先日、宮部みゆきさんの『泣き童子』を読んでいて、「心の煤払い」という言葉に出会いました。なんだかこれが心に残って、年末という時期もあり、自分のことを振り返っていました。
心にかかる煤は、うっすらと、あるいは黒々と、あちこちにあるなあと思いました。
吹けばとぶような煤もあるけど、ちょっと重たい煤もありました。
今年の秋、半世紀以上の付き合いだった同級生の友人と距離を置きました。
とてもいい子で、楽しい時間を何度も過ごしました。でも、ときどき彼女のなんでもポジティブに捉えすぎる考え方に違和感を感じてもいました。(阿修羅像の頭さえ、全部前向きにしてしまうのではないかと思うくらいの前向きな子です)
彼女は自分の家族が大好きでした。私が親と言い争いになった、と彼女に愚痴をこぼすと「それは仲がいいからだよ。思いやりの喧嘩だよ。家族なんだもの、分かり合えないはずがないよ」と言うのでした。彼女のお母さんが亡くなったときは「私、何度でもお母ちゃんの子に生まれてきたい」と言っていました。
私はあまり自分の家族とうまくいかず、一番苦痛だったのが、彼女のこういう「家族なんだから」でした。(あまりの前向き思考もですが)
もうトシですから、彼女も私もすでに両親はありません。彼女の愛は、隣人にも向けられています。気前もよく太っ腹で、よかれと思って、いろいろなことをしてくれる人です。
いい子だけど、私には辛い。
離れたい宣言をしてしまって、良かった。でも、寂しいな、と思うときもあります。
こういう気持を、夫にも言えないで(言わないで?)きました。ここでもうまく書けませんでしたが、言い表す言葉が見つからないんです。
皆さんも、心にたまった煤はありますか?
件の宮部みゆきさんの物語ではありませんが「書いて書き捨て、読んで読み捨て」で、煤を払えれば、と思いました。
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