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昭和レトロ ロングスプーン

レス18
(トピ主 8
041
時計草
話題
私の母は料理を含め家事全般が苦手でした。 苦手というより、やる気が起きなかったのだと思います。 鬱を患っていたので、何するのもしんどかったのだと思います。 「お母さんを手伝ってあげなさい」 幼いころからそう言われ続けて育った私は、おかげで家のことはほぼ何でも得意です。 遠い昔の、今日みたいに暑い夏の日 「いつもありがとね。助けてくれて。今度はお母さんが腕をふるうから」 突然、母がそう言って布団から起き上がり、スーパーへ自転車を走らせたことがありました。 帰ってくると鼻歌まじりで作ってくれたものがあります。 クリームソーダです。 グラスに氷を入れ、透明の甘い炭酸水を注ぎ、今買ってきたばかりのカップアイスをすくって乗せて、柄の長いスプーンを差し込んで出来上がりです。たったそれだけの、普通過ぎるくらいの物なんですが、これが最高に美味しかったです。 アイスクリームが溶けたソーダをスプーンで口に運んでいるときの母は、朗らかで幸せそうでした。 「笑っていた方がいいよ。お母さんは美人なんだから。頭も洗った方がいいよ」 私はしっかりした子供でしたので、母のぼさぼさの髪を注意しながらヨイショも忘れず、母の『笑顔時間』を伸ばそうと必死でした。 母はその後、いくつもの病を乗り越え、4年前、天に召されました。 母を献身的に介護していた父も今年亡くなりました。 二人とも長生きしてくれました。 実家に2本だけ残っていたロングスプーンは、今、私のところにあります。 このスプーン、50歳を超えています。 カラカラ、プシュ、シュワシュワ、カランカランという音を立てて 「はいどうぞ」と差し出されだクリームソーダ、母の得意げな顔、「わあ!」とはしゃいだ小学生の私。 さっきクリームソーダを作り思い出に浸りました。 皆さんのとっておきのワンシーンを私に分けてください。

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レス

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あります

🙂
夏のお婆さん
素敵な話に涙が出そうになりました。クリームソーダ美味しそうですね。今度作ってみます。 長いスプーンは今も売ってますかね?もし店頭で見つからなかったらネットで探してみます。 とっておきのワンシーンですか。母はよく「赤飯」や「蒸し饅頭」をセイロ蒸しで作ってくれました。母は大正生まれです。20年前に亡くなりました。 あとは(小4の時)盆踊りで 1日しか着ないのに浴衣を縫ってくれました。 あとは手編みのセーターを編んでくれました。 一度だけ「だご汁」を小麦粉を練り作ってくれました。出汁はいりこ。その味が忘れられません。

トピ内ID:574f447ee464df0e

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ハンバーガーもどき

🙂
匿名
仕事で忙しいのに, うちは必ず手作り料理でした. 土曜の午後 ハンバーガーバンズにレタスと 炒めたひき肉を挟み もどきを作ってくれたのを覚えてます

トピ内ID:43197c0896754f86

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夏のお婆さん様 大正生まれのお母様の思い出を

時計草 トピ主
どうもありがとうございます。 「だこ汁」、初めて聞きました。 検索したら、鹿児島の郷土料理で、「だこ」とはお団子のことだと知りました。画像も出てきました。これは絶対美味しいです。 セイロで作ったお赤飯や蒸し饅頭、目に浮かびます。浴衣やセーターをこしらえちゃうなんて、器用なお母さん。愛情たっぷりなお母さん。 母がまだ若い頃、餃子を作ってくれたことがありました。 フライパンからお皿に移す段階で、蓋がなんとしても外れませんでした。餃子をあきらめた母は、そう言えば、その時も自転車にさっと乗り、コロッケを買ってきてくれました。母とフライパンの格闘。夜、帰宅した父とフライパンとの格闘。今、面白マンガ風に蘇ります。結局、開かずのフライパンでした。 父が亡くなって介護も無くなって、私はこの夏、暑さにやられてぐうたらです。悲しみも癒えません。情けないですが、どうにもならないので受け入れます。 でも私には両親との良い思い出があってありがたいです。 今、涼しい部屋で、それに浸る時間があって本当にありがたいです。 悲しみを癒すには心を温めるのがいいと読んだことがあります。 皆さん、どうぞ分けてください。 お願いします。

トピ内ID:2f9e8487bb5692c2

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スプーン、1本だけ

🙂
さじ記
ロングスプーンが1本だけ、台所にある。 来歴は分からない。母や妻が持ち込むとしたら、人数分揃えたことだろう。 とにかく1本しかないので、ハイボールやカルピスのマドラー代用、そして息子が買い置きの徳用アイスクリームをつまみ食いをするときに起用される。 「孤食」のアイテム。 古いティースプーンも、1本だけ。 日用のスプーン。私が園児だったころ、母が荒物屋で買うのに立ち会った。 当初は6本あった。 流しに落としたり、私がスプーン曲げにトライして匙がねじ切れたり、転居のとき誤って捨てられたりし、1本だけ残存した。 匙部が大きいスプーンに取って代わられ、鳥への給餌役を経て、いまや粉末肥料の計量役に落ち着いている。 洋食ナイフも、1本だけ。 古いカトラリーセットの1本で、経年40年を越えたころ、セットごと廃棄された。 回収される寸前に帰省中の私がナイフ1本だけすくい出し、赴任先へ持ち帰った。 バターナイフの代用として起用し、現在に至っている。本職のバターナイフがいるので、控え登板したり、クリームチーズをすくうときに使われている。

トピ内ID:c31b7bb29b965015

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2回目です

🙂
夏のお婆さん
お返事ありがとうございます。 私の母も 子供を6人も生んだせいで… 私が小学2年生位まで 体が丈夫ではなく、よく床に伏せて寝ていました。鬱もあったかもしれません。 そんな弱い病弱の母を見て、母親を頼る事は出来ないし、甘えられませんでした。 逆に「母親を守ろう」と5才のの時に強く思いました。 母は裏山からゲンノショウコや色んな薬草を取ってきて自分で漢方薬を作って飲んでましたね。 ●親が弱いと子はたくましく育ちます。 母が少しずつ元気になり 私が(小4)になると、知り合いに畑を借りて 野菜作りに趣味を持つようになり、以前と比べると、元気になりました。 その頃、私にゆかたを縫ってくれました。母は着物も自分で作っていました。   そんな母も最後は延命治療でしたが88才まで生きました。 うれしかった思い出は 私が5才の時に「いなり寿司が食べたい!」と言うと 母はうす揚げを買いに行き、 すぐに、いなり寿司を私の為に 作ってくれました。 それが忘れられないワンシーンです。 昭和38年の思い出です。 ●4才の時に、私が畑の池に落ちた時にも私の泣き叫ぶ声に 母が気づいて 走ってきて私を助けてくれました。母は私を抱っこしたまま 家から3キロ位の距離の開業医まで、抱っこして小走りで病院に連れて行ってくれました。 母にも開業医さんにも感謝です。 母は裏庭でにわとりを一羽飼ってたのですが 「アオダイショウ」がやって来て「アオダイショウ」がにわとりを飲み込んでいたので 「お母さん!アオダイショウがにわとりを飲み込んだぁ!」と 母に急いで言いに行くと ●母はブチギレて、アオダイショウのしっぽをつかんで (砲丸投げ)みたいにグルグル3回、回ってアオダイショウを空にほうり投げました。 (母は強し!バイオニック・ジェミーだ。) 私は驚いてその様子を見ていました。

トピ内ID:574f447ee464df0e

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63歳ですが幼少期に

🙂
通りすがり
父がガラスをステンレスの細い糸で編んだ不思議な容器を買ってきました。 子どもは触ってはいけないとのこと。 ある日父が私が飲んでいたカルピスの中にその不思議な容器で作ったシュワシュワの泡をいれてくれたのです。そう炭酸。 もうそれでなくてもなんでも出来る父。 魔法使いだと思ってました。 海岸で拾った綺麗な貝殻をペンダントヘッドにしてくれたりミシンを操ったり 革でたばこケースを作ったり夏休みの宿題は恐ろしくリアルなホホジロサメを紙粘土で作ってくれたり彫刻したり時計直したり・・ 自分で釣った魚をさばいて料理してくれたり自分で狩猟したカモやキジなどを 焼き鳥にしてくれたり・・ 最後の趣味は鳥が可哀そうで毎回泣きましたが西友で売っている鶏肉はよくて どうしてお父さんが捕ってきた鳥はダメなのか?話し合ったり。 今でもその炭酸を作るガラスの容器は我が家に飾ってあります。 メーカーに聞いたらPL法とやらでガラス職人がもういないことや亀裂が入っていたら危険とのことで飾るだけで使わないでと言われたのでシルバーの買いました。 ずっと後にサイダーストリーム?なるものが出てきて時代は進んだなって。 3月から空き家になった実家を解体するために片づけてました。 思い入れのない食器やカトラリーは福祉ショップへ、このお皿でカレー食べてた!!なんていうお皿はピックアップしてきました。 母の嫁入り道具のフルセットの食器はほとんどがなくて2枚だけディナー皿がでてきてそれももらってきた。 重厚な真っ黒のSLみたいなシンガーミシンは、大事に使ってくれる人を探し回りまして、譲渡しました。 ちゃんとまだ使えるんですよ、ミシン。 メンテしてましたから父が(笑) 車もバイクも父が自分で。 そういえば母はどこかに連れて行くとクリームソーダをよく頼んでましたね。 憧れだったようです

トピ内ID:912352c36df70059

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匿名様 その美味しさを私は100%わかります。

時計草 トピ主
レスをどうもありがとうございます。 匿名様のお母様すごいです。忙しくても、お食事はいつも手作りだったのですね。愛がなければできないです。愛があってもなかなかできないです。 子供が喜ぶ美味しいもの、お母さんはちゃんとわかってますね。土曜の午後、パパッと作ったのでしょう。食べていると、ひき肉がポロってこぼれたりして、楽しかったでしょうね。 私の子供時代、土曜日は午前中まで授業で昼食は自宅でした。私の場合、土曜のお昼と言えば菓子パンオンリーで、大好物はコロネでした。 匿名様のおかげで、思い出したことがあります。 私の料理デビューは、“ひき肉炒め”でした。 冷蔵庫にひき肉がありました。昔は薄い経木(きょうぎ)に包んでありました。 「どうしたらいいの?」と聞きに行くと、母が手順を教えてくれたので、炒めて最後に塩を振りました。炒めすぎの、ぽろぽろカリカリをご飯の上に乗せました。「こういうのすき」と食べてはこぼし、食べてはこぼしの弟は、もう50を過ぎています。 ひき肉が私を連れ去りました。 忘れかけていた思い出の世界に2時間くらい滞在してきました。 帰ってきたらなんかちょっと元気です。 こんなことでいいんでしょうか?いいですよね。今は良しとします。 読んでくださる方、レスをくださる方、どうもありがとうございます。

トピ内ID:2f9e8487bb5692c2

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さじ記様のレスがトピックで掲載されていたなら

時計草 トピ主
私が一番にレスしました。 ハンドルネームもさすがです。どうもありがとうございます。 一本だけ残ったカトラリー、それぞれの物語。 そこから、ご家族構成、大体のご年齢、ご職業、赴任先、そしてお食事風景が浮かび上がりました。ハイボールは食後かな。 かわいがっていた小鳥はもういなくなって、今、野菜作りを楽しまれていらっしゃる(多分)。 台所の引き出しには物語が詰まっていますね。一本だけ残った古いカトラリーにしゃべらせたら面白いでしょうね。「ちょっと聞いてくださいよ、長い年月、いろんなことがありました。話すと長いですよ、いいですか?もちろん仲間もいましたよ。偶然だか運命だかわかりませんが、今まだこうやってお役に立つことができているんですから、嬉しい限りです」なんて感じでしょうか? うちのロングスプーンも家族分あったはずです。私たちは東京の下町に住んでいましたので、浅草の金物屋で購入したと思います。 今、改めてスプーンをよく見たら、宇宙人のようなマークが入っているのを発見しました。何でしょう。これから調べます。さじ記様のおかげで楽しくなってきました。 皆さんが書いて下さるレスは、どれも私が小町で読みたいなと思っていた物ばかりです。なかなか出会えないです。ありがとうございます。

トピ内ID:2f9e8487bb5692c2

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母の手作りのべこ餅

🙂
ワソ
トピ主さん、お母さんが病気を押して作ってくれたクリームソーダとても美味しかったんですね。そのロングスプーンも正しく記念品ですよね。 私も、母の手作りを便乗させてください。昔、母が作ったべこ餅は、ヨモギを採取して柔らかく煮て、ペースト状にして、べこ餅の粉に混ぜて(粉練りも母は自分の手で練っていました)形を作って、蒸し器で作る母のオリジナル作品です。今はフードプロセッサーがありますが、母は柔らかく煮て、こぶし大くらいの量を、まな板の上で、出刃包丁で叩いて柔らかくしていました。 母は一時は100個近くも作って親戚や知人に配りました。 この母のべこ餅に食べ慣れたら、市販のべこ餅は失礼ですが食べられません。みんな似たようなことを言っていました。 私も何とか母のを思い出して、主人と一緒に春になればヨモギを採取して、作っていますが、母のようには出来ませんし、粉練りも餅つき機でやっています。 その時に、母のを手伝っていれば、覚えたのにと思います。

トピ内ID:4927ef66f9564f46

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通りすがり様 不思議な容器が気になってずっと調べました。

時計草 トピ主
そうしたら、ようやく画像がヒットしたのです。 「炭酸水瓶」とありました。格子柄模様のとても素敵な瓶。 ハンターでライダーで釣り師で料理人で彫刻家で修理人。宿題だって引き受けてくれる、なんでもできちゃう魔法使いのお父様。海と山の情景に西友がプラスされていたのですごく親しみ覚えます。 実家の片付けをされているのですね。シンガーミシン!それもまだ使える状態に手入れされていたなんて。大事にしてくださる方に引き継がれて良かったです。 空に浮かんだ入道雲を見ながら、私はまたもやタイムトラベルしてきました。 ミシン、実家にもあったのです。と言っても、両親が戸建てからマンションに移る際に処分したのですが、とても思い出深い足踏みミシンでした。私はよく弟の布おむつをダダダと縫っていました。一つ縫い終わると、糸を切らずに次のおむつを縫うので、輪のおむつが延々と繋がっているんです。楽しかったです。 通りすがり様のご実家は解体されるのですね。胸がジンとなります。 でも、素敵な瓶とお母様のディナー皿は、まだまだ一緒ですね。 私は今、実家のマンションの片付け中で、秋ぐらいに売りに出す予定です。なんだかよくわからない、消えてしまいたくなるような感情に襲われますが、皆さんのおかげで心が落ち着きます。 ありがとうございます。

トピ内ID:2f9e8487bb5692c2

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横ですが、宇宙人ロゴのスプーン

🙂
鍛師(かなち)
たぶん、ドイツ・ゾーリンゲンに本拠を置く刃物メーカー、ツヴィリング J.A. ヘンケルス社の製品だと思われます。 同社にはふたつのブランドがあります。 ひとつはヘンケルス。祖父や父が日用小物をヘンケルスで揃えるのが好きで(Eコマース時代よりも前の人たち)、公私の用事で渡欧したおり買い求めた文具ハサミ、爪切り、台所ハサミが今でも残り、使われています。 ロゴマークは槍を持った人(ひとり)。 同社製品の普及版ブランドです。 もうひとつは、ツヴィリングヘンケルス。 ロゴマークはふたごの人。ツヴィリングという言葉の和訳が「ふたご」らしいです。 ツヴィリング・ヘンケルス社もともとこちらのブランドを主軸に展開しており、主に高級刃物・高級包丁を扱ってきました。 拙宅にはツヴィリングヘンケルスの製品は全くありません。おそらく、高価で、祖父も父も買えなかったのでしょう。 さて、トピ主さん宅の「宇宙人ロゴ」スプーンの素性や如何に。

トピ内ID:c31b7bb29b965015

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ワソ様 べこ餅は北海道、もしくは青森の郷土菓子と知りました。

時計草 トピ主
レスをどうもありがとうございます。 お母さん特製のべこ餅は、ヨモギを摘むところから始まるのですね。洗って煮る。いい香りが漂ったと思います。繊維が硬いから出刃包丁が登場するんですよね。すべて手作業だから、大仕事だと想像できます。お母さんの心のこもった手作り、ナンバーワンです。ワソさんはご自分でも作られるとのこと。お母様とワソさんの絆を感じます。 私は草餅が大、大、大好きなんです。だから、べこ餅食べてみたいです。ワソさんのベこ餅をごちそうになりたいです。 母のサポートに実家へ通っていた、もう7年くらい前のことです。実家までは高速バスを利用していました。帰る日、「じゃあまた」と玄関で別れを告げて、大通りに出て足早に歩き始めたら、後ろから「待って~」と母の声がしました。母は必死に追いかけてきて「渡すのを忘れちゃった」と、小さな包みをくれました。実家のすぐ近くに和菓子屋さんがあります。そこで買っておいてくれた草餅です。 夕暮れの中、ずっと手を振っていてくれた、まだギリギリ元気だった母と草餅。この場面は、結構きついですが大丈夫です。バスターミナルで一気に3個食べたところまでくると、笑えます。美味しかったです。良い思い出です。 今、台風接近に関する防災放送が流れました。 こんな時、いつもなら「あーしてね。こーしてね」と実家に電話するのですが、その心配がなくなりました。その現実に、しばし茫然となりますが、時薬が効くことを信じて前を向きます。明日に備えます。 わそ様、書いて下さりありがとうございます。 読んでくださる方もありがとうございます。

トピ内ID:2f9e8487bb5692c2

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はちみつとねじりスプーン

🙂
ぎんねこ
トピ主さんの甘酸っぱい思い出なら、私は幼稚園時代のあまーい思い出。当時渋谷の近くに住んでいて、兄が小学校に行ったあと、私の朝食時間があるのですが、母がパンをトーストして、バターとはちみつを載せて、お紅茶でいただいていました。 この時、はちみつをすくっていたねじりスプーンがいまだに実家に残っています。くるくる回すと目の錯覚で、ねじれるように見えるのを幼稚園の私は楽しんでみていました。 母と私だけの朝食時間。ハネ―トーストとお紅茶。 時々母が焼いたくるみやレーズンの入ったケーキもありました。すごくおいしかったのでまた作ってほしいというと、これは作るのにかなり大変だったと言われました。子供の食べさせようと珍しい材料で焼いてくれたのでしょう。 ねじりスプーンを見るとグウッと来ますね。母との甘い甘い時間がよみがえります。

トピ内ID:af6252c365154c13

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夏の思い出

😭
たーちゃん
私もつい先日の帰省でロングスプーンを実家で見つけ、昨年の末に旅立った母を思い出していました。 一家全員が牛乳が苦手な我が家。 少しでも皆に牛乳を飲んで欲しいと、牛乳のたっぷり入ったアイスコーヒー(今で言うアイスラテ?)を作ってくれました。 インスタントコーヒーをお湯で溶いて、たっぷりのお砂糖と牛乳。 子どもたちはコーヒー少なめで。 たまに少なくしすぎて「お母さんこれ牛乳の味するー!」なんて文句言いながら、皆でカランカランとグラスを鳴らしながら飲み干しました。 母の姿は見えませんが、実家にも、私の自宅にも、母の思い出の品を沢山保管しており、いつも近くに母を感じています。 会いたいなぁ

トピ内ID:052741934227d05e

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昭和レトロロングスプーン

🙂
きいろ
1週間前10年ぶりに海外に行って来ました。最後に寄ったスーパーで買ったものが先丸ロングスプーンでした。 「自分へのお土産がスプーン?」と夫には笑われましたが、このトピックスを拝見して、なんで自分がロングスプーンに手が伸びたのか分かった気がしました。 あの時代、母がよくソーダやミルクセーキやコーヒーにアイスを浮かべて作ってくれて、ロングスプーンで食べてましたっけ。先がまん丸のロングスプーン。 その母は今認知症で寝たきり。元気な内に色々昔の話しておけば良かったなぁと思います。

トピ内ID:b091dc6ebd9a3c02

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夏のお婆さん様 お母様、刺激的でクラクラしました。

時計草 トピ主
2度目のレスもどうもありがとうございます。 お母様の魅力が倍増しました。 かっぽう着姿(勝手な想像)の、お料理上手で愛情深いお母さんは、ときに、バイオニックジェミーに変身したのですね。 幼子を抱きかかえ、その命を救うため3キロの道をダッシュし、大切な鶏の仇を取るため青大将をブルンブルンと放り投げる。読んでいてワクワクしました。 病弱だったお母さんが、少しずつ元気になって88まで生きて下さった。20年経った今でも、たくさんの思い出と、いなり寿司が心に残っているのですね。 いつかお母さんのことをトピにあげてください。もっと知りたいです。私、必ずレスします。 私の父は95歳で幕を閉じました。 晩年、父との夕食時に戦時下の食卓が話題になることがありました。 父が子どもの頃に食べたカボチャは、水っぽい味のないものばかりだったらしいです。カボチャが天井からゴロゴロ落ちてくる夢を何度も見たせいで、父はカボチャが嫌いでした。トラウマのようでした。 今は美味しいカボチャが売っていますね。私が煮つけたものを、父は何十年ぶりに箸をつけて「これなら毎晩でも食べたい」と褒めてくれました。 父とカボチャも、私の好きな一場面です。まだほんの数か月前のことなので、思い出にはしたくないけれど、思い出になってしまいました。

トピ内ID:2f9e8487bb5692c2

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鍛師様 情報提供をどうもありがとうございました。

時計草 トピ主
画像検索すれば何のマークかすぐわかると思ったのですが、うまくいきませんでした。それでワードを色々変えて検索してみたところ、ようやくたどり着くことができました。 ロゴ名は省略しますが、やっぱり宇宙人をイメージしたロゴでした。 サイトにあった説明をもとに歴史をひも解くと、うちのロングスプーンの始まりは、こんな風だと推測できます。 両親は昭和30年代前半に結婚しました。「貧しくても夢があった」と言われる時代です。二十歳そこそこの、クリームソーダが大好物だった母のために、父が奮発して買い求めたものでしょう。「これからは家で、二人で仲良く食べよう」と。だから最初からうちには2本しかなかったと思われます。 裏付けが取れませんが、いい線いっていると思います。 昭和レトロ、ロマンチックスプーンです。 (推定)68歳の長寿スプーンが、ますます愛おしくなりました。 話はまだ続きます。 実家にあった数々のハサミは、ほぼ処分したのですが、切れ味の良いスリムな形のものを一つだけ残し持って帰ってきました。「もしかして、もしかすると」と思い、それを調べたら、なんと小さな双子の刻印がありました。こちらのハサミも大切にします。 鍛師さんのおかげです。

トピ内ID:2f9e8487bb5692c2

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ぎんねこ様 甘い思い出をありがとうございました。

041
時計草 トピ主
はちみつに入れる、あのクルクル棒は ”ハニーディッパー” と言うんだそうです。 私は大人になってからですが、ぎんねこさんは、もう小さなときからこの存在を知っていらしたのですね。 バターとはちみつを乗せたトースト、そしてお紅茶の朝食。お母様はクルミやレーズンを入れたフルーツケーキも焼かれたのですね。下町生まれの当時の私には、それはまるで素敵な絵本の中の世界です。 実家の整理をしていた時、棚の奥から古い寒天流し型が出てきました。私には寒天を食べた思い出がまったくないのです。使った形跡もないので、母も作る機会を逃してしまったのだと思います。 ぎんねこさんのおかげで、思い出したことがあります。 バターがまだそんなに高くないとき、私はクッキーやケーキをよく焼きました。ドライフルーツとナッツを入れたパウンドケーキが得意です。母に持って行くと、「こんなにおいしいケーキ食べたことがない」と褒めてくれました。 母もあの世で、私のパウンドケーキを懐かしく思っているかもしれない、なんて思いました。

トピ内ID:2f9e8487bb5692c2

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