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看取りについて聞かせてください

レス8
(トピ主 0
041
なでし子
ひと
50代の夫を看取りました。訪問診療、訪問看護、訪問介護フルセットで利用しましたが認知症のような症状が出て自宅では手に負えなくなり最後は病院でした。 自宅看護は持ち出しが多く、医療保険金も出ないので期間が読めない中、金銭的に厳しいものがありました。 数年前に父を看取りましたが、その時はホスピスでした。父の時より環境も整っただろうと夫は在宅で最後を希望しましたが、私には難しかったです。自宅に居させてあげたかった。 ただ、父も夫も最期の瞬間までそばで付き添いができ、別れについては満足しています。病院スタッフの皆さんのおかげで両者とも苦しむことなく、まさに眠るように静かに逝きました。 今は事後処理に追われて落ち着く暇もなく、突然襲ってくる悲しみに崩れそうになるのを耐える日々です。 看取りができた方、できなかった方、亡くなった方との関係など様々だと思います。思い出や後悔、葬儀や気持ちの回復、自分の時はどうして欲しいなど、身近な方との別れを経験した方がいらしたら何でも聞かせていただけませんか。

トピ内ID:e672f9c891bdeb1c

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設備もない自宅で素人に面倒見て欲しいとは思わない

🙂
めんどくさがり
特に夫です。 介護職の親族の話でも、家族がなれない介護で疲弊するよりは、介護や看護は施設や病院の有資格の専門家に任せて、家族は精神面を支えた方が良いとのこと。 ド素人で気も利かない夫には介護も看取りも期待していません。 子はいませんが、いたとしても同じです。 そういう考えなので、私自身も夫の介護や看取りは無理に引き受ける気になれません。 両親の看取りについても、離れて暮らしているのだから間に合わないのは想定内で、特に後悔もありません。 ただ、父の時はコロナ禍真っ最中で、県外在住の私は病院での面会は許されず。 あと何日か何週間かのことだから、と弟夫婦が自宅に引き取ってくれたお陰で、なんとか1回は顔を見ることができました。 そんな事情でもなければ、施設や病院で亡くなっても、私は気にしなかったと思います。

トピ内ID:efa55fbee318d177

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その気持ちわかります

🐱
納豆をたべる猫
お父様を亡くされ、ご主人様の早すぎる死にも立ち会われ、本当に辛いご経験をされたと思います 私の父も入院先で家族に看取られ、眠るように静かに旅立ちました 最初は自宅介護でしたが、父の認知症や体調が悪化し緊急入院、その後病院をいくつか転院し最期を迎えました 入院はコロナ禍前でしたのでほぼ毎日面会に行くことはできました 入院中、父は手にミトンを被せられベッドに拘束されていました 誤嚥のため食事も摂らせてもらえませんでした 家に帰りたいと子供のように泣き、食べ物を要求する父の姿を見るたびに、入院させてしまったことの罪悪感でいっぱいでした その後は食べたいという欲求、気力も無くなり、ただ眠り続けていました どんどん衰弱してゆく姿は本当に可哀そうでした ご質問者さまと同様、家に帰して看取ってあげたい気持ちの一方で、果たして家での介護を全うできるか、 でももし、このまま入院したらいったいいつまでどのくらい費用がかかるのか、父を思う気持ちと金銭面・現実的な問題の板挟みでしたが、最終的にやはりプロである医療従事者の方にお任せするしかないと判断しました 亡くなる覚悟も出来ていましたが、やはり長年一緒にいた家族ですから、どんな亡くなり方でも後悔が無いことなんてありません 時を戻してもう一度初めから介護をさせてとも思いましたし、ああすれば、こうすれば良かった、の繰り返しでした 今は高齢だった父の姿よりも、なぜか若い時の元気だった頃の姿や、父の良かった面ばかりが思い出されます その一方で、不思議と父がいつもそばに居るような感じがしますし、仕事に行ったままな感覚もします 悲しみからの回復の過程や期間、思い出す内容は人それぞれだと思います ご質問者様も今もまだ辛い時期の途中だとは思いますが、少しずつご自分の生活を取り戻せることができますように 本当によく頑張られたと思います

トピ内ID:e77b354d09ec5e49

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どんなでも、後悔することの一つや二つあって当たり前

🙂
匿名
まずは、お悔やみ申し上げます やりきった!と、その点では後悔のない介護でも、自分が消耗しすぎてもっと違うやり方があったのだろうなぁと終わってから振り返ったり ほぼ毎日病院に通い詰めて、キーパーソンは自分で、退院後受入先を子連れで探し回り、見つからない!とのたうっている日々のさなか きょうも子どもに昼を食べさせたら面会に行くつもりだったのに 病院から「危篤の連絡を入れたのに、まだ誰も来ないのですが…」とTELがあり、慌てて病院にいくも息を引き取った後で 何故か別の兄弟に連絡が行き、他の兄弟たちに連絡しておらず… なんてこともりました 衝撃でした 葬儀も終わり手続も完了した頃など、一区切りついた時に、がっくりくることがあります よくも悪くも大きく心が動かされストレスがかかるわけですから、ごく自然なことです 人によっては精神的に不安定になることもありますが、一時的なもののことが多いので、酷いときは心療内科などを受診、そうでなければ普段よりノンビリモードにして自分を労ってあげてください 取り合えず、 希望があれば親族皆に伝えておく 遺影を選んで誰でもすぐ判るようにしておく 開設口座の金融機関と支店名、年金、健康保険、電気水道ガスなどの契約先は判るようにしておく だけでも、とても楽になるとおもいます

トピ内ID:e0191147080d2790

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神々しい旅立ち

🙂
匿名希望
昔は自宅で看取るのがほぼ当たり前でした。 地方でなく、東京でもそうでした。 でも今は違う。 様々な家庭の事情、患者の様態、家族の希望…… けれども、何を選んでも、亡くなった方は、感謝してくれると思います。 いや。そう思わなきゃね。 思わなければ、遺された人は悲しくて、しんどいですから。 独身の頃、自宅で、高齢の祖父を看取りました。 家族だけでなく、ご近所さんも、たまたま来ており、皆で旅立ちを見届けた。 祖父は、高齢でも元気でいたのに、食べられなくなり、床に就いて、水も欲しがらず、1週間。 亡くなる少し前には意識がはっきりし、母(祖父には嫁)に、 「世話になった」と言葉をかけ、 静かに逝きました。 まるで、植物が枯れるように…。 本当に自然に。 夏の夕暮れのことでした。 程なく、夕立がやってきて、祖父の愛した庭が、キラキラ美しく輝いて見えました。 その風景、幻想的で神々しさを感じました。 その後、祖母や両親や舅姑、叔父など、何人もの看取りを経験したけれど、 特別に忘れられない旅立ちの思い出です。 あの世はきっとあるのだろうなと思わずにはいられませんでした。 主様、どうぞお身体にお気をつけて、おすごしくださいね。

トピ内ID:fa1cc5239ad2b340

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看取る方も看取られる方も

🙂
ぎんねこ
看取らせてくれてありがとうなんだと思う。私自身つい先日、姑を二年同居、四年特養で最後は老衰でお看取りでしたが、やはり生き仏のように、嫁の私に最後の姿を見せてくれたと思います。そこには五月の風のような清々しい感謝しかないです。 亡くなられた方は、何かの気付きを与えてこの世を去ると言われています。 お互い感謝でお別れするものではありませんか。 亡くなられた後、主人の妹さんから介護のお礼がしたいまで、感謝を言われました。 最後までお看取りしてよかったんだと思います。 嫁としてそう思います。

トピ内ID:cb450595c788b110

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亡くなり方

041
まり
わたしも母を少し前に看取りました。 本人の希望で、ぎりぎりまで自宅で過ごして、歩いてトイレに行くのがしんどくなったタイミングで病院に入院し、緩和ケア病棟で、1週間ほど過ごし亡くなりました。 看取りに関しては、あまり後悔はありません。病院にもよくしてもらいました。 しかし、認知症の父がのこされたので、その介護等にとても大変でした。 がんで母を看取り、認知症の父を介護し、その経験から、私はがんで亡くなりたいと 思いました。がんであれば、亡くなる寸前まで、意識がしっかりしているので。

トピ内ID:c79e628049de17c1

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母の看取り

🙂
ジェイド
癌が脳に転移してステージⅣ 最後は梗塞を起こして倒れ搬送され入院しましたが 直前まで主婦として生活していました。 かねてから母が言っていたように、延命はしませんで、1か月ほどで逝きました いよいよとなった時に、病室に泊まり込み 下顎呼吸が現れ苦しい状態になった時に 『ありがとうね、もう頑張らなくても大丈夫だよ、安心してね』 と、声をかけたら、母は逝ってしまいました。 最期を看取ったのは私一人ですが、 父の時は誰も間に合わなかったので、せめて私一人でも見送れてよかったのかもしれません。 遠方の姉が見舞い、いったん帰宅した夜半に急変 別な病院に入院中だった兄も、小一時間の外出許可を得て最後の別れをしました 家族思いだった母が、子供たち皆と別れの時を過ごして、安心して旅立てたのだと思います

トピ内ID:3d38c0d3cce828b7

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最初から無理でした

041
おばちゃんパート
12年前に脳梗塞の後遺症で、父が右手以外動かせない寝たきりになりました。 父は柔道の有段者で身体が大きく家で介護するのはとても無理と、最初から病院と施設のお世話になりました。 父も娘にしもの世話をさせるのに抵抗があったらしく、家に帰りたいとは言いませんでした。頭の良いプライドの高い人でしたので、他人の手を借りなければ生きて行けない状態に絶望していた時期もありましたが、友人の紹介でとても良い老人施設に入所でき私が介護するより快適に過ごせていたと思います。 6年間老人施設にお世話になり段々身体が衰えて、最期はあと1週間くらいと余命宣告を受けました。5日間毎日通いました。6日目の朝、父は1人で旅立ってしまいました。私の家から片道2時間くらいかかる施設だったので最期看取れなかったのは仕方なかったと思っています。 介護の事で揉めて母は財産をほとんど自分の名義にして弟と出て行ってしまったので、老人施設の費用の工面も大変でした。私の貯金やパート収入で賄えなくなったらどうしようと思うこともありました。そんな状況を理解していたのか、私の貯金が底を尽きかけた時父は旅立ちました。こういう所が父らしかったかもと今は思います。 遺骨は海に撒いてくれとの父の言葉通り海に散骨いたしました。入院中は見舞いにも来なかったのに他界してから散骨等を批判する親族とは縁を切りました。こちらは何の未練もなくスッキリしています。父が旅立ってから最初の3年間は抜け殻のようになっていましたが、立ち直るために縋っていた人やものたちと離れて、漸く自分のための時間を取り戻せたような気がしています。 父が寝たきりになった8年間は、私との絆を取り戻すのに必要だったかもを感じています。私自身も海に散骨を希望します。 生きている人間にこそお金は必要で、旅立った人間にはお金はかけないで欲しいです。

トピ内ID:7fcdba37f6e4fa1f

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