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最愛の妻が難病ALSで2週間前に亡くなりました

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(トピ主 0
🙂
たく
ひと
最高の妻で、最高の相棒であった、最愛の妻が進行性の難病ALSで亡くなりました。毎日が辛くどうしてよいか分からず、こちらを見つけ投稿させていただきました。 妻は54歳でした。私が58歳で子供はいません。出会ったのが12年ほど前で今年で結婚10周年でした。子供がいない分遊んで暮らそうなんて言いながら、仕事以外はいつも一緒でした。発症したのが昨年6月ごろ咳きから始まり、次第に声が出なくなりました。その頃はまさかALSとは思ってもいませんでしたので耳鼻咽喉科へ受診そこから所謂たらい回し状態となり大きな病院で検査入院し、ALSと診断されたのが今年の1月で、進行が速い「球麻痺型」と言われるタイプでした。 自宅に戻ってからまだ身の回りのことは妻一人で出来ていたし、もしかしたら奇跡が起きて治るんじゃないかと淡い思いがありました。その間、幹細胞治療と言って侵された細胞を再生するクリニックを見つけ治療もしました。ハリ治療が良いと見つけそこも行きました。 しかし病魔は容赦しません、嚥下機能も低下し誤嚥にならないよう、食べるのも命がけでした。体重も激減し、嫌がっていた胃ろうの手術を4月に行いました。それからは栄養はすべて胃ろうからで喉から飲み食いするのはなくなりました。あんなに食いしん坊で、お酒好きだった妻がと思うと涙が出ました。6月には歩けなくなり、私の介助も厳しく施設に預けることとしました。妻は不本意だったと思いますが、私の体力消耗を見ているので喋れない妻は指でOKサインをしてくれました。ただし週末は妻を自宅に戻し私が介助しました。妻と会ったときは号泣してしまいました。ゴメンなゴメンなと連呼しました。亡くなる2日前には大好きだったネイルに連れて行きました。それから急変しあまり苦しまずに旅だったとのことです。施設からの連絡で間に合いませんでした。太陽だった妻がいないと辛くて辛くて仕方ないです。

トピ内ID:d0917a5a6355bcee

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1年ちょっととは

041
さらしな
お察しします。 私の夫も肺ガンが見つかってから亡くなるまで、4カ月でした。 16年前のことです。 涙が枯れることはない、と、今は思ってらっしゃると思います。 実際、喪失感は強まりこそすれ、弱くなることはないと思います。 今は、奥さまのことを、強く記憶する時期だと思います。 この先、奥さまには新しい出会いはなく、思い出の中に生きるのみ。 トピ主さんしか、奥さまがどんな人だったかを語れる人はいません。 思い出の中、という場所で、奥さまを生かしておけるのは、トピ主さんしかいないのです。 思い出の中で、しっかり抱きしめてあげましょう。 こればかりは個人差があるので、あまり安易なことも言えませんが、いずれ受け入れられる日がくる、と思います。 あまり、つらいようでしたら、同じ体験を持つ方々に、ご自分の体験を話すのも立ち直りの役に立ちます。 グリーフケアで検索してみてください。 奥さまのご冥福をお祈りします。

トピ内ID:14c7830e9dd482e1

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私はその病気で祖父を亡くしています

🙂
ぎんねこ
十万人に三人しかいない難病でしょう。私はその病気で、昭和五十年に祖父を亡くしています。筋萎縮性側索硬化症。若い方だとそんなに進行が早いのでしょうか。 祖父が異変に気が付いたのは、散策している神社の階段で転んだことからでした。亡くなる二年ほど前の正月だったと思います。それからだんだん目が見えない、運動機能が低下して、名古屋の国立病院で、病名が判明しました。名古屋大学の病院しか、この病気がわかる医師がいませんでした。 もちろん介護なんか、いまみたいに発達していません。東京から母が、時々介護で新幹線で帰り、祖母と二人がかりで、風呂場に椅子を入れて、風呂に入れたりでした。 おかゆとかそういう流動食だったと思います。ボロボロ手がマヒしていて、ご飯をこぼしていました。 祖父は病院を嫌ったため、祖母の家に病院ベッドを入れて当時見ていました。退屈まじりに、敷居のガラス戸をガラガラ動かしていたと思います。またお酒が好きだったため、かならず晩の食事のあとには、グラスワインを飲んでいました。 闘病の様子を走馬灯のように覚えています。 最後は、急いで食べた食事を気管に詰まらせて亡くなったのでした。今だったら、介護制度があるから多少の延命はできただろうと思います。異変から約二年ぐらいでした。 女の人はあまり遺伝がないらしいけれど、男の人に遺伝があるようなことをその当時の医師は言っていました。 私は孫になります。

トピ内ID:131ac4d6270ed911

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私の妻も先日旅立ちました

🙂
ぱたた
トピ主様、お気持ちお察しします。 奥様への愛情が伝わる素敵な ご夫婦なんですね。 私の方は7/23に最愛の妻が49歳で 旅立ちました。7/7、感染症心内膜炎の 影響で右脳梗塞を発症し、7/8緊急手術 しましたが、最善を尽くしたと先生に 言われ、ICUに入院。妻や私の実家家族、 そして遠隔地にいる大学一年の我が子も 必死に看病しましたが、倒れてから 僅か17日程で旅立ちました。結婚23年、 出会って28年、私は54歳で6年で定年 なのでシニアのお出掛け計画も進行して いた所でした。妻のいつも座る所周辺には 秋からの予定メモ付箋がびっしり貼って ありました。一番悔しいのは妻本人 だと思います。我が子と私は、一番元気で 物事を仕切り、3人の要である妻を失い、 途方に暮れています。我が子が大学進学前は 3人のお出掛けが毎週末のお約束でした。 恐らく受け入れるには相当な時がいります。 トピ主様のお気持ち、心からお察しします。 闘病生活でお辛い気持ちに何度かなられた のではないでしょうか?でも奥様から お気遣いの言葉聞けて何よりでしたね。 私の妻は倒れた7/7に「入院するよ」と 伝えて驚いた表情と「病院食だね」と 伝えた時の苦い表情のみで言葉はありません でした…。 奥様の旅立ちは受け入れなくても良いと 思います。まだお近くで見守っていますよ。 常に一緒に生活している気持ちはずっと 持っていてもいいはずです。私も一生、 しっかり絆を保ち、妻と心通わせたいです。

トピ内ID:7c07128d0f5de0ac

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40年前・・・

041
匿名
私も家族をその病気で亡くしています。 40年前です。 当時は患者会もなかった。 情報が皆無でした。 家族は症状が心臓にきたので、呼吸器をつける間もなく亡くなりました。 発症して3年弱ほどでしょうか。 今は少しずつ認知されている病気ですね。 病気のメカニズムがIPS細胞をつかって研究されている話も聞きます。 アイス・バケツ・チャレンジで注目され、集まった寄付金で原因となる遺伝子が発見されたり、治療薬(といっても進行を遅らせる)が見つかった話も読みました。 治療法が早く確立されるとよいな・・・と願って40年。 いまだに亡くなる方がいるのは辛いです。 奥様のご冥福をお祈りいたします・・・

トピ内ID:6308db15bb219e7b

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