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詩を書く人はいますか?

レス13
(トピ主 7
041
リンクルおじさん
話題
わたしは19歳の頃から身辺雑記から始めて、今日に至るまで詩を書いてきました。散文詩を少し崩したスタイルで書いていました。一人で個人誌を出したりしてましたが、仕事が忙しくなって書かなくなり、もう何年にもなります。頭の中では詩文は生まれるのですが、なかなか作品にはなりません。好きな詩人は田村隆一、鮎川信夫、天野忠、粒来哲蔵、粕屋栄市です。外国の詩人は読みません。ヘルダーリンの全集は持ってますが、宗教詩というべきスタイルの詩がほとんどでよく理解できませんでした。 詩を書いているときは現実という床から浮遊してどこでもない場所で夢想しています。そういう気分になった方はいますか?

トピ内ID:8051681664

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書きますよ★

🙂
ゆう
私は中学生くらいのときからずっと書いています。 詩というか、もっと崩したものですが。 わたしの場合、自分の中に隠れているものを文章にして出してあげることで、心をおちつけたり、人に伝えたいけど伝わりにくいことを文章にして書いている感じですが。 私はブログに書いています。 いつかは形に残したいとも考えています。

トピ内ID:1594430930

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レスありがとうございます

リンクルおじさん トピ主
ゆう様。どうも。中学の頃から詩作とは感受性の豊かなかたなのですね。 確かに自分の周囲に存在するもの全てから放射されるものに感応して文章にするという行為はなかなか(自分で言うのも何ですが)大変なことだなと思います。なかなかスラスラとはいきません。詩を書くときはどちらかと言えば自分の中を覗き込んで発見したものを誰かに伝えたいという欲求から始まりますが、それがストレートに伝わるとは思えません。逆に言えばそこに詩の面白みと詩がある理由なのかもしれませんね。「いつかは形に」とは詩集を編むという意味ですか?それは夢があっていいですね。 わたしも出来れば元気なうちに編みたいな、と思います。

トピ内ID:8051681664

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私も書いてます

🐱
なつきひなた
中学生くらいから書き始めて、現在までで大学ノート5冊分あります。 単語だけでも浮かんだら書き留めるようにしてるので、ノートがないときはとりあえず携帯のメモ帳に入力しておいてます。 マンガや小説を描いたりもするので、それに使用したりしてます。 HPを持っているので、そこでUPしてみたり。 今は、作品を発表する場がいくらでもあるので(ホームページやブログとか)私は、本にする事は考えてません。 気持ちを何かに表現できる方法を持っているのって、いいですよね。

トピ内ID:0100493768

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書いていました

🐱
タロウ
私も高校時代から書き始めました。 最近は育児に追われてほとんど書けていませんが。。。 数年前、人生でものすごく辛いことがあったのですが、 そのときに自分がそれまでに書いてきた詩を読んで、 過去の自分にとても励まされました。 私もいつか、形に残せたら・・・と思っています。

トピ内ID:5107113055

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レスありがとう

リンクルおじさん トピ主
なつきひなた様。単語を大切にするという発想はとても素敵です。詩も小説も並べて言えば日本語の美しさからスタートするところがあると思うんです。例えば夕凪橋という地名から触発される何か。涙、という言わば手垢にまみれた単語の、でもその美しさに触発される何か・・・詩に限らずそこから虚構が始まります。でも詩は奔放ですよね。そう思われませんか?なつきひなた様は素晴らしい単語の泉です。そこから色々なことが始まるのだな、と半分羨ましい気持ちです。今の時代は発表するメソッドに事欠きませんが、発表の場を大切にしてください。ところでなつきひなた様はどういう瞬間に単語が浮かぶのですか?

トピ内ID:8051681664

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レスありがとう

リンクルおじさん トピ主
タロウ様。どうも。育児に追われてはいくらなんでも詩的感興が湧いても文章化は困難です。だから自然で良いのです。書けるときに書く。書きたくないときは書かない。われわれはアマチュアなんですからわれわれの生活のリズムのテンポにしたがって詩を思えばいいと思います。文章はその後です。詩を思う人はすべて詩人です。辛いときは現在の自分がなんとか努力して解決の方向に向かうけども、一方、そういう自分の傷というか疲弊を癒してくれるのは自分のその時に書いた詩です。その詩はそのときの自分自身を一番即興的に反映し、そのときから見れば未来の自分自身への発信ですからね。いつか形に残せたらいいですね。

トピ内ID:8051681664

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昔は書きました

041
はぐれ鮫
高校生の頃、自分で書いた詩を「ガリ版」で印刷して、駅前で配ったりしてました。かなり自己満足の為にやってた部分があるかも。社会人になってからは、疲れた時、嫌な事があった時、悲しい現実を見せられた時など、、夢想の世界に入りたい時(笑)などに書いたりします。しかし、書く詩はメルヘンではなく、悲しみや、喜びの感情表現であったり、世間で起きている事件・事故を憂う内容であったりします。 例えば・・・・・・ 子供を愛さない親なんていないさ 子供を憎む親なんているわけがない 我が子の命が失われようとする時 自分が代わってやりたいと思うのが親だ そう ずっと思ってきた そんな生き方をしてきた しかし ・・・・ いつからだろう? 何かが変わってしまっている どこか狂い始めている 育児疲れで 生活苦で 子供を殺す親 叱られたから 解ってくれないからと 親を殺す子供 いつから そんな時代になったのだろう ・・・・・・ ・・・・・・・なんて感じです(今、思いついた事を書いただけなので稚拙な文章でごめんなさいです)

トピ内ID:1285659267

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詩的気分の生まれる瞬間

リンクルおじさん トピ主
今の住まいからバス亭に降りていく坂道の側に栗林があって秋の頃にはごろごろ鈴なりに枝に栗が生っていました。それから暫くすると地主さんが栗泥棒を防ぐためか布製のフェンスを張り景観が悪くなりました。すると地主産は栗の木を抜いて柿の木を植えたのです。しかしフェンスは次第にぼろぼろになり、野生化した柿の木にはあまり実が付かないようになっていきました。その側を通るわたしは栗でも柿でも青々と茂る木々に実が生り、そして落下して腐敗して土に戻っていく様を楽しみ、満員バスに揺られるという日常生活を送っていました。詩的気分の瞬間は、その往還によく生まれたものです。いまは雑草の生い茂る荒れた土地になってしまって残念なんですけどね。

トピ内ID:8051681664

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レスありがとう

リンクルおじさん トピ主
はぐれ鮫様。どうも。今は書いてはいないということですね。それは勿体無い。「例えば・・・」以降に書かれている詩文は明確に子供と親という社会的な問題を直視している視線の存在が前提としてあるわけで、それはそのまま、はぐれ鮫さんの心の中にどっかりとあるわけです。まだ行方不明にはなっていない。ですから「駅前で配った」若い頃の勇猛さは無いにしても、誰かに伝える気持ちと方法がある限りはいつだって再開は可能のように思えるのです。わたしも1回のみならず数回沈黙の時期がありました。たいした作品ではありませんが、ふとした衝動で再開したのは、やはり、そうした視線を持っていることを、そして得られたものを誰かに伝えたい衝動であったと、いまでもそう思います。ただし、わたしも今は沈黙の季節の中にありますが。再開したいですね。

トピ内ID:8051681664

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金子みすず

白菊の花
の詩は全部好きですが、中でも『ほしとタンポポ』がいちばん「好き」です。 >見えぬけれどもあるんだよ >見えぬものでもあるんだよ 私は、見えないものの方が自分の中で認識しやすい、夢想してばかりの人間です。 トピ主様がおっしゃっている >詩を書いているときは現実という床から浮遊してどこでもない場所で夢想しています。 という気持ちよく分かります。 どちらが現実なのか分からなくなるのですよね・・・あ、これは私だけでしょうか? 私は小説などを読んでいて、その主人公が自分と一体化してしまうようなときに、言葉が生まれてくるという感じです。 美しい言葉のために詩を書くのではなく、何かを表現したい、という気持ちが勝ってしまうので、私の書く詩は美しくありませんが・・・ 詩は心を豊かにしてくれますよね。 うれしいトピをありがとうございました。

トピ内ID:0376254517

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レスありがとう

リンクルおじさん トピ主
白菊の花様。どうもこんにちは。残念ながら金子みすずの名前は知ってますが読んだことはありません。ただ純朴で、分かりやすい言葉で語る詩人だというイメージはありました。見えないものを見るのが詩を書く人の特性の一つだと信じてます。わたしもそうなので。そして見えないものを言葉にする。そのとき現実の床から離れ、何処でもない場所で夢想し、見えないものを言葉の中でさぐりあてる。いい感じですよね。詩を書いている瞬間は快楽です。美しい作品になっているかは別物ですよ、きっと。いずれにしても白菊の花様が言うように「詩は心を豊か」にしてくれます。やはりそこには美しいものに触れたい、優しいものに触れたいという、人間の何か基本的な琴線を鳴らせたいという希望があるせいなのでしょうか。

トピ内ID:8051681664

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お返事ありがとうございます

🐱
なつきひなた
レスでお返事ってはじめてだったのですが、ちょっとうれしいですね。 >ところでなつきひなた様はどういう瞬間に単語が浮かぶのですか? いつも突然ふって湧いてきます。 歩いてるときとか、友達と話してるときとか、お風呂に入ってるときとか、寝ようとしてウトウトしているときとか、本を読んでいるときとか。 どうも浮かんでくる言葉は、その時の状況などには左右されずに、本当に脈略のないものが湧いてきます。 たぶん単語が湧くっていうのは、小さいころから百科事典が好きで、「あ」から順番に暇さえあれば読みふけってた名残だと思うんです。 ああ、だから湧いてくるというより、ふと思い出すの方が近いかもしれませんね。 その単語の意味から考えて、意味に添った状況を頭のなかで具体的に映像にしてみて、それを文字にしています。この作業がいちばん楽しいです。

トピ内ID:0100493768

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レスありがとう

リンクルおじさん トピ主
なつきひなた様。こんにちは。前回に質問したことにご返答いただいて有難うございます。なつき様の単語の生まれる瞬間が何時いかなる瞬間、そのときの情況に無関係にある、ということは、そもそも記憶という体内に単語の数がいかに多いかということなのでしょう。作家、井上ひさしの趣味は新聞を全て目を通し、国語辞典を一ページ一ページ読むことだそうです。 好きなんですね、日本語が。わたしも「広辞苑」を持っていまして、時々一ページ見ると色々な使ったことのない日本語がと遭遇して、へえと思いながらついつい読んでしまうことがあります。そうした言葉の組み合わせで素敵なタイトルが浮かびます。「石の匂い」「水に刻む」というタイトルが生まれました。前者は実際に作詩し、後者は作品はまだ生まれていません。語彙の重積は大切ですよね。しかし楽しみでもあります。実はきのうも「広辞苑」を一ページ読んでました。

トピ内ID:8051681664

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