本文へ
  • ホーム
  • 話題
  • 是非、バブル景気(経済)の時代を教えてください!

是非、バブル景気(経済)の時代を教えてください!

レス55
(トピ主 1
🐧
碧白いうさぎ
話題
学校でバブル経済の事を文章だけで教わりましたが、ハッキリ言ってピンときません。 不景気しか知らない世代なのでバブル経済の事を、生の声(小町)で知りたいです。 何でも結構ですので、勉強の為によろしくお願いします。

トピ内ID:8501658127

これポチに投票しよう!

ランキング

レス

レス数55

このトピックはレスの投稿受け付けを終了しました

新人類と呼ばれた私の世代

😉
マルシェっ子
昭和41年生まれです。 勤めていた会社の社内預金の年利が10%弱でした。 社員旅行も海外だったし・・・。 バブリーだったなあ。

トピ内ID:6094251009

...本文を表示

若造に。。。

😨
うつせみ
二十歳そこそこで1000万円・・・月給です。不動産会社の方から聞きました。

トピ内ID:0291892558

...本文を表示

1988年入社

💤
ムームー
短大卒、一般職のただのOLでしたけど、GW、夏休み、年末年始は海外旅行。 行先はハワイやヨーロッパ。何十万もするバッグやら時計やらを身につけ、アフターファイブはゴルフレッスンや合コンしたりして遊びまくる。 習い事は次々やるけど「自分磨き」などと言わない。 楽しいからやるだけ。飽きたら即効やめる。 終電なくなったら迷わずタクシー。(これがなかなか拾えない) 男性は車持っているのは当たり前。 冬は毎週末スキー。ウェアや板は常に最新。 これがスタンダードな感じで遊んでいない人は白い目で見られる雰囲気。 節約なんていう言葉は辞書に存在しない。 20歳そこそこの新入社員でも簡単にこのような生活ができる給料・休暇をくれる会社。就職も簡単にできたし、リストラという言葉も存在していなかったからクビや減給なんて考えもしなかった。 インターネットも携帯も普及してなかったけど楽しい時代でした。

トピ内ID:9770283009

...本文を表示

バブルへGO!

🐱
みぽりん
同様のレスがつくと思いますが… 広末涼子さん主演の映画「バブルへGO!」を観て下さい。タクシー停めるのに一万円札ヒラヒラさせてたり、今では信じられない事ばかり。 小説では、林真理子さんの「アッコちゃんの時代」がオススメです。

トピ内ID:1445872158

...本文を表示

異常な時代だったね。

😀
おっさんエース
近所のお風呂やさんに、いつもの様に捨てる木の板を持って行った所 (薪でガンガン炊く昔タイプのお風呂やだったので、木を喜んで引き取ってくれる) 働き者の親父さん(いつもタオルを頭にまいてTシャツをススで真っ黒にしてる) から、来月で店をたたんで引っ越すから、木を受け取るのもう最後ね♪ 今までありがとうと挨拶された。 親父さんの話では、風呂屋の土地を売却して、東京都下に引っ越すとの事。 そしてその売却金で老後をすごすという話でした。 後で聞いた話しでは、売却金は20億円らしく、その後親父さんは、ポルシェを買い、都下に豪邸をたてたと近所の人に聞きました。 30年近くやってた、都内の小さめの銭湯の話でした。

トピ内ID:2492950619

...本文を表示

映画「バブルへGo!」見て下さい

041
ラピュタ
百聞は一見に如かず。ホイチョイプロダクション製作、薬師丸ひろ子、広末涼子、阿部寛が出演しています。 劇団ひとりもいたかな。なかなか面白いですよ。 とにかく お金があまって仕方ない時代。土地はどんどん地上げで値上がりし、株もNTT株が上場し、日経平均が38000円台になり、もう一息で40000円台に!という時代でした。 いまのクラブは、ディスコと呼ばれる時代でユーロビート全盛期。 女性のファッションは、太い眉、濃い口紅、前髪を立ててワンレングス、服は肩パッドの入ったスーツがはやり、シャネルのチェーンショルダーやベルトがありましたね。 男性を送り迎え専用の「アッシー」ゴハンをおごってもらう「メッシー」プレゼントをもらうための「ミツグくん」と種類わけして付き合う女性が多かった・・・ありえない世界ですね。あんなのがあるからいまだに夢見ちゃう人がいるんですよ。。。ダメダメ。忘れなくちゃ。

トピ内ID:8429233786

...本文を表示

映画「バブルへGO!」がいいですよ

🙂
確か「バブルへGO!」って映画がありましたよね。あの映画がバブルの頃を再現していて面白いですよ。 個人的な思い出と言えば(高校~短大の頃でした)・・・ -バイト先でタクシーチケット使いまくり、必要なくても残業しまくりで、給料が残業代で倍になる。しかもタクシーチケットはもらい放題なので遊びに行ったときに帰りに使う。 -可愛いだけで証券会社の内定がもらえる。 -親からの誕生日プレゼントが現金10万円。 -女性というだけでディスコの入場料が常にタダ。 -服は週に一度は買う。(1着平均3万円とか) -バイト先でお客さんがやたらとチップをくれる。 -タクシーがつかまらない、または乗車拒否される。 学生でしたが、それなりにバブルでしたね~。

トピ内ID:3055535669

...本文を表示

約20年前

🙂
shin
1989年、19歳。未経験でIT系の会社に就職。 就職雑誌は電話帳のように分厚く、未経験でも 採用してくれました。 1990年のことです。 20歳の私は出張で海外(シカゴ)に行くことに。 初めての飛行機でファーストクラスでした。 週末は銀座、赤坂、六本木の高級(?)クラブに飲みに連れて行ってもらい、 自宅までタクシー。タクシーがなかなか捕まらない! 運賃は2万円くらいだったような・・・

トピ内ID:2477581671

...本文を表示

宴会ばかりやって、えーんかい?

041
果汁10%
そりゃもう、いけいけどんどん!・・・・・でしたよ。 私はまだ下っ端でしたが、上司達は会社の経費で、ゴルフやり放題! タクシー乗り放題! 接待し放題! 税金払うくらいなら、会社の経費をみんなで使っちゃお~!!・・・・って感じでした。 ちなみに、当時の東京23区の土地を全部売ると、そのお金でアメリカ合衆国(ハワイ含)が丸ごと買えて、おまけでメキシコが付いて来たそーです。 替えときゃよかったですね。

トピ内ID:5327756025

...本文を表示

虚飾の時代でした

041
Regina
皆、狂っていました。土地や家を沢山持っていれば、いつかは高値で売れると信じていました。そのために借金しまくっては、財産を殖やしました。銀行も貸せば儲かると、採算度外視で誰にでも貸しまくってました。バブルがはじけ、全てが不良資産、不良債権となり、皆借金まみれになりました。私に「自分はマンションを5件持っている。あなたも買えば将来楽になる」と言った不動産屋、今はどんな暮らしをしていることやら。 皆、欲に狂っていました。 大企業は、こぞって学生争奪戦。就職率100%以上で、普通なら落ちて当然の成績の悪い学生でも売れました。いま彼らは40代、頭を下げてまで採用した企業は、この人たちの扱いに困ってます。実力も伴わないのに「来てやった!」とプライドだけは高い人が多いです。

トピ内ID:2864606196

...本文を表示

破格のボーナス

041
バブル世代
バブル全盛期、大手証券会社の女性新入社員の初ボーナス(夏)が、 50万円だと知り羨ましかったです。 20年前の、入社して数ヶ月の賞与が50万円ですよ。 男女雇用機会均等法が成立されて間もなく、男女の給与比が今よりも大きかった当時、 女性の初ボーナスが50万円てのは話題になりました。 バブル経済は崩壊しても、その後2~3年はまだ世の中浮かれ気分でしたね。 大学をストレートで入り卒業しても、就職しない人は、就活をしなかった人で、 就職できなかった人ではない場合がほとんど・・・ フリーターで数ヶ月稼ぎ、数ヶ月どこかで遊び倒す人も多かった。 今では嘘のようですが、当時公務員就職を希望すると、 なんてつまらない・・・もったいないと思ってしまう浮かれぶりでした。 まとまったお金ができても、闇金でないなら借金返済に回すより、 高金利預金にしておく方が有利だからと返済もせず、皆使いまくってました。 働くだけお金は入ってくると信じ、働く先がなくなるなんて思いもしなかったあの頃。 パートでも、日給1万稼げると期待してた自分に笑えます。

トピ内ID:0015548686

...本文を表示

身近なバブル!?

041
梅子
地方都市の地味な中小企業の正社員でした。 ディスコもお立ち台も無関係でしたが、 「オレンジページ」のハーゲンダッツの広告に 閉じ込みでハーゲンダッツ引換券が付いていたのを 楽しみにしていました。 近くのコンビニで引きかえましたよ ハーゲンダッツ食べたいなあ。

トピ内ID:0390204129

...本文を表示

バブル=地上げ

041
平成元年就職組
バブル時代というと、ジュリアナ東京とか一億総グルメを連想をする人も多いですが、バブルの本質はそこにはありません。 一番おいしい思いをしたのはいわゆる団塊の世代です。 自分たちの収入を吊り上げ、将来の自分たちの年金額を吊り上げ、景気が悪くなった頃にとっとと引退。 おかげで日本の年金制度が破綻したのです。 彼らは地上げをし、土地を転がし、意味なく不動産価格を吊り上げて行きました。 当時東京でちょっと高いところに登ると、建設工事中の緑や青のネットがかかったビルが乱立していました。 戦火を逃れた古い町並みが地上げの対象にされ、金の力で櫛の歯が抜けるように減っていきました。 地上げに抵抗する家にはトラックが突っ込んできたりしました。 いまの六本木ヒルズも佃島も、バブル時代の再開発の名のもとに変わった姿です。 私は平成元年就職組で、バブルの華やかさだけは経験しました。 私が夜遊びして自宅に帰るタクシー代は、なぜか男の子の会社経費で落とせたし(笑)、都心を走る車の10台に1台はポルシェでした。 上っ面しか見ていなかった自分の愚かさを今更感じています。

トピ内ID:3064052482

...本文を表示

別名「いざなみ景気」

🐴
権兵衛
過剰な投機による資産価格の高騰によって支えられ、地上げ屋とか土地ころがし、億ションといった言葉が流行っていました。 私は食品関連企業でしたので、景気は横ばいであまりバブルの実感はなかったです。 私の勤務する会社では毎年100人以上採用していますが、バブル期の新入社員は根性なしが多く2~3割は辞めていきました。 残った社員もその後訪れた平成不況時に採用した社員にどんどん追い抜かれています。 フリーターが幅を利かせたり浮かれた人間が多かったんでしょうね。 出入り業者も大きい仕事にばかり目を向けて小さい仕事を大切にしないところはその後自然淘汰されました。

トピ内ID:1890278388

...本文を表示

ボーナスが3回

🎶
ななし
バブルの時は、ボーナスが3回あったと聞いています。6月、12月、3月に。 また、内定式の後に、グループに分かれて人事の人とフランス料理のフルコースを食べながら入社後の相談をし、入社直後は海外研修に1ヶ月行かせてもらったそうです(ほぼ観光)。一人一冊タクシーチケットをもらい、残業がある日はタクシーで帰宅できたとも聞いています。IT企業です。 私はバブルだけでなく、ITバブルもはじけた後に入社したので、会社のロゴの入ったボールペンしかもらえませんでした。タクシーチケットなんて見たこともありませんし、今は海外研修どころか海外出張も禁止で、IT企業らしく海外とはいつもWeb会議です。 バブルの時代をすごした上司達は夢ばかり見て(いつか売れる時代がくる)現実を見ないので、本当にバブルってなんだったんだ・・・と思います。

トピ内ID:6503021274

...本文を表示

証券会社の

🙂
minami
大手の証券会社のボーナスは、1回で(年2回のうちの1回)400万くらいでした。夫は証券会社ではなかったですが、それでも1回で300万円はありました。外車乗って贅沢してましたね。ああ、あの頃に戻りたい。

トピ内ID:6651944484

...本文を表示

ホステスではなかったけど

🐱
ニャー
地方都市の当時一番の高級クラブで会計係のバイトしてました。 不動産屋の社長が銀行の支店長を接待とか毎日の様に。札束が入ってるアタッシュケースを秘書が持って。 フルーツ盛り合わせとか高いお酒バンバン出して、どうせ「金あるぞー」と見栄張りたい人たちなのでぼったくりではないが(近いかな)高い料金を請求しても現金でポンとニコニコお支払い頂き、スタッフや裏方にもチップくれて良いお客様でした。 夜遊びに行ってもタクシーが捕まらず道路をゾンビの様に手を挙げてる人がゾロゾロと。面白い時代でしたね。

トピ内ID:7329220845

...本文を表示

預貯金利息が桁違い

🐤
ひよこぴよ
1975年 高卒で電電公社に入社。 バブルと言われた1980年代末期までは金融機関の預貯金の年利率が6~8%あった。当時の私は、官公庁でしたから民間企業に比べ給料は安かったが銀行・郵便局の利息はよかった (当時はそれが普通) ので100万円の定期預金が1年後に元利合計106万円前後になった。 しかし、当時 證券会社のボーナスが報道されるたびに私たちは「ガックリ」したものでした。 ですから当時の私の職業から景気がいいとは感じなかったが、預貯金利息のことを考えれば現在とは桁違いの多さだった。 金融商品によってはその頃に契約した金利が現在も維持している (生命保険の「個人年金」など) ものがあり、今、思うとあの頃に加入しておいた「個人年金」のありがたさを感じます。 生命保険会社からの年1回の報告書には、現代としてはびっくりするような利息がついています。ただ、バブル崩壊後は配当金がほとんどつかなくなってしまった。 私の場合はバブル景気までが以前からの普通の状態であり、その後が下がりすぎた と感じます。

トピ内ID:1371291107

...本文を表示

高校の同窓会でガックリ

🐤
ひよこぴよ
先に「預貯金の金利が高かった」ということを紹介し、私自身は あの当時の景気が良かった とはあまり感じなかったこと書きました。それは一般にサラリーマンは給料で景気を実感することが多いためだと思う。 あの当時、一部の企業では給料・ボーナスがびっくりするほどよかった。それがよく報道されたものです。高校の同窓会に出席すると、かつての級友との話は仕事や給料の話題になります。給料の話になると私はガックリしたものです。級友からは、 「お前 そんな 安い給料でよく我慢できるな」 なんて言われたものです。ですから私の日常生活や買物は、世間は一見景気いいように見えるが、こっちは全然そんなことはなかった。 バブル景気崩壊して数年後、立場は大きく逆転してしまった。一般に官公庁の給料は景気に左右されにくいため、給料等はかつての級友と逆転してしまった。私のほうが急に高くなったのではなく、他社の給料等が激減してしまったのである。 もっとも最近は公務員といえども安泰ではなく、私の同級生で国家公務員だった者も20~40代で退官させられた者も多い。 (元 電電公社職員・1975年高卒)

トピ内ID:1371291107

...本文を表示

Reginaさんに一票

041
40代
華やかなりし過去よ、もう一度!的なレスを読むと寒気がしますね。 日本中がバカ騒ぎやって、経済が狂乱した時代でした。 バブル世代は「手の着けられない人」が多くて閉口しましたが、やっと分別盛りと言われる年代になって、こちらも見る目も変ってきました。 ちなみにわが家は公務員一家。 バブル期も氷河期もほとんど変わらず慎ましく生きています。

トピ内ID:6740896913

...本文を表示

平成2年に就職活動をしてました

041
あおいちゃん
 大阪に住んでましたが、東京の会社がセミナー参加にも交通費を出すと言うのでいそいそと出かけました。  2回目に呼ばれたときに公務員を受けると言いましたが、落ちたら来てください、と言われその後も3回ほど何かとご馳走になりました。  当時は就職活動(まだ就活とは言ってなかった・・・)をしてた人は100%就職できた時代でした。

トピ内ID:5626443629

...本文を表示

学生ですが・・・

041
田舎もの
バブル絶頂の頃、大学生でした。T大に合格し、地方から上京してきた田舎物には都会の暮らしは目を見張るばかりでした。学校へ行かずにアルバイト、サークル&パーティ三昧の楽しい日々でした。 週3日、家庭教師のアルバイトをしていましたが、時給がとても高くて、バイト代だけで学費、生活費&遊興費すべて賄えました。家庭教師先ではいつも勉強が終わったら夕飯をご馳走になりました。それも、特上寿司やうなぎ弁当など名店からの取り寄せばかりでした。教えていた生徒が受験に合格したら、生徒と一生にハワイやヨーロッパへ旅行へ連れて行ってくれました。 でもこんな贅沢な日々も飽きてくるものです。大学4年生になるころ、なぜか急に勉強に目覚め、毎日図書館へ通って勉強ばかりするようになり、そのまま大学院へ進みました。そして博士号を取って就職するころには不景気の真っ最中でした。いやーもっと早く就職しておけばよかったと後悔したものです。 大学院へ行かずに就職した同級生たちは、内定をもらうと同時に会社の費用でハワイへ連れて行かれ、会社のお金で現地で遊びまわったそうです(会社は学生を他社へ取られないように海外で拘束)。

トピ内ID:7733373254

...本文を表示

普通の会社員でした

🐱
田舎暮らし
人口1万人台の某田舎に住んでいました。 会社から毎日のように飲み屋に直行、女の子は飲み代は奢られて当たり前、会社で行った宴会にはタクシーチケットが配布されました。 知らない人によく奢ってもらったものです→その後は解散です 職場で年金保険なるものを勧められ、100万払えば30年もしたら3000万(運用の利息などで)になるという代物でしたが、私は景気を信用していなかったので加入しませんでした。 結局思うように金利が上がらなかったので3000万円にはならなかったと思いますが、加入してたら今の金利よりは良い配当がもらえたまもしれませんね。

トピ内ID:4611204968

...本文を表示

たしかにおかしな時代でした

💡
ひろこ
ハローワークで紹介された某会社。入社してみたら、不動産会社の隠れ蓑でした。営業マンが、判で押したように同じタイプ。ゴールドのど太いブレスレットが手首でいつもじゃらじゃら。身にまとうのは高級そうな生地で仕立てたダブルのスーツ。今買ったのかと思うほどピカピカの靴。空気がみんな似ていました。ヤクザ?と言ってもいいぐらい。当時は、世間の誰もが小金を持て余していて、そういう人目当てに伊豆や信州の、家も建たない傾斜地を「安い」「今が買い時」などのうたい文句で売り出していたのです。社内には常務と呼ばれていた20代の女性、社長の愛人がおり、(なんだかマンガみたいですが、本当です)、自慢の赤のBMWを乗り回してました。しかし、胡散臭いのは営業マンや経営陣だけにあらず、経営状態そのものも相当くさかったようです。私が出産理由で退職した後、その会社はマルサにはいられたと聞きました。肩書きだけの子会社の社長などがっさり逮捕され、パート社員すら桜田門まで呼び出され、事情聴取を受けたそうです。当時、営業マンたちは200-500万の月給を受け取っていたはず・・。おいしい話には裏があったんですね。

トピ内ID:1996737619

...本文を表示

踊った覚えがあります

041
舞踏家
非常に堅実な生活をしてきましたが、その我が家でも普通の生活の中で土地の値上がりを見越しマンションを購入しました。 周りでも買っている人が多く、右肩上がりの時代で、リスクを感じることもなく、借金をしないのは馬鹿だくらいの時代で特別のこととは思いませんでした。 ただ突然バブルがはじけ楽しい将来の夢もバブルと消え、ローンの支払いで損失を出し物件を売り払いました。それでも早く気づき損失は少ない方でした。 バブルの再来を夢見て持ち続けた人もいましたが、結局損が膨らむばかりで損を承知で売り払った人、またそのまま人に貸して持ち続けた人もいました。最後は結局誰も借り手のないボロ家が残るという悲惨な結末になりました。 我が家の購入はバブル以前で、ローンの支払いが比較的楽に終わったのはバブルのおかげだったのかもしれません。

トピ内ID:3277310667

...本文を表示

隣の研究室

041
薬屋
研究者はバブルとは最も遠いところに居る人たちですが。 その中でも、隣の研究室ではどこからか100万円単位の自由に使える研究費が入り、定期預金の証書が山のようにあるということでした。教授は接待ゴルフに忙しく研究ができないと嘆いているということでした。忘年会なども豪勢に行なわれていたようです。 一方、対照的に我が家の教授は学究肌で真面目で、科研費を取り細々と研究をしているという状態でした。私はその教授を尊敬していましたし、研究者として当たり前の生活で気に入っていました。 隣では金を取ってくる人間が牛耳っていてまともな研究者が肩身のせまい思いをしているようで、ゴルフをしない自分のような真面目人間にはその研究室に居なくて正解だったと思ったものです。 国民の全員が踊ったバブルですが、関係のない人も居たことを知っていただきたいと思います。

トピ内ID:3277310667

...本文を表示

トピ主です

041
碧白いうさぎ トピ主
貴重なエピソードありがとうございました。 今とは大分かけ離れた時代みたいですね。あまりにすごいので、うそのような話に聞こえてしまいます(すいません) よく分からないのですがある一定の人たちが狂乱していたのか、日本国中の社会人が皆狂乱していたのか知りたいところです。 またそのバブル景気を経験された方はバブルがはじけた後、何かを教訓にしたりしているのでしょうか? それともそういう時代があって面白かったという、単なる過去の話で終わっていたりするのでしょうか? まだトピを見ている方がいましたら質問させて下さい。 バブル経済を経験して良かったのか。 それとも、バブル経済を経験しない方が良かったのか。 ※バブルへGO!は機会があれば見てみます。

トピ内ID:8501658127

...本文を表示

1990年頃は求人誌が月刊誌並みの厚さ

🐱
にゃあ
ネットが普及する以前なので仕事は求人誌で探すもの。 いろいろ出ていましたが、みんなボリュームがあって、愛読していたとらば~ゆは今で言えば、 月刊のコスメ雑誌以上に厚くカテゴリ分けも事務、営業、飲食店スタッフ等の業種から更に細かく、 駅から5分以内、アットホームな職場、完全週休二日、フレックス等々、今ならどれかひとつでも該当すれば 恩の字みたいな項目を条件に探せたんです。 バースディ休暇・プレゼントがある会社もいっぱいあった。 派遣はこのころ流行し始めた雇用形態で専門職とはいえ事務系で時給4千円ってのも。 簡単な事務で時給千円のバイトなんてゴロゴロありました。 週刊フロムエーは情報が多過ぎて週2回発刊に。 自分は医療職で病院勤務だったためバブル初期は特別儲かってる、という印象はありませんでしたが 冬のボーナスの後にクリスマスプレゼントと称して特別賞与をいただきました。 そういえば忘年会や毎年やってた創立記念パーティも相当豪華(1名予算1万円くらい)でしたね。 もちろんタダ。積み立てとかもしてなかったなあ。 その後転職する際に上記の事を感じた次第です。

トピ内ID:2963294467

...本文を表示

皆さんの返事に「驚き」

🐤
ひよこぴよ
私が最初にここに返事を出した時はまだ最初の3名のかたのご返事だけでしたので、あまりバブルの実感はなかったですけれど、その後の皆さんのご返事を読みますと 当時はものすごい社会 だったんですね。 バブル景気最盛期頃の、当時の私の職場の1989年の忘年会は、会費が一人4000円でした。職場の事務室の掲示板に貼ってある忘年会の案内を見て、一人が、 「なんだ! この常識はずれな金額の会費は こんな非常識な高い会費 おれは 欠席するぞ!」 と叫んだ。当時の私の課の員数は40名。昼夜二交替制勤務でしたから数名は忘年会出席できないが、ほかの社員も、 「これは 高すぎる・・・」 とうとう半数が欠席する事態になった。世間はバブル景気で威勢がいいように見えたが、我々社員は全然関係なし。その年末の私 (高卒で勤続15年) の冬のボーナスは60万円もあり驚いたが、他社のボーナスのニュースを見ると入社5年ぐらいで80万以上と言うから落胆した。 しかしそれは一部の企業のことであって大半の中小企業は当時でもボーナスなしか、0.3ヶ月分以下だったことを思えば大変ありがたかった。

トピ内ID:1371291107

...本文を表示

うかれた時代でしたね

041
ばたこ
バブル時代で、あまり浮かれた記憶もないし、羽振りのいいエピソードもないんですが。。 当時のことで憶えているのは、女子新卒に関してですね。 女子は短大卒の方が就職に有利で、女子四大卒はそこまで人気なかったですよ。 女子で4大出るなんて、ばかじゃなかろうかと思われていた時代でした。 また友達の事でしたが、当時パート雇用で事務の仕事をしていたんですが、 それでもボーナスが出ていた模様です。 いくらだったかは、しかと聞いてないんですが、年あたり何十万円かは出ていたみたいですよ。 何しろ当時は、仕事できない奴でも、座っててくれればいいからと、どんどん人を雇っていましたから それが最近じゃ、正社員雇用でもろくにボーナスが出ない話も聞きますものね。 まさに、隔世の感があります。

トピ内ID:0808440951

...本文を表示
[PR]
気に入ったトピを保存するといつでも読み返せる
気に入ったトピを保存するといつでも読み返せる
使用イメージ
使用イメージ

マイページ利用でもっと便利に!

お気に入り機能を使う ログイン
レス求!トピ一覧