本文へ

弟は何故、進学出来なかったのか?

レス54
(トピ主 5
041
ゆうか
話題
私の母は他界しておりますが、昭和一桁の生まれです。
幼い頃は食べる物も満足に食べられなかったと、いつも話しておりました。

母の弟はとても優秀だったそうです。
学校の先生が「進学させてあげて下さい。」と家まで来たそうですが、
進学させられなかったそうです。
母曰く、その当時進学する人の数は少なかったと言います。

母は母を生んですぐに亡くなり、二番目の母である母の継母は(祖母)初婚で弟は祖父との間の子供です。
継母の父は小学校長を務めた人です。
母の父(祖父)は働き者で思いやりがあり、自慢の父だと母はいつも話していました。
きっと進学させたかった筈です。

兄弟は8人、貧しい生活だったとは思いますが、その当時、それ程に進学は難しいものだったのでしょうか?

トピ内ID:3782334375

これポチに投票しよう!

ランキング

レス

レス数54

このトピックはレスの投稿受け付けを終了しました

母君が昭和ヒトケタってことはアナタは

😣
いくつやねん
トピ主さんはアラフィフって感じでしょうか? 同年代として、情けない質問ですね。 当たり前のように猫も杓子も大学、もっと言えば高校に行くようになったのなんて、高度経済成長で活躍した人たちの子供たちからじゃないですか? それ以前は、中学出て就職しても、珍しくも恥ずかしくもなかったはずです。 さて。 件の叔父上は昭和ヒトケタ=戦前ですよね。 食べるのがやっとの生活も、 どんなに優秀でも上の学校に行かないのも 全然不思議でも疑問でもないはずですが? むしろ、学校の先生が言いにきたくだり。 今も昔も先生にもよるかもしれませんが、 生徒の家の事情を現代より把握していた時代ですから、 本当にそこまで進学を勧めたのかどうか どこまで信憑性のある話であるのか、 そっちのほうが疑問です。 それより、時代性もあること 今更 知ったところでどうしようもないこと …をいまさら詮索してどうしようと? また、個人のプライバシーですから ご親戚の老齢の方にお話を聞くとか もっと、閉じた場で調べるという分別も もてませんか?

トピ内ID:2485847870

...本文を表示

ここで聞かれても・・・

🐷
mimico
進学ってどの学校への進学でしょう? 「母」「弟」と家族関係もずいぶん分かりにくい書き方ですね。 進学できなかった「弟」とは主さんの「叔父」ですよね。 で、その叔父様はいったい何時のお生まれでしょう? お母様は昭和1桁ということですが、叔父様も1桁ですか?お母様の生まれ年より叔父様の生まれ年の方が重要です。 それさえ分かれば進学率を調べれば、どの程度進学がメジャーであったかはっきりするのではありませんか? 昭和10年代生まれと仮定して、新制高校の進学率は50パーセント弱、大学で10パーセント程度ですよ。 高校進学率が60パーセントに届くのは団塊世代が進学年齢に達する頃です。 それに個別の家庭の事情がありますよ。 戦争で一家の働き手を失った家庭、全財産を失った家庭、特需景気で財を成した家庭、いろいろですよ。

トピ内ID:9099388381

...本文を表示

そういう時代だったのでしょうね

🐱
ちょろ
私の親戚にも学業優秀であったにもかかわらず 家計の事情で高校にすら進学できなかった人が沢山居ます。 昭和一桁生まれなら、なおさらそういう話は珍しくもなんともなかったでしょう。 さらに昭和一桁生まれとなると、 進学できていたとしても学徒動員などで 学業が出来ない環境になってしまったりと それはそれは時代に揉まれた世代であったと思われます。 比べても仕方がないけど、バブル崩壊なんてなんて生易しい時代の波か、と思えてきます。

トピ内ID:3545503887

...本文を表示

田舎ではよくある話

041
とくめい
私の親も同世代です。 母は大変優秀だった(本人談)そうで 進学させてあげてほしいと先生が家に来たそうです。同じですね。 祖父が亡くなったばかりの上、超子沢山(10人くらい?)で とてもじゃないけど進学できるわけがないと思ったそうですが 遠い親戚の援助もあり、何とか高校までは出してもらえたそうです。 大学はさすがに無理だったようです。 父も同様でした。当時は「金の卵」という言葉もあったくらい 進学より就職が優先されていたのもあり、 また、祖父の大反対と叔父達の進学もあったため 高卒で就職、大学進学は断念したそうです。 田舎と都会ではまた話が違うのかもしれませんが トピ主さんのお話は私にはすんなり頷けるものでした。

トピ内ID:6205263239

...本文を表示

皆さんおっしゃるとおりです

🐴
おうまさん
いくつやねんさんおっしゃるように、トピ主さんちょっと無知 なように思います。 もう少し新聞を読んだり、色んな本を読んで戦前戦後の歴史など 知識や教養を深められた方がいいのでは、と思います。 また、進学も大学か高校かによって、話も違ってきますし。 話変わりますが、私の親の親戚は親世代皆大学を出てます。実家は 裕福です。きょうだいは父方が4人、母方が3人です。 夫の親の親戚は全員高卒です。夫の親の兄弟は両方とも7人以上です。 私の親いわく「あの頃は中学のクラスの半分以上が高校に進学できなかった。 ○ちゃん(夫)のお父さんお母さんの家は、本当にようがんばらはったと 思うわ」だそうです。

トピ内ID:2576621824

...本文を表示

お母様に聞いておけばよかったのにね 2

🐴
昭和一桁夫婦の娘
うちの村で中学に行くのは地主の息子くらいだった、とも言ってました。 主さまのお爺様が教育者であったとしても そんなに高給ではなかったでしょうし 8人も子供がいれば、金銭的に無理だったのでは? それと推測ですが、叔父様は長男ではなかったのでは? 当時は家長制度が強い時代でしたので、 将来の家長になる長男が優遇され、下の子には手もお金もかけない、 という風潮がありました。父の生家がまさしくそうで、食事の内容も全然違っていたとか。 叔父様が昭和何年生まれか、にもよると思います。 昭和一桁後半なら、学徒動員されてまともな教育を受けられる状態ではないから 上の学校(中学か大学かはわかりませんが)に行かせる意味がない、 と判断されたのかもしれません。 横ですが、昭和一桁世代は戦前の話を子どもにはしない人が多いように思います。 多感な青春時代は戦争一色でしたから、話すと辛かった日々を思い出すのでしょう。 私の父母もそうでした。戦後の話は、二人の出会いも含め、結構話してくれましたが。 私が大人になって、いろいろ質問したらやっと重い口を開いてくれました。

トピ内ID:1797792988

...本文を表示

第一次産業の場合

041
蓄膿庫
皆が中学校へ行けたのは、いつでしたっけ? 地場産業が第一次産業の地域では、小学校を卒業と同時に、長男は必ずその仕事に就きました。景気が良ければ、次男・三男もです。 ですが、第一次産業は水の物。良い年と悪い年の差が激しく、食べるだけで精一杯の年も有りました。 また家計に余裕が出来て上の兄・姉が、下の弟・妹には進学させたいと思っても、なかなか上に遠慮があり、行きづらかったようです。 自宅から徒歩で通える距離に学校があれば、また事情が違ったのかもしれませんね。 進学とは、大学ですか? 飛び抜けた天才なら、親戚中で費用を出す場合も有りましたが、 良い時は大卒の月給の数倍ありますし、ハナから医者でも目指さなきゃ、親は進学なんてピンと来なかったのかもね。 私の幼き頃まで、大卒=教員、医者のイメージでした。 第一次産業の全員とは、言ってませんからね~

トピ内ID:0775545124

...本文を表示

トピ主です。

041
ゆうか トピ主
母の生まれは昭和9年。その後、すぐに継母が嫁ぎ、弟が生まれました。私は30代です。 私の母は私が学校で良い成績を収めても(クラスで一番) 叔父の例を引き合いにだし「学年で一番では無いのでしょ?」と他愛無く言います。 これは本当に堪えます。ですから今も心に深く残っています。 「先生が家まで進学させて欲しいと頭を下げにくる」レベルとはどの程度なのか?と思ってしまったのもあります。 母はそのレベルで無いと優秀では無いと思っていました。母は一切、見栄の無い人物で嘘では無いと思います。 継母に差別され苛め続けられても、継母が生んだ弟や妹をとても可愛がっていた様です。その後の交流からも見て取れます。 祖父は地方から東京へ出てきたサラリーマンで、兼業農家。 祖父の家がお金持ちで無く、進学率が高く無いのも承知しています。(お金持ちしか進学出来ない) 貧しいながら、個人の強い意志、周りの強い意思、運に支えられ、何とか進学した方の話を聞きたかったのです。 現在、事情により親戚付き合いは一切無く、聞く事は出来ません。

トピ内ID:3782334375

...本文を表示

家庭の方針にもよる

041
従姉妹世代です
父がトピ主さんの叔父様と同じくらいの年齢です。私自身は40代です。 当時は高等教育(高校、大学教育)に関する各家庭の考え方が現在よりもかなりばらついていたということだと思います。高等教育よりも、働いて今お金を得ることが大切という考え方の家も普通にありました。高等教育を軽んじる風潮は一部にあったと思います。 一部という根拠ですが、父の実家は5人兄弟で全員国立大学へ進学しています。これは祖父が新聞もろくに読めないことを恥じて、自分の子供には高等教育を受けさせたいと思っていたからです。貧乏でしたので、奨学金を受けての進学でしたが当時でもやればできました。母の実家(こちらは農家で裕福)でも高校に行かないという選択はなかったといっていました。家風による差も大きいと思います。

トピ内ID:4123286434

...本文を表示

父は昭和4年生まれ

ひんぬ~?
奨学金で大学に行きましたよ

トピ内ID:6029141526

...本文を表示

時代を知ろう

🙂
オーパオーマ
戦前の子供が6人7人いた時代。 戦中・戦後の物資不足。 集団疎開や集団就職。 これらの歴史や時代背景では、進学よりもはやく大人になって就職して 家計を助けなければなりませんでした。 女性にも教育が必要だと進学が当たり前になったのもここ数十年のことですよ。 いろいろこれをきっかけに、調べたり知ったりしてみませんか? これからの日本の未来はとぴ主さんたちや私のような30代がつくるのですから。

トピ内ID:1167002851

...本文を表示

少し調べてみてください

041
アラフォー
 私の両親も昭和一桁です。二人とも義務教育どまりです。子どもの頃、戦中戦後の話もたくさん聞きました。当事は鬱陶しいだけでしたが、今となっては貴重な話をしてくれていたと感謝しています。  弟さんが進学の頃(高校とすると)は昭和25~6年くらいですね。戦争が終わってまだ5~6年くらいです。当時の状況を想像してみてください。東京を始め大都市の多くが空襲で焼けています。人々は生活を立て直すために精一杯だったことでしょう。ごく一部の恵まれた人たちを除き5~6年では無理でしょうね。いくら進学させたくとも、混乱期の中難しかったであろう事は想像できると思います。ネットが使える環境にあるのですから、当事の写真などを探してみてください。 >貧しいながら、個人の強い意志、周りの強い意思、運に支えられ、何とか進学した方の話を聞きたかったのです。 意思や運だけではどうにもならないことも多かった時代であったと思います。  

トピ内ID:5699526815

...本文を表示

中卒だったと言うことでしょうか?

😑
しっぽく♂
どこの学校の先生が「進学させてあげてください」と仰ったのか、という記述が見当たりませんでしたが、中卒だったと言うことでしょうか? 昭和30年代前半頃、『集団就職』、『金の卵(主に中卒対象)』などという言葉が遣われていた社会的背景はご存じでしょうか? 卒業したての中学生が、制服を着たまま上京するような時代でもありました。 また、進学が難しいと言うよりも、当時は中学、高校で十分だという考えが一般的だったという時代背景もあります。大学進学率にいたっては20%にも満たなかったはずです。 地方ならば高校、それも職業校でさえ十分だという風潮があったようです。私の父も主さんの仰る弟様と同世代だと思われますが、父は地方の商業高校を卒業し、普通に大手商社に就職しました(商事、物産には入れなかったようですが)し、母も高卒で都銀に就職しています。母に至っては大学受験すれば旧帝大さえ合格できたと思いますが「口減らし」のために「大学受験罷り成らぬ」との達しが出て、大学進学を断念したようです。

トピ内ID:8599951370

...本文を表示

亡くなった父方の祖父は大卒です。

🐶
sawa
生きていれば100を越えてる世代です。祖父の生い立ちはなかなか過酷で、子供時代は廊下のつきあたりが見えないほど大きな家に住みお手伝いさんもおおぜいいて、 山をふたつもみっつも持つ資産家(旧家で、当時は事業をやっていたようです。その山はいまは拓かれ私鉄が通り、広い住宅街になっています)で、乳母日傘で育ったそう。 でも祖父が10歳を過ぎたころ曾祖父が事業に失敗、家屋敷も土地もなにもかも失ったあげく曾祖父は亡くなり、4人兄弟の末っ子ですが3人の兄たちも病気で若いうちに亡くなったり戦死したりで 借金など負の遺産も引き継いでかなり苦労したそうです。 そんな中「これからは生家を頼りにするのではなく自分の力で」と奨学金で大学へ・・・卒業後は某大手企業に就職し、最後は取締役のひとりに名をつらねました。 もしかしたらちょっとめずらしい部類の人かもしれません。

トピ内ID:3021393724

...本文を表示

お金を稼ぐことを期待されていたのでは?

041
おばさん
もしとぴぬしさんのおっしゃる「優秀な弟」 が長男だったら、お金を稼ぐことを期待されていたんでしょう 奨学金で口減らしになっても、ほかの家族の腹は膨れませんよ 祖父が、校長先生だったから、進学させたかっただろうなんて、想像でしかないでしょうね 当時は、長男大事の時で、長男の長男ならともかく、嫁に行ったむすめのむすこなど、かんけいないです。

トピ内ID:5217978913

...本文を表示

その前に・・

041
シスター
どうして「弟」と表現するのかとても気になります。 トピ主さんにとってはお母様がすべての中心(尊敬や忠誠、その他すべて?)で、 お母様からの目線で考えてるの? だとしたら「弟は何故・・・」という比較対象に「姉(お母様)や他の兄弟は行けたのに・・」というようにも読めるのですが、そういう事情ではないのですよね? 弟=叔父(も~!ややこしいなあ笑)は兄弟の中で突出して優秀だったということでしょうか? 呼称が「母」や「祖父」とある中で叔父を「弟」と表現していることと、8人兄弟なのに何故「弟」だけに焦点をあててこだわっているのかよくわかりません。

トピ内ID:2051806062

...本文を表示

進学って高校?大学?

🐧
昔は大変
うちの両親も七十代。昭和十年代の生まれ。中卒で自営業。父は八人兄弟で三人亡くなり五人兄弟。うち三人は高卒。あとは中卒です。母は四人兄弟で一人高卒で、残りは中卒です。両親の実家は農家で、田畑は有ります。田舎なので空襲は逃れたものの、そんなに豊かな生活では、なかったようです。 昔は、優秀な人か裕福でないと進学しなかったと思います。また優秀でも経済的な理由で諦めた人も多かったのでは?進学より、手に職をつけた方がいいという考えもあったようです。 でも、同じ世代でも、大学出の方もみえますが、優秀で恵まれた家庭だったんだなと思います。

トピ内ID:9848757300

...本文を表示

昭和10年生まれの母

041
ふうりん
昔の田舎では、いくら優秀でも進学できなかった人はいくらでもいます。 うちの母も8人兄弟ですが、母は大卒です。 母の父親は、母が10歳の時に他界しています。 母の地元は大学などない田舎で、大学に進むには、実家を遠く離れて寮に入るか下宿するかしなければなりません。 8人兄弟の6番目の母は、運良く大学に進むことが出来ました。 というのも、1番目の姉と2番目の兄が既に社会人になっており、金銭的援助をしてくれたからです。 兄弟の中で、母だけが特別優秀というわけではなかったようです。 そういう援助を受けられなかった5番目までの兄・姉たちは、進学できず、 6、7、8番目の子供たちのみ、進学できたそうです。 母たちは、上の兄・姉に感謝しています。 ちなみに、母は、盆や正月は寮が閉まるので帰省しなければならないのに、 帰省する費用がなかったので、明かりが漏れないように窓に布や段ボールを張って、 なるべく音を立てないように、閉寮期間が終わるのを、人に見つからないように待っていたそうです。

トピ内ID:0001217123

...本文を表示

トピ主です。

041
ゆうか トピ主
高校進学の話だと思います。 私の母は(たぶん)6人兄弟の末娘、その後、継母が嫁ぎ、継母は2人子供を産みました。弟は長兄ではありません。 その後、母は中学位の時に、体の弱かった継母も亡くなり、次の継母が連れ子と共に(女子)嫁いできたそうです。 余談ですが母は継母に酷い差別を受け(食事、おやつ類を与えて貰えない等々)また、体の弱い継母に代わって家事一切を引き受けていたそうです。 祖父から「○子(母)本当に申し訳無い、一緒に死のう」と言われたそうです。 奨学金を受け、進学されている方もいらっしゃると言う事なので、弟は遠慮したのかと思っています。 継母の子であると言う事で長兄からはよく思われていなったのもあります。 母はよく弟と妹を長兄の(無茶苦茶な)無理解から庇っていたのは、その後交流で見て取れます。 母は中学を卒業後、住む込みで(給料はほぼ無し)専門技術を見につけ、独立しましたが、早くに無くなった祖父の為に 少しでも送金してあげたかったと言っておりました。

トピ内ID:3782334375

...本文を表示

本人の資質、家の考え方、周囲の環境、いろいろ

041
今回は匿名
>個人の強い意志、周りの強い意思、運に支えられ、何とか進学した方の話 トピ主さんの叔父さまより更に10歳ほど上の世代の話ですが。 私の母方の祖母の実家はすごーい地主だったそうです。 小作人がいーっぱいいたんだそうです。 で、その小作人の子供で、すっごーく頭の良い子供がいたのだそうです。 その子の親は、お金もないし農業をやるのに学問など要らんだろうと言って進学させるつもりは全くなかったそうですが、祖母の父親は頭の良い子なのだから高等教育を受けさせてやりたいと、学費や生活費を全て面倒みて大学に行かせたそうです。 と、そんな風に他人の子供を進学させてやった曽祖父ですが、当の祖母が女学校を卒業して師範学校への進学を希望した時には、女に高等教育は要らないと言って進学させなかったそうです。 頭が良いか悪いか、お金があるかないか、教育を重視するかしないか、それだけで決まる話でもないようですね。

トピ内ID:6070826487

...本文を表示

うちの父も

041
ナツ
進学できませんでした。 中学卒業前に祖父(父の父)がなくなり 長男の父は進学を諦めたそうです たくさんいる弟妹を食べさせないといけないので住み込みで働いてたそうです 祖母(父の母)はそのことっをずっと悔やんでました ・・田舎(村)だけに「100年に一度の天才」とか言われ 周りからも進学をさせてやれと相当言われたそうです。 進学したとしても・・学費はなんとかなったと思うのですが 祖母に仕送りはきっと出来なかったでしょう。 父の口からはそういう話を聞いたことなく 父が亡くなったあと祖母や父の弟妹(叔父・叔母)から聞きました。 苦労してただろうに・・ そんなそぶりも見せず・・ そんな父が大好きでした

トピ内ID:6348766829

...本文を表示

他の

041
他の兄弟は進学したの?主様のお母様は中学を出て独立して働いていたと言うことですが、他の兄弟もそうなんじゃ無いですか?ならいくら優秀でも一人だけ進学は出来ないでしょう

トピ内ID:9296166585

...本文を表示

旧制中学が新制高校になって進学率が増えた

041
なるみ
学制の変化は昭和22年なので、昭和9年以前の人は義務教育が「尋常小学校(戦時中は国民学校)の6年」と「高等小学校の2年」で8年でした。 ここが複雑なんですが、今の高校の機関に相当する「旧制中学」は、 通常尋常小学校を終えるときに入試を受けて入ります。 ちなみに女子の場合は女学校です。 今で言う中高一貫のようなシステムだったのです。 ですので、尋常小学校6年生にとって次の進学が ・無試験の高等小学校2年 ・入試を受けて入る旧制中学(女学校)4~5年 でした。 ですので、旧制中学に進まないということは「高等小学校に行く」ってことだったんです(ただし貧しい地域では義務教育が徹底しておらず、24の瞳にもありますが高等小学校さえ行けない子供が多くいましたが)。 ここで敢えて入試を受けてまで義務教育でない学校に行くというのは、かなり「特別」感があったと思います。 また、高校についてですが、これは昭和一ケタ台~15年生まれで、制度ではなく意識にかなり変革があったと思います。つづく

トピ内ID:3613500616

...本文を表示

続:旧制中学が新制高校になって進学率が増えた経緯

041
なるみ
というのも旧学制では「高等学校」というのは今の「大学の教養課程」に相当する機関であり、 旧制中学のトップクラスしか行けないところでした。 旧制高校を出ると、ほぼ自動的に旧帝国大学(東大、京大、北大、東北大、名大、阪大、九大)に行けました。 試験はありましたが(しかし大学、学部によっては無試験。九大法文学部など)、今でいう理系の大学院内部入試みたいなもので、旧制高校の入試の方が圧倒的に大変でした。旧制高校に落ちた人で経済的に余裕があれば私立大予科に行きました(遠藤周作など)。 旧制高校というのは「超エリート機関」だったのです。 学制が変化して、どんなに「新制高校は旧制高校とは違う」と説明されても、一般人がそれを飲み込むのに、1~2年はかかったと考えられます。 しかし小学校を終えた子供が全員一旦新制中学(旧制高等小学校)に進学してから、新制高校を受けるという制度が一般に正しく認知されてからは、瞬く間に一般的になったと考えられます。 旧制時代の「旧制中学・女学校」のような「特別感」がなくなったからです。 この世代にはこういう事情があったことを認識すべきだと思います。

トピ内ID:3613500616

...本文を表示

戦前と戦後では

041
麦チョコ
私の両親も昭和一桁生です。父は田舎ですが地主で小作人も沢山いて お手伝いさんも数人いたそうで、大卒です。当時、文系は兵隊になり 戦場へ行かなくてはならなかったそうで、祖父の希望で戦争に行かなくて 済む理系にしたそうです。 その時代では高校すら小作人の子は行ってません。当然、田舎は小作人 の方が多かったわけですから、ほとんど高校も行ってない時代です。 一方、母親は関西の都市育ちです。母も大卒です。 母方祖父祖母も今生きてたら100過ぎですが、大卒です。 曾祖父は医者。祖母の実家父は学者です。出て当然の環境だったようで 伯父叔母もすべて短大、大学出ています。 戦前は貧富の差が激しかったのではないのでしょうか。 母実家も田舎からのお手伝いさんが5人程いたそうです。 戦後、5年程迄そういった生活だったようですが。 未だ、お金がない場合、進学に不利なように、戦前生まれはもっと 不利だった筈です。また、そういった知識を持った人も少なかった のでは?食べるのに苦労してた人が多い世代ですから、学問は 贅沢だった事と思います。

トピ内ID:3118240040

...本文を表示

昭和七年生まれの母。その兄の場合

041
マオラン
母は、六人きょうだいの五番目。すぐ上の兄が長男であとのきょうだいはみんな女性です。 私からは伯父にあたるその人だけが大学に進学しています。伯父は、障がいのある人ですが、勉強が好き。本人の希望で、姉の一人から入学金を出してもらい、別の姉と妹である私の母に身の周りの世話をしてもらい、生活費と学費はバイトで稼いでいたそうです。 資格を取ることができて、無事に卒業。就職もできました。定年まで、きっちり勤めあげたそうです。

トピ内ID:5537018748

...本文を表示

中学中退

😨
昭和半ば
父が昭和4年、母が昭和5年生まれです。 田舎ではなく、県庁所在地の大都市で、空襲でバンバンやられた所ですが、ウチの父は中学中退で最終学歴は小学校です。 貧しかったからです。6人兄弟の4番目で、戦争中は学校の校庭で芋を栽培していたそうですよ。 さらに、昭和30年代、町工場だった我が家には隣県から来た中卒の集団就職者が3~4人同居していました。6畳と4畳半の2階に住んでいました。映画のAlwaysー三丁目の夕日でしたっけ、あんな感じでした。 時代が違いますね。 学校のお弁当に日の丸弁当、おかずなしとか、修学旅行はお金がなくていけない。高校進学率は50%とか聞かされていましたよ。

トピ内ID:0993681935

...本文を表示

トピ主です。

041
ゆうか
母にとって、叔父や叔母そして、近い年齢の伯父等が、兄弟との認識がある様です。 子沢山が当たり前の時代、母が生まれた時には、既に姉は既に他家に嫁いでおり、兄の多くも家には既に居ない状態、 一緒に暮らした年の近い兄弟が兄弟と言う認識が自然、強くなったのでしょう。 長兄は継母の産んだ弟、妹を兄弟と一切、認めていませんでした。 最低な兄だと母はいつも憤っておりました。 弟や妹が独立した後も長兄から歴然と差別を受けており、母に頻繁に相談しておりました。 母も何度か、長兄には意見した様です。 弟と言う言葉を使ってしまい、迷わせてしまったのであれば、申し訳ありません。 母が継母に苛められながらもそれ程に弟や妹を可愛がっていたと言うのが、健気であり、 無意識に表現してしまったのかも知れません。当然、妹や弟は母をとても慕っておりました。 母の事ですから、もう少し年が離れていて収入があれば、自分が費用を出して弟を進学させたと思います。

トピ内ID:0905452991

...本文を表示

トピ主さんの本音が知りたい

041
私の母も昭和一桁
邪推ですが、トピを読んで >母の父(祖父)は働き者で思いやりがあり、 >きっと進学させたかった筈です。 >継母の父は小学校長を務めた人 ↑ つまり、【叔父が進学できなかったのは継母のせい。継母は教育者の娘なのに、自分の息子を進学させなかった】 とトピ主さんは言いたいのね、と感じました。 いくつかの厳しいレスの後には、 >貧しいながら、個人の強い意志、周りの強い意思、運に支えられ、何とか進学した方の話を聞きたかったのです。 ↑ でしたら、 >弟は何故、進学出来なかったのか? と書かず、そう書けばよかったのでは、と思いました。 >母は中学位の時に、体の弱かった継母も亡くなり ↑ え?ってことは、弟の進学問題のときにいたのは、また別の継母ってことですよね? 続きます。

トピ内ID:4322806235

...本文を表示

続きです。

041
私の母も昭和一桁
また >体の弱い継母に代わって家事一切を引き受けていたそうです。 >母はよく弟と妹を長兄の(無茶苦茶な)無理解から庇っていたのは、 >母は中学を卒業後、住む込みで(給料はほぼ無し) ↑ そんなすばらしい、大好きな母親が、  >私の母は私が学校で良い成績を収めても(クラスで一番) >叔父の例を引き合いにだし「学年で一番では無いのでしょ?」と他愛無く言います。 >これは本当に堪えます。ですから今も心に深く残っています。 ↑ ここが、トピ主さんの叔父さんに対する嫉妬でしょうか? ざっくり感じたままを書くと、 決してお母さんが嘘を言っているとは思いませんが、 それが全てでもないし、記憶って曖昧なもので自分に都合良くすりかえられることもあると思うんです。 例をあげれば、祖父が叔父を進学させたかったかどうかわからないし、 母にとっては自慢の父(トピ主の祖父)でも、継母の仕打ちに対しては、「一緒に死のう」と母に言う軟弱さ。 誰が悪いとか、進学できなかった理由はこれだとか、そんなに簡単に言えるものではないし、 やはり混沌とした貧しい時代によくあったできごとかと思うのですが。

トピ内ID:4322806235

...本文を表示
[PR]
気に入ったトピを保存するといつでも読み返せる
気に入ったトピを保存するといつでも読み返せる
使用イメージ
使用イメージ

マイページ利用でもっと便利に!

お気に入り機能を使う ログイン
レス求!トピ一覧