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歴史好きな方

レス29
(トピ主 1
🙂
話題
知識はありませんが、歴史のエピソードを聞くのが好きです。 日本史の中で一番激動の時代っていつかなぁと疑問に思っています。 知識のない私が考えたのは(以下、間違ってたらすみません)、 1戦国時代 日本の中で天下を取ろうと戦って領土を広げてた。でも農民は戦いに関係なかったとも聞くし‥激動だったのは一部だけ?? 2明治時代 鎖国から文明開化へ。藩から県になったり、要人が暗殺されたり、日本中がひっくり返った感じ。 3昭和 2つの大戦、そして敗戦から高度経済成長。これも日本全体が激動だった‥けど2に比べるとベースは変わってないような。 他にも、稲作が始まった縄文時代から弥生時代も激動か?とか考えると楽しいです。 歴史好きな人、詳しい人、どう思いますか??

トピ内ID:6605601895

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レス数29

このトピックはレスの投稿受け付けを終了しました

何をもって“激動”とするか?ですが

🐧
おばはん
人がたくさん死んだのなら、圧倒的に大正~昭和です。つまり20世紀です。 関東大震災と二度の世界大戦と原爆投下、敗戦と復興と高度成長期と、それから公害に交通戦争。 20世紀は世界的に見ても日本国内においても、一度に何十万の戦闘員でない人々が殺されてしまうという・・・ 異常な虐殺の時代でした。 昭和は激動の時代だったと思います。 いま高齢で90代の方々は大正生まれですよね。よく生き抜いてこれたと感心します。

トピ内ID:4315583220

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とんでもない

041
テキトー男
>でも農民は戦いに関係なかったとも聞くし‥激動だったのは一部だけ?? →兵農分離が進んだのは戦国末期。それまでは高坂弾正など農民出身の武将もいました。織豊期になっても武士も農作業してたし、農民も戦に参加してました。そもそも雑賀党や本願寺は武士とは言い難いですよね。 戦に参加しない(参加しなくて済んだ)農民も、自分の農地が戦場になったら大変。敵(時には味方も)による青田刈りもあるし。最悪、巻き込まれて犠牲になる事も。 戦が多ければ税や荷役負担などが増えるし、新規開墾を命令しない領主はいないし。農民だって激動です。

トピ内ID:0173301231

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わが国おける歴史の最大のエポックと言えば

🙂
鴨南蛮大好き
元寇だろう。 敵は当時ユーラシア大陸の過半を征していた覇権国家たるモンゴル帝国。 敗北していたなら、日本という国は存続してなかっただろうよ。

トピ内ID:4922359850

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歴史学科でした

🙂
mai
幕末~明治は激動ですね。開国は本当に凄い。人間で言ったら赤ちゃんが産まれた感じ。 個人的にピックアップしたいのは… 神話に登場する初代天皇が即位したBC660年 ‘‘国’’としての日本の始まりです。 即位日は建国記念の日として現在も祝日。 以来、天皇は、現存する世界最古のエンペラーとして2600年余りもの歴史を繋いでいます。 天皇のご先祖様はイザナギとイザナミ。 日本を作った神様です。 イザナギの左の目から産まれたのが、太陽の神・天照大御神(あまてらすおおみかみ) 右目から生まれたのが 、月の神・月読命(つきよみのみこと) 鼻から生まれたのがスサノオ… 続けて風・山・海など、日本中のありとあらゆるものをバンバン産んでいきます。 …ってなにそれ!(笑) しかし、こうやって産まれた神々は今も日本の各地の神社に祀られているのです。 日本最大級の神社・伊勢神宮には国民の総氏神・天照大御神が祀られています。 この神様にお願いができるの、天皇、その方ただ一人だけでございます。 神話とは言え、今も脈々と続くその歴史の長さに圧倒されますね。

トピ内ID:0201232886

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歴史大好きです

🙂
薔薇一輪
一応自認の歴女オバサンです(笑)私は戦国時代大好きです 農民は余り関係なくはないらしいです?戦があると強制的に戦闘要員に駆り出され雪国、特に越後では農繁期は百姓、農閑期は足軽として戦に参加したらしいです 私の好きな武将は上杉謙信、上杉景勝、石田三成、大谷吉継、宇喜多秀家、など1600年の関ヶ原の戦いで負けた西軍の武将が好きです

トピ内ID:6542484162

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激動と大転換期

041
おやじ
「激動=激しく揺れ動く」の意だと思いますが、短い時間での変化が前提にあるような気がします。 それから言えば、幕末~明治維新でしょうか。 でも、大転換期の意なら、私は、大和~奈良、鎌倉~室町(南北朝時代)が、該当するように思います。 まず、鎌倉~室町(南北朝時代)で言えば、日本文化で、最初に挙げられるもの ・能 ・歌舞伎 ・お茶 ・生け花 等は、全て、室町時代以降に生み出されたものであり、日本人の精神構造の大きな変化を表していると思います。 次に、大和~奈良を言えば、律令制度の導入や母権制から父権制への移行(*1)など、国家としての形が出来上がってきます。 *1:母権制の要素は今も残っていると、個人的には考えています。 もちろん、その前には、仏教の導入など、国家への芽吹きを促す変化が起きている訳ですが。 一歴史ファンの戯言に過ぎませんが、あれこれ考えるのは、楽しいことです。

トピ内ID:6699931616

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元寇

モガオ
日本が外国の統治下になったのは、第二次世界大戦終結後のGHQ統治下が最初で現時点では最後ですが、それが唯一変わった可能性があったのは、鎌倉時代に起きた元寇ですね。 日清戦争、日露戦争も国を挙げての戦争ではありましたが、日本国本土を対象とたものではなかったので、仮に負けたとしても国そのものが消滅することは無かったと思いますので、そういう意味でも元寇は日本国の存在そのものを揺るがしたという意味では、とぴ主さんの言われる激動に値するのではと思います。 文永の役(1274年)、弘安の役(1281年)の2つを合わせて元寇と呼びますが、兵力差は圧倒的でした。 日本守備軍1万に対し、文永の役では2万5千~4万弱、弘安の役では14万に及んだと言われています。 地の利があったとは言え、本当によく勝てたと思いますね。 神風については、しばらく事実でなかったというのが主流だったようですが、最近の研究では事実だったのではと改められているようです。 この時の勝利体験が、9世紀を経て日本無敵の精神的支柱になったかと思うと微妙な気持ちになりますね。

トピ内ID:8141018528

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1から2の間がある

エリッサ
戦国時代は、1493年~1573年まで。 一応、安土桃山時代に織田、豊臣と中央集権制に変わっているので、戦国時代ではない。 そこから江戸時代になるので、1と2の間には二つ時代がある。 戦国時代は激動だったと思われる。 でも、江戸時代はさほど激動でもない。 戦国時代は農民も徴兵され戦っている。戦いに関係がないわけがない。 足軽は臨時の兵であり、普段は農民の場合が多かった。 豊臣秀吉は足軽である。 わかりやすい例だけど、出世しまくって、あそこまで上り詰めたという感じ? 歴史が好きならもっと勉強した方がいいと思う。 明治と敗戦からの高度成長はお話にならないと思う。 敗戦時、戦死者が多すぎてよくあれだけ高度成長したもんだと、私は思うので。 私は一番激動だった時代は明治から昭和にかけてだと思う。 特に昭和が一番激動。 開戦、戦中、敗戦、戦後。 短期に変わった事を激動と言うのなら、やはり昭和だと思うよ。

トピ内ID:1601859228

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戦国時代の農民

🙂
Char
農民は戦力ですよ。戦いには雑兵が必要ですが供給源は農民です。 だから戦争は農閑期が多く、農繁期は少なかった。 青田刈り(買いではなく)とか徴発とかの被害も大きいし、 無関係ではいられません。

トピ内ID:3721950158

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「激動」の考え方によりますが

🙂
40代教員
日本の国のかたちが大きく変わったのは、なんといっても明治維新でしょう。理由は、 ・これまで地方自治が常態だった日本の国が、史上初めて強力な中央集権国家になった ・一般の人々が、初めて「国民」として国の存立に直結するようになった からです。 戦国時代もそれ以前も、日本は地方に勢力が割拠して、その中で比較的大きな勢力が 支配権を持つ、という構造だったものが、中央に「官」が成立して、その官が国民を 成立せしめ、その国民が直接的に国の存立にかかわるようになったのですから、 日本史上、画期的なことです。 また、人が沢山死んだという意味では、第2次世界大戦が「激動」と呼ぶに相応しい かもしれません。 「国民」が形作る日本という国が、舵取りを大きく誤って、開闢以来の大惨禍を招いた という不幸な時期です。戦国時代にも流血のイメージが付きまといますが、結局、死んだ 人数でいえば大したことはなく、何百万人も死んだWW2とは比較にもならないですから、 そこを「激動」と考える方は多いでしょうね。 縄文時代から弥生時代への変化は、わからないことが多いがゆえのロマンですね。 イメージすると楽しいですね。

トピ内ID:7755077243

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第一次大戦の勝利

🙂
マンボー
これで日本はアジアへの進出の国際的な切符を得ましたが、世界列強の領土拡大の帝国主義時代の波に乗りすぎ、米国から武器・物資供給を受ける中国と必要以上に戦った事ではないでしょうか。南下政策をとらなければ、まだ太平洋戦争は避けられたかもしれません。 当時の欧米は鉄や石油を採掘する技術をはじめ、そこから製品を作り、戦いに用いる技術がはるかに優れていたということです。

トピ内ID:4435828016

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私も好きです。

なつやすみ
 おっしゃる通り関ケ原の戦い、明治維新、敗戦以来の昭和時代は日本の歴史の中ではクローズアップされる事柄でしょう。  日本が天皇制のもとに世界一の長い歴史を刻み続けていることには感動してしまいますが、これは日本の仕組みが権威と権力が切り離されていることが大きく関係しているのです。(他国はほとんどセットです)    すぐ近くの中国が漢だった頃はその属国に近い状態だったのに、21代の雄略天皇は中国の属国になるのを拒否して、あえて交流を断ちました。  大分時が経って隋の頃に、厩戸皇子(聖徳太子)が日本の為に大陸の文化を取り入れるために国交を再開したが、それでも対等な関係を主張したりと・・「日本人って本当に賢い!!」このような先人の賢さが今の日本を造っていると感じます。  こういうことを知った時「残念、もっと早くに知りたかった!!」というのが本心です。日本の素晴らしさを、もっともっと多くの人に知って欲しいデス。

トピ内ID:6445841593

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歴史は人が作る

🙂
おっちゃん
ので、激動の時代というより、今の我々の尺度で考えて、最も目覚ましい「成り上がり」を成し遂げた時代が「激動の時代」なんじゃないかと思います。 そういう意味では、家柄や学歴等のバックグラウンドなしに成り上がった豊臣秀吉と田中角栄(その時代)が両雄なんじゃないかと思います。

トピ内ID:3693676436

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時間をかけて広がった?

041
おやじ
>他にも、稲作が始まった縄文時代から弥生時代も激動か?とか考えると楽しいです。 稲作は、じわじわと、時間をかけて広がった印象があるので、激動とは違う気もします。 詳しい事は、知りませんが。

トピ内ID:6699931616

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私も歴史大好きです

😀
おばさん
うーん 難しいですね。 古くは権力が公家から武家に移ったときなども当人たちにとっては大きなことだっただろうと思います。 でも、廃藩置県など教科書に簡単に書かれていることの裏側にどれだけ多くの人のドラマがあったのかなどかんがえるとやっぱり歴史は面白いですよね 近年、選挙の投票などにも興味がなくいかない若者が多いと聞くと、過去の歴史を学んで選挙権のある幸せを考えてほしいと思っています 歴史は決して暗記科目ではないといいたいおばさんです。 失礼しました

トピ内ID:7100196100

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自分の領地だけを歩いて旅が出来る様にしたい願いからです

🐶
戦う犬
稲作を始め、人が耕した農地を力づくで奪い取ろうとした人々が現れた。 農地の周りに壁や堀を作って自衛したがそれでも攻めて来る。 そこで、米泥棒から農地を守る専門の身分が出来た。 それが武士だった。 農民もお金を貰って、戦う事もあります。 普段、農業をやらない武士を大量に養えるわけではありません。 ですから、戦争の時は、武器を借りて農民も戦った。 それと、天下統一は、自分の領地(名古屋が多かった)から京都に行く時、自分の領地だけを歩いて旅が出来る様にしたい願いからです。 県と県の堺で、お金を取られるのが天下統一まで、統一されれば通行料は不要で、旅が安く済みます。 天下統一で、人の動きが活発になり、経済的にも潤います。 徳川が江戸に幕府を置く事で、江戸-京-大阪の交通が発達しました。 参勤交代が戦争の準備の財政を使わせました。 討幕は、江戸から遠い地方からですが、参勤交代が余程厳しかったと思われます。

トピ内ID:1049995981

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長屋王の変

🙂
にょっき
激動というか、奈良時代に起きた「長屋王の変」で大和朝廷は間違いなく大きな転換期を迎えましたね。 長い間蘇我氏系の皇族のみが皇位に就いていましたが、「長屋王の変」で蘇我氏に繋がる血筋を持つ有力な皇族を一掃したのが藤原氏。ここから長きにわたる藤原氏系の天皇の治世が始まります。 そうそう、戦国時代へのダメ押しになった「応仁の乱」ですが、農民が弁当持参で戦見物をしていたという話が伝わっています。戦に関わる農民は他人事ではないので必死ですが、そうでない農民はのんびりしてたのかそれともやけくそか(笑

トピ内ID:4543026524

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人口のおはなし

🙂
mai
トピ主さんが上げている稲作。 これも確かにスゴイです。 縄文後期は気候変動のため狩猟採集ができず、食料が不足しました。住居跡などから推測したところ…日本人はなんと1/3以下に減少していたようです。これほどの減少率は他にありません。 人口は全く違いますが、その猛威をわかりやすく現代に換算すると、日本人1億3000万人が4000万人程度になった状態。 かなりヤバイ。 この危機を救ったのが稲作です。 食料を確保し、さらに建国も達成したことで、人口は爆発的に増え滅亡は免れました。日本人はお米を大事にしましょうね。 これに並ぶ人口爆発が明治~現代です。 鎖国を解き開国してわずか150年で1億人も増加。史上最多数となりました。江戸後期は大飢饉と疫病で数百万人が亡くなっていたので、開国は近代日本の稲作といったところですね。 しか~し… 残念なお知らせがあります。 今後は急激な減少に陥り、内閣府の発表では100年後の2110年には4000万人程度になるとのこと。 はい、現在の1/3以下です。 縄文後期以来の危機です。 稲作や開国では対処できない未経験ゾーン…。 どうする日本?

トピ内ID:0201232886

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物凄く好きではありませんが。

🙂
阿頼耶識
 やっぱり、大化の改新。  後は、仏教伝来ですね。 その後の日本人の価値観を、これほど変えた物は無いと思います。  私は時々思います。  仏教が入って来ず、古事記や日本書紀のように、時の権力者に都合の良い神話が編纂されなかったら、日本のアミニズムはどのような進化を遂げ、どのような独自の神話体系となっていたのか。 それとも、アミニズムのままで終わったのか。  今と同じ多神教の国か、唯一絶対の神を奉る国になったのか、大変興味深いです。

トピ内ID:7578891832

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詳しい者ではありませんが

🙂
28kwn
1.農民は徴兵されました。武田信玄や上杉謙信の軍は農閑期だけしか戦闘できなかったと聞いています。 2.イギリスやアメリカの出方によっては、植民地になるところでしたが、当時の指導者は国を守り育てました。 3.敵を知らず己を知らず仕掛けた戦争で国は滅びました。いまだに歴史問題で追及を受けるていたらく、どうしたものでしょう。

トピ内ID:9700735154

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激動とは違うかも知れませんが

041
おやじ
現在も、かなり面白い時代だと思います。 菅原道真の遣唐使廃止や、徳川幕府の鎖国令など、ややもすると、日本は、外国とあまり繋がりを持っていなかった印象があるかも知れませんが、実は、外国との交流はかなりあったと言われています。 でも、それはそれとして、現在以外で、こんなに外国の人が日本に来ているのは、私の浅い知識で言えば ・奈良以前の、いわゆる渡来人の時代(秦氏とか) ・戦国時代の、いわゆる南蛮人の時代(ルイス・フロイスとか) ・幕末~明治初の、???の時代(シーボルトとか) しかありません。 日本が、新たな段階へ進むきっかけになるかも知れないと、ひそかに、ワクワクしています、歴史の現場に立ち会っているみたいで。

トピ内ID:6699931616

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それはやはり、戦後でしょう。

🙂
てん
戦前までの日本は、当時で世界トップクラスの先進国ですから。 それが壊滅状態、しかも日本全国に渡って破壊つくされたわけです。 今の我々が、先の震災で日本中があのようになったと想像してください。 だれも、どこからも救援部隊、救援物資が届かない。 しかも皇室がどうなるかわからない。 それが外国人の判断にゆだねられている。 今の結果だけで見ないで、当時の事を想像したら恐ろしくなります。 今は、私たち日本人も外国人との接触になれていますが、多くの国民にとっては、当時は、それこそ宇宙人のように、まったく異質なものという感覚だったと思います。 つまり、自分たちの常識や価値観が通じない異星人が自国領土に乗り込んできたという状況です。 宇宙戦艦ヤマトで言えば、我らがヒーロー、ヤマトが破壊され、沖田艦長、古代等が牢屋にぶち込まれ、ガミラス帝国が地球に乗り込んでくる、という状況です。 もはや絶望でしょ? そこから10年で戦前の状態に戻ったという奇跡も併せて、やはり、最も激動の時代だと思います。

トピ内ID:2179476529

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外国の影響度

041
なゆた
皆さんのレスを読んでいると、日本は島国でかつ「極東」に位置するが故に、他国に比して外国の影響を受けにくかった事が、日本の歴史形成に繋がって来たものと思います。 (大陸の各国は、しょっちゅう国境線が変わって来ていましたから…。) 明治維新以降、航海術が既に発達し海を介した人・物の行き来が安全に出来る技術的環境の中で、国際社会の一員として生きていくことになった日本。この時点で「外国の影響度」は飛躍的に増したものと思います。 以降150年余り。欧米列国と肩を並べる為、日清・日露・日中・太平洋戦争等に明け暮れた当初の80年と、戦後の70年。 この戦後の70年。戦争こそ無かったものの、政治的・経済的・文化的には結構「激動」だった様に思います。 特に人口の急激な変動による社会構造の変化と価値観の変化や多様化。外国からの情報を含む多種多様な情報が氾濫する中で、一人一人がこれら情報と向き合わねばならない、この何とも言えない「不安定感」「焦燥感」。時代をキャッチアップするためには、相当な努力が必要です。 そういう意味では、今もまた「激動の時代」なのかも知れませんね。

トピ内ID:0359568808

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まったくの個人基準

🙂
青空
歴史的な部分でいけば投稿に書いてある通りなのでしょうが、 私が勝手に思っている激動は平安時代から鎌倉時代への移行期。 小学生の頃平安時代があって、源平合戦があって、頼朝が鎌倉幕府を開くと習いました。 平安時代の頃は猫の死体を見るだけで物忌みだ不吉だと言っていた日本人が 突然武士になり人同士で戦ができるのかが不思議で仕方なかったのです。 他の時代はまだ何となくどう変化したのかが想像できたのですが(合ってるかはともかく) 平安から鎌倉は想像も付かないくらいの変化イメージがありました。 それから多少は歴史を学んだので何となくは理解しましたし 戦国時代より農民にはあまり関係のない上の出来事かもしれませんが 農民の人はどう見ていたのかは気になります。

トピ内ID:3771757056

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土方歳三

🙂
tokio03
私は土方歳三が好きなので、彼が闘っていた時代を激動と言いたいです。 明治維新を遅らせた彼は、反逆のヒーロー等と言われていますが、勝てば官軍、負ければ賊軍の時代です。 彼が忠誠を誓った幕府が、結果として賊になったのです。 そして、もう勝てないと解っても、新政府に寝返ることなく、最後まで闘い抜いた生きざまには感服します。 近藤勇は投降しましたが、彼は闘い続けました。 それが死に場所を求めての闘いであっても、自ら首を差し出すことはしませんでした。 怖いイメージのある土方歳三ですが、優しく繊細で頭脳に優れた人。 戦国武将でも好きな人が沢山いますが、やはり彼です。 第二次世界対戦のとき、もしも土方歳三が指揮をとっていたなら、日本はこんな負け方をしなかっただろうという言葉がフランスの文献にあります。 どこが激動か...に決まった答えはないと思いますが、生まれながらに背負った運命や時代の波に翻弄され、苦しみ、生き、死んでいった無数の人たちの魂に合掌。

トピ内ID:4972294304

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提起された項目に沿って

041
おやじ
提起された項目に沿って、少し考えてみました。 1戦国時代 戦闘があって、領主が度々変わって、その意味では、激動かも知れません。 しかし、農業生産力は大きく伸びて、逆に、平和な江戸時代は、徐々に落ちて言ったと聞きます。 その時代の人に取っては、以外に、生きやすかったのかも知れないと思ったりします。 農民も武器を持っていたので、ある意味、今のアメリカのような銃社会との類推が可能かもと思いました。 2明治時代 前のレスで、激動の時代としてあげましたが、時間の幅を大きめに取ると、緩やかな変化のなかの突発的なものが、幕末から明治維新の短期間であったと見ることが出来るかも知れないと思いました。 本居宣長のような国文学者が、徐々に、日本国のアイデンティティのようなものを用意し、近代国家の設立意欲としての明治維新を呼び起こした、そして、それが、アジア・太平洋戦争まで余熱が続いた、これくらいのスパンで捉えると、何かが違って見えてくるかもしれないと思いました。 3昭和 明治維新の余熱も治まり、近代国家の枠組みを超えていく事が可能性としてある、そう思えてきました。

トピ内ID:6699931616

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そう、まだ激動は続いているのです。

🙂
てん
なゆたさんのおっしゃられるとおり、戦後70年、まだ激動は続いている。 いまだ自主憲法さえ持てず、改憲を主張しようものなら危険思想の持ち主とマスコミでさえ大騒ぎ。 精神的にはいまだ独立を達成していないと言えますね。 戦後GHQによって破壊された精神構造のまま、いまだ学会マスコミ教育界に勢力を保っている状態。 世界の常識からかけ離れた防衛意識。 今回の安全保障法関連など、世界の防衛レベルで言えば天と地、いや天と地下数百メートルくらいの開きがあり、とても防衛などできるレベルではないにもかかわらず、国会や民間で大騒ぎする思想。 見たいものだけを見て、見たくないものは見えないふり。 戦後アメリカによって守られてきた日本の平和を、憲法がまもってくれると本気で信じ込む幼稚性。 若い世代にはイデオロギーを超えた、世界の情勢を客観的に捉え、懸命な判断ができるように期待はしています。 ネット時代、新聞購読者は減り、テレビ視聴率が落ち、言論を支配してきた既存メディアの影響力は薄れつつあり、ネットがメディアを監視するという新しい時代に入ってきましたので、そこには希望がありますね。

トピ内ID:2179476529

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みなさんありがとうございました!

🙂
トピ主
たくさんのご回答、ありがとうございました。 どのレスもとても面白く、何度も読んでうなづいています。 色んな人からの色んな話が聞けて、ネットって本当素晴らしいな、とまで思ってしまいました。 全部興味深かったのですが、なかでも「元寇」についてが一番印象的でした。 モンゴル‥神風‥エビフライ食べたいな‥くらいの知識だったので、すごく興味深く納得いたしました。 どの時代もそれなりに激動ですよね。 もちろん現代も。 こんな知識のない私ですが、また歴史関係のバカなトピを立てる事があれば、またみなさんの面白いお話を聞かせてもらえればうれしいです。 ありがとうございました!!

トピ内ID:6605601895

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応仁の乱

🙂
kimenzan
たくさんの人が亡くなったという意味では第二次世界大戦でしょうが、日本人の価値観や生活様式が大きく変わったという意味では応仁の乱ではないでしょうか。 乱に参加した傭兵である足軽たちが放火と略奪の限りをつくし、その結果京都の大部分は焼け野原になってしまいました。京都の公家たちの生活は困窮を極めましたが、その結果全国に公家たちが散らばることにより、京都の文化が全国の庶民に広がり日本人の識字率が上がりました。高知の中村など、京都に似た送り火の習慣が残っているのはこの頃の名残です。(ただし、中村の習慣が京都に広まったという説もあり) 徳政一揆もたくさん起き、京都が富を独占し、金持ちは吐くまで、食べるという暮らしをしていたのが、富や文化が全国に広がりました。武士の間には下克上が広がり、後の戦国時代につながりました。 また、一日の食事が2食から3食になり、板の間が普通だったのが畳の生活に変わりました。経済が物々交換から貨幣経済に変わっただけでなく、投機目的の売買つまり財テクが始まったのもこの頃です。日野富子が有名ですね。一方で茶の湯や能が今のような形式となった時期でもあります。

トピ内ID:6987079412

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