所に知り合いがいましたから、ご近所や町内を含め、身近な人で知らない人はいませんでした。 近所のスーパーではなく、〇〇センターという市場に行くと、何処のお店もご夫婦でお商売をされていて、店先で子供が手伝ってる姿もよく見かけました。 私自身の子育ては、震災でシンママになり、子供を抱えながら仕事をしていた時期もありましたが、10歳くらいまでは亡夫の親に見てもらっていました。 自分の親を頼っても良かったんですが、夫は一人っ子でしたから、ご厚意に甘えさせて貰いました。 そんな息子は、今は海外で暮らしていますが、夫婦共働きで子育てはシッターさんに依頼いてるみたいです。

トピ内ID:93a6f4a90c6fabd5

...本文を表示

アラカンです

🙂
まち
50万規模の都市部の中心地で育ちました。 商業地域なので我が家を含め友人宅はみんな自宅自営業で共稼ぎでした。 昔からずっとその地に住んでる家は3世代同居も多かったです。 祖父母世代も自営業手伝っていたり、祖母が家事育児担当していたり、いろいろでしたね。 大きな規模の自営業だと自宅に独身従業員を下宿させてる家もあって、妻の仕事は従業員の食事つくりだったり。 サラリーマンの家は専業主婦もいたし、高度成長期だったので主婦向けの内職やってる人もいました。 一方夫の実家は。 当時はまだ農村だったので農業+副業やってる家がほとんど。 専業主婦はあまりいませんでした。 やはり3世代同居が多いので女性皆で家事も育児もやってた感じ。 妻と祖母だけでなく、年長の兄姉が弟妹の子守りや家事してることも珍しくなかったです。 昔は結婚したらほとんど専業主婦という話もありますが、それは都市郊外の団地の常識だそうで、既婚女性の就業率は結構高かったですよ。 今みたいに勤めに出ることが少なかっただけです。

トピ内ID:7779389ee2a75f6e

...本文を表示

亡くなった母が生きていれば八十代ですが

🙂
ぎんねこ
当方アラカンです。亡くなった母が生きていれば八十五歳になる年齢ですが、就業は高卒で三年ぐらい腰掛でОLをして、寿退社。若くして結婚です。以来ずっと、亡くなるまで専業主婦です。 東京の二十三区内で、小学校生活を送りましたが、クラスのお母さんたちは、ほとんどが専業主婦です。 中にはお店屋さんやっていて、ご夫婦で働いているお宅もありましたが、よほどご主人の稼ぎが悪いとかなければ、専業主婦でしたね。クラスの友達で、お母さんがスーパーとかで働いていると、こそこそ陰口をたたかれていました。 今なら何らかの仕事を持たれている方が、ほとんどです。 共稼ぎの方というと、病院の管理栄養士とか、薬剤師や、医師など、専門的なお仕事を持っているお母さんが、働いていることが多かったです。 特に学歴つけることもなければ、働いていなかったように思います。 特に四十年も五十年も前なら、四年制大学出ているお母さんの方が少ないと思います。お宅は、キャリア志向のお母さんなんだと思います。

トピ内ID:a6bdbfd18f5fefcf

...本文を表示

イレギュラーかも知れませんが。

🙂
みのや
私は50代半ば、両親ともに80歳前後です。 首都圏の、それなりな規模の街で育ちました。 曽祖父の代から商売をしていたので、実家は街の中心である駅前商店街の一角でした。 母は同じ県内のもっと大きな街の出身ですが、高校を卒業していわゆる花嫁修業をしている時に父と知り合い、嫁いで来ました。 父は長男で商売を継いでいたので、母は結婚する前の半年間ほど、母の実家の街にある大きな百貨店で働き、接客や包装などを学んだそうです。 結婚してからは店頭に立つのはもちろん、祖父母、両親、兄と私、父の未婚の弟妹3人、住み込んでいた地方の同業者の子息2~3人と10人前後の食事に洗濯等、家事もほぼ一手に引き受けていましたね。 私が物心ついた頃には、新しく出来た駅ビルのお店を両親は任されたので、子どもの面倒は基本的に祖父母、あとは自宅の店舗を任されていた父の弟妹、住み込んでいた人たちがいい遊び相手でした。 近所の子はもちろん、小学校に上がっても同じように商売をしている家の子が多く、少し田舎の方から来た先生が、クラスの中で食べ物から仏壇まで何でも揃うねと驚いていました。 また、商売をしていると必然的に奥さん…子どもにとっての母親もお店に立って働いているのが普通でしたから、逆に稀にいた、商売をしているおうちなのにお母さんが家にいるとか、サラリーマンでお母さんが専業主婦…というおうちが新鮮に感じました。 時代的にも地域的にも核家族も少なかったですが、何となくいい意味で子どもたちは放っておかれながら、伸び伸びと育っていたような気がします。 参観日等は両親のどちらかが都合をつけて、運動会など日曜の行事はお弁当の時間だけ両親がお店を抜けて来てくれましたが、そんな子は沢山いましたし、お寿司屋さんや仕出し屋のおじさんが張り切って大量で豪華なお昼を用意してくれたりして、何か妙に楽しかったです。

トピ内ID:ed1726524aec859f

...本文を表示

アラ還です

🙂
私も専業主婦
母は高校を出たあと23才で寿退社、その後は専業主婦です。 父が転勤族だったので転校を3回しましたが、 住むところによってずいぶん違っていましたね。 東北最大の都市にいた時は、その中でも一等地と言われるところに住んでいたせいか、クラスの子のお母さんでお仕事をしている人は1人だけ、あとは全員専業主婦でした。 関東の有名な団地のある地域に越した時は、クラスの子はお商売をしている家が2件、他の子は全員団地住まいでお母さんが働いていました。 だから、放課後友達の家に行くとどの子の家もお母さんがいないのです。 これにはとても驚きました。 子供心に「こんなに地域差があるのか」と思ったものです。 今でこそ日本全国共働きが当たり前ですが、私が育った時代は地域差が大きかったと思いますよ。

トピ内ID:0eef05d8e338457a

...本文を表示

義実家との違い

🐱
とら猫
60年前の父母と義父母。 人口20万の地方都市出身。私の父はサラリーマン、母は夕方から食堂をやってました。 食堂は家から少し離れた所にあったのですが夜、母が居ないので泣きながら食堂迄行った事を憶えています。 父は保育所も行く必要ないという考えだった様で、私も弟も保育所は行ってません。近所の友達がうらやましかったなぁ。 義父母は都内。共に四大卒(法学部)で、義母はうちの旦那が産まれる1ヶ月前迄勤務していたそうです。 代議士の公設秘書だったので、60年前から恵まれた環境だったのですね。 元首相の海部俊樹さんが同僚だそうで、この話を聞いてビックリです(笑)、やっぱり東京は違うんだなぁと。 こんなエリートの家とどんな理由で縁があったのかと、今でも不思議です(笑) 60年前でも、お互いの実母は働いたのは共通してますが(笑)、実はいつの時代もそれぞれなんですよね。

トピ内ID:2eb023f5d4a5373f

...本文を表示

共働き

🙂
通りすがり
うちも共働き。だって母は看護師です。男の看護師はまだいません。 父は建設作業員で県外からの就職、母は国立大学看護学部に行く為下宿、大学のある市内で父と結婚。夫婦共に定年まで働きました。 祖父母もいません。 父方は子供6人いて父以外の子供と同居。 母方は同県だけど遠方、母の妹は知的障害あって世話があったし、祖父母は漁師で共働きです。 特に母方祖母がヤバい。夫の船の魚の選別•処理は妻や女性の仕事で強制、知的障害の子供の世話も絶対しなきゃならなかった。 でも祖父母は母妹の世話を母に託さなかったし、女は地元で結婚する時代なのに母が戻ってこないのを許しました。 母も母であの時代に田舎から出て大学進学して、看護師の地位向上運動の時代に働いて最高役職に登り詰めて定年退職。祖母の背中がそうさせたんでしょう。 働く人の理由はそれぞれだけどさ、よく続いたなんて棘のある言い方しないで欲しい。 寂しかったって言葉が素直なんじゃない?

トピ内ID:6905d073948bfeaa

...本文を表示

人口4万の地方の市で育ちました

🙂
アラフィフ
私は田舎の市出身ですが、育ったのは新興住宅地だったこともあり、私が産まれる前から住宅地内に保育所があり、小学生の時には学童保育施設ができました。 クラスメイトの2割程度は、お母さんもフルタイムで働いていた印象です。 小学生の頃は、大抵のお母さんは、内職かパートはしてましたね。 (未就学児がいる家庭は、あまり記憶がないです)

トピ内ID:4db3c131e8954b20

...本文を表示

寿退社ではなかった

041
うー
私は50代半ば、両親は80代です。 母は、寿退社でなく、出産復帰後しばらくして退職したそうです。 両親は職場(上場企業)の上司の紹介で同じ会社内でお見合い結婚。 母は高卒OLでした。 結婚後は舅姑(政令指定都市居住、明治生まれ)と同居。 部署は結婚で変えてもらえたのでしょうね。 母の実家とは数十キロ離れてましたから。 母は出産後も、姑に私を預けて働いていて、昼休みに授乳に帰ったりしていたそうです。 でも、舅から、自分の子は自分で育てなきゃ、と言われて退職。 その数ヶ月後(私1才前後)には、父が別の政令指定都市に転勤となり、社宅住まいで母は専業主婦を続けました。 社宅の他のお母さん方も、専業主婦だったと思います。 私が高校生の頃の、母の世間(ニュース)知らずの反面教師で、私自身はアラフィフまで上場企業で技術系総合職でした。 子育てより仕事が好きで、両立が更に大変になるので二人目をあきらめ、一人にしました。 子供は成人しており、まだ未婚ですが、ずっと働くと言ってます。 子供が中学生のころ、孫の面倒みてねと一度言われて驚いた記憶があります。 ちなみに、母は、小2まで父方祖父母に育てられたらそうです。 お陰でとても社交的。 教師のアドバイスで、両親(大正生まれのサラリーマン家庭)や弟妹達と同居になったそうです。 事例を知ることはできますが、統計は難しいですね。

トピ内ID:52d6cf4bb3becd5e

...本文を表示

東京生まれです。

🙂
まい
親の世代は専業主婦が当然でした。 自営業や特別な専門職以外は。 だから教師などは女子に人気の職業だったのだと思います。 「保育園に入れると不良になる。」だの「共働きの家は貧乏。」だの「あそこの子とは遊んではいけない。」だの・・・ 本当に散々な言いようでした。 偏見も甚だしい。 現在、専業主婦を無意味に貶める発言があるとしたら、当時の反動では無いかと思っております。 私の世代でも、夫は会社の先輩から「奥さんを働かせるような恥ずかしい真似はするな。」と言われていました。 転勤の帯同の為退職し派遣で働き始めたら、派遣先の社員(同世代の女性)から「結婚後も働くのは経済的な問題ですか。」と聞かれました。 男女雇用機会均等法が出来ても、すぐには共働き主流にはならなかったと記憶しております。 ボチボチと、寿退社をしない女性、産休育休を取る女性が増え始めた感じです。 一気に共働きが主流になったのは、バブル崩壊、リーマン・ショックからでしょう。 男性の雇用も安泰では無く、給与も昔のようには上がらなくなって共働きが必須になったのだと思います。

トピ内ID:6fa806fe777537bf

...本文を表示

80代の母

041
兼業主婦
私は50代半ばです。 実母は、田舎育ちの高卒でしたが、電電公社で電話交換手として勤めてました。今はNTTとなり民間企業ですが、当時は公務員だったそうです。 小学校から同級生だった父と結婚し、私をすぐに妊娠。父から家を守って欲しいと言われ専業主婦になったそうです。弟が一人います。 父は会社員でしたが、人口30万人の街の中ではかなり給料は良かったらしいです。 でも、私によく愚痴ってました。仕事辞めたくなかったって。当時、両方の実家は頼れないし、保育園はあったけれど、保育料も高く(同僚の方が自分の給与は全部保育料で持っていかれると言ってたそうです)、諦めたと。 母からは、手に職をつけなさい、仕事だけは辞めてはいけない、と言われ続けました。 大学へ進み、専門職に就き、同業の夫と今も共働きです。子どもは保育園や学童のお世話になりました。でも、おかしなもので、母は保育園に預けるのはかわいそうなんて言い出して。ビックリしました笑 孫を溺愛してるので仕方がないのですか。 私の夫の母も専業主婦でした。もう亡くなって20年以上になりますが、一度も働いたことがないそうです。都心出身のお嬢様で、都内の有名私大を出て、大学の同級生だった義父と結婚。結婚するまでは花嫁修行をしてたらしいです。夫の祖母は、こんなんだったら大学に行かせる必要なかった、とぼやいてたとか。 そんな母親に育てられたからなのか、私にも専業主婦になることを求めてきましたが、それなら結婚はしません、と言ったら、何も言わなくなりました。 今も仕事は続けて良かったと思ってます。私が仕事辞めてたら、贅沢できなかったんだよ、って言ってやりたいです。 ちなみに夫の妹も結婚後も続けています。

トピ内ID:fa5bfb64fa203db4

...本文を表示

50代です。母は働き者でした。

🙂
エルサ
私の母は、様々な業種で、必ず正社員として働き、 三人の子供を育てるワーキングママでした。 面倒見てくれた祖母は、一度も外で働いた事が無いと言っていました。 今では、悠々自適に生活しています。 私もそうですが、娘も、ずっと働くのが当たり前に思っています。 そういえば同級生は、専業主婦の母親や パート勤めの母親がほとんどでした。 わが家は、兼業農家だったのに正社員の共働きだったから、 夜、ライトを付けて稲刈りをしていました。 子ども心に、働きつづけるって大変だなぁと、思いながら お手伝いをしていました。 私は、保育ママを雇って、子育ては外注。 その代わり、もの凄い量の読み聞かせをしました。 そして、ずっと働き続けています。

トピ内ID:26b411be6779161d

...本文を表示

トピ主です

🙂
自分は不器用なもんで トピ主
皆様、ありがとうございます。 地域差って大きいんだなと実感しました。 農家のご家庭は専業にしろ兼業にしろ、同居の家族全体で協力されているイメージでしたがその通りですね。ご商売をされてるご家庭もそうですね。 私が生まれ育った地域は住宅併用でご商売をされているのがほとんどで、お母さんが在宅、お店番されていました。 そして核家族が多い住宅地で、同居のご家庭もあるのですが祖父母が孫の面倒をみているご家庭は私のまわりにはありませんでした。協力し合うというより、親世帯と一線を引いているようなご家庭が多かったです。現代の同居に近い感じかな…。 地域産業的に内職されているお母さんが多く、外にパートに出ているお母さんはあまりいない印象でした。 やはり、正規で仕事を続けているのは専門職の方が多いですね。 私の母は専門職でなく高卒事務員でしたが、地域では「良いお勤め」といわれるところでしたので、辞めるのはもったいないと祖母も言っていたようです。 父も辞めて欲しくなかったのか、そうでなかったのかはわかりませんが、家族の理解がなければレスにもあったように辞めざるを得ない時代でしたね。 女性がどうしたいかなんて言いたくても言えない、言うことすら発想にない人もいたでしょうね。 レスへのお礼を忘れるといけないので(ここ数年同時に色々してるとどこかで抜けがあるんです)これにてお礼といたします。 ありがとうございました。 引き続きレスは拝見しています。

トピ内ID:3fcdb8bd61d152b6

...本文を表示

そんなの環境によるでしょう

🙂
レモン
今だって、いろいろな人がいるのだから。ただ、共働きがメジャーなだけ。パートもいるし専業主婦もいる。 85歳の母は人口200万の地方都市で中学から短大まで私立。車で短大に通学していたそうだから当時としては珍しかったと思います。花嫁修行してのちお見合い結婚。母の友人や親戚で働いていた女性はいません。でもたまたまそういう環境だったからです。 甘々のお嬢様人生を歩んだ人ですが、子供や孫に専業主婦になって欲しいとは全く思っていません。時代の流れをちゃんと分かっているし、女性も働かないとと、私や孫娘を応援してくれていると思います。

トピ内ID:ecc12857e707f67f

...本文を表示

そんな立派な動機ではないけれど

041
BABA
同居する祖母、母にとっては姑から逃げるためにずっと働いていましたね。 祖母と母は反りが合わず、母は得意の経理の経験を活かして機嫌よく働いていました。 高度成長期の新興住宅地でしたので、働いている母親なんてうちと他数人。女子アナとか自営業の方がいましたね。 ご近所の主婦たちからは私は憐れみの眼で見られてました。お母さんがいなくて可哀想に、と。 友達の家にいくとお手製の焼き菓子でもてなしてくれたりして、小学校も高学年となると惨めな気持ちになりましたね。どうしてうちは違うんだろうと。 それくらい専業主婦で占められていた街でした。私は今でいう放置子の部類だったかも。 母が働いていたのでは現実逃避のためです。 いつも綺麗な服を着てハイヒールを履いて、目立ってました。 数年後に祖母は亡くなりましたが、辞めずに働いていました。 昭和の言葉でいう「鍵っ子」となりました。 雨が降っても、遅くなっても、他所は母親が迎えに来るのに、うちはなし。 母親が「おかえり」と言ってくれる家庭が羨ましかったです。 近隣でそういうのはうちだけでしたので、余計に惨めでしたね。 ただ、当時は某女性タレントも同じ事ぼやいていましたが、「仕事をしていてもいいけど家族に迷惑かけるなよ」という風潮が一部ではあったので、調理だけは手を抜かなかったですね。 ただそれも、家族の事を思ってというわけではなく、意地になってた感じです。 食べきれない量の食事をたくさん毎日作ってました。 残すと不機嫌になるので、無理して食べていました。 笑顔の裏で母は多くの何かと闘っていたのでしょう。 私は自営業で今でいうリモート可能な仕事でした。 娘は福利厚生のしっかりした職場で現在育児休暇中。 母と私と娘。三代だけでも女性の生き方って多用になりましたよね。

トピ内ID:3af33d32d03cb80a

...本文を表示

50代後半、大都市で育ちました。

🙂
ミモザ
母は私が産まれる前からデザイナーをしていて、ブティック経営していました。 なので、幼稚園が終わると自営業のおじが車で迎えに来て、祖父母宅へ連れて行かれてました。 祖父母宅にはおば(母の妹)夫婦が同居していて、私はいとこ達と遊んで過ごしました。 一人っ子だったので、きょうだいが居るみたいで楽しかったのを覚えています。 父は、母が働くことに抵抗はなかったのですが、母が人生楽しんでいるのが一番という考え方でしたので、母のお金を取り上げたり、家計に入れさせたりということはありませんでしたね。 しかし、デザイナーという職業は不規則で納期もあり、なかなかハード。 私が思春期に差し掛かる頃には少しでも家に居たい、と母は教室経営を始めました。 夕方から2時間ほど出かける、という働き方でしたので、ほとんど専業主婦と変わりはなかったです。 私の手が離れると、今度はおばと一緒に、モデルクラブとパーティコンパニオン派遣業を始めました。 これが当たり、母は大忙しに... 私が大学行く頃には、母はそこいらにはいませんでしたね(笑) あちこち飛び回り忙しそうにしている母を見て、あんなに器用にいろんな物事をこなせないなあと思った私は、専業主婦を選びました。 母と違って生来の?ナマケモノなので、このゆるーい専業主婦生活がぴったりです。 まあ、漫画描いて本出してるので、何もすることがないわけではありませんが(笑)

トピ内ID:f5b2c54182b77825

...本文を表示

羨ましい

🙂
Mire
母はずっとフルタイムで働いてました。でも、パートです。社保も入れて貰えてなかったみたい。 私は当時学童なんて無かったので(あったのかも知れませんが、利用してない)鍵っ子です。 鍵を忘れて学校に行って、親が帰ってくるまで家の前で待ってたこともあったようですが、私は覚えてません。 母は「かわいそうなことをした。寂しい思いをさせた」と何度も言いますが、私は平気でした。 小5位からは夕方の家事や夕飯のしたくなどは私がやってました。 そんな生活だったので、私も子供が小さいうちから働きに出てましたよ。 自分が小さい子どもを抱えて働きに出て思うのは、近くにサポートしてくれる親が入る方はなんと恵まれたことか。 母の時代は、預かってくれるところもあまりなく、頼れる親も居なく、周りは専業主婦が多くて働いてることに否定的な意見も。大変だったろうと思います。 トピ主さんのお母さんは恵まれてましたね。羨ましいです

トピ内ID:4ef7279c5211e4a3

...本文を表示
[PR]
気に入ったトピを保存するといつでも読み返せる
気に入ったトピを保存するといつでも読み返せる
使用イメージ
使用イメージ

マイページ利用でもっと便利に!

お気に入り機能を使う ログイン
レス求!トピ一覧