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大学にまつわるお話、お聞かせ願えませんか

レス20
(トピ主 1
🙂
シロガネ
話題
48歳の女性です。宜しくお願いいたします。 専門学校に進学し、大学に行かなかった私は、大学というものが今ひとつ理解できないでいます。 大学の理念やランクということではなく、「キャンパスライフ」というのでしょうか、実際の大学生活がぴんと来ないのです。 たとえば、高校までは(専門学校も)クラス分けされて担任がいて、という形なのに、大学はそうではないらしい。 どうやって友達になるんだろう、とか、 新歓コンパはサークルごとにあるのかな。それならサークルに入らない人は、新歓コンパに出ないのかな、とか、 でも小説で、「新歓コンパのはしごをした」とあるが、どういうことかな、とか、 大学院は本人が希望すれば進めるのかと思っていたが、どうもそうではないらしいぞ、とか。 (程度が低くてすみません) それで何人かに聞いてみたのですが、意外と答えがバラバラで、大学によって違うんだな、と思いました。 でも、どの人の思い出話も活き活きとしていて、面白いのです。 大学は、特別な場所なんですね。 皆さまの大学にまつわる話をお聞かせ願えませんか。 楽しかったこと、苦しかったこと、学んだこと、教授、友達や先輩、サークル、卒論。 バイト生活やその時に住んだ下宿など、大学にまつわる思い出なら何でも構いません。 差し支えなければ、おおよその年代や地域を書いていただけると嬉しいです。 (話を聞いていて、年代や地域の差が、意外と大きいと思ったのです) 皆さまのお話から、私も大学生活を想像してみたいです。 宜しくお願いいたします。

トピ内ID:6910663505

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特殊だから参考にならないかも

🐧
クール
99年院卒、都内国立大。 楽しかったこと: 知りたかったことを勉強した事 苦しかったこと: 真摯に教えてくれる人がいない、 進路等これからどうすべきか相談しても馬鹿にする人に囲まれた事、 貧困家庭出身者だったので免除手続きやアルバイトの掛け持ちで疲労困憊、成績維持のための試験勉強等で辛かった事、 私の立場を理解する人がいなかった事、 忙殺され資格が取れなかった事 学んだこと 人は信頼できない事 教授、友達や先輩 何度もチャレンジし、心を砕きましたが、話すだけ無駄でした サークル 入ってもお金がないので活動できませんでした 卒論 途中で指導教官が失踪し、一人であちこちに頭を下げて教えを請い(しぶしぶ一部の情報を教えてくれた)、必死で何とか論旨を組み立て書いた バイト生活: 忙しくて覚えていないですが、低賃金重労働でした。 住居: 実家住まい。合コン、という言葉すら知りませんでした。 就職も当然なく、少なくともトピ主さんが憧れる点は一つもありませんでしたよ。

トピ内ID:4810551820

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人生を変えた学生生活

041
bee-a
私は京都で、1980年代に大学生活をしました。 私の人生を変えるくらい、私の人生に意義のある生活でした。 京都は大学同士が近いので、私は自分の学校のサークルに入らず、 他校のサークルに所属していましたね(今は出来ないかも)。 まだICカードの学生証も無かった頃でしたから、出入りは自由。 よその大学の名物教授の授業を聞きに行ったり、 学食を食べ歩いたりしました。 そう言う偽学生は当時沢山いました。 勉強は要領をかませましたから(笑)、本当に自由な学生でしたね。 フランス語の先生が素敵だったわ。 大好きな友達と過ごし、好きな先輩に振られて泣き、 サークル仲間と夜中まで騒ぎ、祇園で絡まれて命からがら逃げた事も、 今はもう良い思い出です。 ビリヤードも、マージャンも、お酒も煙草も、大学で覚えました。 休講になる度に学生向けの映画館に入り浸っては、 3本750円で映画を見まくりました。 でも、貧乏学生でしたからアルバイトも必死でしたよ。 今はもうは遥か彼方の遠い年月ですが、 30年経つ現在も、その当時の仲間とは交流があります。 男女問わず、「ラーメン食べにいこ」と言える友達です。

トピ内ID:1014057803

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「かやまゆうぞう」と呼ばれて

😀
恋次郎
大学の学部を尋ねられれば、多分「山岳部」と答えるでしょう。一学年120日ほど山へ行っていました。何故なら、交通費、装備費や食費を総計しても、下界の生活費よりもエコノミーだったから。 山で調理を覚え、裁縫を学び、不足を楽しむ気概を学習し、生活工夫を覚えました。後々の貧乏結婚生活に在りて、「無きを楽しむ術」は、この時に得ました。薩摩の出身の私が、妻と結婚して家事労働=調理や洗濯が苦に成らなかったのは、山で学んだ極限状況での逆転打開マインドの故です。 レス題の解は、山に魅せられ学業疎かで学績無く「可が山の様にして優三つ」の成績の我が学生生活、その端的表現です。仕送りしてくれた父母には、誠に申し訳なかったのですが。今思うに、大学とは社会進出前のモラトリウム期間でした。その様な悠長な時代に恵まれたのです。 父母恨みの仇は、不甲斐無い私の代わり、三子が果たしてくれました。全員東大京大に進学し、私は故郷へ墓参に帰省して、能力が有りながら家庭が貧しく、学びたくても、その機会を付与されなかった父母の墓前に、子等の進撃を報告しました。 親として手抜き過ぎますが・・・

トピ内ID:4668692895

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いい時代でした

🐱
アラフィフ
30年前、バブル前夜という時期に大学に行きました。 地方の小さな町から、関西の大都市の大学に進み、新たな発見が 沢山ありました。 総合大学ではなく、ひとつの学部しかなくて、高校に毛の生えた程度の 規模で、キャンパスというほどの大きさではなく、ちょっと寂しかったです。 巷では、女子大生が申し合わせたように大きなブランドバッグを持ち、華やかでした。 世の中全体がとても明るかったです。そうそう、日本が貿易で儲け過ぎてアメリカに 叩かれてました。 大学の授業の多くは、教授達の専門のマニアックなものが多く、このままじゃ 絶対卒業しても役に立たない、と焦って入学早々外語専門学校に入る子がいました。 変人を絵に描いたような教授がほとんどでした。 今でも覚えているのは、一回生の時、同じサークルの先輩にアメリカ留学から帰った ばかり、という人がいて、当時としてはかなり珍しいことで、尊敬の眼差しをむけられて いました。 わずか数年で、大きく状況は変わり、卒業旅行にヨーロッパ一周というのが定番で、 留学も珍しい話ではなくなっていました。 今と比べると明るくて、のんきな時代でした。

トピ内ID:7593763165

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関西では学年は一回生、二回生と数える。

🙂
posuyumi
40代。関西私大文系。 マンモス校で一学年に同じ学部で10クラスありました。 そう。最初の2年間は選択語学をもとに英語、第二外国語、専攻の基礎演習(テーマにそって班ごとに検討、まとめて発表)のためのクラス分けがありました。 なので、大学の友達はまず、そのクラスメートです。担任の先生は基礎演習の先生で、最初にクラスコンパもありました。大学が持つ宿泊施設での合宿もたしかあった。文化祭もそのクラスで店出したなあ。 サークルはがっつり活動するサークルと、そこまでじゃないけど安定して活動するサークル、好きであつまってるゆるいサークルがあり、マンモス大だったのでインカレ(他の大学と合同で活動しているところ)入ってる子は私のまわりにはいなかった。 活動日がずれていれば掛け持ちは可能。なにも用事なければ授業の合間はサークルのボックスになんとなく集う感じ。飲み会よくやった。 他の居場所は主に図書館。校内のカフェ。学校周辺の飲食店。 授業休講は来てみて掲示板みて分かる時代(笑) 3年からは希望のゼミに入り、演習のテーマは深くなる。卒論をみてくれるのはこの先生。ゼミで卒業旅行行きました。

トピ内ID:7911389739

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大学に感謝

🛳
もう20~30年も前
私の大学生活は一般の人と違っています。 いわゆる「大学」という所に籍を置いていた期間は11年、在籍した大学も4つもあります。 高校を卒業したのは80年代前半です。当時は今では考えられないぐらいに大学受験が厳しく、都内地元進学校に行っていたのに、先輩の中には「<大学>とつくところに入れればどこでもいい。」と冗談交じりの言葉がでるほど厳しく、短大の競争率もかなりのものでした。浪人する人も多く、専門学校に進学した人もいました。 いろいろあって私自身はとりあえず短期大学に進学、自分が夢みた大学生活とはほど遠かったです。やっぱり私が心に描いた大学生活(特に学業関係やサークル活動)は、大規模な四年制共学大に行かないとダメだったみたい。でも勉強したかったので、就職後も2部編入、海外留学(学部、大学院)と、長~い道のりをかけて勉強を続けてきました。 「キャンパスライフ」みたいなのは、短大時代の2年間のみ。卒業してから30年近く経ちますが、当時の学友とは親交ありです。その後の大学生活は、勉強しに行っていたので楽しい思い出みたいなのはあまりなし。でもそこで学んだことが今の私の人生に役立っています。

トピ内ID:5228631592

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大学時代

041
飛び熊
大学時代の友人は、一切の打算がありません。本当に苦楽を共にしたり、同じ釜の飯を食ったりした言わば戦友のような感覚なのでしょうか。 私の一番の思い出は、もちろん友との出逢いです。高卒で就職しょうとした私に、「大学は行け! 行くなら東京の大学が良い」と言う父の言葉に、「東京に行ってみたい」と言う理由だけで受験して、何とか合格し上京しました。初めて親元を離れての一人暮らし、不安でいっぱいでした。しかしクラブも決まり、人並みに新歓コンパやサークル活動等もあり少し東京での生活に慣れた時事件がありました。仕送りが入金されなかったのです。(銀行のミス) 持っていたお金もつき、食事が取れない日が7日続き、とうとう目がかすんできたとき、私は恥も外聞も無く、大学近くに住む話もしたことすらないクラブの同級生の下宿を訪ね、「もう一週間何も食べていないんだ。何が食べさせてくれないか」とお願いしました。彼は、「オカズは塩辛しかないぞ」と言って、炊きたてのご飯を私に振る舞ってくれ、私は命を繋ぐ事ができました。あれから39年、いまだに年3回程度ですが、彼と酒を酌み交わしています。

トピ内ID:8050611043

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大学は楽しく遊ぶところだと思ってませんか?

🐧
おばはん
大学は勉強するところです。すべてを学ぶところです。 自分のやりたいことを研究するところです。 共通のやりたいことを持った仲間が集まって研究したり、産学で起業したり、発見したりするところです。 でも、私は学生時代にそれが分かりませんでした。 だから50歳過ぎてから改めて大学に入って・・・・。人生でこんなに勉強したことはありません。 いまも大学生です。もう一生勉強ですよ。 ただ、やりたいことのない人には、遊んで卒業するだけの場所です。

トピ内ID:5150245388

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遊びが主体・・・の頃でした

😢
C-Flat
30年前の大学はとても楽しかった。授業は休講も多かったし、出席もあまり煩くなかった。六大学です。そのうち先生は出席表を配り、名前を記して回収するようになり、学生はそれをストックするようになり、今度は色違いを配布し、また学生は様々な色の出席表をストックする。妙なところでの知恵比べです。 試験は大抵2問の筆記。2問外すと落第なので、勉強したことを必死に書く。8割の教員は「可」を付けてくれましたね。試験は皆で集まって、試験問題予想。それぞれ担当を決めて回答案を作り配布。できる子のノートコピーで界隈のコピー屋さんが繁盛。 大学の現場にいますが、今は小さな教室で、入室管理のカードが出席証拠。授業も9時まであります。高校の延長のような自由が利かない今の現場に学生として戻りたくないです。

トピ内ID:7568696155

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あなたはまだ若い、大学に入学願書を送付しましょう

🙂
匿名
社会人枠で願書を受け付ける大学がありますね。 コメディアンの萩本欽一さんは73才で駒沢大学に入学しました。 京都造形芸術大で陶芸コースを11年かけて学位取得した96歳の男性が卒業しました。 大学が老若男女、勉強をしたいと思った人が学べる場であるといいと思っています。私はアメリカの4年生大学を卒業しましたが、子育てが終わってから勉強を始める人とか、仕事をしながら学んでいる人とか、いろいろな人がいましたよ。でも、勉強は大変でした。1クラスの先生からの課題書が1学期(2ヶ月半くらい)で3冊はきます。最低2クラスあるいは3クラスとりますから、10冊くらいの本を抱えることもあり、普通に読んでいては間に合わないので斜め読みし、肝心な所だけを見逃さないように読んでいました。

トピ内ID:4750400797

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世にも不思議な物語

💢
アンポンタン
私の場合は特殊中の特殊。  高校中退の中卒。 高校は二部卒。 その後、どれも推薦入学で三校へ。 最終学位が法学博士。  三大学の中間が日本で、ほかの二校が北米。  全て奨学金。  一応の学生生活は経験しておりますが、最初のうちは歳がいってましたので「おっちゃん」扱い。 助手やら助教授で同年輩の方々もおりました。 大学生活、どれも大変意義深いものでした。 感謝に耐えません。 良きご学友、良き先生に恵まれました。  お陰で最終学位を授かった頃は若い方で、 抜いて、おっ着いた形です。 三大学の中間が日本で、ほかの二校が北米。   どれも列記とした学生の身分で、身の毛のよだつ名門校でした。  学位必修の外国語試験は「独逸語」 で、 其れが辞書なしで慌てました。 結果は其の晩、電話で頂きました。 三題中二題の自由選択。 アデナウアーの施政方針演説とハイネの詩を選ぶ。 以上の肩書きで自営農業へ。 終生 農業。 然し、今でも独逸語新聞は毎日欠かさず読んでおります。  現在は隠居の身。 三途の川で順番待ちの最中です。  

トピ内ID:7850282134

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楽しかったですね。

🙂
今は太め
女子大生ブーム真っ只中に女子大生生活を送りました。 ハマトラブーム、サーファーブームでしたね。 大学は短大でしたので忙しかったですが、それなりに充実してました。 朝から講義に行ってお昼は友人とランチしてましたね。 今の学生より贅沢だと思います。 アットホームな大学だったので教授と飲み会もありました。 教授行き着けのお店に連れて行っていたたげたり、試験前は先生との 飲み会で試験傾向聞いたり、レポート提出は近くで暮らす友人宅で コピー取りながら徹夜で仕上げたりもしました。 見た目は派手でも期日迄しっかり守る基本しっかりした子ばかりでしたね。 無名短大でしたが。 高校迄とは明らかに余裕ある家の子ばかりだと感じました。 他大学との交流も盛んだったしサークルで他大生とのコンパもありました。 他に学科毎に誰かがコンパ誘われて、多い時は毎週コンパありましたね。 結構そこで夫婦になってる友人多いです。 皆、幸せにしてます。楽しかったなあ。

トピ内ID:6268905175

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君はうちの学生ではない

🙂
ベレー
地方の小さな田舎町から東京のお嬢様学校に進学したアラ還です。 当時大学に進む女子、しかも東京!なんて中学の同級生では田舎だけに私だけでした。 ピアノ講師のバイト(月謝は平均1万円で土日休み)で当時で30万位稼ぎ、親からの仕送りも家賃抜きで15万貰ってましたからもう優雅な学生生活でした。 元々洋服が好きで当時デザイナーズブランドと呼ばれた服を片っ端から来ていました。ギャルソンを着ていたら教授にタイトルを言われました。お嬢様学校でしたからね(笑) いろんな大学とのサークルや有名商事会社、テレビ局、医者などのコンパ三昧でした。バイトは夕方からだったので、休講になると友達とショッピングに行ったりして、後の講義は代返で。タバコもお酒もいろんな遊びも遊び方も学生時代に覚えました。 でも今は地元の田舎の高校の同級生(公務員)と結婚して、のんびりオバちゃん生活しています。(笑) 華やかだった東京生活が懐かしいです。楽しい思い出です。毎日が夏休みだった気がします。

トピ内ID:5319311277

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楽しかったです

🙂
黄泉子
都内国立大です。 某文学を勉強したくて某語科にはいりました。 サークルは所属しなかったので、新歓コンパは、語科別のもののみ。 クラスがふたつありました。 専攻で使う教室も決まっていたのは、大学にしては珍しいかもしれません。 いまはもう廃止されたようですが、進級試験で一定の成績がとれないと、普段の成績や出席状況がよくても、留年しました。 進級試験は、4年まで毎年。1/3落ちることもありました。 8こ上の人と同級生だったりしました。 受験勉強はあまりしなかったので、入ってからどんだけやったって感じです。 論文も原書で読んでましたが、いまは無理です。 毎週論文やら発表、つらくたのしく、友人と励ましあいました。 卒論は、書いても書かなくてもよくて、私は書きました。 文化祭で語科別に、その言語でお芝居をします。 楽しい経験になりました。 普通の大学とはだいぶ異なりましたね。 遊んでる子はほとんどいない、真面目な大学です。 専攻以外も授業は楽しくて、さすが一流と思いました。  20年以上たっても、いまだ連絡をとりあう親友に会えたのは、大学のおかげです。

トピ内ID:5728615087

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40年以上前の話です。

🙂
全共闘世代
生家が貧しく、高大院を当時の日本育英会貸与奨学金とアルバイトで修了しました。 学部時代:教養課程はアルバイトの連続でした。専門課程ではA教授の研究室に配属されました。このときもアルバイトに追われ、何時も空腹-昼食代を浮かせました-のまま午後3時ごろ研究室に行ったものです。A先生は良く夕食を誘ってくれました。そう、先生の奢りです。 大学院時代:指導教官はB教授でした。このときも金欠です。学会出張旅費はB先生のポケットマネーから出ました。先生のご自宅で、良く夕食をご馳走になりました。研究室に帰るとき、奥様が何時も和菓子を紙に包んで下さるのです。 A先生も、B先生も既に故人です。B先生は奨学金返還免除職に該当する研究所への斡旋を熱心にして頂きました。今は悠々自適(?)な年金生活です。両先生の指導を受けられたことは今でも感謝しています。

トピ内ID:5647762676

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🙂
or
都内六大学の私大です。 主様とほぼ同年代の者です。 自分の場合は… クラス: 担任はありませんが、 学部 - 学科 - 専攻 という小単位になっていきますので、 「専攻」が「クラス」という雰囲気でした。 「専攻」は、人数も20人に満たないし、英語や第二外国語や、 その専攻で必ず履修しなければならない授業があるので 顔を合わせる機会が多いのです。 友達作り: 入学してすぐ、オリエンテリングのように 学科や、専攻ごとに、教室で説明のようなものがありましたので、 その際に、知り合って→友達になっていきました。 サークル: 自分はサークルに入りませんでした。 コンパ: ↑ゆえにコンパは「クラスコンパ(と呼ばれていました=同じ専攻の人達のコンパです)」しか参加したことがありません。 入学した直後のものは、隣接した専攻との合同コンパでした。 住まい:実家が近郊で通える距離でしたので、実家暮らしでした。 バイト: 3年になる頃、とあるバイトに就き、結局、関連バイトを 卒業まで続けました。その職種に興味を抱き、卒業後の進路にも影響しました。 つづきます。

トピ内ID:4166133922

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学び:自分が学びたいと思って選んだ「学科」でしたので、充実しきっていました。 勉強は熱心にしました。 学びたかった学問との関連「資格」をとれる大学を選びました。 そのため、その資格を取得するための授業を、別途、4年間受講しました。 3年、4年進級次、受講資格者がふるい落とされるので 授業・実技・レポートなど、たいへんでしたけれど、なんとか無事、 卒業時、その資格を手にすることができました。喜びの一つです。 先輩・友達: サークルに入らなかったので、先輩とまで呼べるほどの間柄の人はいませんでしたが、選択した授業で、上下、別の学年の方と知り合う機会はありました。 特に親しくなった友達達とは、 大学近くのカフェに行ったり、授業後背伸びしてカクテルを飲んでみたり、 休日には、都内の美術館全部制覇しよう!と、趣味が一致し、 美術館巡り+ちょっとおしゃれで高めのランチに行くのが楽しみでした。 教授: 選択した授業のなかで、面倒見がよい教授がいらっしゃって、 授業後、何度か飲みに連れて行っていただいて、嬉しかったです。 大学の今後や実情などについてもいろいろ裏話などを聞かせて戴きました。

トピ内ID:4166133922

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🙂
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苦しかった事: いちばん苦しかったのは卒論でした。 自分は「試験」のような「決められた短時間内に書く」という形式だと瞬発力が出るタイプのようで、 小論文形式の試験で、自分でも思いもよらない様な小論が書けたりしたのですが、 提出形式のレポートや論文だとだらだらしてしまう+締切日プレッシャーに弱く 卒論はそれが数ヵ月つづくわけですから、 不眠にも陥り、市販薬を飲みながら、苦しんで書いていました。 それでも、入学前から書きたい、と願っていた分野で書き上げたので、今でも、満足感があります。資料が集まらなかったり、他テーマでの変更を迷った時期もあったのですが、結局は自分の一番興味ある分野で自分なりに精一杯仕上げました。 あとは大学といえば「学食」や「図書館」でしょうか。 「自習室」も、学部棟にある小さいものと、 図書館近くにある広いものとがありましたが、両方、好きな場所でした。 学食は、知合いにばったり会ってそれまであまり喋った事がなかった人と一緒に食べたりするのも一興でした。 図書館は、幼少時から今現在でも大好きな場所ですが、「大学図書館」というのは独特の雰囲気があり、良いです。

トピ内ID:4166133922

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ありがとうございました

🙂
シロガネ トピ主
トピ主、シロガネです。 レスしてくださった皆様、ありがとうございました。 勉学に励まれた方、大学生活を満喫された方、 「かやまゆうぞう」などの私の知らない言葉、すべてが新鮮でした。 私の疑問に詳しく答えを書いて下さったこと、 今の大学事情を教えて下さったことにも、感謝いたします。 同僚や友人から聞いた大学の話も色々で、 「同じ国立大、同じ学科であっても、大学によって全然違うんだ」 と思いましたが、こちらでいただいたレスも、ひとつとして同じものがなく、 ワクワクしながら読ませていただきました。 大学、素敵ですね。 お礼が遅くなって、申し訳ありません。 本当に、ありがとうございました。

トピ内ID:6910663505

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女子のみ

🙂
ちゃちゃ
六十代です 幼稚園から大学院まで。旧制女学校からの伝統校。 当時の就職課の職員曰く、学生の皆様はほとんど御家庭で就職を決められていらっしゃいますので必要でしたらご相談くださいでした。 体育の授業は社交ダンスもありました。将来、お役に立つかもで。即忘れましたが。公務員受験特別講座あり。参加しました。 ゼミは楽そうな?教室に。卒論は何とかこなしました。国家資格取得すれば授業科目も増え実習も加わります。 友人達もエスカレーターで進学した方ではなく、殆ど片道2時間前後の通学時間で中にはそれ以上の人も。個人的にはサークルもアルバイト経験もなし。今でもそのメンバーで交流しています。残念ながらドラマのような学生生活ではなくて・・・ ちなみに在学中にお見合いして卒業後結婚という話も聞いています。 やはり色々な事もありましたがあっという間の学生生活でした。感謝しています。

トピ内ID:8620442611

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